第一話①
口が激しく乾燥する。
肌は荒れて剥がれ落ち、痒みが生まれて掻きむしると、見るも無惨に血が滴り落ちる。
最近は呼吸すらままならない。
ただ歩いているだけだというのに、息が続かないのだ。
全速力で走ってしまえば、呼吸困難で死んでしまうのではないかとさえ思ってしまう。
俺は数多に生え渡る木々を避けて、草を掻き分けながら、出来る限りの早さで皆を追う。
「何をしてるんだ!! 早く回復を!!」
「そうだよヒロ、あたしたちもうボロボロなんだけど! このままじゃ死んじゃうよ!!」
目の前で戦いを行っていた2人の男女と、それを援護していた無口な魔法使い、その目の前には、先程まで戦っていたデッドレックスの亡骸があった。
既に死んでいるアンデッドの類いのモンスターにも、死という概念があるのだなと感じながら、仲間に向かって回復魔法を使用する。
「『超回復』」
回復魔法の中でも最高峰の魔法だ。
味方は皆、戦う以前よりも綺麗な姿に再生する。
「流石『神の刻印』所持者、回復に関しては完璧ね」
そう言って先程まで大きな斧を振り回していた手で俺の背中を叩いてきたのは、女戦士である『キズナ』。
戦闘技術は勿論だが、何よりも魔獣との力比べで軽々勝利する程の怪力の持ち主だ。
「いつもすまないな」
いつも通り、リーダーの勇者は感情の籠っていない言葉をかけてくる。
悪人でないのは間違いないが、善人である確証も持てない、そんな心の内側を少しも見せようとしないのがリーダーの特徴だ。
「謝罪をするくらいなら、もう無茶な戦いはやめてくれないか」
俺はそのような嫌味混じりの言葉をかけながら、流れ落ちる鼻血を拭う。
「あっ、また血が出てるじゃん。これで拭きな」
そう言ってキズナは、泥に塗れたハンカチを渡してくる。
彼女はこの行動に悪意はなく渡している、むしろ彼女なりの善意なのだ。
彼女のものは、どれも戦闘をするにあたって汚れているからな。
「ありがとう。洗って返すよ」
「いいよ別に、それ上げるよ。またどうせ必要になるだろ?」
「難儀なものだな。『神の刻印』というものは」
『神の刻印』なんてものは名ばかりだと、世の中ではそのように語られている。
あるところでは皮肉にも『死神の呪い』と呼ばれ、またある国ではこの加護を得たものは、『世界の犠牲者』とさえ例えられる。
俺も正直、それらの意見に納得している。
何故ならこの力には自分を犠牲にするような、大きな代償が必要となっているからだ。
力を増す加護を得たものは思考力がなくなっていき、守りの力を得たものは骨が朽ちていく。
そして、回復の加護を得たものは魔法の使用後、肉体が劣化していく。
皮膚は剥がれ落ち、筋肉は衰え、内臓の機能は低下していく。
昔は実感を得ていなかったが、ここ最近ようやく理解した。
この魔法は体を劣化されるものではない、自分を殺す力なのだ。
ふと視線を横にずらすと、魔法使いの少女が蹲っているのがわかった。
近づいて見てみると、お腹に小ぶりではあるが深い傷を負っている。
先程の戦いで負傷したのだろう。
「スズナ見せてみろ。治してやる」
俺は魔法を発動して彼女の傷を癒す。
使用したくないと言っておいて矛盾しているかと思われるかもしれないが、これは仕方がないことなのだ。
俺はこの為に、このパーティに所属している。
神の刻印を得たものは世界の為に、つまりは生涯を勇者パーティの為、魔王討伐の為に費やす。
それがこの世界の教育方針だ。
神の刻印を持ったものは神の代理者として、この世界の為に生きなければならない。
生まれてから神の刻印がある事を知られた人物は、漏れなく全員がとある教会へ送られる。
この世界の神を進行するこの教会では、この世界での生き方を強制されるような教育を施される。
俺は10歳になった時に始めて刻印がある事が判明して送られたからまだ自分を持って生きていられているが、生まれて直ぐに送られたものはまるで従順なロボットのように動いている。
そんな方針に昔は反発したが、今はそんな気力はない。
冒険を続ける為には、俺のような力は必要不可欠なのも事実だと、こうでもしないとしないと先へは進めないのだから仕方のない事だと、そう割り切っている。
スズナは癒えた箇所をじっと眺めた後、俺の方へと視線を向ける。
「……ありがとう」
「いいよ。気にするな」
俺はそっと口から溢れる血液を、自身のローブに隠すようにして吐いた。
「それじゃあ今日はあの町で休もうか、もうクタクタだしな」
そう言って勇者は、森を抜けた先を指差した。
その先には小ぶりではあるが、町が見えたのだ。数日間ぶりの人里に、俺は少しばかり気分を上げていた。
「ちょっと待ってよリーダー。もう既に冒険を始めて3年も経ってるんだぞ?それなのにまだこれだけしか進んでいないんだ。休んだりしてないで、もっと先に進もうぜ」
「君と言えど疲労がたまっているだろ? 今日は休むべきだ」
「…全く、こんなペースじゃ魔王を倒す頃には、三十路になってるかもしれねぇな」
何気なく発したであろうキズナの発言に、俺は少しだけ心を痛めた。
三十路という言葉を聞いてハッとしたのだ。
俺はその年まで生きる想像を、一度もした事がなかった事を、それを今改めて理解したからだ。