人を見る目【後編】
焼け落ちていく村の中心で、シンシアは立ち尽くす。
人の嘘と人の悪意を読めず、言葉をそのまま飲み込んだ結果が、この村だ。
実を言えば、この村の惨状は、かの蛮族がやったという証拠はない。
ただ、シンシアもオズワルドも漠然と感じていた。
根拠はないが、あの男の仕業だ、と。
後悔の泥に沈み込み、最早自身の力では抜け出ることは出来ない底なし沼。
少女に向けて、黒騎士は声を掛ける。
「シンシア様、これを見てください」
無限に続く悔恨を、オズワルドは無理やり引き起こす。
オズワルドが膝を折り示しているものは地面にある痕跡。
「足跡……ですね」
「村人のどれとも違う、複数人の成人男性ほどの大きさです。道から外れて続いていますね」
村から出てすぐ、街道から外れ草むらに続いている。
正体が誰であれ、この残虐な光景を作り出した人物はこの足跡を追っていけば見つかるだろう。
「行きましょう」
シンシアの声に、黙って頷くオズワルド。
彼が足跡を追って歩いて行く後ろに続き、思っていたことを聞いてみた。
「オズさんは、知ってたんですか?」
何が、とは聞かない。
検討はついていた。
「確証はありませんでした。解放してもらう為の口上が何処か嘘くさく、演技めいた物を感じていた……ただそれだけです」
「…………言ってほしかったです」
「申し訳ありません。明確な証拠が無いのに、王に意見するのは…………」
「私たちは!」
思わず大きな声を上げて、オズワルドの声を遮る。
自分の後悔を、誰かにぶつけずにはいられない。
「王とか、そういった関係の前に……仲間ですよね? まあ、王とは信じてないんですけど!」
そこだけは念押し。
「間違っていてもいいんです。お互いに意見を交換し合って、話し合って決めたいんです」
「ですが……」
オズワルドの立場からすれば、二つ返事で承諾は出来ない。
彼はあくまでも、王の騎士なのだから。
「私は、まだ未熟です。知らないことがいっぱいあります。だから、王の知見を育てると思って……間違っていれば教えてほしいです」
簡単には縦に振らないであろう首を。
シンシアは縦に振らせる技を覚えつつあった。
「……そういうことでしたら、次からは……必ず」
足跡を追っている状態でなければ、シンシアに傅いていただろう。
だが、森が深くなり、夜にもなりつつある現状では。
暗くなる前に足跡を辿らなくてはいけない。
その状況に輪をかけるように。
「雨……ですか」
まだ小雨ではあるが、雨がしとしとと降り注ぎ始める。
「急ぎましょう。雨で足跡が消えてしまうと、追うのが困難になってしまいます」
「はい、行きましょう」
消えかけた太陽の光を当てにしながら、痕跡を必死に追いかける。
………………。
…………。
完全に夜の帳が落ち。
雨も本降りになってきたことで、足跡を追うのはもう不可能だった。
シンシアは体に降り注ぐ雫に体を震わせる。
衣服はどんどん水滴を吸い込み、重さを増す。
いつもと違い、夜に吠える獣の声はしない。
雨が地に降り注ぐ音。
そして。
笑い声。
下卑た笑い声が、何処からか聞こえてくる。
声の方向へゆっくりと足を進めると、明かりが小さくはあるが、垣間見え始める。
焚き火の灯り。
焚き火を囲むように、男たちが数人、酒を酌み交わしながら高笑いしていた。
二人の場所では、姿が良く見えない。
彼らは村を襲った人間なのか?
シンシアを騙して逃げおおせた人物なのか?
冷たい寒さに体を震わせながら、聞き耳を立てる。
「しかし、よく帝国の兵士から逃げれましたね、今回ばっかりはもうダメかと思ってましたぜ」
「ああ、俺もこのまま死ぬかと思ってたが、檻に近寄って温情を要求するバカがいてな」
「え? そのバカの要求が通ったってことですかい?」
「んな訳ねえだろ。そのバカの傍にいた黒い鎧を着た奴がえれえ強くてな。あっという間に帝国の兵士を殺しちまった」
「へえ。でもこの辺に出回ってる手配書を見れば、親分が逃がしちゃダメなやつだって知ってるはずですよね?」
「ああ、死ぬほどバカなのか、余程のお人好しなのか。涙を流して適当な嘘ついたら、もらい泣きして逃がしてくれたぜ」
「親分そんなに役者でしたっけ? さっさと足を洗って何処かの劇団にでも入ればいいんじゃないすか」
「バカ言え。好きな時に奪って好きな時に飲めるこの暮らしを手放せるかってんだよ」
「それもそうすね。じゃ、底抜けのバカに乾杯!」
「もうちょっと人を見る目を養いな! がはははは!!」
黙って聞いているシンシア。
だが、表情は穏やかではない。
正直なところ、反論できる箇所は無い。
シンシアに人を見る目が無かったのは事実だからだ。
嘘を嘘と見抜けず、凶悪な蛮族を野に放った。
それはまごうことなき真実である。
悔しさに下唇を噛み締め、声の先を睨みつける。
オズワルドは、シンシアの表情を克明に見ることが出来た。
瞳に頼らない視力だからだろうか。
それとも王を想うあまり、シンシアの表情だけは見えるのだろうか?
どちらでも良い。
ただ一つ分かっているのは。
あいつらは、我が王を侮辱している。
血で贖わせる。
オズワルドは立ち上がり、賊の野営地へと悠々と歩いて行く。
いつもならグリーブの音を立てないように歩くのだが。
今はわざと、音を立てて近寄っていく。
「……あん? 何の音だ?」
焚き火の灯り故、光量はあまり大きくはない。
どんどん近付いていく鉄の足音。
薄ぼんやりと見え始める、漆黒の甲冑。
「お、お前は…………!?」
驚く頭目。
他の連中は、誰なのか分かっていない。
「…………弔いは、終わったのか?」
低い声。
咎めるような声を、頭目にかける。
「え? へ、へえ……なんとか、かんとか……」
「それは、あっちにある村のことか?」
先程までいた、略奪された村を指す。
「いや……あそこは……」
さっき略奪してきた村です、とは言えない。
答えあぐねていると、他の仲間が声を出す。
「なんでこんな変な男に気ぃ使ってんすか? おいお前、気味悪いんだよ消えろ」
「馬鹿野郎!!」
「どうした? 略奪してきたのがバレるのは嫌なのか?」
「…………やっぱり、バレてるよなあ」
「一体なんなんですかこいつ?」
頭目は兵士から奪った剣を持ち、立ち上がる。
そしてオズワルドを指差して。
「気を付けろ! さっき言ってた滅法強い騎士ってのは、こいつだ!」
頭目の声に呼応するように立ち上がり、自分の得物を手にオズワルドに相対する。
「マジで気を付けろよ! なんか、なにもない所を斬ったらいきなり後ろから出るぞ!」
「何いってんすか親分」
「うるせえ! なんて言ったらいいかわかんねえんだよ!」
その時、オズワルドの後ろで声がした。
「……やめて、放してください!」
「親分、なんか女が潜んでたんすけど…………誰っすかそいつ?」
仲間の一人に捕まったシンシアが、無理矢理に引きずられていた。
「シンシア様!!」
「でかした! 絶対そいつを放すんじゃねえぞ! おい黒騎士、あの女を――」
傷つけられたくなければ。
そう口に出そうとしたが。
「空間斬!」
シンシアを捕まえた男の背中に現れる突然の斬撃。
成す術も無く斬り伏せられた男は、シンシアを掴んでいた手を放す。
「シンシア様、こちらへ!」
足をもつれさせながら駆け寄り、オズワルドの後ろに隠れるシンシア。
「お怪我はありませんか?」
「はい……ごめんなさい、オズさん」
「謝らないでください。気配を掴めなかった私の責任です」
背中越しにシンシアと話す。
その時、蛮族側は見たこともない技の影響で狼狽していた。
「な……何なんですか、あの技!?」
「言っただろ!? なんか後ろから出るって!」
「嘘じゃなかったんすか!」
「嘘ついてどうするんだよ!」
数は十人程。
今はオズワルドを恐れ、攻めあぐねている。
落ち着きを取り戻したシンシアは、頭目へと声をかけた。
「……弔うっていうのは、嘘だったんですよね?」
「…………あん? 嘘に決まってんだろ。あの檻から出るためだったらどんな嘘でも創造してやるつもりだったぜ?」
「どうして……」
「どうしてって……死ぬのが嫌だからに決まってるだろ。っていうか、あんな三文芝居騙されるか、普通?」
そこを言われてしまうと、シンシアとしては口を噤んでしまうしかない。
調子に乗った頭目は、更に口撃する。
「大体、黒騎士の野郎は胡散臭えと思ってたみたいだぜ? もうちっと周りの声に耳を傾けた方がいいんじゃねえの?」
「……わかってます、そんなこと」
「まあ、いい勉強になったんじゃねえの? これに懲りたら、もうちょい人を疑ったほうがいいぜ」
状況は一切好転していないのだが、少女を口で負かしただけで優位にたったつもりでいるようだ。
調子に乗った頭目の空気にあてられるように、狼狽していた仲間たちも落ち着きを取り戻す。
「私を騙すのは、良いです。私が悪いですから」
「……あん?」
「……だけど、戻って来て早々に村を襲うだなんて……許せない」
「…………シンシア様?」
震えている。
それは怒りによるものか、雨に打たれた寒さによるものか。
感情が高ぶり、瞳に涙を浮かべながら、シンシアは叫ぶ。
「ならば、良いでしょう! 貴方の咎、罪、全て私が請け負いましょう!」
王の片鱗。
興奮すると、一時的にではあるが王の才覚が首をもたげる。
「……何を言ってるんだ、こいつ――」
「ひれ伏しなさい!」
オズワルドの陰から姿を現す。
衣服を雨で濡らし、裾を泥で汚しながらも。
髪は濡れ、輝きを失っていたとしても。
瞳は燃え上がり、眼前の罪人を断罪する。
右手を前に突き出し、宣告する。
「パニシュ――――!」
頭目の頭上に顕現するのは、光の剣。
それは、王が咎人を処刑する輝きの光――!
光の剣が頭目の首元まで飛来する。
首にまで迫った断罪の光は、水平に一周する。
頭目の首は胴体と分かたれ、地に堕ちる。
血は吹き出さない、どちらからも。
王の審判は、不浄な物を溢れさせない。
「し、シンシア様…………陛下…………」
確かに根付く、王の魂。
未だ危うくはあるが。
厳かであり、抗えない。
「お…………親分!」
「オズワルド! 何をしているのです、敵を屠りなさい!!」
「――はっ!」
オズワルドは踏み込む。
突然のことで戦意を喪失している賊たちは、構えることなく次々に斬り伏せられていく。
次々に仲間が殺されていくことでようやく反応する者も。
王の光によって断罪される。
………………。
…………。
雨は降り続ける。
どんどん雨足は強くなる。
「……どうして」
蛮族が使っていた天幕の中で、雨をしのぐ。
シンシアは先程までの自分が信じられないかのように、自身の手をじっと見つめていた。
敵がいなくなり、落ち着いてから押し寄せた感情は……後悔。
初めて人を殺した。
相手が悪い人間だと言うことは分かっている。
けれど、だからといって殺していいものではない。
それに、あの知らない魔術。
何故使えたのか分からない。
何故……今も使えるのかわからない。
何故か知っている。
王の裁き……パニシュ。
王の剣に貫かれた死体は、瘴気を発生させない。
そもそも瘴気とは、無念に死んでいった人たちの怨念であり、呪い。
呪いが土地に染みつき、瘴気は生きている人間へ様々な弊害をもたらす。
「私…………信じてないのに……」
どんどん、自分の知らない自分が出てくる。
その恐怖には誰しもが共感出来ないだろう。
「戻りました。…………大丈夫ですか、シンシア様」
この雨では死体は焼けない。
とりあえず目立たない場所にひとまとめにしてきたオズワルド。
それに、一人になって考える時間が必要だと慮っての行動だった。
「……初めて、人を殺してしまいました」
「…………心中、お察しします」
「……………………」
シンシアの気分は晴れない。
だが、オズワルドは決意していた。
どれだけ彼女が沈み、後悔していたとしても。
「私は、貴女の選択や後悔や喜びを、共有していたいと思っています」
「……え…………?」
「私は、シンシア様と常に共にあります。貴女の悲しみは私の悲しみ。貴女の喜びは私の喜び。――――貴女には、いつでも私がついています」
「……オズさん………………」
沈んでいた表情が、クシャクシャに歪んでいく。
目の端から流れた一滴の水は、増え続ける。
「わ、私…………人を殺してしまいました…………うわああぁぁぁあ!!」
雨はどんどん強くなる。
シンシアに同調するように、雨はとめどなく降り続けた――――
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