欺瞞と嘘と予言
森の中。
「あれはありましたか? ほら、パンで肉や野菜を挟んだ……」
「ああ、ありましたね。今はあれはありますか? 肉を串で刺した……」
「それは、肉を刺しただけですよね……? 料理っていうんですか?」
旅路の途中、千年前と現在の料理の差を上げて雑談に花を咲かせていた。
人助けの旅といっても、要は安定した居住を見つける放浪の旅。
立ち寄った村の困りごと一つ二つ解決して、食料を分けてもらう。
シンシアの想定していた旅では無かったが、これはこれで楽しかった。
荒廃したあの村で一人朽ちていく覚悟を決めていたあの時に比べると、まるで雲泥の差。
隣に歩くオズワルドを見上げる。
視線に気付いたのか、兜がシンシアを見て、角度が下がる。
中は骨。
だが、唯一の味方。
出会ってまだ一月と経っていないが、信頼を寄せる相手としては十分だった。
「シンシア様、村がありますね」
オズワルドが指を差す方向には確かに、村の影が小さく見え始めていた。
周囲の木の柵で囲い、田畑が見える。
だが近付くにつれ、村人がざわついているのが見て取れた。
「ただごとではないようですね」
「そうですね……釘を差すようですけれど、オズさん」
「承知しています。いくら敵意を向けられたとしても、村人のような非戦闘員は殺生を極力しない……ですよね」
シンシアは頷く。
ボロを纏った少女と、付き従う黒い鎧の騎士。
異様な光景に、訝しみ、怪しみ、害そうと考える村人が少なからずいた。
その人たちがどうなったのか、シンシアは思い出す事を拒否する。
「…………ここは……」
オズワルドが意味ありげに呟く。
だが、シンシアも感じていた。
この村は、良くない気配がする。
右往左往する村人たち。
慌てた様子で、行き来を繰り返し者。
頭を抱え、膝を折る者。
何も無い場所へ蹲り、祈りを捧げる者。
まともな様子ではない。
「あ、貴方様がたは……旅人ですか?」
行き来を繰り返していた村人が、シンシアとオズワルドに気付く。
オズワルドは半歩前に進み、頷いた。
いついかなる時も警戒を怠らない。
「この村を、村を助けてはくれませんか……!?」
両の眼から涙を溢れさせ、オズワルドの足元に蹲った。
その様子を見て、他の村人も集まってくる。
やがて全村人が集まり、二人に祈るように蹲った。
「あ、あの……とりあえず、説明してもらえませんか……?」
おずおずとシンシアが口を開く。
一人が顔を上げ、シンシアを見る。
その表情は、怯えきっていた。
「この村は……魔女に呪われているんです!!」
魔女に呪われている。
その言葉を発した瞬間、残りの村人たちは悲鳴を上げ、ガクガクと体を震わせた。
「魔女……ですか?」
「ええ、この村の外れに、一人で住む不気味な老婆がいまして、我々は魔女と呼んでおります」
曰く、村の作物が一切育たなくなった。
水をやっても肥料をやっても、芽すら現れないそうだ。
曰く、夜になると村の外から怨嗟の悲鳴が響き渡る。
その不気味な声に村人は怯え、夜も眠れないらしい。
曰く、村一番の力自慢だった男たちが、次々と変死した。
ある者は突然血を吹き出し、ある者は全身の骨が突如砕けた。
「このような、普通では説明できない状況……これはもう、呪いで間違いないだろうと」
「何故?」
その時オズワルドが口を開いた。
「な、何故と申しますと……?」
「何故、魔女がこの村に呪いをかけたのですか」
理由を聞く限り、突然魔女が呪いをかけてきたような口ぶり。
だが、意味もなく村という広範囲に呪いをかけるものなのだろうか?
「そ、それはわかりかねます。魔女の戯れとでも申しましょうか。まるで妖精の如き悪戯でございます」
「ふむ」
村人からは、これ以上判断できる材料は出てこないようだ。
オズワルドはシンシアに向き直り、判断を仰ぐ。
シンシアの凛々しい瞳を見る限り、仰ぐ必要はなさそうだが。
「わかりました。何処までお力になれるかはわかりませんが……私たちに任せてください」
「…………あ、ありがとうございます!」
………………。
…………。
「魔女、ですか……」
森を歩きながら、信じられないといった口調でシンシアが呟く。
「魔女、って千年前にもいたんですか?」
「ええ。魔術の卓越した使い手の女性が基本的には魔女と呼ばれていました。今回みたいに、呪いをかける悪女が魔女と呼ばれるのは、あまりありませんでした」
「魔術……?」
「……もしかして、千年後にはあまり伝えられていないのですか?」
「少なくとも、私は聞いたことありませんね……」
魔術。
体内に眠る魔力と呼ばれるエネルギーを燃焼させ、人外の力を発現する能力。
基本的には魔術士と総称されるが、その中でも優れた女性の魔術士が魔女と呼ばれることもあった。
剣術の衰退や魔術の衰退。
武力と呼ばれる全てが後世に伝えられていない事に、違和感を感じるオズワルド。
だが、考えても答えは出ない。
カラスが鳴く。
一羽、また一羽と。
やがて上空で旋回するカラスの合唱が始まる。
「お、オズさん……」
「シンシア様、こちらへ」
オズワルドの後ろへと誘い、盾になるように前へと進む。
森が深くなり、光が薄くなる。
闇が濃くなり、異様な雰囲気。
そのまま前に進むと、一軒の小屋が建てられていた。
呪術でも用いるのだろうか。
家の壁に描かれた陣。
血で描かれたものだろうか?
入口近くには、逆さに吊るされた鹿が一頭。
頭の近くには容器が置かれており、血を受け止めている。
「………………」
すっかり怯えた様子のシンシア。
忙しなく視線は動き回り、踏み出す一歩は非常に緩やかだ。
「すまない、誰かいるか?」
早く終わらせようと、オズワルドは扉を叩き声を掛ける。
返事はない。
もう一度扉を叩く。
「留守……なんでしょうか? じゃあ、帰りますか?」
「いえ、気配はします」
じっと息を潜めている気配ではない。
ゆっくりと、のんびりと。
扉に近付いてきている。
「少し話を聞きたいんだが」
「……誰だい」
しわがれた声。
老婆という情報は正しかったようだ。
「近くの村でいざこざがあると聞いてな。真偽を確かめに来た」
「真偽……ですか?」
疑問を呈したのはシンシアの方。
魔女と呼ばれた老婆は無言。
オズワルドはシンシアに向き直り、言葉を紡ぐ。
「彼らの発言には、自分たちに都合の良い情報しか出ていないように思われませんでしたか?」
「都合の良い……情報……」
作物が育たない。悲鳴が聞こえる。村人が変死。
とても都合の良い情報とは思えない。
頭に疑問符を浮かべ、オズワルドの顔を見る。
「村に数々の悲劇が起こっているにも関わらず、何故起こっているのかわからない、これはおかしいのです」
「……そう、なんですか?」
「大体の行動には目的があります。盗賊なら奪う、殺人鬼なら殺す、もしも呪いをかけるなら……」
「呪いをかけるだけの……理由が、ある」
オズワルドは頷く。
だが、魔女からの要望は特に無いと言う。
無駄に呪いを掛ける、そのメリットとはなんなのか?
それを確かめるために、魔女の家へと来た。
「……入んな」
ゆっくりと扉が開く。
グレーのローブを羽織った老婆が、杖をついて立っていた。
中はロウソクの灯りが漏れ、昼だと言うのに外よりも明るく思える。
オズワルドが先立って入室し、後にシンシアが続く形で入室。
中には干した草が幾つも壁に並べてあり、壁にある戸棚にはすり鉢が幾つか。
かまどの上には鍋が置かれており、グツグツと何かを煮ていた。
これではまるで。
「御婦人。貴女は魔女ではなく……薬師ですか」
「ご明察。まあ……正確には薬師兼……預言者かね。予言は長い事やってないけれど」
老婆は丸椅子に腰掛ける。
「単刀直入に聞きますが。貴女は呪いを…………かけていませんね」
「え?」
「…………ああ、私は呪いなんて出来ないさ」
嘆息しながら、机の上にある一枚の葉をつまみ、指先でくるくると回す。
「私は昔、預言者としての仕事を生業としていた。良い予言や悪い予言があるのは勿論だけど、悪い予言は信じようとしないのが、人の常。そういった業にうんざりして、今となっては隠遁の身さ」
「ならどうして、村人の人たちはお婆さんの所為だって……」
老婆はフード越しに目をパチクリとさせ、軽く微笑んだ。
「お嬢ちゃん、純粋なんだね。黒い騎士様や、説明しておやり」
「シンシア様。その理由は至って単純です。…………村人から見て、不気味だからです」
「…………それだけ、ですか?」
「はい。村人全体から見た異物、それがこの薬師の方です。異物を排除して、平和を。それが大衆の心の平穏の取り方です」
たったそれだけ。
それだけのことで、人は平気で罪を擦り付けるし、殺すことだって出来る。
だが、まだわからないことがある。
「あの村に起こっている異変だけは、説明がつきません」
「私は長らくあの村に近寄っていないからね……何が起こっているのやら」
ふう、と溜め息一つして、立ち上がる。
すり鉢の中に草を幾つか入れ、何か液体を注ぐ。
弱々しい腕でゴリゴリとすりつぶし。
完成したのはドロドロした緑色の泥。
フードを取り、傷んだ白髪の髪が現れる。
老婆は緑色の泥を顔に塗りたくり、両手を合わせて拝み始める。
「あの……何を……?」
「予言でしょう。預言者とは基本的に未来を視る能力を持っていますが、裏を返せば過去を視る事も可能なのです」
預言者は目を開く。
その目は白目だった。
「放浪、欺瞞、歓待。略奪……埋葬、そして恨み。幾つも、幾つも」
ぶつぶつと、とりとめのない言葉を呟いていく。
「正当化、罪悪感、しかし繰り返す。何度も、何度も」
ハッと。
老婆の視点が戻る。
黒い瞳をパチクリとさせ、シンシアとオズワルドに向き直る。
「ああ、もう全部わかった。……なんてバカな事を、と言いたいところだけど……しょうがないのかもね」
大きく息を吐いて、近くにあった布で顔を拭う。
「……説明するよ」
………………。
…………。
「まさか、そんな……」
信じられないといった風のシンシア。
オズワルドは特に驚きもなく、そういう事実だと飲み込む。
そして次の瞬間。
「出て来い! 魔女!」
怒号が、家の外から響いてきた。
三人は連れ立って家を出ると。
松明や鎌や鍬を持った村人が、一様に睨みつけていた。
「旅人の皆さん、ご無事でしたか!」
最初に会った村人が、安心したといった風に胸をなでおろす。
だが、シンシアの疑わしい視線を受け、狼狽する。
「ど、どうされたのですか? 魔女に何を言われたのかはしりませんが、騙されないでください!」
「騙したのは、どちらなのだろうな」
オズワルドが前に出る。
深い森の中に立つ、漆黒の騎士。
その異様な出で立ちは、村人をざわつかせるのには充分であった。
「ど、どちらと申されますと……?」
「ふむ、白を切るならそれでも良いだろう。手始めに、畑の一つでも掘り起こしてみてから言い訳を聞いてみるとしようか」
「……………………な、なにを」
ざわめきが一層強くなる。
その反応だけでも、預言者の力は本物だと確信出来る。
「……貴方たち、旅人を殺して金品を奪っていますね」
シンシアが、厳かに声を発する。
普段の明るい声とは一転、低く相手を責める口ぶり。
「何度も何度も繰り返していると、村では奇妙な現象が起こるようになった」
オレンジ色の髪を揺らしながら。
藍色の瞳は相手を睨みつける。
「それら全て、魔女からの呪いではありません。――――殺された旅人たちからもたらされた呪いです」
「……は?」
「死んだ者たちからの恨み、怨嗟。土地は瘴気に侵され、旅人の怨恨は夜間に恨みとして発せられ、変死した村人たちは、殺害した実行犯。呪いから殺されたのです」
普段のシンシアの様子とは違う。
心優しく、少し怖がりな彼女ではない。
王の魂を受け継いだ、威厳のある少女。
王の片鱗を垣間見せている。
「そ、そんなバカな。死んだ人間からの仕返しだって言うんですか? そ、そんな事信じられるわけがないでしょう!」
「貴方たちが信じるか信じないかはこの際どちらでも良いでしょう。しかし事実として、村には被害が出ている」
「だ、だからそれは魔女が――」
「彼女は魔女ではありません、このあたりの野草に詳しい、ただの薬師です」
「…………ち、違うっ! 村の異変は魔女がやったんだ! でないと、でないと……!」
「自分たちが手を汚してきた所為で、引き起こしたと。信じたくないんですね」
「………………そ、それに、そんな非日常的な現象、起こるわけないじゃないか!」
魔術が伝わっていないこの時代において。
説明できないものは、信じられないのだろうか。
「――――オズワルド、兜を外しなさい」
「はっ」
ならば、と。
シンシアはオズワルドに命じる。
「………………っ!?」
息を呑む村人たち。
そこには、骸骨が兜を持って立っている。
体は黒い鎧を身に纏い、それはまるで――
「し、死神……!」
「貴方たちが知らないだけで、この世に自分たちが知らない……説明ができないことが多数存在するのです」
村人たちは腰を抜かし、怯えた視線でオズワルドを見やる。
恐怖の眼差し。
骸骨が動くという超常現象を目の当たりにして。
自分たちが行ってきたことへの怯えも現れ始めていた。
だが。
「しょ、しょうがないじゃないか……」
開き直る者も、一定数いた。
「こうでもしないと、帝国への税は払えない。払えないと連れて行かれ、見せしめに殺される……!」
村人が殺されるか、旅人が死ぬか。
二者択一の状況で、彼らは村人の命を取った。
「…………なら、反省はしていないと?」
シンシアの声に反応して、オズワルドが前に出る。
オズワルドの手が、腰に携えた剣へと伸びる。
「ひっ……! そ、そういう訳では……!」
「今後、旅人を襲って物を奪うのはやめなさい。約束するのであれば、村の瘴気の浄化を手伝います。約束しないのであれば、村は瘴気に侵され住める場所ではなくなるでしょう」
村人たちは顔を見合わせ、何度か話し合う。
その際も、何度かオズワルドを一瞥する様子が見て取れた。
シンシアは言及する。
「もしも、こちらに害意を向けるのであれば、こちらの騎士が容赦はしない、とだけ言っておきましょう」
その言葉を受け、怯える村人。
そして。
「…………わかった、約束する」
項垂れて、従った。
その後。
村へ行き、畑に埋葬されていた旅人の死体を火葬する。
土地には薬師である老婆が作った薬を撒き、瘴気を抑える。
「とはいっても、当分作物は育たないだろう。半数程は出稼ぎに行った方が良いだろうね」
「…………ああ、わかった。ありがとう……そして、すまなかった」
村人は、老婆に向けて頭を下げる。
「風聞が悪くなっただけで、実害は無かったからね、まあいいさ。…………しかし、なんだね」
老婆はシンシアを見る。
「な、なんですか?」
森の中での威厳のある雰囲気は鳴りを潜め、いつも通りのシンシア。
「あんた…………王になるべくして生まれてきたのかもしれないね」
「ま、まさかぁ……! 私は、まだ信じてないんですからねっ!」
シンシアはじりじりと後ろ足で下がり、近くの女性の村人に耳打ちする。
「……シンシア様? どちらへ?」
オズワルドは一歩進む。
シンシアは一歩下がる。
「え、いえ、別に…………」
しどろもどろ。
「お供します」
「しないでくださいっ! トイレですよ!」
「なるほど。ではお供します」
「なんでですかっ!? やめてくださいっ! もうちょっとデリカシーを学んでください!!」
「やれやれ……」
老婆の溜め息が村に漂う。
久々に、村には清涼な空気が入り込もうとしていた。
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