人質の正体
「……で、誰こいつ?」
折れたマストに括られたままの男性を、城内の執務室にまで連れて行く。
執務室にいる少女、ネネが訝しげな視線を男性に向けた。
「忙しいんだけど」
「そう言うなよ、助けたは良いが扱いに困ってんだ」
執務室は本来エルフ族の長エレンシアが詰めているのだが、今回は出払っている為にネネが預かることとなっていた。
うんざりした様子のディーノの反面、当の男性はとても静かだ。
いや、静かとは少し違う。何故か目を輝かせてネネを、そしてディーノの後ろにいるリコとクレアに視線を行き来させている。
「じゃあなんで連れてきたの……」
「…………そりゃあ、シンシアのアネキならそうするからだよ」
リコとクレアに相応しい保護者像を思い描いたことは黙っておいた。わざわざ自分の恥部を晒す必要もないだろう。
ネネはまだまだ残っている書類仕事を横目で見た後、嘆息。
エレンシアと違い慣れていないため、やってもやっても減らない仕事に辟易していたところだ。気分転換にはちょうどいい。
「こんにち――」
にこやかに話しかけようとした矢先のことだった。
「おお、美しい! 貴女に会うためならトカゲモドキに荒海の中引きずられた甲斐もあるというもの! 後ろのお嬢さんたちも見目麗しい、どうだろう? もしよければ僕の国に来ないか?」
「…………」
絶句する。いきなりまくしたてられたかと思えば、歯の浮くようなおべっかが垂れ流された。
当の男性は爛々とした目をネネへと向ける。ストレートな愛情表現をぶつけられるのは悪い気はしない……と思っていたが、見も知らない男性から向けられるのは気味が悪い。
「……で、何こいつ?」
「最初に戻んじゃねぇよ。面倒くせえんだよこいつ……」
うんざりとするディーノ。執務室に入ってきた途端から疲れている様子を見せていたのも納得だった。
しかし、愛情表現の中に聞き捨てならない言葉が混じっていたような気がするが……?
「おいトカゲモドキ、さっさと僕を解いたらどうだ」
「うるせぇ、ぶん殴られたくなかったら黙ってろ」
「なっ……! 僕を誰だと思ってるんだ!」
「それをさっきから聞きてぇんだよ。女に色目使ってる暇があったらさっさと自分を紹介しろってんだ」
「出来ない相談だ。女性に会ったら声をかけるのは礼儀、亜人はそんな事も知らないのか?」
「声かけるどころか粉かけてんだろうが」
……ああ、なるほど。ネネは目の前のやりとりを見て納得する。
亜人を軽視、軽蔑しているかのような物言い。それはディーノにのみ限定したものなのか、亜人全体を指しているのかは判断がつかない。
「お嬢さんたち、こんな亜人が住むような土地ではなく僕の国に来たまえ。人族のみが住む国だ、人間以外の異臭を嗅がなくて済むよ?」
すぐに判断がついた。どうやら亜人全体を差別しているようだ。
「あのね――」「口の利き方に気をつけなさい下郎。この国は亜人と親交を深くし、貿易を重ねているのです。今すぐその口を閉じないと五体満足で故郷の土を踏むことはないと知りなさい」
彼の言葉に苦言を呈そうとしたネネだったが、それよりも早くネネの口が動いた。
その声は確かにネネの声。だが先程の声よりも高く、そして口調も違う。
彼女の口から出た言葉はネネの内側に住む、ネーディスという女性のもの。
彼女は覚醒という形でネネの内側から突如現れ、それ以後共存している魂だけの存在だった。
いきなり声のトーンも口調も変わったネネに向けて、ぽかんと大きく口を開けて眺める男性。だが。
「……素敵だ! 二面性のある姿も! 先程の威厳ある口調も、すべてが!!」
「…………」
「な? ぶれねぇんだよこいつ。ここに来るまでもオレの二人のむす――」
「――むす? むす……なんですかディーノさん?」
何度殴ってやろうかと思ったか。
引きずられながらもリコとクレアを口説き続ける身元不詳の男性に苛々を募らせてきたディーノは、思わず口を滑らせる。
そしてそれを聞き逃すリコではない。
背後から覗き込むように、ニヤつきを抑えられないという表情をディーノへと向ける。
「むす…………こ、息子だよ」
「はぁー!? ディーノさ…………はぁー!?」
「あーもー、親子喧嘩なら他でやってくれない?」
「あはは……」
話が進まない現状にうんざりしてきたネネ。その空気を読み取ったクレアは苦笑い。
「改めて聞きます…………いやめんどくさい。次はちゃんと答えなさい、あんたは誰?」
外交的に人当たりの良い口調を務めようとしたが、もはやそんな空気ではないと感じたネネは、いつも通り語りかけることにした。
「私はセオドア・スエド。大国スエドの第一王子です」
「王……子……? これ、が……?」
「うっそだろ……こいつが……?」
開いた口が塞がらない、といった風を見せるのはネネとディーノ。
リコとクレアも驚いた表情をしていたが、口を挟まないように心がけていた。
「どうやら驚かれたようですね。そう、私は次期国王に目されている人物なのです。私と共に国に来れば玉の輿間違いなしです。……そしてお前、今すぐこの縄を解けば許してやらんこともない」
「こんなやつが…………王子……?」
「おい! いい加減に解け!!」
暴れる男性……セオドアだが、縄が緩む様子は一切見られない。
「んで、どうするよ」
「どうするって……スエド国…………スエド……何処かで聞いたような……」
「ああ、オレも何処かで聞いた気がする」
二人で腕を組んで唸る。
騒ぎ続けるセオドアの声は自動的にシャットアウトしているかのように、二人の耳には入らない。
そんな時だった、クレアがおずおずと声をあげた。
「スエドって、ビリオンの南にある国じゃあ……?」
「…………ああ、確かに!」
ベルガル王国の南には大きな大陸がある。その北側には黄金都市と呼ばれるビリオンがあり、スエドはその南側に位置する大国だ。
ビリオンとスエドの間には荒れ果てた草原があり、そこには無数の盗賊たちが蔓延っていた為に交流は断絶状態。
しかしとある事件が元で盗賊はほぼ掃滅。その機会に交流を再会したそうだ。
「なら、返した方がいいわね……」
「代わりに金でも要求するか?」
「発想が賊のそれなんだけど。そんなことしたら問題になるでしょうが」
「ま、それもそうか」
が、しかし船は今ない。少し前に船旅に出たメンバーがまだ戻っていないのだ。
残すは空の旅になるのだが……。
「……おい、おい!! いい加減ほどけ!! マジで!!」
場所は変わり飛鷲族の集落。
未だマストに括られたままのセオドアを引きずり、グリフォンのいる厩舎にまでやってきた。
「…………ああ、ああ汚らしい! ああ汚らわしい! どうして僕がこんなところに!」
「……ディーノさん、こいつはグリフォンの餌ですか? 餌ですよね?」
「残念ながら違う。こいつをビリオンの南にある国に連れていきたいんだが、頼めるか?」
「ええ、それは構いませんが……本当に餌じゃないんですか?」
「おい、やめさせろ、そいつ目が本気だ!」
飛鷲族にとってグリフォンは唯一無二の相棒である。
そんな彼らを馬鹿にされたのであれば、怒るのも無理はない。
惜しくも餌にならなかったセオドアを連れ、ディーノはスエドに向かうことにしたのだが……。
「……おい、僕は第一王子なんだぞ!? こんな連れて行き方……!!」
「文句言うなら途中で落としていくぞ」
グリフォンの足首に縄を結び、セオドアをぶら下げて飛び立つ。
足元では声にならない叫び声が響くが、無視して進んで行く。
向かうのは――――人族至上国家、スエド。




