再び目覚めの時
暗闇の中、意識が浮上していくのを感じていた。
四肢の感覚はない。
ここは何処だ、と騎士は思うが。
見渡してもあるのは暗闇。
見渡しているのかどうかもわからない。
虚ろな感情、朧気な感覚。
ただただ、何も無い漆黒を揺蕩っているだけのような。
これが浄化された後の世界か、とぼんやりと考えていた。
ただ、その時に声が聞こえた。
――聞こえるか。
正確には声とは言い切れない。
頭の中に直接響いているかのような。
しかし。
――聞こえるか?
この声には聞き覚えがあった。
否、忘れるはずがない。
その声は――
「陛下!!」
暗闇の中にただ一つの、小さな光が見えた。
感覚のない四肢をもがきながら進む。
「陛下! 王よ!」
光のもとに辿り着く。
無くなっていたはずの四肢の感覚はいつの間にか戻り、光に傅いていた。
――我を探せ。
光の宣託。
聞き慣れた声に、喜びに打ち震える。
一言一句聞き逃さないように、全身で言葉を受け止める。
――我を見つけろ。
騎士に問いはない。
王命に疑問は無用。
「はっ……必ずや」
――見つけた、その後は。
言葉は続かない。
光は散ろうとしていた。
騎士は続きを促さない。
彼の全ては王の意志に象られている。
何処であろうと、何であろうと。
王の命令は絶対である。
暗闇が光に包まれる。
体が浮上する。
次の瞬間。
目が覚めた気がした。
気がした、というのは未だ暗闇に包まれているから。
だが先程に比べ体の重み、埃っぽさ、周囲の硬さを感じる。
「…………ここは?」
問いに答える相手はいない。
手を動かすが、重い何かに伸し掛かられているように、思うように動かせない。
埋まっているのだろうか、となんとなく理解。
上にある物を力任せに押す。
びくともしないが、何度も繰り返す。
少しだけ動いたのを感じたので、さらに力を込める。
隙間から漏れる光。
渾身の力を込めて、押した。
ガラガラと音を立て、上にあった物は転がっていく。
瓦礫の下敷きになっていたらしい。
立ち上がり、空を見る。
木々に囲まれ、空には鳥。
風が葉擦れを起こし、鳥のさえずりが耳に届く。
「…………ここは」
先ほどと同じ呟きだが、意味合いは違う。
朽ちた柱、殆ど無くなっている壁や天井。
全損といっても差し支えない、この場所は。
騎士が仕えていた国の王城。
ベルガル王国。その王城の成れの果てであった。
騎士は自らの体を確認する。
下敷きになっていたというのに、埃が付着している程度でほぼ損傷していない、漆黒の鎧。
篭手を外してみる。
骨。
「……これは変わっていないのか」
ふう、と嘆息。
だが気を取り直す。
「…………陛下」
騎士はある方向を見た。
方角は分からない。
だが、騎士が見た方向に、王の気配を感じるのだ。
何故かは分からない。
ただ、感じた。
足を向けて、歩き始める。
王を見つけて何をすべきかは分かっていない。
王命に従うのみ。
………………。
…………。
歩いてどのくらい経ったか。
草むらをかき分けて足を進める。
ガシャン、というグリーブの音と同時に。
「きゃっ……」
少女の声がした。
足元を見ると、騎士に驚いたのか尻餅をつく少女。
近くに村でもあるのだろうか、木の皮を編んだカゴを持ち、中には野草。
栗色の長い髪を頭巾で纏めている。
騎士は驚かせてしまった事への謝罪をするために、右手を自らの胸に置いて一礼。
そのまま立ち去る。
「………………」
少女はぽかんと口を開き、無言で立ち去っていく漆黒の騎士を見送った。
次の瞬間。
後ろから、獣の荒い息が。
少女は瞬時に理解する。
自分は餌と認識されたのだ、と。
「ひ――」
慌てて立ち上がり、カゴを手に取る。
置いていこうかと一瞬迷ったが、置いて行ったらここまで来た意味もない。
だが、それがいけなかった。
カゴにばかり注視したせいで、盛り上がった木の根に気付かず足を取られてしまう。
「ぁうっ…………!」
突然のことで庇うことも出来ず、顔から転ぶ。
起き上がろうとするが、痛みで思うように動けない。
少女は後ろを見る。
ガサガサと草の隙間から姿を表したのは。
少女の何倍もの大きさを持つ、巨大猪。
鼻息荒く少女を見下ろす。
「ぁ…………」
声が出ない。
恐怖から目を逸らす為に、ぎゅっと目を閉じる。
視覚を閉じた所為で、他の感覚が鋭敏に感じる。
嗅覚すらも過敏になったように思える、獣臭さしか感じないが。
他には耳から聞こえる音が鮮明になった。
猪の鼻息の他に……。
草を踏みしめる音。
そして、人の声。
「大丈夫か?」
男の声だ、少し低い。
声質は若そうに聞こえるが、声には自尊心と慈愛を含んだ響き。
目を開けると、少女と猪の間に割り込むように人が立っていた。
真っ黒な甲冑。
先ほど、草むらからいきなり現れて驚いてしまった、鎧姿の人物だった。
「動けるなら、少し離れていたほうがいい」
「は、はいっ……!」
痛む体にムチを打ち、無理やり立ち上がり、離れた草むらに隠れておく。
巨大猪の視線は既に騎士にのみ注がれている。
いきり立った猪の姿を見て、騎士はぼんやりと思う。
……こんなに大きな猪がいたのか。
しかし困ったことに、騎士は剣を持っていない。
武器となるのは篭手のみ。
だが本来防御用であり、攻撃には適していない。
さて、どうしたものかと思案。
思案を始めたのも束の間、猪が角を騎士に向けて突撃。
騎士は角を掴んで、猪の突進を止める。
そのまま後ろに投げようとして……止めた。
後ろには少女がいる、無闇に投げてしまうと下敷きにしてしまうかもしれない。
なので、横にある木にぶつけるように投げる。
思っていたより軽いな、というのが正直な感想だった。
だが、猪の体重がかかった木がやすやすとへし折れる程度には、猪は重いのだ。
巨大猪はすぐに立ち上がり、更に突進の姿勢。
だが、突進する前に騎士が飛びかかる。
またもや角を掴み、回転させるように捻り上げる。
両足を空に向けて倒れた猪に向けて、先程へし折った木を。
突き刺した。
苦悶の声を上げる巨大猪。
体を貫通し、地面に深々と突き刺されている木は簡単には抜けない。
頭を振り、両足をバタつかせるが、木はビクともしない。
やがて猪は――動かなくなった。
「もう大丈夫だ」
少女が隠れたであろう草むらに向けて声を掛ける。
「………………」
戦々恐々といった面持ちで草むらから顔を出す。
少女に向けて、騎士は頷いてみせるが。
フルフェイスの兜によって表情は見えず、少女は更に不安になる。
助けて貰ったことに間違いはないけれど。
この人は、誰なんだろう……?
少女の心境を知ってか知らずか、騎士は屈み込んで何かを拾い上げる。
「あ……」
少女が持っていたカゴだった。
カゴ自体は無事だが、中に入っていた野草はカゴから零れ、揉み合いにより踏みしめられていた。
「すまない」
「……いえ、助けていただいてありがとうございます」
騎士は屈み込んだまま、踏みしめられた野草を手に取って眺める。
「これは……薬草か?」
「はい……父が、働き詰めで倒れてしまい、滋養に効く薬草を採取しに……」
しに来た所、騎士と巨大猪に出くわしてしまったのだろう。
ふむ、と騎士は少し思案。
早く王を見つけに行きたい所だが。
助けが必要な民を見捨てていくのも王の掲げた理念に反する。
「……手伝おう」
ぶっきらぼうに取られかねない一言だが、騎士にとっては精一杯感情を込めたつもりである。
だが、それに少女は気付かない。
嫌々発せられていると勘違いする少女は、首と両手を振り続ける。
「い、いえっ! 私一人で大丈夫ですから!」
――お前は言葉が少ない、周りの人を誤解させてしまう。
いつの日か王に言われた言葉を思い出す。
空を見上げ、言葉を考えて。
「ま、また……こういった獣に出くわすと、危ない。だから、手伝うから……早く戻ろう」
たどたどしく紡いでいく。
少女は開口し――ようやく騎士の意図を理解した。
「…………はい、お願いします」
少女が笑顔で承諾してくれたことにより、騎士はホッと胸をなでおろす。
踏んで形は崩れてしまったが、何とか形状は把握出来る。
地面に膝をつき、舐めるように地面を見つめ、一つ抜き取る。
「これは、どうだろうか?」
騎士が抜いた一本の草。
少女はしげしげと眺め、困ったように笑った。
「これは……ただの雑草ですね」
「そ、そうなのか。すまない、こういった事に疎くて」
漆黒の甲冑に身を包み、まるで死神かと錯覚していた少女だったが。
中の人は悪い人ではないのだな、と微笑む。
当の騎士は、あれでもないこれでもない、と草を選別していた。
………………。
…………。
「その量で大丈夫なのか?」
カゴ一杯に入った薬草。
ご機嫌でカゴを振りながら、鼻歌交じりで歩く少女。
その後ろを、巨大猪を背負いながらついていく。
「はい! これだけあれば父さんも大丈夫です! それより、重くないんですか……?」
騎士の二倍以上の大きさを誇る巨大猪を、軽々と背負いながらついてくる。
少女にとっては当たり前の気遣いだった。
「ああ、見た目より重くないぞ」
そんなはずはない。
見た目と同等の質量を持つ獣だ、本来なら大人数人がかりで何とか持ち上がる重量。
その猪を軽々と持ち上げるのは、目を覚ましたばかりだというのに鈍っていない、卓越した腕力のおかげであった。
「そうですか……あっ、村です! 見えてきましたっ!」
深くは突っ込まない少女。
村が見えてきたのをこれ幸いと話題を変える。
村の入口で、慌てたように周囲を見渡す少女がいた。
目の前の少女よりは少し大きく見える。
そして、同じ栗色の綺麗な髪をしていた。
「やば……」
バツが悪そうな少女を、村にいた少女は見つける。
不安そうな表情から一転、激怒へと変わる。
「森に行っちゃダメって言ったでしょ! どれだけ心配したと…………う、後ろに死神が! 猪の死神が!!」
そして怯えへと変わった。
騎士と少女は顔を見合わせ――笑った。
騎士は兜で表情がわからなかったが、肩を揺らしていた。
「も、申し訳ございません!」
少女の家の中。
質素な家ではあるが、温かみがあった。
中に通され、深々と頭を下げられる騎士。
頭を下げ続ける少女の姉の肩に手を添える。
「良いんだ。心配するのも無理はない」
しかしはて、と騎士は思う。
このような場所に、村などあっただろうか。
王城の周辺は瘴気により人が住める環境では無かったはず。
ここは城から然程離れていないように思える。
「ああ、そうだ。父上の体調が良くないなら、あの猪を食べさせてやるといい」
だがまずは目の前の少女をなんとかしなければ。
このまま頭を下げ続けられるのも居心地が悪い。
「それで……騎士様は、いったいどちらの?」
頭を上げた姉は、おずおずと問うた。
身分を問われた騎士は、姿勢を正す。
右手を握り、右拳を胸に当て。
左手は後ろの腰に回し、直立。
「私は、ベルガル王国、国王直属の近衛騎士、オズワルド・ガベル」
「ベルガル…………王国?」
だが、対する姉は。
小首を傾げて頭には疑問符を浮かべていた。
その反応に違和感を覚える騎士――オズワルド。
「グロリア帝国ではなくて……ですか?」
「グロリア…………帝国…………」
血が沸騰する。
いや、彼は骨の身、血液など存在しないのだが。
激情にかられるのだけは理解できた。
「ひっ……! も、申し訳ありません!!」
異質な雰囲気を悟ったのか、姉は慌てて頭を下げる。
「………………」
いかんいかん。
憎むべきは帝国の兵士や王。
帝国に属した村人は、むしろ被害者である。
「すまない、少し聞きたくない国の名前でな」
体を恐怖で震わせ、聞く耳をもたない姉。
どうしたものかと途方に暮れていると。
部屋の奥から父親の看病のために離れていた妹が現れる。
「お姉ちゃん? 騎士様は悪い人じゃないよ?」
救世主だ、とオズワルドは内心思う。
なんとか妹に説明すると。
「ベルガル王国って…………昔あった国ですよね?」
妹は王国の存在を知っていた。
姉は顔を上げ妹に向き直る。
「知ってるの?」
「うん、薬草とか覚えるのに本を読んでた時にね、歴史の本もあったからついでに読んだの」
少女ながらも博識。
いつもであれば彼女の未来に期待して拍手でも送っているところだが、今回はそれどころではない。
「昔とは……どのくらい昔なのだ?」
妹は人差し指を顎に当て、少し思案。
そして。
「どのくらいって…………千年くらい?」
「は――――?」
予想外の年代を口にした――
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