北の島に住まう大事な人
「……さて」
オズワルドの足元には亡骸が二つ。一つはバーラン国王のもの、そしてもう一つはオルガのもの。
二つの遺体を見下ろしつつ、剣を鞘に収め振り返った。振り返った先にはバーラン王国の重鎮の一人、ノルマン。
「説明してもらおうか」
シンシアを庇うように前に出る。
結果はどうあれ彼女を騙したのは紛れもない事実。そのことにオズワルドはオルガ相手ほどではないにせよ、内心静かに憤っていた。
「そ、それは……」
言い淀むノルマン、事ここに至っても語ろうとしない。そこまでに言えない何かがあるのだろうか。
「シンシア様を謀ってまで何を止めたかった? 北の海路には一体何がある?」
「…………」
普段であればシンシアはオズワルドの追求を止めただろう。しかし今は違う、オズワルドの陰に隠れるか弱い少女のよう。
そうせざるを得ないほど、ノルマンへ不信感を抱いていた。
「ノルマン殿……いや、ノルマン。今から貴方の私室へと行き、洗いざらいひっくり返して情報を集めるのも手…………だが、そんな証拠など残していないだろう」
事実だった。ノルマンの部屋に行ったところで北に固執する情報は断片すら残されていない。
わかっていながらも揺さぶりを掛けるオズワルドだが、案の定ノルマンは微動だにしなかった。
「……ノルマンさん、どうしてあれほどまでに北からの侵攻を拒んだんですか?」
シンシアがオズワルドの陰に隠れながらぽそりと喋る。
南からなら構わない、だが北からは駄目だ。ノルマンの反応からそのように推測される。
「……兵たちを、危険な海路に赴くことでむざむざ死に晒すことが……」
「それを考えるのは武官であり、政務官の貴方ではない」
ぼそぼそと言い訳を紡いでいくノルマンの言葉を遮るようにオズワルドは言う。
このままでは埒が明かない。しかしノルマンの罪を捨て置くわけにもいかないだろう。オズワルドは一時の逡巡の後、シンシアですら驚くことを言い放った。
「ならば今から北への諸島へと赴き、ノルマンの罪をいずこかの島で償ってもらうとしようか」
「オズ……っ!?」
「な、なにを……っ」
驚きに満ちた表情を二つ受けるが、オズワルドは特に気にしたことはない。
「なに、所詮は小さな島、私一人で十分だろう」
鞘にしまった剣の柄をぽんぽんと二度叩く。確かに特に労せず屠ることは可能だろう。しかしシンシアが知っているオズワルドはこんなことを言うだろうか? 実際にするだろうか?
「シンシア様を騙した罪。それほどまでに重いと知れ」
…………するかもしれない。オズワルドのシンシアへの拘泥ぶりは常軌を逸している。
極端な話だが、シンシア一人を守るためなら全世界を敵に回すだろう。しかしオズワルドであれば『仕える王の為なら当然のこと』と言って顔色一つ崩さないに違いない。
「……ノルマンさん、彼は本当にやります。貴方が言わない限り罪のない島民が骸として貴方の前に積み重なるでしょう」
「ば、バカな……っ。何もそこまで……!!」
「ノルマン、貴方は…………お前は、おそらく二段構えの自己犠牲を考えていた」
足を踏み鳴らし言葉を遮り、オズワルドは指を二本立てる。
「まず一つ目、シンシア様を差し出し国王の機嫌を取り、自分の都合の良い海路を選ぶ。その責はお前の独断行為として首を差し出し、ベルガルとバーランの二国間の解決を図るだろう」
その際に、死亡するのはノルマンのみ。解放されたシンシアは国王に散々慰み者にされた後だろう。
考えるだけで腸が煮えくり返る思いをするオズワルドだが、出来るだけ平常心を乱さないように二つ目の策を続けて言う。
「そして二つ目。これもまたシンシアを差し出すという前提だが、これはただの振り」
「振り?」
陰でシンシアが呟いた言葉に『ええ』と短く言葉を出して続けていく。
「これは恐らくバーラン王国の国内を自ら乱す作戦。王を排し、正しき者が王座に就くための、ですね」
「でも……それで、どうして私を差し出す必要があったの……?」
「それは…………私を出すためでしょう」
「オズを?」
頷くオズワルド。ノルマンは下を俯いたまま微動だにしない。
「シンシア様を騙す。そうすることで私の怒りを買い、暴れさせる目的だった。滞在を経て私の忠義は見続けていたでしょうから。最後には私の怒りを収めるために、ノルマンは首を差し出すことを提案するつもりだった。つまり、どちらにせよ死ぬつもりだったということですね」
「そんな……」
驚きに満ちた表情でノルマンを見つめる。ノルマンはまだ動かない。
ハワード王に心を差し出す前に見たノルマンの瞳は、とても冷たかった。あれが演技だったというのだろうか?
だとすれば大した役者だ。シンシアはいとも簡単に騙され闇に手を差し出したのだから。
「疑問なのは、どうしてそこまで身を犠牲に出来るかということです。あの国王にそこまでの価値は無かった。なのに何故か」
「息子のためでしょ?」
女性の声、しかしそれはシンシアの声ではなかった。
声は反響して出どころがわからず、三人は周囲を見渡す。程なくして見つける、声の主は玉座の間入口に立っていた。
「ネネ!」
「終わったら呼んでよ。無駄に外で待ってたじゃない」
ネネはシンシアの元まで歩き、近くにあった亡骸二つを見下ろす。
「兵士が言ってたのは本当だったのね……王が将軍に殺された、って」
「いきなり漏れたか。人の口に戸は立てられないとはこのことだな」
「それでネネ、息子って?」
ネネは懐を漁り、一枚の写真を取り出す。
「そ、それは……!!」
写真を見た途端、ノルマンは慌てて自分の懐を探る。しかし目当ての物は無かったようで、ネネの手にある写真をじっと見つめる。
そこには今よりも少し若いノルマン。その傍らには女性と、女性に抱きかかえられた赤子が映っていた。
写真に映った三人は一様に笑顔、その生活が幸せであるという象徴でもあった。
「いつの間に……」
「船で必死にしがみついてた時にね」
「だからあの時立ってたんだね……」
ノルマン、ネネ、シンシアが各々の感想を口にした後。全員が写真へと視線を落とす。
ネネはノルマンに写真を返し、指を一本立てて後ろに下がる。
「私には一つの仮説があるの。それはね――」
だが、その言葉を遮る声があった。
「わかりました、すべてお話します」
ノルマンである。
肩透かしを食らったような気分だが、聞けるならそれでも良いだろう。
咳払いをして誤魔化した後、ネネは静聴の構えに入る。少女の背中をぽんぽんと叩くシンシア、それは彼女なりのフォローであった。
「北には小さな島がいくつもあり、それぞれ国王……いえ、島長とでも言うべきでしょうか。しかしそれらはすべて帝国に降った帝国管理下の島国です。帝国の声一つで軍事力を行使する必要があり、それは拒否できません」
「迂闊に入り込もうものなら四方八方から帝国の船が押し寄せてくる、ということだな」
オズワルドの声にノルマンは頷く。
囲まれ火矢でも射掛けられようものなら、どれだけ巨大な軍勢であろうとひとたまりもないだろう。
「そしてその一つの島に……私の息子と、家内がいます」
「えっ……他国の島に、ですか?」
「はい。ここは人から奪うのが当たり前の荒んだ国です。このような環境で育てば、思想は簡単にバーラン王国に染まってしまう。私も家内もそれは避けたかった」
しかしその頃にはノルマンは既に城内で勤めており、退職するのも難しい。しかし女一人と子一人なら、島の外へとなんとか逃がせるはず。
「いつか私はこの国を変え、二人を迎え入れるつもりでした。ですが私一人で出来ることなんて、たかが知れています。もう二度と会えないものと諦めておりましたが……」
その時、ちょうどシンシアたちがやってきた。
それはノルマンにとって天啓であった。上手く行けばバーラン王国を内側から崩せる。失敗しても、北にいる息子たちが戦火に巻き込まれずに済むだろう。どちらにしても自分の命を失うだけであった。
「しかし帝国とはな。生活も困窮しているに違いないだろうに」
「ええ、私の給金の大半は仕送りに充てています。足がつかないようにするには困難を極めました」
それでも奪う側になるよりマシだと、夫婦が協議した結果である。その判断についてオズワルドは特に言うことはない。
「命を賭ける覚悟があると言ったな」
オズワルドは剣を抜く。判断について言うことはないが、シンシアを謀り危険な目に合わせたのはまた別の話だ。
「それは全て上手くいった今、家族に今一度会える機会があっても変わらない覚悟か?」
「オズ!?」
剣先をノルマンに向ける。
ノルマンは剣とオズワルドを交互に見比べ、揺れない瞳をオズワルドに向けてしっかりと頷いた。
「もちろんです。私は許されないことをしました、償いを受けるのは当然です」
「そうか」
剣を振り上げる。後は力を込めずとも、振り下ろすだけで彼の命を断つことが出来るだろう。
それは払うべき責任である。
「オズ、やめなさい」
「はっ、かしこまりました」
シンシアの制止の声に、オズワルドはすぐに従う。剣は振り下ろされることなく、鞘に収められることになった。
「意地が悪いわね、オズワルドも」
「私の一存で決めるわけにはいかないからな」
当事者、そして王はシンシアである。彼の生殺与奪を握っているのはオズワルドではなくシンシア。
彼女が止めなければ、オズワルドは躊躇なく剣を振り下ろしていただろう。
「その際に責を負うのは私だ。国の安定を図り、家族に謗られる必要がある」
「でも、オズは私が止めるってわかってたよね?」
「いいえ、私如きがシンシア様を読めるなどとは思っておりませんので」
嘘である。本当は止めると読んでいた。
そしてノルマンの覚悟を知るため、瀬戸際になるまで止めないだろうと言うことも読んでいた。
しかしながらその事は口にするわけにはいかない。
シンシアは一歩前に出る。合わせるようにオズワルドとネネは一歩下がる。
「ノルマンさん、貴方は今このバーラン王国で暫定的なトップに位置します。その貴方が何をすべきか。こんなところで命を散らしている暇なんて無いのです。国の先を健全な道へと導き、そして家族を呼んでも恥ずかしくない国にすることではないのですか?」
「しかし、それでは今回の責任は――」
「もう取りました。私欲のまま国を好き勝手にしてきた国王と、そして奸計で国を滅ぼそうとしていた内偵が」
シンシアは並べられた遺体にチラリと視線を送る。
「それに、ベルガル王国に属することになるんですよね、それならばより一層頑張ってもらわないと」
「…………ですが、それでは私の気が済みません。私だけがお咎めなしとは……」
「え、お咎めはありますよ?」
きょとんとしたシンシアの声、ノルマンはその声に吸い込まれるように彼女の顔を見た。
「バーラン王国は今からベルガル王国の属国。貴方は王代理として有能な王を探し、育てること。属国になることへの反発はすべてノルマンさん、貴方が受けていただきます。
略奪禁止による生活レベルの低下、市民が溜まったフラストレーションはすべて貴方が捌け口になるでしょう。
それら全てを無給でやっていただきます。あ、もちろん衣食住という最低限の保証はしますけどね」
それはある意味飼い殺しである。無給で国全ての責任を押し付けられる。人によればそれは苦痛な罰となるだろう。
だがノルマンに関してはそうではない。それは予てからの悲願。
「勿論家族は呼んでもらっても構いません。ですが贔屓はしないこと、それが条件です」
「………………ありがとうございます、この御恩、絶対に忘れません……!!」
かしずくノルマンに背を向けて、シンシアはネネへと笑顔を向ける。
「こんなに重い罰を受けて感謝するなんて、変わった人だよね?」
「ええ、そうね。でもまあ人それぞれだし」
シンシアの意図はわかっている。ネネは笑顔を返して二人で笑い合う。
これで一件落着。バーラン王国の前途は多難だが、今より酷くなることはないだろう。
数世代もの間続いた蛮族という名の中傷は、これから緩和されていく。それはノルマンよりも次の世代が更に尽力していくはずだ。
「あ、そういえばオズ!!」
「はい、なんでしょう?」
突然大声を上げるシンシア。
「王の庇護! 回収したら何が変わったの?」
「そういえば……」
ハワード王が呪いの如くばら撒いた王の庇護。それらを回収する度にオズワルドの体は何らかの変化があった。
見た目は骨だが手の感触があったり、暑さを感じ取ったり食欲が復活したり、と。徐々に人間に近付いていっているように思えた。
「……鎧の中が冷たいくらいでしょうか」
「冷たい? 感覚が戻ったってこと?」
「どうでしょう」
ヘルムを取ると、頭蓋骨が現れる。その出で立ちにノルマンは息を呑んだ。
「おいちょっとネネ、手伝ってくれ」
「なんで私が……」
鎧を脱ぐのを手伝わされるネネ。文句を言いながらも素直に動くことにシンシアは失笑する。
上半身の鎧を外し、現れたのは鎖帷子。
それをめくりあげるとネネが声を上げる。
「わっ……!?」
驚きの声を上げた後、言葉を続けた。
「は…………肌、肌があるっ!!」
「なに?」
鎖帷子を胸側の鎖帷子をめくり上げ、オズワルドも覗き込む。そこにあるのは骨ではなく、腹部であった。
「きゃっ……!?」
シンシアは顔を真っ赤にさせて目を覆う。
「っていうかなんで下に何も着てないのよ」
「骨だったからな」
答えになってない。ネネはそう思ったが問答するのも面倒なのでやめておくことに。
確認の結果、肉体にほとんど血肉が形作られていた。
しかし頭部だけは未だ骸骨のまま。そのアンバランスさが、ネネによると。
「不気味」
だそうだ。
また鎧を着込んでいく。その際に、オズワルドはふと沸いた疑問を解消することにした。
「シンシア様、まだ痛覚はないみたいです」
「え、そうなの………………って!!」
腹部の中心からずれた横側に剣を突き刺していた。
「お…………オズ!! 今すぐやめてっ!!」
「あんたおかしいんじゃないの!?」
「は、はい……」
剣を引き抜くと、鮮血が流れ出す。それは彼が生きている証でもあった。
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