帝国の兵士
森を抜けた平原。
空には雲一つなく、遥か遠くの山々まで伺える。
「オズさん! ほら、早く行きましょうっ!」
木々に囲まれた森や、荒廃した大地しか見ていなかったシンシアにとって、水平線まで広がる平原は興奮するに値する光景だった。
オレンジ色の髪を揺らしながら、両手を広げ回りながら歩いている。
その様子を見て、オズワルドは内心安堵する。
数日前までは、後悔の念により塞ぎ込むことが多かった。
オズワルドを心配させないべく無理に明るく振る舞う姿は、見ていて痛々しかったのだ。
だが、今の様子は空元気ではなく、本心からはしゃいでるように見える。
「オズさーん!」
いつの間にか遠く離れた場所にいた。
姿が少し小さくなったシンシアは、大きく両手を振る。
すっかり調子を取り戻した彼女に合流すべく、オズワルドは足を早める。
シンシアの元に辿り着き、明るい表情を見せる少女に、声を掛ける人物がいた。
「そこの二人」
声の方へと振り返る。
そこには、馬に乗った兵士が五人。
グロリア帝国の兵士であった。
「………………」
シンシアの表情は一転する。
明るい表情から、沈んだ表情へ。
またも血が流れるのかと考えると、致し方ない感情と言える。
だが、兵士の発言は二人の思っていた内容とは違った。
「ここは良い所だよね」
馬に乗ったまま、遠くを見ながら二人に話しかける兵士。
「…………はい?」
「二人は旅の途中かな?」
「ええ……そうですが」
オズワルドはシンシアを庇うように立ち位置を調整する。
帝国の者に敬語を使うのは躊躇いがあったが、無駄な殺生はシンシアが好まない。
敵対するのは時期尚早と判断しての口調であった。
「そうかぁ、ここは長閑だから、風景を楽しみながら歩くにはとても良い場所だと思うよ。……しかし、君のその鎧……」
「………………」
漆黒の甲冑を馬上から見下ろす。
兵士の視線は胸元の紋章へ。
ベルガル王国の紋章。
だが、千年前に滅んだ国の紋章だ。
「格好良いね、それ」
知る者はほとんどいない。
「…………ありがとうございます」
警戒するオズワルドを感知しているのかしていないのか、呑気にこの土地の良さを語る兵士。
ひとしきり語り終わったのか、馬から降りてシンシアを手招きする。
敵意は感じられないとは言え、今まで見て聞いた評判から警戒してしまうシンシア。
じりじりと距離を詰めていく。
オズワルドはいつでも剣を抜けるよう、兵士の一挙一動を見逃さない。
兵士は、シンシアを唐突に抱え上げ――――
「わ、わっ…………」
先程まで乗っていた馬に乗せた。
「うわ、軽いね……ご飯、ちゃんと食べてるかい?」
「は、はい……それなり、には……?」
「はい、これどうぞ」
馬の横に取り付けていた革袋から取り出したのは、干し肉。
おずおずと受け取るシンシア。
手に取った瞬間、鼻に香る干し肉の香り。
誰にも聞こえない程度の腹の虫が、鳴いた。
胃袋が刺激され、口内に唾が分泌されるのを感じる。
「ありがとう、ございます」
我慢できずに口に運び、小さく一口。
広がる肉の味。
「貴方もどうぞ」
オズワルドにも干し肉を渡す兵士だが。
「私は結構です」
丁重に辞退。
食べることが出来ないのだ。
「私の分も彼女にあげてください」
もう既に平らげていたシンシアに、兵士は干し肉を追加で渡す。
と、兵士はシンシアの服の裾が目に入る。
長い潜伏期間と長い旅の末、服は汚れと消耗が著しかった。
視線に気付くシンシアは、自分がボロを着ている自覚を再認識。
隠すように裾を膝の裏に折りたたむ。
「僕たちは、次の村に用事があるんだ。もしよければ一緒にどうかな?」
「…………用事、ですか?」
シンシアが問う。
脳裏によぎる、罪人の連行する風景。
帝国にあまり良い印象はないため、勘ぐってしまう。
「うん、僕の生まれ故郷でもあるんだ。小さいけど宿もあるから、体を休めるといいよ」
オズワルドは黙り込む。
シンシアの判断に任せることにした。
「では……お願いします」
今のところ、この兵士たちを警戒する必要はない。
そう判断したシンシアは、承諾。
「よかった、じゃあ行こう!」
馬の差縄を持ち、先導する兵士。
オズワルドは兵士たちに囲まれ、様々な事を聞かれた。
「何処から来たの?」
「ここから北にある村からです」
既に廃村ではあるが。
「どうして旅なんて?」
「人助けを、したくて」
盗賊や帝国に虐げられる人を一人でも少なくするために。
「へえ……良いね」
だが、彼らを見て思う。
帝国の兵士とはいっても、全員が悪いわけではないんだな、と。
気を許しそうになるシンシアだが、行った村で何をする気かわからない。
最低限の警戒心は残しておく。
「というか、二人の関係は?」
「…………えーと」
王と従者です。
とは言えず、なんと言えばいいか悩み口ごもる。
オズワルドはずっと無言。
シンシアはチラリとオズワルドを見て理解する。
ずっと、警戒しているのだ。
きっと気を許すことは無いだろう。
「仲間です……旅の仲間」
「それにしては…………」
村娘のような衣装をまとった少女と、漆黒の騎士。
まるで関連性のない二人は、傍目から見れば異様なパーティーと言えた。
「何歳なの?」
「十六です」
「貴方は?」
次はオズワルドに問う。
「………………」
だがオズワルドは答えない。
千年前に死した身。
年齢を聞かれたことで答えようがない。
「え、ええと…………に、二十五です!」
答えないオズワルドを見かねて、シンシアが代わりに答えた。
だが、当たっている。
千年前の帝国の戦で死した時、ちょうど二十五の齢であった。
「あ、そうだ。僕の名前はローク。彼らは左からシック、ユル、セイス、スイだ」
皆、口々にシンシアに挨拶する。
「私はシンシアです、彼はオズさん……オズワルドです。すみません、彼……無口なので」
内心、オズワルドは彼らを悪い人間ではないと思い始めている。
だが、ベルガル王国の敵である国に所属している兵士。
気を許すことは出来ないが、敵対するほど悪い人間でもない。
どちらに傾くことも出来ない感情の答えが、無口であった。
「あ、見えてきたよ」
少し遠くに、村の入口であるアーチが見えてきた。
そこで何が行われるのか。
武力行使による徴税か。
それとも、流血沙汰の連行なのか。
村に近付くにつれて、シンシアの内心は穏やかではなかった。
………………。
…………。
「みんな、ただいま!!」
「おー、おかえり!!」
兵士たちが村に入り声を上げると、村人は一斉で出迎えた。
歓迎のムード。
ロークと名乗った兵士は、母親と思しき女性と抱き合う。
「………………」
思っていた光景と違う。
シンシアとオズワルドの内心は、同じ心境だった。
「悪いんだけどねローク、税の方はもう二、三日待ってもらえないかい……?」
「うん、いいよ。じゃあその間休んでいようかな」
それでいいのだろうか?
徴税に対してはもっと厳格ではいけないのでは?
だからこそ、あれだけの罪なき人が連行されていたのではないのだろうか?
シンシアの胸中は、驚きと戸惑いに満たされる。
「あ、そうだ母さん。彼女はシンシアちゃん」
「ちゃん…………」
ちゃん付けで呼ばれるとは思っていなかったシンシア。
気恥ずかしい心境を抱えながら、母と呼ばれた女性に会釈する。
「少し頼みがあるんだけど」
ロークとその母親は、こっそりと耳打ち。
何かを提案されたのか、母親は笑顔で頷いた。
「シンシアちゃん、ちょっとおいで」
母親は手招きしてシンシアを呼ぶ。
何のことか分からない少女は、目を丸くしながら母親の元へ。
そのまま一軒の民家の中へと入っていく。
「………………」
後ろを当然のようについていこうとするオズワルドだったのだが。
他の村人により阻まれる。
「ぬっ……!?」
ここに来て裏切りか!?
引き離したのも、これが目的なのだろうか!?
しかし村人が発した言葉は懸念とはまったく異なる内容だった。
「あんた、いかつい鎧着てるねえ!」
「せっかく来たんだ! 飲んで食って休みな!」
「あのロークたちが連れてきたんだろう? ならあんたは信用できる!」
口々に同時に喋るため、オズワルドはほとんどを聞き取れなかったが。
村人に囲まれ、もみくちゃにされる。
「し、シンシア様ぁ――っ!!」
王の元へ行きたかったのだが、行けない。
村人なので無理やり押しのけるわけにもいかず。
彼女が出てくるまで、そのままだった。
――――――――――
囲まれ、質問攻めにされること数十分後。
入っていった民家から、シンシアが現れる。
入浴してきたのだろうか、艷やかなオレンジ色の髪。
軽く上気した頬。
そして何より、来る前に着ていた衣装とは異なるものを身につけていた。
暖を取るための膝下までの前開きのコートを羽織り。
動きやすさを重視したのか、膝上のスカートを履き。
今までは雨やぬかるみですぐ濡らしていた靴も、ブーツへと履き替えていた。
旅人らしく、なおかつ女性らしさが増した衣装だった。
「ど、どうでしょう……?」
顔を赤くしながら、オズワルドに尋ねるシンシア。
「とてもお似合いです」
オズワルドの表情は兜によって伺えない。
だが、本心で言っていることはシンシアには理解出来た。
「ありがとう、ございます」
より顔を赤くしたシンシアは、照れて俯く。
「………………」
「………………」
訪れる沈黙。
なんとも言えない空気を。
「なーにしてんだい! 今日は宴だよ、飲んで! 食って! 明日への英気を養うんだ!」
ロークの母親が割って入った。
「え? あ、は、はいっ!」
驚いたシンシアだったが、母親に手を引かれそのまま宴の中心へと引きずられていく。
「………………ふっ」
村の空気にあてられたのか。
オズワルドは警戒度を幾分下げ、宴へと参加した。
………………。
…………。
「はーっ……もう食べれません」
用意してくれた宿屋の一室。
ベッドが二つ用意され、そのうちひとつのベッドにシンシアは仰向けに倒れ込んだ。
常に人の中心にいたシンシア。
食べ物と飲み物をひっきりなしに渡され、手元から何かを切らす事は無かった。
まるで祖父母に会いに来た孫のように、ずっと可愛がられていた。
対して、オズワルドの周囲にはあまり人が寄り付くことはなかった。
暗闇を象徴する黒い鎧。
寡黙であり、飲み食いをせず一定の距離を取ってシンシアを警護し続ける騎士。
異様な雰囲気を身に纏い、他者を拒絶した結果である。
「村の人たち、良い人ばかりでしたね」
「そうですね」
他人である二人に良くしてくれ、宴にも参加させてくれた。
衣服すらも譲ってくれ、人に優しい村であることは疑いようがなかった。
「帝国の人たちも、思っていたより悪い人じゃないみたいですね」
「…………そうですね」
オズワルドの胸中は複雑である。
彼らは憎き仇敵の兵士であることは間違いない。
しかし…………。
「……もうっ、オズさん!」
思案に耽っていると、視界を塞ぐようにシンシアの顔がアップに映った。
「は、はいっ?」
「帝国でも、良い人悪い人がいるのは当然だと思いますよ?」
「ええ、わかります」
「私の村でもそうでした、良い人ばかりでしたけど、中には悪い人もいました。常に怒ってて、周りに当たり散らす人とか。いっつもお風呂を覗いてくる人とか」
国単位で考えるな。
人間一人ひとりを見て判断しろ。
シンシアは純粋だ。
純粋な分、穿った視線を持つことは無いのだろう。
「……シンシア様は、流石です」
「え……なんです、急に?」
「私は、帝国と冠するだけで全てが敵に見えていました。いえ、見えています」
憎悪の感情は薄れることがない。
グロリア帝国憎し。
死して尚、生き返って尚持ち続ける感情。
「ですが、すべての兵士を憎んでいく事が、どれだけ間違った行いかも理解しているのです」
シンシアのような博愛精神を持っていれば。
「オズさんは、私が間違っていると指摘してくれるって、以前言いました」
「ええ」
「だから、オズさんが間違ってたときは、私が指摘します! それが、仲間じゃないですか?」
王としてではなく、仲間として、友として。
純粋な善意の台詞。
「……ありがとうございます。このオズワルド、シンシア様に何処までもお供いたします」
「もうっ……堅いんですよ! …………あ、じゃあ、一つだけお願いしてもいいですか?」
「はい、なんなりと」
宴の空気が抜けていないのか、頬を赤く染めて俯き、もじもじと。
言いづらそうに口ごもったあと、意を決して告げた。
「え、ええ……と…………あの、あ……頭を、撫でてください……っ!」
「……頭を、ですか?」
正しいことをしたら褒める。
子に対しては当然の行いだが、王に行うのは、どうなのだろう?
だが、勇気を振り絞って言ったシンシアの表情を見ていると。
断る選択肢は存在しなかった。
グローブ越しに、頭に手を添える。
無機質な感触。
「……出来れば、素手で…………」
だが。
グローブを外す。
そこには、骨の指があるのみ。
ある意味ではこれも無機質のような感触だが。
「良いんです、それが……オズさんの手ですから」
そっと頭に添える。
割れ物を扱うかのように、ゆっくりと撫でる。
「………………」
目を閉じ、頭部に神経を集中させるシンシア。
何年も、村の中で潜伏していた彼女は。
愛情に飢えていた。
特に、父や母からといった、肉親からの愛情に。
無論、オズワルドは親ではない。
だが成長を見守るが如く遠くから見つめ続けるその視線は。
――親でもある。
忠誠心から来る感情ではあるが、親愛の情を隠すことなくシンシアにぶつけるオズワルドは。
――男性でもある。
全身が骨である、朽ちた人間を。
男性として見ていると。
シンシアはぼんやりと感じ取る。
すると、今のように頭を撫でられているのが気恥ずかしく思えてきた。
「も、もう……大丈夫です、おやすみなさい!」
「おやすみなさいませ」
布団を被り、背中を向ける。
背後からグローブを付ける音が少し聞こえたあと、無音になる。
背中からでも感じる、見守る視線。
それは、恥ずかしくもあり。
頼もしくもあった――――
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