デコボコ道のホールケーキ
「凄いね、小説を書いているなんて知らなかった」
俺とはまったく接点のない他部署の女が、ボディタッチをしながら、猫なで声を出してくる。
「そんなことないよ、書きたくなってかいたら、たまたま賞をもらえただけだから」
受賞の翌日から、社内における俺への態度が笑うくらいに変わった。
営業成績は入社以来ずっと悪いが、それさえも小説と両立による疲れがあったからでは?と一部の職員の間で言われている。だが実際に創作の疲れなどない、なぜならそんなことしたこともなかったから。
表彰されたあの小説は、亡くなった親父が浪人時代に書いたものだった。
親父は俺が30歳の時に亡くなった。母親は俺が大学を卒業した22歳の時に親父と離婚してから音信不通であり、親父が亡くなったことも知らせられていないから、当然葬式にも来なかった。
両親の間に特に不仲な様子はなかったと思うが、親には親にしか分からない事情もあったのだろう。
親父には兄弟はおらず、親戚とも疎遠であったから、実家の片付けは一人息子の俺がやるしかなかった。
せっかくの休みに面倒くさいと思いながら片付けをしていると、押入れの奥から重量感のあるくすんだ茶封筒が出てきた。中を覗くと古びた原稿用紙二百枚に書かれていた小説があり何気に読み始めると、あっという間に読み終えてしまった。
最後の原稿用紙には書いた日と親父の名前があり、その年は親父の浪人時代だった。
一流大学の受験に落ちてしまい、予備校に通った浪人時代に小説を書いていたのか、思わず勉強しろよと笑いながらも、次の年には合格しながらこれを書き上げたのかと感嘆してしまった。
親父は小説家になりたかったのだろうか?
一流大学を卒業後は一流企業に就職、社内恋愛をして結婚すると俺が生まれた。それから離婚を経て定年まで勤め、65歳の時、心筋梗塞で亡くなった。
ふとこの小説を世に出してみたくなった、それも俺の名で。おそらくは箸にも棒にも掛からないだろうが、少しは評価されるかもしれないと期待している自分がいる。
原稿用紙を自宅に持ち帰り、投稿小説サイトに打ち込んだ。
そして名のある賞を受賞した。
携帯電話が振動して、今日もまたディスプレイに知らない携帯番号が表記されている。
友人と名乗る知り合いであったり、一度もあったことのない親戚であったり。あからさまな現状に、小説みたいだなと苦笑する。
振動が止み留守番電話にメッセージが録音される。
経営難、治療費、融資や投資、儲かる話、今回は何であろう。
「あんた、なにやってんのよ。あれ、涼介君が書いたものじゃない。なに考えているのよ」
怒気が込められたそれは、数年ぶりに聞く母親の声だった。
そうか、母親はあの小説を知っていたのか、もしかしたら母親以外にも知っている人がいるかもしれないな。そんな事を思いながらこれからの事を想像する。
母親は全てを白日の下に晒すだろうか?当然その後は大騒動になる。それとも何も言わないだろうか?当然俺から自白する気はない。
どちらでも良かった、本当に。
優秀な両親から生まれながらも、勉強はまったく出来ず子供の頃から馬鹿にされた。なんとか就職した五流企業では常にリストラ候補だ。
みじめな人生、だから投げやりになれた。
母親に電話をかけ直す気もなければ話すこともない、
好きにすればいい。
「もう書くことはありません。全て出しきりました。最初で最後の作品です」
授賞式の時にそう言った俺に向けられたカメラは、軽蔑の眼差しのようだった。