しくしく重力に従うしかない
友人が友人とメールを介して会話をしようと試みていた。
「まじさー夏の親戚の集まりちょーウザイ」
「わかるー。あいつら年にたった一回の会う度に、やれ学校の成績はどうだの彼氏は出来ただの……まじウザイ!」
「結婚はしたか、子供はできたか、親の介護はどうするのって。ほんとさぁ、お前らに関係ねえっての」
「えー? 結婚とか子供とか介護とか、気がはや過ぎない?
あたしらまだ高校生だよ?」
「年寄りってのはどうしてこう、すぐに物事忘れるんだろうか。
羨ましいよ」
「やだ、羨ましがらないでよ。
まだあたし達若いのに」
「もう、そんなに若くないよ」
「なによ……おっさんみたいなこと言って」
「それよりさ、ついにアイツら破局したらしいぜ?」
「マジで?! あんなにラブラブだったのに?」
「休日には食べに行ったオシャレなレストランのランチメニューをインスタグラムにアップアップ、溺れるほどにあっぷあっぷしとったのに」
「土日とか、部活帰りにいつもいっつもイチャイチャいしてウザかった!」
「はあ……でも正直羨ましいよ。
別れるってことは、つまり、別れられる相手がいるってことだろ?
俺もそろそろ男やもめを卒業したいよ」
「あら、随分と哲学っぽいこと言うじゃない。あんたってさ、幼稚園の頃からやたらと小難しい言葉使いたがったわよね」
「……あれからもう、何年経ったんだろう。
寂しいなあ……」
「そうね、時間の流れって残酷ね。
あんなにぷにぷに可愛かった君も、もう……もう……?」
男は彼女の話を最初から聞いていない。
メールを打ち続けている。
ここにはいない友人に向けて。
「ああもう、また思い出す。
忘れられないよ、酷いよ。
何度だって夢の中に出てきやがる。
酷いなあ、明日告白しようと思ってたのに。
好きな食べ物いっぱい食べて、インスタ映えしまくってさ……」
「泣いているの?」
「メールはいいな。目に見えない相手だから、好きな表情……し放題だ」
「あたしには見えるわよ、ずっと見ているもの、そばで見ているもの」
「大人になってもガキの頃と変わらない。
これじゃあ大人ぶっていた高校生自分の方が、ずっと大人だった」
「そんなわけないじゃない、馬鹿じゃないの?
もう卒業して八年になるじゃない。
もう、そんなに経ったのね」
彼はメールをやめて、そこでようやく言葉を発してる。
誰もいないはずの空間に言葉を発し続けている。
「会いたいなあ。もう、何年経ったか数えるのも苦しい。
苦しい、思い出したくない。
でも忘れたくない、絶対に」
彼は自分が生きている、この状況に苦しんでいた。
「酷いよ、告白しようとした次の日に、車に……」
彼は、それを人生にとってありふれた悲しみとして片付けようと、もうずっと、子供から大人に乗り換えるその瞬間、その先まで試み続けていた。
誰もいない相手、ここには居ない相手にメールを送り続けることよりも、それは酷く困難な課題だった。
「ダチにメールをしている時も。
他の女と仲良くしていたって。
その女とちょっといい感じになって、結婚? とか、なんか大人っぽい雰囲気になって、それで、
……それで俺なんかは、ガキみたいに不安になっちゃって」
言い終えるよりも先に、彼は子供のようにしくしくと泣き出してしまった。
「だから……だから……こうして今も、思い出して、幽霊でもいないかなって……独り言が秘密の癖になって」
しくしく、しくしく。
彼の鳴き声がひとり、部屋の中にこだまする。
彼女が隣にいる彼に語り掛ける。
「泣くことないわ。
あたしだってそりゃあ死ぬつもりなんて」
彼女はどこかで後悔している。
見えないところで後悔している。
「もっと人生、楽しめばよかった」
彼は、その時だけ彼女と同じことを考えていた。
「もっと、話したかったなあ」
一人部屋の上にうずくまって泣く。
隣にいない誰かのことを思う。
彼の涙が少しだけ、三十半ばに差し掛かり少しやつれ気味な彼のほっぺたの上で変な動きをする。
それはまるで女子高生の指で涙を拭うような動き……にも見えなくはなかった。
だが、結局は時間の経過とともに涙はただ普通に、時計の針が右に進み続けるように、ただ重力に従って落ちるだけだった。