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あんな失礼な女に会ったのは生まれて初めてだった。
あの時の衝撃を言葉でなんて表現はできない。
強烈な印象だけを残して、さっと逃げる後ろ姿はまるで子鼠のようで、淑女とは程遠かった。
それがまた彼女らしくて『おい、逃げるな!』と叫びながら、最後には腹を抱えて笑っていた。
『はっはは、なんて令嬢なんだ』
『確かに変わったというか、とても素直なご令嬢でしたね』
リリミア・ムーアの姿が見えなくなってから護衛騎士のケイと笑いながらこんな会話をしていた。
その時にはこのあとの舞踏会でまた彼女に会えるだろうと思っていた。
◇◇◇
自分自身の立場を幼少期から理解し、その期待に応えるべく必死に努力はしていた私は誰もが望む完璧な王子だった。
当然、そんな私には男女問わず誰もが礼儀を持って接している。
自分よりも王子であることを優先するのは王家に生まれた者の義務であり、自分の利益を優先し国益に反する行為をするなんて愚かだと教わっていたし、その通りだと思っていた。
だから結婚は王子の公務として割り切り希望なんて持っていなかった。
護衛騎士であり気の置けない存在でもあるケイ・ガードナーから『結婚生活は楽しいものですよ』と聞かされていたが、正直に言えば『見栄を張っているんだろうな』くらいに思って聞き流していた。
その差はあれど平民だって結婚に打算は付きものだろうと。
完璧な王子である私に貴族の令嬢達が好意を持っているのは感じていた。でもそれは純粋な気持ちだけでなく、身分や権力などに惹かれているのも明白だった。
『スナイル様、私なら王子妃としても立派にやっていけますわ。外国語の取得もできておりますのでお役に立てます。ですからぜひ私をお選びくださいませ』
とある公爵令嬢がこう話せば、それを押しのけるように一人の侯爵令嬢が前に出てくる。
『王子妃になったら、妃に充てられる国費を増やしてもいいでしょうか?王子妃たるもの着飾ることも義務ですから。他国に侮られない為に必要なことですわ。ほっほほ、きっと私なら政務でもお力になれますわ』
語るのは王子妃となった自分のことばかり。
みな結婚相手となる私の気持ちなど聞いては来ない。
王子妃の地位がなによりも大事なんだろうな…。
その気持ちを軽蔑することはなかった。自分だって同じ考えだったからだ。
優先するのは王子としての義務。
貴族である令嬢達だって家名の為に行動しているだけ。
…そういうものだ。
だが舞踏会が始まる前に出会ったリリミア・ムーアは違った。
王子である私に不敬とも言える態度で言いたいことを言ってきた。
そのうえはっきりと言ってから、すぐに『今のは無かったことにできますか?』なんて訊ねてきた。
こいつは馬鹿なのか…。
生垣越しに音が聞こえて『誰だっ!』と問えば『誰もいません』と馬鹿正直に答えてしまう愚かさもあり、ふざけているのかと言う態度に目眩を覚えた。
いつもならこういう人物は相手になどしないのだが、なぜかこの時だけは心で思っていたことを言葉にしていた。
完璧な王子らしくない行動だった。
あんな失礼な態度を取られたのは初めてだったから、ムキになっていたのかもしれない。
…本当にそれだけか?
確かにケイとの会話を聞かれたのはまずかった。だがその後のことはもっと穏便に済ませる方法はいくらでもあった。なんせ完璧な王子なのだから。
なのに彼女の言葉に、完璧な王子ではなく私自身である『俺』で対応していた。
彼女とのやり取りは褒められたものではないが、なんだか楽しかった。
もやもやした気持ちが残ったが、それは決して嫌悪とかいうものではなく、上手く言えないがとても心地良かったと思う。
彼女は結局そのあと舞踏会に姿を表すことはなかった。
いつも通りの舞踏会なのに、いつもとは全然違う。
令嬢達と会話をしていても頭には入ってこない。適当に話を合わせてはいたが、頭に浮かんでくるのはあの失礼な令嬢のことだけだった。
ったく、なんでだ…。
あんなこと気にする必要なんてないのに。
あの令嬢がもし他言したとしても、今まで築き上げてきた完璧な王子がそんなことで揺らぐことはない。
それぐらい分かっている。
だからそんな心配をしているのではない。
ではどうしてだ?
なぜこんなにも気になる…。
容姿は良かったが、他にも見目が良い令嬢達はいるし、もっと身分が良いものは尚更多い。
決して条件は良くない、それどころか子爵令嬢なんてなんの後ろ盾にもならず、いつもなら気にすることは絶対にない。
それなのになぜだろう。
あれからなぜか彼女のことばかり考えている自分に気づく。
なんだか胸のあたりが苦しい感じがする。
ギュッと掴まれているというか、息苦しいというか…。
とにかく初めての感覚に戸惑いしかない。
体調は悪くないはずなのに、苦しいなんてどういうことだ。
気のせいかとも思ったが、舞踏会が終わってもこの胸の苦しさが治まることはなかった。




