王都リラ防衛戦 ケイレスの判断
帝国の将ジェノンのもとには、次々と敗戦の報が飛び込んできていた。どの情報がもっとも最新の情報かも分からぬまま収集がつかなくなり、司令部は大混乱に陥っていた。
「狼の騎乗兵の攻撃で、我が軍の前列は完全に崩壊、敵が陣の半ばまでなだれ込んできています! 特に中央から迫っている敵はシルメアの将と思われますが、あまりにも危険です。我が軍の精鋭部隊が、全く歯が立ちません。ここに迫ってくるのも時間の問題です。将軍、どうかご指示を!」
伝令兵からの報告を受けたジェノンは、表情を焦らせながらも部隊に指示を出す。
「落ち着け、まだ我が軍は数的優勢だ。散っている部隊をいったん集合させて中央に厚みをつくるのだ。司令部を盾にして敵の勢いを殺す。同時に右翼、左翼の部隊は大きく迂回して敵の側面を突け。三方向から敵を殲滅するのだ!」
ジェノンは混乱した部隊を整理し、なんとか反転攻勢に出ようと作戦を示した。中央から迫る部隊さえ止めれば、今からでも勝機はあると読んだのである。司令部にいる将校達は、ジェノンの作戦を聞いて、消えかけていた闘志をなんとか繋ぎとめた。
「その指示は待て、ジェノン君」
ジェノンの意見に異を唱えたのは、ケイレスである。
「戦場全体をよく見渡すのだ。勢いに乗っている狼に騎乗した兵に目がいきがちだが……その両翼から小規模ながら歩兵部隊も迫ってきている。君の指示に従って動けば、騎乗兵の側面を突きに行った部隊が、逆に敵歩兵から横撃を受けるだろう」
ケイレスは、ジェノンの作戦の危険性を示した。まさにその想定は、シルメア軍が考えた軍配置のねらいと完全に合致したものであった。
「では……ここからどのように軍を動かすおつもりですか?」
ジェノンがケイレスに問いかける。ケイレスはこの問いに対し、その場にいる全員が思いつきもしなかった策を示すのである。
「全軍後退だ。すみやかにな」
「!!!」
将校達がざわめく。たしかに帝国軍前衛は壊走したが、まだ十分に敵軍と戦える数的優勢の状態ではあるのだ。にもかかわらず全軍撤退の判断は、その意図を理解しかねるものだった。
「ご説明願えますか? ケイレス殿」
ジェノンも当然、その疑問について尋ねる。
「たしかに我が軍はまだ組織的に戦える数を保っているが……このまま戦闘を続ければ戦力をじりじり削られることになる。それに狼の騎兵だけでも苦戦しているところに、後ろから迫る歩兵も戦闘に参加される状況になったら、いよいよ厳しくなるだろう」
ケイレスはさらに言葉を続ける。
「全軍後退と言ったのは、敵軍の弱みをつくことでもあるのだ。敵軍は約半数が狼の騎兵、半数が歩兵。対して我々は全軍が騎兵だ。我々が全軍で退けば、敵が追撃する場合、狼の騎兵だけで追ってこざるを得なくなる」
そこまで話を聞くと、ジェノンは作戦の本質を理解した様子である。
「なるほど! ケイレス殿は、敵軍の機動力に差があることを利用して、敵軍を分断なさるおつもりなのですね」
「その通りだ。もし敵の騎兵が追撃してくれば、敵歩兵と十分に引き離した後に、我が軍は全軍反転し、敵を包囲殲滅する」
「もし敵が追ってこなければ?」
「そうなったら、みすみす我々を見逃してくれた敵に感謝しようではないか」
ケイレスの策に従えば、悪くとも今の残存戦力は維持したまま戦場を離脱することができる。展開によっては、深追いしてきた敵の狼騎兵を包囲攻撃する機会も得ることができる。今帝国軍がとれる行動のなかでは、最善といってもいいだろう。
「まあ唯一この作戦の弱点は、敵前逃亡したとして、後でバルディア殿に咎められることだろうな」
「人命には代えられません。ただちに動きましょう。私も一緒に弁明しますよ」
ジェノンとケイレスの意見はここに一致した。二人の将は各地の戦線に全軍撤退の命を出した。帝国騎兵は整然と軍をまとめて後退を開始した。
「あっ、敵が退いていくみたいですよ!」
後退する帝国軍が獣人の国の司令部からも確認できた。司令部にいた全員が歓声を上げた。
「帝国軍は撤退した! 我が軍の勝利である!」
国王が力強い声で、シルメアの勝利を宣言した。
帝国の喉元に迫った騎兵隊は撤退。ひとまずは凌げた窮地。シルメア軍は初陣から大戦果です。
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