和平文書に秘めた意図
「きっかけになったのは……先の戦いで結ばれた講和条約の文書です。皆さん思い出してください。文書には、ダレム帝国とウルガルナは和平し不可侵条約を結ぶと記されていましたが、シルメアに対する文言は書かれていませんでした」
「たしかにその通りだ。ナガト殿は一字一句間違いないかと確認されておられたが、その事実に気付いていたのだな」
アルジュラもあの時の文書を覚えていたようだ。
「リリアス様、外交の国際常識では、和平や不可侵条約はその同盟国まで拡大して解釈できますか?」
「そうですね、一般的にはそのように解釈できなくもありませんが……そのつもりがあるのなら、国名を併記して記しても良いように思います」
「僕も同じように考えます。つまりケイレス将軍は、意図的にシルメアの名前は省いたものと推察されます」
「ではダレム帝国は……ウルガルナとは停戦しておきながら、今度は再び我らの国を侵略しようとしているのか!?」
ジルヴァが憤りをみせる。
「将軍の反応は当然です。ですが僕はもう一つの可能性も考えています……」
「帝国の狙いはシルメアの侵略以外にあるというのですか?」
リリアスの疑問に僕は答えていく。
「はい。ただしこれから話す可能性は、根拠としては薄いので、あくまで可能性としてお聞きください。僕が違和感を感じたのは、ウルガルナに侵略してきた帝国軍がいとも簡単に和平を選んだことです。アルジュラ様、仮にあのまま戦争が続いていれば、鉱山都市キルゴスはどうなったと思いますか?」
「そうだな。私の隊がいたとしても、キルゴスの守備隊は約10000程度だった。対して敵方は約2倍の兵力だ。もちろん相応の抵抗はして見せるつもりだったが、最終的には落とされていた可能性はあるな」
「はい。あのまま戦闘が続いていれば、キルゴスはもたなかったと僕も考えます。僕達がひきつけていたメルフェトという魔術師の軍が転進すれば、より確実だったでしょう。ですが帝国はあえて侵攻の手を止めたように感じました」
「何か事情があったのでしょうか?」
リリアスをはじめ、その場にいる皆が帝国の意図について思案している。
「僕も最初は意図をはかりかねていましたが、あの会談でのケイレスという将とメルフェトの対立する様子をみて、ある可能性に行きつきました。すなわちキルゴスを手に入れたかったのはメルフェトであり、ケイレスたちはそれを望まなかったために和平を強行したという可能性です」
「たしかに私の目からみても、帝国内で意見が分かれているように感じました」
リリアスの目にも同様に映ったようである。会談の流れを思い返せば、メルフェトが和平に猛反発し、ケイレスがそれを説得していたのは誰の目からみても明らかだった。
「メルフェト目線からみれば、キルゴスを手に入れたい理由は察しがつきます。おそらくあの人造兵を、鉱山都市から出土するミリス鉱の素材で造りたかったのではないでしょうか」
「ミリス鉱の詳しい性質は私も存じませんが、魔力を伝える武具によく用いられている金属と聞きます。たしかに人造兵に用いれば、その強度や稼働時間は石造りの兵とは比較にならないと思います」
「その推論でおおむね正しいと考えます。ここで疑問なのが、なぜそれにケイレスたちがそれに反対するのでしょうか? 帝国の軍事力が増すことは、彼らにとっても利益になるかと思われるのですが……」
一同に問いかけてみたが、答える者はいなかった。ケイレスのとった行動は、明らかに帝国の国益に反しているからだ。領土や資源の点においても、キルゴスを手に入れない理由は見当たらない。
「これは推測ですが……キルゴスがメルフェトの手におちるのが、まずかったのではないでしょうか」
「ナガト殿、それはつまり……」
「より分かりやすく言えば、帝国内でメルフェトの勢力拡張を阻止したかったということです。その背景にあるのは帝国内の派閥争いがあるのか、あるいは……」
「謀反、ですか」
リリアスが究極の可能性を指摘する。
「その通りです。もしメルフェト達が帝国内で反逆するつもりなら、その勢力がミリス鉱の人造兵など手に入れてしまっては、たまったものではありません。これはケイレス達が明確にキルゴス攻略を中止する理由になると思います」
「たしかにそれは、尋常ならざる事態であるな」
その場の一同にメルフェトが帝国内で反乱を起こす可能性があることを説明できた。
「話を戻しましょう。そのような謀反の可能性がある状況を背景に考えると、ケイレスが和平文書からわざわざシルメアを省いた理由が見えてきます」
「帝国が再びシルメアを侵略する気はない。むしろ逆、か……」
アルジュラはほぼ僕と同じ結論にたどり着いたようだ。
「アルジュラ様の推測通りです。ケイレスはシルメア軍が帝国内に侵攻できるようにするために、わざわざ和平文書からシルメアの国名を省いたのです」
「私たちが他国の内戦に介入すると思っているのでしょうか?」
リリアスの疑問はもっともである。僕は説明を続けた。
「現在帝国はシルメアと敵対しています。敵対国内で内戦が始まったのであれば、傍観していれば勝手に国力を消耗してくれます。積極的に介入する必要はないでしょう。しかし僕はあの場でメルフェトという人物をみて、彼が帝国を牛耳るのは危険だと感じました。今回のウルガルナ侵攻や、もしかすると前のシルメア侵攻すらも、メルフェトが主導している可能性があります」
「私もあの男からは、野心めいたものを感じました」
リリアスの言う通り、先の会談では、少なくともメルフェトは他国を侵略して領土を拡張する意志が明確にみてとれた。
「一方でケイレス達は、最初シルメアに侵攻してはきましたが、あくまで戦闘は軍同士のみにとどめ、民間人に危害は加えませんでした。彼らならまだ、秩序だった交渉は可能かもしれません」
「なるほど。つまりもし帝国で内戦がおきてケイレスたちとメルフェトが争うことになったら、我々はケイレスたちが勝つように動かなければならんわけだな」
「まさに今ジルヴァ様がおっしゃったことが結論です。そしてそのためには、ウルガルナと同盟状態のままでは僕たちは行動できないのです。さすがに不可侵条約を結んだ同盟国が帝国に侵攻という事態はまずいですからね」
僕からの説明は以上だ。リリアスをはじめその場の皆は、十分に現状と今後の展望を理解してくれたようだ
「分かりました。この事情は、明日ウルガルナ代表にも説明するべきでしょうね。ナガト様も同席していただけますか?」
「もちろんです。同盟は解消しますがそれは形式上のことで、実際にはお互い軍の通行を許可し、物資の融通も続けようとは考えています」
「頼もしいです。よろしくお願いします」
会議が終わるころには時刻も遅くなり、皆それぞれ用意された個室に戻っていった。
和平調停文書の不自然から、ナガトは帝国内の亀裂に感付く。彼の判断による今後の戦争の行方は……? 次回に続きます。




