ギーナ回廊防衛戦 戦場を包む煉獄の炎
「ええい何をしておるか! 一旦魔術師は下がれ! 前衛の兵は魔術師の後退を援護せよ、急げ!」
一方的に自分の部隊が虐殺されていく様を見たフェリアルは狼狽し、慌てて魔道旅団に後退指示を出す。後衛から駆けつけてきたギークス配下の帝国兵がなんとかドワーフ兵と接敵し、前線の崩壊は食い止められたものの、それまでに相当数の魔術師達が命を落とすこととなった。
「これでは我が魔道旅団が戦の敗因を作ったようなものではないか……!」
フェリアルは現状を見つめなおし、明らかな自軍の劣勢を感じ取っていた。自ら最前線を勝って出て出撃したものの、この結果は余りにも無様であった。
「かくなる上は……私の高位魔法で流れを取り戻す! 護衛兵、ついてこい!」
「フェリアル様、むやみに前に出られては危険です! どちらに向かわれるのですか!?」
ギークスの静止を振り切り、フェリアルは少数の護衛を連れて帝国軍右翼の端にある小高い丘に移動した。丘の前でも帝国兵とドワーフ兵が一進一退の死闘を繰り広げていた。丘の高所に到着したフェリアルは自らの杖を振るい、魔法発動の準備を始める。
「調子に乗りおって、目にもの見せてくれるわ!」
フェリアルが呪文の詠唱を始めると、足元に大きな魔法陣が展開された。次第に周囲の空気が圧縮されていくようにフェリアルの前に集中していく。
「ヴィラ様、左方の丘に魔法陣を確認しました! またしても炎魔法でしょうか? 先程よりも大きい魔力の反応です!」
「あれは……まさか高位魔法か!? 使用できる者が帝国軍にいるのか!? 高位魔法を発動させるのはまずいです! 阻止してください!」
ヴィラが前線に指示を飛ばしたものの、ドワーフ兵は未だ帝国歩兵の戦列を突破できていない。
「弓兵構えろ、あの丘の上の魔術師を狙え!」
エルフ兵達がフェリアル目掛けて矢を射る。しかし放たれた矢はフェリアルに届くことなく、ことごとく彼の眼前で燃え尽きてしまう。フェリアルはすでに超高温の障壁を前面に展開していた。
ウルガルナ軍の奮戦むなしく、ついにフェリアルは詠唱の最後の行を読み終える。前線で戦闘する帝国兵にも、背後で何が起ころうとしているのか理解はできていないが、味方からの誤射を受けないようにと一旦戦闘を解いて下がるよう伝令が下された。
「これまでだ亜人ども! 高位魔法の威力、身をもって知るがよい! すべてを焦がせ! 高位炎魔法!!」
次の瞬間、圧縮された高熱の空気がフェリアルの正面一直線上に放射された。さらにほぼ同時に、圧縮空気に炎が着火され、彼の眼全一帯は爆炎の渦に包まれた。炎はウルガルナ軍に容赦なく襲い掛かり、辺り一帯はドワーフやエルフたちが次々と焼け焦げていく地獄絵図となる。
「フッフッフ、ハッハッハァー! 見たか我が高位炎魔法の威力を!」
フェリアルは眼前に広がる大火災を見て高々に笑っている。一方、帝国兵達は目の前の状況に恐怖している者もいた。エルフやドワーフは同じ人型の種族である。これまで戦闘していたとはいえ、焼死した人型の躯が折り重なっていくさま、見るに堪えない光景であったのだ。爆炎が一旦おさまったあとも、あたり一面は激しい延燃が続いてた。
さらに高位炎魔法の脅威はまだ終わっていなかった。なんとか一命をとりとめていた者も、次々と倒れ始めたのである。一瞬のうちに広がった火炎によって、あたりの空気は全て燃焼していた。高温の空気を少しでも吸い込んだ者は気道と肺が焼かれ、たちまち絶命していった。ついに燃え続ける炎のなかで動くものは何もなくなり、悲鳴の声すら聞こえなくなる。
ウルガルナ本陣からみても、ウルガルナ軍左翼の壊滅は明らかであった。その光景をみたオルグとヴィラも言葉を失って立ち尽くしていた。
「さあゆけ兵どもよ! 今こそ反転攻勢だ! ウルガルナ軍を叩き潰せ!」
フェリアルは再び帝国兵に前進命令を出す。
「しかしフェリアル様……これでは進軍ができませぬが……」
炎に包まれた戦場は燃焼が止まらず、人が立ち入ることは、とてもではないができそうにない。さらに眼前のあまりの光景を目にした帝国兵も皆が言葉を失って立ち尽くしており、継戦の気がなくなっていた。
そして他の戦場においても同じ状況がおこっていた。ウルガルナ軍が炎に包まれて葬られていくのを見た者は、帝国軍、ウルガルナ軍ともに戦闘を止めて、茫然と状況を見つめていた。あまりにも凄惨なその光景は両軍の兵士の心を破壊し、一時的に戦いの理由も方法も忘却してしまう事態を招いていた。両軍ともこのまま戦闘続行は困難である。帝国兵はそのことをフェリアルに進言した。
「なんだと!? ウルガルナ軍を粉砕する好機だというのに!」
憤慨するフェリアルのもとに、ギークスが馬を駆って現れる。
「フェリアル殿、貴公の魔法で敵軍には十分な打撃を与えました。ですがこれまでの我が軍の被害も少なくありません。特にフェリアル殿の魔道師部隊の損害は著しく、まだ撤退が完了していない者もいます。一旦こちらも退いて軍を整理しましょう」
「そうであるか……。止むを得まい。今日はここまでだ。撤収する!」
ギークスの静止にフェリアルはしぶしぶ納得し、この日の戦闘は幕引きとなった。帝国側の損害は戦闘序盤で大きく消耗した魔導師部隊が中心であり、従軍してきた3割が本陣に未帰還であった。これは魔導師部隊が普段は戦闘に慣れぬ者達であったため、魔法を放った後にすみやかな後退を行えなかったことに起因している。
他方、ウルガルナ軍の損害は甚大であった。特にウルガルナ軍左翼は実に半数以上の者が死亡し、ほぼ壊滅といって差し支えない被害を受けていた。本日の戦闘により戦況は一挙にウルガルナ軍不利に傾くこととなった。
戦いが終わった夕刻、オルグとヴィラ、それに数名の指揮官達が険しい表情で席に着き、状況を整理していた。
「未帰還兵は儂のドワーフ兵が2120、ヴィラ殿のエルフ兵が1211か・・・。たった1日でこれほどの同胞を失うとは、未だに現実とは思えんな……」
ウルガルナ軍は実に3000名以上の兵を失っていた。特にフェリアルの高位炎魔法で焼かれた者は、遺体が焼け焦げて炭化していたため、個人の識別すら困難な状態であった。高位炎魔法発動から数刻経過した現在ですら、魔法をうけた一帯に未だ炎が残っている状況である。現地での生存者の調査すら満足に行えていない。
「まだ炎は……消えていないのじゃな。あのあたり一帯はすでに消し炭だというのに……」
「炎魔法は魔力そのものが可燃性の物質に変化して燃えているのです。魔力の残渣が未だ残っているのでしょう」
多数の同胞を失ったエルフの将ヴィラは、重い口を開いて語り続けた。
「敵が使用した魔法は高位魔法です。私たちの扱う魔法とは次元の違う代物。その大半は習得方法すら不明で、私も過去に存在したという事実しか知りませんでした。まさか現在使用できる者がいるとは……」
「ヴィラ殿、もし敵が再びあの魔法を発動させたとして、我々に抗う方法はあるのか?」
「魔力で競い合うことは、絶対に不可能です。たとえエルフ神官兵の水魔法を結集させて水魔障壁を発動させたとしても、敵の炎は容易くそれを貫いてくるでしょう」
「それほどの魔法とは……。ヴィラ殿、単刀直入に聞こう。このままギーナ回廊を防衛することは可能だと思うか?」
オルグはギーナ回廊を死守すべく徹底抗戦するか、ウルガルナ国内の拠点まで退くかについて問いかけた。ギーナ回廊はダレム帝国との国境を隔てている唯一の軍事防衛拠点であり、ここを突破されれば帝国軍はウルガルナ国内になだれこむことになる。
「国内にはエルフ領の穀倉地帯や、ドワーフ領の採掘地帯が存在しています。それらの地域が帝国軍に占領されてしまえば、首都セレナが落とされなくても戦争継続は不可能となってしまいます。やはり戦略的にはギーナ回廊を守らなければウルガルナに活路はないように思いますが……」
ヴィラが言葉を続けようとしたその時、慌ただしく伝令兵が会議に飛び込んでくる。
「急報、急報でございます!」
「何事じゃあ!?」
「どうかされましたか?」
血相を変えた伝令兵から、ウルガルナ軍にとってさらに悪い知らせが告げられる。
「ギーナ回廊の南西地域に……大規模な帝国軍の軍勢が確認されたとのことです!」
「な、なんじゃとおーっ!?」
ギーナ回廊を守るウルガルナ軍にとってはまさに最悪の事態であった。ギーナ回廊正面に展開する帝国軍は動いてはいない。まったく別の軍団が別方面、しかもギーナ回廊の内側に出現したのである。この軍団こそ、シルメア方面から転進してきたバルディアの軍勢である。今ここにメルフェトの描いていた国内外からの挟撃作戦が成功したのだ。
「このままギーナ回廊にとどまり続ければ、包囲されて全滅ですね……。オルグ、もはや選択の余地はなさそうです。遺憾ではありますが、包囲される前にギーナ回廊を放棄してウルガルナ国内に退くしかありません」
「そのようじゃな。致し方あるまい。皆に伝えろ、ただちにギーナ回廊より撤収する! 南へ退くぞ!」
こうして国境を守備していたウルガルナ軍は、ギーナ回廊を放棄し、南へ軍を移動させた。かくしてウルガルナ最大の防衛拠点であるギーナ回廊は、帝国軍の手に堕ちることとなった。
優勢かと思われたウルガルナ軍であったが、フェリアルの放った高位魔法により形成は一転。さらにシルメア方面から新たな帝国軍増援があらわれ、絶体絶命な状況に。ウルガルナの命運は……?次回に続きます。




