帝国軍の思惑
先の戦闘で敗走したケイレス、ジェノンの率いる帝国騎兵は、軍団長バルディアの率いる帝国軍本陣の野営地まで撤退していた。バルディアの天幕にて、ジェノンとケイレスが、先の戦闘について報告している。
「……という経緯でございまして、前線より兵を引き上げてまいりました」
ケイレスがひととおりの報告を終えたところで、バルディアが声を張り上げる。
「貴公らは我が軍の貴重な精鋭騎兵を多数失った上、ろくに戦闘もせずに逃げ帰ってきたわけか。我が軍の誇る両将がなんたるざまか! それとも先鋒を任せた私の人選が誤っていたということかな?」
やはり予想通り、戦闘結果の報告内容にバルディアは怒りを覚えているようであった。報告の内容によっては、2将は更迭されることになるかもしれない。
「お言葉でございますがバルディア殿、戦闘に負けはしましたが、我々は重要な情報を得てまいりました」
ケイレスが落ち着いた声でバルディアに意見を述べる。
「まず今回のシルメア侵攻において、帝国軍司令部は獣の群れを掃討するつもりで軍を派遣しました。我々もそのつもりで先鋒を務めさせていただきましたが、その想定は大きく誤っていたことになります。敵は狼に騎乗して隊列を組み、組織的に戦闘をおこなってみせました」
「獣風情が生意気にも軍事行動の真似事をするとはな。たしかに司令部の連中は、シルメアを野蛮な原始人の国としか思っておらん。敵が軍として動いてくるなら、たしかに戦力の見積もりは根底からやり直さなければならんな」
バルディアはケイレスに続けて報告を求めた。
「続けてまして、シルメア兵の個々の戦闘力についても、我々の想定を大きく上回る強さでした。特に直接交戦した狼に騎乗した部隊は、一方的に我が部隊を蹂躙したほどです。その攻撃力は計り知れません。今後の戦闘でも間違いなく主力として運用してくるでしょうから、対策が必要かと考えます」
バルディアはケイレスの話に真剣に耳を傾けている。バルディアは帝国軍の中でも猛将で名高い人物だ。しかしその思考は短絡的ではなく、用兵に必要な情報は冷静かつ客観的に分析できる能力ももっている。部下の将校の実力も普段から評価しており、その将校達が無様に敗退したという事実がある以上、ケイレスの報告内容も妥当だと判断するしかなかった。続けてバルディアは、ケイレスたちに問う。
「敵をいささかあなどっていたようだな。それでは将校達よ。具体的な方針はどのように考える?」
師団長の問いに、ケイレスが答えていく。
「まず、現在我々の保有する戦力を整理しましょう。我々の騎兵旅団は先の戦闘で、400もの兵を失っております。加えて負傷者が500名強。戦闘できる兵力は約1000騎程度となります。これにバルディア殿の歩兵20000が、今運用できる戦力です」
狼騎兵の猛攻で半数近くの騎兵を失った帝国軍だが、ケイレスが即時撤退の判断を下していなければ、さらに損害は甚大となっただろう。半数の騎兵が健在というだけでも、戦略上の意義は大きい。
「先の戦闘で我々騎兵旅団が一方的に嬲られたのは敵の武力が優れていた点もありますが、我々の騎乗していた馬が敵の狼に怯えて思うように動けなかった点も大きな理由です。大型の肉食獣に睨まれると、訓練された軍馬も本能に忠実に戻ってしまうという訳です」
「すると貴公らの騎兵で狼どもに当たるのは得策ではないな」
「左様です。彼らは長槍を装備していました。弓矢などの射程の長い武器は持っていなさそうでしたので、バルディア殿の弓兵部隊で仕留めるのが最善と判断します」
「獣を狩るには昔から弓と決まっておるからな。私の部隊で一方的に撃破してくれよう」
「基本的にはその方針がよろしいと存じます。加えてお耳に入れておいてほしい情報ですが、狼の騎兵隊の指揮官の女性は、恐ろしい戦闘能力をもっていました。白兵戦は極力避けるべきでしょう」
直接戦ったジェノンが、シルメアの将アルジュラについての情報も共有した。
「心に留めておこうか。状況を整理しよう。敵軍は降伏勧告に応じるつもりはなく、徹底抗戦するつもりだ。故に我々も敵の首都を無血占領することはかなわず、もう一戦交えることはほぼ確定的である。次の一戦で敵の守備軍を粉砕し、しかる後に圧倒的戦力をもって首都を包囲し、陥落させることが我々の目的である」
「心得てございます」
「貴公らを先行させた目的には、シルメア内の地形偵察も兼ねておった。我が軍が展開できる十分な広さの戦場はあったか?」
「現在地から歩兵の足で半日程度行軍いたしますと、比較的大きな平野に出ます。そこから王都までは丘陵地帯が続いておりますゆえ、基本的には王都に向けて進軍していれば、どこでシルメア軍と戦闘になっても問題はございません」
「なるほど。ではここの山林地帯は早めに抜けておいたほうが良いな。決まりだ。明日朝一番で行軍を再開し、王都を目指す! よいな将校達よ」
「「御意にございます」」
帝国軍の行動方針は決定され、ジェノンとケイレスは、バルディアの天幕を後にした。
「私達の損害は手痛いものでしたが、戦略的には我が方の勝利は揺るがないように思えますね」
ジェノンは寝所への帰路にて、ケイレスに語りかける。
「私もそのように思いたいが、楽観するのは早いぞジェノン君。先の狼の騎兵が圧倒的な武力をもっていたように、シルメアはまだ隠し玉を持っているかもしれん」
「それは確かに、考えられる話ですね。どんな怪物が出てくるかと思うと、身が縮こまります」
「それからむしろ、ここからの話が重要なのだが……やはりシルメア軍の陣形が非常に理にかなったものであったという点だ。私は国境付近での配属が長く、幾度となくシルメアとの小競り合いを経験している。その時の印象も、個々の兵の戦闘力は高いものの、軍としての動きは稚拙そのものであった」
「先頭の女将軍の他に、狼の騎兵隊の中央あたりで部隊を指揮している女性もいたという報告がありましたが、彼女の采配でしょうか?」
「彼女の戦場での兵の動かし方は、見事なものであったよ。しかし戦場全体の絵を描いた人物も同じ者なのかは、未だ判断しかねるな」
「別の優秀な指揮官がいることは、想定しておかなければならないということですね」
「指揮官というよりは、作戦参謀とでも言うべきかな。私の知る限りではシルメアにそのような人物はいないはずだが……」
「もし優秀な作戦参謀がいたとして、その人物が強力無比なシルメアの部隊を動かしているとすれば、我々にとってはこの上ない脅威です。しかし現時点では根拠に欠ける推論ではあります」
「何事も最悪の事態は想定しておくものだ。次の戦闘でも、引き際は見誤るなよ。今回の戦争は、大きな犠牲を払ってまで勝ちにいく戦争ではない。押し切れない戦力差であるならば一旦帝国領までひいて、十分な戦力を整えればよい。帝国とシルメアの国力差を考えれば、時間の経過は味方であるからな。それにシルメアは後回しにして先に亜人の国ウルガルナを攻略してもよいだろう」
戦争に必要な国の要素を兵の動員力、装備の生産能力、兵の強さで定義した場合、ダレム帝国の人口はシルメアの約5倍、武器や防具の生産力は約10倍である。個々の兵の強さはシルメアが勝るといっても、この国力差はとてもではないが埋めがたい差であった。
「そういえば帝国総司令部からの報告では、2個師団から成るウルガルナ攻略軍団も、南東方面への侵攻も開始したと伝わっていますね」
「南東方面となると、ギークス将軍の直轄だな。ただ最近では、魔道元帥閣下が南東軍団の指揮権を得ているとも聞いている。帝国には2正面作戦を行う兵力はあるにはあるが……それは愚作だと私は思うね。1個師団でも兵力をこちらにまわしてくれれば、我々ももっと楽ができるのだがな」
「魔道元帥……メルフェトですね。であれば、それはないでしょう。メルフェトはわれらの長であるバルディア殿とは犬猿の仲です。彼の軍が我々に援軍を送ることなど考えられませんよ」
帝国軍は内部組織として4つの軍団から構成されている。帝都防衛と治安維持を兼ねた本国軍団、そして帝国の3つの方面を守護する北方、南西、南東の方面軍だ。南西方面軍はバルディア、ケイレス、ジェノンらが所属する、国境警備と他国への攻撃を担う軍である。さらにそれらとは別に、魔法研究と技術開発と担う魔道旅団という独立組織がある。魔道旅団はもともと研究を主とした組織で、独自の兵力はもっていなかったのだが、火や雷を初めとした元素魔法を軍事転用し、それを習得した魔術師達を中心に軍団を形成するに至ったのだ。
魔道元帥メルフェトは、魔道旅団の設立にかかわった中心人物である。歴史の浅い組織ゆえに、魔道元帥は組織の実績をつくることに注力している。
「おおかた我が軍だけが戦果を上げるのを嫌って、対抗して隣国のウルガルナ侵攻を皇帝に進言したのでしょう」
「魔道旅団は単独でウルガルナを攻略できるのでしょうか? 彼らの兵は普段は内地にいるので、錬度は高くないはずですが……」
ジェノンの分析に、ケイレスは応える。
「ギークス将軍の南東方面軍の力を借りるつもりなのだろうが、それでも単純な軍の力では苦戦するだろうな。しかし魔道旅団は、我々も知らぬ武器を隠し持っているかもしれん。それにウルガルナの民も魔法に長けた民族だと聞く。魔法には魔法で対抗するという発想は悪くない」
「いずれにせよ我々への援軍は期待できませんね。帝国のために、せいぜい善戦してもらいたいものです」
「軍上層部の権力争いのために非効率な戦争をせねばならんとは、嘆かわしいことだよ」
「ケイレス殿は、帝国軍の組織体制に疑問を感じることはありますか?」
「常にあるさ。それでも命令を実行するのが我々軍人なのだよ」
将校達は言葉を交わして歩いているうちに、それぞれの天幕への岐路についた。
「じゃあなジェノン君。良い夜を」
「こちらこそ。ケイレス殿……」
ケイレスは自分の寝所に戻っていった。ジェノンはケイレスの話を反芻し、しばらく物思いにふけることになる。
「自分も軍司令部の命を実行することのみに価値をおいてきたが、果たしてそれが全てなのであろうか。この戦争全体に渦巻く意図を、もっと知らなければならない。それに、シルメアにいるかもしれない謎の作戦指揮官か……。シルメア軍の戦い方が以前より洗練されている理由としては有り得るが、どこから現れたのだろうな。案外天から降ってきたか、地面から沸いて出てきたのかもしれないな……」
ジェノンは考えをめぐらせたものの、現時点で判断できうる材料はもうない。夜もとうにふけており、あたりは静寂の空間となっていた。帝国軍はこの場で夜を過ごし、明日早朝より王都への進軍を再開することとなる。
帝国の内情がケイレス、ジェノンより語られました。戦争の影に潜む意図とは…? 次回に続きます。




