短編版「異国のバナナ売り」
板門閣。自由の家。
その間を真っすぐに走る線。国境だ。
板門閣の前に並ぶのは黄土の軍服。襟元には黄色く光る徽章。その数50。
迷彩柄の軍服。ベレー帽に黒いサングラス。それは自由の家の前に立つ50の兵。
国境線ギリギリに横一列に向かい合って並ぶ。
鼻先が当たる程の至近距離。
元々は同じ国。ソ連とアメリカにより、南と北に分かれたが母国語は変わらない。
国境の並木を背に直立不動。
その対面の距離は会話を促した。
「お前らは今朝何を食べた?」
「ビーフステーキだ。」
相手の息が掛かる。
「嘘をつけ。どうせ腐りかけの芋であろう?口から臭いがするわ!」
「フン、お前らは?」
「スクランブルエッグ。それにトーストと珈琲だ。」
「なんだ?それは?」
「知らぬだろうな。」
クアンはそこにいた。
自由の家。韓国軍。
この国から雇われた兵。つまりは傭兵。
数か国の言葉を操れる多国籍の軍人。
ベトナム人クアン。
その背はこの陸軍兵達の誰よりも、頭一つ小さかった。
自分に取って利害の無い戦争は、この国の金で雇われる。
貰った金を遊びに使えば、税はその血で賄う。
いわゆる血税だ。
国境の板門店を東に西にと離れれば、敵国が掘った地下壕がモグラの穴のように至る所に張り巡らされていて、有刺鉄線の意味は無い。
穴から出て来た敵兵を撃っても、もはやニュースにもならないのは
常日頃の出来事と、誰しも思っていたからだ。
ーーーーーーー
正午。50の兵はそっくりその番を入れ替わった。
真昼の太陽は兵の背後、青い建屋に並んだ影をつくる。
その微動だにしない国境兵の影が動いた。
「逃げたぞ~!」
「国境を越えるぞ~!」
敵兵の叫ぶ声。
建屋の東側。幼い子を抱いた女が、転がる様に走っている。
今まさに国境を越える。
敵の銃は吹き降りの弾丸。それは亡命を謀る女に皆注がれる。
女は伏せる! 立ち上がる!伏せる!立ち上がる!子を抱えたまま。
国境を越えるまでは敵国の事件。韓国軍は手を出せない。
ただその位置を見定めるだけ。
しかし彼女は越えてしまった。
亡命し、入国した以上はこちら側の国の民。
韓国兵は尚も撃ち続ける敵軍の乱射に、応戦に転じた。
クアンはその最前線。
敵兵に威嚇の玉を撃つ。自分も転がるようにその親子の背中を抱くと、並木の後ろに匿った。
木の陰から敵の様子を覗き込み、銃の乱射を繰り返す。
パパパパパ~ン!!
放った弾は、黄土の軍服。
勲章だらけの男の胸に命中した。
自軍の長を撃たれた敵兵はクアンに集中砲火を浴びせた。
パーン! ズブっ!
その一発がクアンの鉄のヘルメットを貫通した。
速度の弱まった弾は、クアンのヘルメットと頭蓋のわずかな隙間をグルグルと回った。
コンコンコンコン!コンコンコンコン!
酷く熱い空気の塊りが、その隙間を駆け廻る。
サングラスは吹っ飛び、敵に顔を見られた。
彼は木の裏で倒れた。
親子は無事だった。
クアンは味方の兵に自軍の建て屋にズルズルと引きずられた。
頭には有刺鉄線が一周したような赤い傷が出来た。
ーーーーーーーーー
入院を余儀なくされた。
もみ殻のマットレス。
外の水道には時折、蛇やカエルが出るホース。
近代化をしているこの国にしてはの野戦病院。
そこは傭兵御用達なのであろう。
お粗末な設備。
ここにいる奴らが、本当に医者なのかどうかもわからない。
隣のベッドでは足に傷を負った兵が鼾をかいていた。
コンコン!
入って来たのはクアンの所属していた国境警備隊の軍曹。
「悪いが、しばらく休んでくれ。金は昨日までの分だけだ。敵に顔も見られたようだし、まあここまでという事だ。」
その軍曹は数日の小遣い程度の金を置き、そそくさと病室を出て行った。
「事実上の解雇だな」
聞いていたのか、隣のベッドの男が声を掛けてきた。
「どこの国から来た?」
「ベトナム。」
互いの言葉が通じていたことに気づいた。
「ほう、オレもだ。」
しかし彼ら傭兵にそれは意味を持たない。国などどこでも良いのだ。
「ここを出たらどうする? 金がないだろ? 国に帰る事すら出来ないだろ?」
「昨日の今日だ。何も考えちゃいないさ」
「その場しのぎの現金なら、元手の掛からん仕事はある」
「そんなものがあるのか?」
「ああ、丁度俺達のいたベトナムから仕入れている。バナナ。バナナ売りだ」
「それをどうやって?」
「組合のようなものがあってな。共同でバナナを買い、各自のリヤカーに載せて売りさばくのだ」
「どこで売るのだ?」
「駅前や住宅街、商店街だ。とにかく人がいれば良い。縄張りもあるが、そこは自分で見つけるのだ。売れそうな分だけリヤカーに載せればよい。バナナは腐りやすいし、山盛りに載せれば下のバナナはすぐ黒くなる。そこだけ気をつければよい。やってみるか?」
「手っ取り早いな」
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組合の建物は畑の中のブリキ小屋。そこにトラックがバナナを持ち運ぶ。
空のリヤカーを引きずって来るのは、貧民と浮浪者のような奴ばかり。
誰も口を開かない。
異臭となったバナナの皮の臭いが鼻をつく。
しかし、3か月経っても小銭の日々。
いつまで経ってもショバは夜中の裏通り。
縄張りの奪い合いは新参者には易々(やすやす)とはいかない。
手持ちの小銭が無ければ、お釣りさえ渡せない。
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その頃クアンには気になっている事があった。
なにか人につけられている気配。どこの裏通りを通っても影が付き纏う。
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今夜は突貫工事で出来た高層のホテルが並ぶ裏通り。
まだ舗装されていない暗いドヤ街だ。
リヤカーの前を横切るのは、日本人相手の娼婦達。
ハイヒールの踵に泥をつけホテルの裏口へ消えていく。
彼女達の一日の稼ぎはクアンの半年分。
クアンはそこに唾を吐く。
ぺッ。
そのホテルの部屋の灯りが娼婦と共に一つずつ消えていく。
ドヤ街の街灯は、チカチカと点いたり消えたりを繰り返す。
玉切れなど直す奴はいないのだ。
その街灯の下。浮かび上がったのは見るからに高そうなスーツ。
こんな夜中にリヤカーの前を横切る男。
(ジャップ。日本人だ)
「ひとつ買わないかい?」
答えぬスーツの男は黙って通り過ぎた。
クアンはその背中にアカンベエをした。
店を終おうと売り上げの小銭を数えていると、向きを変えたそいつが戻って来た。
「一房くれ。いくらだ?」
「売れ残りだ。ノーマネー」
クアンは人懐こい顔で笑った。
「日本人か?いいスーツだな。一度は着てみたい。」
「ハハッ。着てみるかい?」
日本人は冗談のつもりだった。
「ちょっと袖を通させてくれ」
受け取ったバナナを一度クアンに戻すと、渋々ジャケットを脱いだ。
クアンは自分の着ているジャンパーをその男の肩に掛け、
スーツに袖を通した。
クアンはモデルにでもなったかの様に、腐ったバナナを抱え気取ってステップを踏んだ。
仄かに照らす街灯の真下。
「おい!もうそのくらいでいいだろ!」
日本人はもう戻れと手招きをした。
パ~~ン!
リヤカーの上、狙撃されたのはジャンパーを着た日本人。
バナナの荷台に崩れ落ちた。
ジャンパー姿の日本人。薄明かりの街灯。
敵国のヒットマンは
板門店の国境で自軍の幹部を撃った男を探していた。
ようやく突き止めたバナナ売りの男。
クアンは我関せずとバナナを片手に立ち去った。
※今年2021年3月28日に投稿しました詩「異国のバナナ売り」
今度はバナナ売りの目線から書いてみました。
この小説は、彼の地で体験した事と、その国の繊維商社の社長の話を繋げ、一つの小説としてみました。
※詩編「異国のバナナ売り」もご覧いただけたら嬉しく思います。