89 賢者のお仕事/復讐する者
「……正に休む暇も無しね。次から次によくもまぁ重なるものだわ」
王城の一室。
賢者シフルの個室で、部屋の主は届けられた書類に目を通していた。
「祝い事二つ、〔第一王子の王位継承〕と〔王女と勇者の婚約〕は確実に朗報、なのに最後の一つで台無しというか何という間の悪さ……解決するまで二つとも延期は確定。待たされた王女様が、念願叶った喜びも束の間にまた待たされて……可哀想に」
どういう心変りがあったのか、王様への直接報告が終わった直後にかねてから打診のあった〔王女との婚約〕を受けるという意志をタケルは伝えた。
その場に王女自身は立ち会っていなかったが、話は既に伝わっているだろう。
恐らく直後は大喜びであっただろうに、最後の一つで後回し確定だ。
「勇者パーティーに声を掛かる気満々ね……まぁこっちの方は今まさに上が協議中で続報待ちと……準備だけはしておくとして、今先に考えるべきは向こうの事ね」
そう言いながらシフルは、自身の《次元収納》から本を数冊取り出し、速読を始める。
この部屋には、元々備え付けの家具や雑貨しか存在しない。
シフルの私物は全て、自身の《次元収納》の中だ。
ゆえに今すぐ部屋を引き渡すことが出来る程に、この部屋には余計な物や個性が存在していなかった。
「《精霊界》……やっぱりそっちは専門家に任せましょう。後は……〔聖域〕か」
〔聖域〕という自分で発した言葉に、シフルは少々苦笑いをしていた。
「今更故郷が〔鍵〕になってくるとはねぇ……まぁこれであの老人たちのお役目も報われるって所かしらね?」
そう言葉に漏らしながら、シフルは手紙を書き始める。
そして最後に魔法を掛けて封をした。
「目的を考えれば私が同行するのが筋なんだろうけど、余計なゴタゴタをおまけにしたくはないし、申し訳ないけどこれに託しましょう」
その閉じられた手紙は、一度収納へと仕舞われた。
この手紙は後にティアに渡される。
そして今度は、別の紙束に手を付ける。
「こんな時に……まぁこんな時だからこそとは言えるわね。最近の騒動で少なからず危機意識が芽生えたのなら良い事だと思うけど……そのシワ寄せが多忙な私たちの所に来るのはどうにかして欲しいわね」
その大半は勇者パーティーの面々宛ての、貴族や有力者たちからの交流会の招待やお見合いの要望。
交流会はそのほとんどが婚活目的なものばかりであるため、結局合わせて九割方が婚姻のアピールだ。
本人たちが一切受け取らず、結果そのまま毎回シフルのもとに流れてくる。
相手方の面子の問題もあるので、今ではシフルが一度目を通し選別した上で、適当な扱いが出来ない極一部だけが本人たちに手渡される流れが出来ている。
自分は独り身なのに他者の色恋の世話をしなければならないのは非常に不本意であったが、それでも投げ捨てるような事は一切しない。
「一番がタケル。次がレインハルト……」
勇者の人気は言わずもがな。
既に既婚者であるレインハルトだが、元騎士団副隊長の肩書が大きく、甲斐性さえあれば一夫多妻も認められる為に相応に人気がある。
実際の二番人気は第三王子であるラウルなのだが、王族はまた別格の為シフルの手元には来ない。
「流石に私たちの分は無いわね」
勇者パーティーの中でも、外部からの雇われであるブルガーとピピは彼らの眼中に無いようだ。
シフルは変わり者の印象のある"賢者"の肩書に、お堅い印象のエルフ族、そして年齢の都合が重なり、正直彼らよりも更に人気が無い。
両者とも今まで無かった訳でもないが、正に数える程だ。
「メルトの分が綺麗に無くなってるのは、正直者と言うべきなのかしらね……」
家柄もあり、メルトがパーティー入りした直後は大量にお誘いが来ていたものだが、平民落ちした途端にパタリと途絶えた。
笑える程に分かり易い反応だった。
「……フィル宛てのが無いわね。いつも必ず一通、同じ子から届いていたんだけど」
〔巫女〕であるフィルは役職柄でそもそもが対象外になりがちなのだが、それでも一月毎に必ず届いていた一人が、今回は含まれていなかった。
「確かこっちに処分前の先月分がまだ……これね。さて……なるほど、〔ロドムダーナ〕か」
処理だけして処分前であった先月分。
その中からその人物の手紙を取り出すと、送り元には〔ロドムダーナ〕の記載があった。
それが届かなかったという事は、つまりはそういう事だ。
「この山が減るのは個人的に嬉しい事なんだけど、この減り方は喜べないわね」
そう言いながら、シフルは取り出していた手紙を再びしまった。
そして今月分のお見合い案件は全て×が付けられた。
「今はそれどころじゃないって事で……後のこっちは…あら、私宛の〔弟子〕としての推薦状ね」
賢者であるシフルには、お見合い案件よりも〔賢者の弟子〕を希望する手紙の方が多く届く。
賢者シフルには今だに弟子が居ない。
お偉いさん方からは後継を育てるのも賢者の役目としてせっつかれるが、シフルの目に適う者は中々現れない。
「弟子ねぇ……女神様の眷属を引き抜けるのなら手っ取り早かったのだけどね」
女神の使い魔であるヤマト。
魔法使いとしての腕や才能は別としても、彼ほどしっかりとした土台が出来上がっていれば、弟子をして迎えるのも吝かではない。
だが流石に女神の眷属に手を出すわけには行かない。
この国における賢者は、国に仕える最高の魔法使いに与えられる称号。
その弟子は次期賢者候補。
向こうから望んでくるのならばともかく、こちらから勧誘し一国に囲い込む訳には行かない。
「……現状に一段落着いたなら大々的に募集しましょうかね。さて出来たと」
弟子について模索しながらも、きちんと手は動き、魔石の選別と袋詰めは終わった。
その袋を収納に戻して、机の上のベルを鳴らす。
「――ご用でしょうか?」
「みんなとお客様をいつもの所に集めて」
「畏まりました」
呼び出した使用人に指示を出す。
そしてシフル自身も部屋を後にした。
「――ようやくか」
とある町のとあるボロ小屋。
そこには、異界である〔精霊界〕に起きたかも知れない異変をアリア達よりも早く感じ取った男が居た。
「最早命が尽きるまでにその時は来ぬと思っていたが、存外神も捨てたものでは無いようだ」
そしてその老人は、その異変を歓迎していた。
老人は歪んだ笑みを浮かべる。
「……ようやく戻れる。所詮は無駄と思いつつも、蓄えてきたこの力も無駄にならずに済んだ」
老人が笑みを零す度に漏れ出る歪んだ魔力。
「アロンで同族を見かけた時に過った予感は正しかったか。やはり諦めないと言う事は大事だ」
気まぐれで寄ったアロンの町。
そこで数十年ぶりに見かけた同族。
あの時から、何かが動き出す予感があった。
「ここからだと……一番近い非常口はスタドの側か。ふふ」
老人は立ち上がる。
その所作からは見た目相応の老いは全く感じることが出来ない程の力強さを感じる。
「さぁ……全てを取り戻す最初で最後の機会だ」




