88 命の洗濯と分かれ道
「ふぅぅ……ブクブクブク」
「沈んでる沈んでる」
「……ぶは。危ない。久々の風呂で一気に気が抜けてしまった。入浴即睡魔は想定外だった」
「久々って……レイダンの宿にも小さいけど湯船はあっただろ?」
「本当に小さくて、俺の体のサイズでも窮屈だったから必要事項だけ済ませてさっさと出たけどな。馬車旅中は風呂無しの《浄化》だけだったし……てなわけでこんな大浴場は転生後初体験だ」
模擬戦を終えたヤマトとタケルは、揃って城の大浴場に放り込まれていた。
お互いに受けた傷はアリアとシフルにそれぞれ癒して貰い、損傷のある衣服を剥がされてしまった。
「風呂は命の洗濯よっと……」
「それは何かのネタか?」
「〔~天井〕と同じやつだけど、あれ?知らないのか?」
「そのネタだけを知ってるってパターンだよ」
「そかー。なら仕方ないな」
ピピが言うにはタケルも天井ネタの所有者だったようなので、反応があるかと思ったが〔有名なネタだけ知ってる〕や〔元ネタ知らないけどネタは知ってる〕みたいなパターンはそれなりに多いだろうから仕方ないだろう。
「……なぁヤマト。ヤマトは何で〔使い魔〕なんて引き受けたんだ?」
「唐突だな。真面目な話?」
「それなりにな。前から聞いてみたかったんだが、せっかくの機会だから聞いてみようと思って」
「んー、特に大きな理由は無いけど、一番は単純に〔消えたくなかった〕からだな」
断ってもデメリットは無いが、既に死んでしまった自分は断ると今その時の自分自身の記憶や自我が通常転生の為にリセットされてしまうという事であった。
そのリセットがとても怖かっただけ。
「前世は平凡な人生を送った自負はあるけど、そんな〔平凡な記憶や自分自身〕でもやっぱり手放すのには抵抗があったからなぁ……ただの問題の先延ばし、今の人生が終わればどちらにしろ通常転生でリセットコースなんだが、まぁ異世界や使い魔人生ってのにも少なからず興味や好奇心はあったから、断るよりもって感じだったなぁ」
「そんなのものなのか」
「そんなものだよ……そういう勇者は何で引き受けたんだ?」
この際だからとヤマトも聞いてみることにした。
タケルが勇者を引き受けた理由。
死亡して帰る道の無かったヤマトと違い。勇者は生きたまま元の世界から召喚されている。
物語によくあるような強制ではなく、本人の意志を確認した上での完全任意な召喚。
ゆえに使い魔であるヤマトよりも明確な理由があるはずだった。
「俺か?俺は……俺の方は勇者を引き受ける代わりに、一つだけ〔願いを叶える〕って条件だったんだよ。当時の俺には自力じゃどうしようもない悩みを抱えていて、それを解決してもらう代わりに勇者を引き受けた」
願いを一つ叶えた。
悩みを神様に解決して貰う……つまりは神様の力で〔道理を一つ捻じ曲げた〕という事なのだろう。
「あ、実際に何をしたかは女神様側の事情もあるだろうから気になるなら直接そっちに聞いてくれ。――ただまぁ褒められた内容で無いのは確かだな。多分親しい人には怒られるような選択だっただろうし」
そう言いながらタケルは苦笑いをしていた。
「……勇者も大変だなぁ」
「その一言で納めてくれたほうがこっちも気が楽で良いんだけど、正直使い魔のほうが苦労してないか?聞く限りだと休む間も無く色々起きてる気がするんだが?」
「休みはあったよ。途中から大体が怪我の療養メインになってた気もするけど」
思えば前世では経験した事のない規模の大怪我も負った。
それでもこうして五体満足なのはやはり魔法のおかげだろう。
こと外傷の治療においては地球の医療技術よりも上だ。
その反面、やはりと言うべきか精神や病気の面では劣ってしまうが。
「というか、〔休む間もなく〕って事なら勇者の方が多忙なんじゃないのか?」
「まぁ忙しいのは確かだけど、多分ヤマトがイメージしているよりは楽だぞ?本当に大変な所は人任せ……主にシフルさん任せだから。俺はあくまでも勇者らしく己を鍛え、勇者らしく振る舞い、勇者らしく戦って、勇者らしく凱旋してればそれで良いって感じだから、本当に苦労しているのは〔縁の下の力持ち〕な人達じゃないのか?」
「……そんなものなのか」
「そんなものだよ」
そして大浴場に静寂が訪れる。
「……そろそろ出るか」
「そうだな」
二人はそのまま風呂から上がって行った。
「――あ、お帰りなさいヤマト君。お風呂はどうでしたか?」
「やっぱり広いのが良い。広すぎるのも落ち着かないけど、狭すぎるよりは断然良い」
風呂から戻ったヤマトは、部屋で待っていたティアとアリアと合流した。
シフルと三人で話をしていたはずなのだが、既にシフルの姿は無かった。
「シフルさんは帰ったの?」
「えぇ。色々と準備する必要が出来ましたから」
準備……果たした何の準備であろうか。
「それで、アリアの話って何だったの?」
暇潰しの王都散策から戻ってきたアリアは「話がある」と言っていた。
ヤマトは先に治癒とリフレッシュを優先されたが、その間に先にティアの方で確認して話を纏めてくれていた。
「話は二つですね。簡単な方から言うと、『王都に義賊の中の人が来ていた』って事です」
義賊……宝具の鎧を纏ったアイツか。
中の人って事は、義賊としてでは無く〔冒険者ロンダート〕としてか。
義賊が王都にとなれば警戒する事ではあるだろうが、仮にも復興途中の今の王都で義賊が義賊の仕事をするようにも思えない。
単純に冒険者としてか、それともプライベートなのか。
何にせよ軽く警戒はしつつも、大きく何をしなければならない事では無さそうだ。
通報するにしても、もっと明確な証拠が出てなければ動くに動けない。
「そしてもう一つなのですが……ヤマト君、《界渡り》は使えますか?」
《界渡り》。
〔人界〕と〔精霊界〕を行き来するための渡航手段となる限定的な転移魔法。
〔精霊女王の加護〕により使えるようになった〔精霊魔法〕である。
ヤマト自身も何度か使っているため、扱いはお手の物であるはずだが……
「……繋がらない?」
その《界渡り》が機能しない。
厳密には使えそうな感覚はあるのだが、肝心な出口の設定……《精霊界》側に全く反応を感じないのだ。
ティアがわざわざコレを確認させたという事は……
「……〔精霊界〕に何が起きてるんですか?」
「詳細は不明ですが、現在向こう側と接触する事が出来ません」
「私が外を出歩いてる時に、一瞬変な違和感を感じたの。相談したかった話はその事なんだけど、話をしている間に精霊界の気配が完全に途切れちゃって……」
そう語るアリアは冷静であろうとしているようだが、その表情からは明確に不安が読み取れた。
「詳細が不明なため、あくまでも憶測になりますが……以前お話した女神が不在な影響である可能性があります」
以前、レイダンへと向かう途中で目撃した〔竜巻〕。
その際に話をした、女神が眠りに付いた事で自動調整に切り替わってしまった管理システムの取りこぼしによる悪影響。
それが〔精霊界〕に起きているという可能性。
「ヤマト君……今後の事で、少し予定を変更したいと思います」
予定とは、〔四つの鍵〕を持って女神を救うために〔聖域〕へと向かう事を指しているのだろう。
それを変更する。
〔精霊界〕に起きたかも知れない事態は、それだけ大きな事なのだろう。
――そしてティアは告げる。
「ヤマト君、次は別行動にしましょう」
「今までも結構離れてた事ありましたけど」
「それもそうですが、次はもっとです。私は予定通りに〔聖域〕へ……ヤマト君には予定を変更して〔精霊界〕へと向かって貰います」




