267 龍スライム
「――あれは…一体どうなって?」
空舞う龍の背に乗るブルガーとヤマト。
ブルムンドラに運ばれて、次の現場へと近づき…見えて来た景色。
そこに待つのは理解しがたい光景。
「急げブルムンドラ!」
「グルゥ!!」
視界の先に見える光景には、とてもとても大きなスライムのような物体があった。
色合いや透明度、更に視覚的な触感からスライムと判断しているが本当にスライムなのかは怪しいところであり、鑑定が無ければ信じられないところ。
何せそのスライムは信じがたいほどに巨大。
龍の体よりも大きく膨らんだ姿。
しかもその中には…透けた体の内側には本物の龍が内包される。
「あ…クソ!?」
そんな異変を視界に捉えて加速したが…手遅れ。
その内包された龍の体が消え去った。
恐らくはスライムに捕食され、たった今消化されてしまったのだろう。
「な…あれは、なんの冗談だ?」
しかも驚くべきはここからの変化。
龍を捕食したスライムは、その大きな体の形状を変えてゆく。
基本的に丸型の愛らしい姿が…今は龍の姿に変貌した。
「翼…まさか!ブルムンドラ!!」
「グガルゥゥ!!!」
更にその龍の姿で翼を広げ、飛び立とうという意志をあからさまに見せた龍スライム。
ただでさえ厄介この上ないスライム、それも未知の変貌を遂げた姿で空を舞台とされれば惨事。
その頭を抑えるべくブルムンドラは無理して加速し、その上を捉えた。
そして龍の炎を叩き込んでいく。
「絶対飛ばせない!」
「《轟雷》!!]
勿論地上から龍人たちも龍スライムに攻撃を叩き込み飛翔を止めるように動いている。
するとヤマトはそんな彼らを巻き込ぬように、スライムの背の中心にピンポイントで雷を叩き込む。
「…魔法耐性は変わらないか。でもないよりマシ!」
当然相手は例のスライム。
魔法にはめっぽう強い体質は龍の姿でも健在。
いや、むしろより強固になったように感じる手応えのなさ。
今のこれでは前回は個体一つを犠牲に防いだ威力の魔法すらも、直撃を良しと判断されるかもしれない。
それでも、ダメージにならなくてもブルムンドラの火球の隙間を埋めるように嫌がらせの雷と叩き込んでいく。
「これは…もしかして…いやでも…飛べてない?」
しかし何やら様子がおかしい龍のスライム。
上と下からの圧が飛翔の邪魔をしているようにも見えるが…どうやらそもそも飛べる気がしない。
その違和感は地上でも察したようで、別の意味での動揺が伝わっていく。
「当然です。どれだけ形を模しても、スライムには龍の飛翔に必要な性質が備わっていませんから。龍は何も物理的な翼や筋肉の力だけで飛んでいるわけではありませんから」
「魔法的な要素は真似出来てないのか、あれ」
ティアが顔を出して分析を伝える。
龍の形をしたスライム。
それはあくまでも龍の形をしてるだけであり、その能力をまで手に入れたわけではない。
あくまでも真似っこ、その内面が伴わない。
龍が飛ぶには物理的な力と魔力的な力の両方が必要。
龍という存在は無自覚の自然体で《空を飛ぶ為に必要な補助魔法》を使用し続けているのだ。
形だけ真似て物理的に再現しても、魔力的部分が全く伴っていないあの龍スライムはいくら頑張っても龍のように自由に飛ぶことは出来ないようだ。
「…それでも足掻くのか」
飛べないのだと皆が理解した中で、しかしそれでも龍スライムは飛ぼうとする。
翼を動かし風を起こし、意地でも空へという気概を感じる。
もはや空からの妨害が止まっている中で、あくまでも攻撃ではなく飛翔を試み続けるその姿。
地上の龍人たちも警戒はそのままに、妨害の手は緩めていった。
「すいません降ります!」
「あぁ分かった!」
そんな光景を前にしてヤマトはそのままブルムンドラの背中から飛び降りる。
空中からの自然落下。
魔法を使えば簡単に着地も出来るが、今は相方に任せる。
「…と、もう!横着しないでよ!」
「ありがとうアリア」
その体は合流したアリアが受け止め支えて地に降ろしてくれる。
近づく気配でその存在を把握していたヤマト。
合流した相方の精霊に着地を任せた。
「無事でよかった…というほど無事な体でもなさそうね」
「まぁ動けるから大丈夫」
「全く…」
そして二人はそのまま地上の龍人たちの下へと合流する。
「ブルムンドラから降りて来たのは貴方でしたか」
「お疲れ様です。早速なんですが…あれは何がどうなってあんな事に?」
早速尋ねる目の前の光景。
とても大きなスライムについての質問。
龍スライムが飛ぶために足掻き続けて、結果としてこちら側に余裕が生まれた今のうちに経緯を確かめる。
「…討伐は順調で数も確実減っていたはずですが…残るは数体となったところで、その個体が突然膨張し始めた」
スライムは順調に狩っていた。
しかし残る僅かな個体が、唐突に膨らみ大きくなった。
大型のスライムとなったそれらは対峙していた龍人を丸々飲み込み捕食する。
するとまた少し膨らんで、より強固になった大型スライムは更に何人かの龍人を捕食。
更に膨らみを…数回繰り返した。
「そうして大きくなったスライムたちからこちらは一度距離を取った。すると今度は残ったスライム同士で共食いを始めたんだ」
これ以上食われてたまるかと、一度距離を離してスライムたちと対峙した。
すると次にスライムが捕食したのは同族であるはずの別のスライム。
共食いが始まり、それによって残った最後の一体は更に膨張。
先ほど目にした巨大スライムへと変貌したようだ。
「で、その巨大スライムに向かっていった龍の一体が…先ほどの有様に」
そして今度はその巨大スライムに龍が一体捕食されてしまった。
本来の龍ならそんなヘマもせず、仮に捕まりそうになっても抵抗は出来ただろう。
しかし結界が消えた後も消耗した力が戻るという言う訳もなく、かなりの疲労が残る状態で無理を押した結果が…無念にもスライムの餌食になったようだ。
すると龍を喰らったスライムが、龍人が喰われた時とは異なる変化を見せて龍の姿になった。
それが今の状況に繋がる…のだがその挙動は龍には程遠く。
「生存本能に基づく強制的な強活性化。いわゆる死に物狂いですね」
するとティアが語る更なる分析。
窮地のスライムが生き延びる為に最後のあがきを決行した。
失敗すれば自滅崩壊の行動。
だがその結果は大成功で、龍人を捕食したことで再び増えるためのエネルギーを獲得した。
「ですが数だけでは勝てないと判断したのでしょう。増やすではなく自身の強化、巨体化へと方向性を傾けたようですね」
本来はそのエネルギーを分裂に投資する。
しかしただ数を増やしただけでは勝てないとスライム達は判断した。
ゆえにそのまま捕食を続け得たエネルギーを自身の膨張へ活用する。
だが…龍人たちが距離を取り慎重になったことでその自己強化が滞った。
「それでより強くなる為に共食いを、リソースを一つに固める選択を選んだ」
そうして生まれた巨大スライム。
そして空舞う龍にも手が届き、そのまま捕食する。
「そして捕食した龍の姿へと…何故変わる事にしたんでしょうか?」
その大元の行動理解は出来たようなのだ、ティアにしても何故スライムが龍の姿を模したのかまでは分からないようだ。
形が龍になっても龍の力は手に入らない。
むしろ本来の無機質で省エネな型よりも今の姿の方が燃費は悪くなるし行動の応用も効かなくなる。
更に巨体になったことで素早さも失われ、鈍重で的の大きなやりやすい相手になった。
とはいえ、その防御性能は健在…むしろそこだけは明確に増している様子だが。
「…憧れた、とかは?」
「ん?」
するとその推測を提示したのは龍人のひとり。
この場を指揮する隊長の側にいた副官から聞こえた声。
あの龍スライムが龍の姿を模した理由の提示。
「龍に憧れて、龍の姿になった?」
それはとても感情的なもの。
利害も何も関係なく、スライムが龍の姿を模倣したのは憧れからくる衝動なのではと。
「龍に憧れたスライムって…アリ?」
「分かりません。ですが…憧れならば龍を模したことも、こちらに構わず意地でも飛ぼうとしている事も分からくはな…ないかもしれません。言ってて奇妙な感じにも思いますが」
かなり突飛な発想だが、そもそも女神の小人にも理解出来ない行動現象な以上は感情的に捉えるのも手立てとしてはありかもしれない。
だからと言ってそれで何かが解決するわけでもないのだが。
「その憧れのおかげなのかは分かりませんが、いずれにしろ今こちらは休む間、考える時間を得られている。警戒は継続しますが今の余裕があるうちに、あれを仕留める手を考えねばなりません」
龍スライムが飛翔にこだわり、守り手側に幾分か余裕が生まれた状況。
今のうちに僅かでも体を休め備え、龍スライムを倒す為の案を模索せねばならない。
「正直、決定打がまるで足りません。あの大きさになって今までのような狩りは通らなくなりました。鈍重になったので実は厄介さはマシになっていますが…とにかく頑丈で頑強。あっちが何もしてこなくともこっちも抑えるしか手がない状況です」
元々魔法は殆ど効果がなく、限られた手段も巨大化のせいでとんでもなく非効率なものに落ちた。
巨体の龍になってから機動力がだだ落ちしたようにも見えるが、頑丈さは増してアレを倒す術が本当に見当たらなくなっている。
「ゆえに…我々は切り札を切ることも考えねばなりません」
ゆえにこそ、龍人たちは秘された《切り札》を、奥の手を切る選択も迫られたのだった。




