260 ナイトメア
【ナイトメア】と呼ばれるその存在は、明確な正体は明かされていない。
魔物なのか、魔獣なのか、精霊系統の種族なのか。
専門の研究者も居たがその核心に辿り着けた者は未だいない。
だがそんなナイトメアの知名度は高い。
何せおとぎ話、童話の中に登場する"恐怖の対象"として子供の頃から認知される定番存在であるからだ。
その性質は単純に〔周囲に悪夢をばら撒く〕。
悪夢と言えばナイトメアと、その存在は人々に恐れられる。
「――勇者パーティーの戦い方としては邪道もいいものだし、何より味方も巻き込むから本当は使いたくないんだが…」
そんなナイトメアを召喚した主のブルガー。
想定外の出来事で縁を持ってしまった、正直手に負えない存在。
ただ存在するだけ、そこにきちんとした意志があるのかも分からない。
だが契約を結べる時点で生命としての根幹はあるはず。
はずなのだが…未だに何も理解出来ないこの存在を持て余しつつも、時折頼らねばならない自身の不甲斐なさにも情けなくなる。
「で、やっぱりこの悪夢か…」
そして彼が今見るのは味方として召喚したはずのナイトメアによる悪夢の上映会。
敵味方問わず範囲内の全員に〔悪い夢〕を追体験する形で見せられる。
それは召喚者すら例外ではないという厄介さ。
『――母さん!…母さんを助けに来たよ!!』
そして悪夢の中、ブルガーはいつも通りの悪夢を見せつけられる。
正確には当事者として、強制的に体験させられる主人公となる。
『…ブルガー…何故、なぜもっと早く帰ってこなかった!!!』
『え…母さん?』
ブルガーは母を助ける為に、掟を破って外に出た。
その後無事に救いの手段を手にして故郷に帰還し、その手段を使って母親を救う事が出来た。
それが現実の、正史の出来事。
だがこの悪夢が見せつけるのはバットエンド。
〔救えなかった未来〕を、ブルガーが救いの手段を見つけて帰って来たものの、時すでに遅かった可能性の未来を見せる。
「…いつもこれだ。しかも…現実は上手く行った、これはあくまでも悪夢の夢と…わかってる俺ですら…クソッ」
ナイトメアの見せる悪夢には二種類存在する。
一つは〔現実に存在しなかった悪夢〕。
現実の出来事をベースにして、リアルな作り話を見せつける。
一つは〔現実に存在した悪夢〕。
かつて経験した地獄を再び見せつけられる。
幸運な事にブルガーには、現実の悪夢に該当する記憶や経験は存在しない。
ゆえにこそ彼には"可能性の出来事"を当事者としてリアルに見せつけられる。
これが悪夢だと、夢だと知ってるブルガーですら抑えきれない動揺。
見たくなかった世界、見る必要の無かった世界、回避したはずのバッドエンドの先を追体験させられ、それは分かっていてもジワジワと心を蝕む。
夢だと割り切らせてくれない、ナイトメアが見せる悪夢にはそれだけの説得力を帯びている。
『お前がもっと早ければ…いや、そもそも掟を破らなければ…』
『お母さん、ずっと貴方の名前を呼んでたのよ?会いたいって…最後までずっと』
ブルガーの見る悪夢は最悪の失敗。
一歩間違えれば現実でも起こりえた、直ぐ隣にあった可能性。
掟を破って求めた救いが、間に合わずに全てを失った自分。
母は救えず、残ったのは掟破りの咎と失敗者としての失った信用の負債のみ。
故郷での立場も、家族からの信頼も、そしてその末には相棒との絆もなくす。
「…これはあくまでも夢。現実の俺はちゃんと救えた。分かってるのに…」
分かっていても抗えぬ焦燥。
見知った人々の落胆と悲しみ、失意や恨みの表情。
『そう、間に合わなかったのね…残念だわ』
そして時は進み、居場所を失くして逃げるように龍界を去ったブルガーが辿り着いた勇者パーティーの地。
恩人となるはずだった賢者シフルのもと。
ここからブルガーはただ一心に、現実を忘れるように勇者パーティーのメンバーとして人々を救う行為に全てを捧げる未来が映し出される。
「…悪夢が終わらない?まだ先があるのか?」
実はいつもならこの辺りで目が覚めていた。
この現実逃避的なパーティー活動の末に自身の自滅的な終わりを迎えるエンディング。
だが今回は目覚めず、悪夢はまだその先へと進む。
『ブル…ガーさん…ごめんなさい…』
「メルト!!?」
そこで訪れたのは更なる別れ。
自分の死よりも先に向かえた、仲間であるメルトの死の時。
「みんな…なんで俺だけ残って…」
そして続く仲間たちの死とパーティーの壊滅。
自分一人を残して、召喚契約を結んだ者たちも全て死に絶え、たった一人で死地に取り残されたブルガーの姿。
「全部…無くなった…世界も」
そうして最後に訪れるのは崩壊。
孤独に堕ちたブルガーは、たった一人で世界の終わりを見届ける。
人の国も、龍界も、この世の全てが終わる中で最後の観測者となった。
「――なげぇえよ…やっと終わった…くっ」
そんないつも以上に長く重い悪夢を見せられたブルガーは目を覚ます。
現実においてはほんの数秒。
だが当人のとっては長い夢の時間。
悪夢は終わりブルガーの目覚めは、同時に敵であるシラハの目覚めでもある。
「あいつは…」
「………」
強烈な悪夢は人の心を傷つける。
そんな心へのダメージは体も弱らせる。
自滅にも近い形で疲労困憊のブルガーは、その視線を敵へと向けると、そこには呆然とするシラハ。
彼もまた悪夢に取り込まれ、そのダメージを露わにしていた。
ただの悪夢ではなくナイトメアの悪夢。
その心へのダメージは、人によってはそのまま廃人に貶める事もある。
「動けないなら今の内にトドメを…」
「まもる」
「!?」
自失状態のシラハに、トドメを刺すために重たい体を動かすブルガー。
しかし感じたその重圧に身を強張らせる。
「…ころす、ころす、かならず…ころす!!」
「これは――」
次の瞬間、周囲の空気が重く深く沈んでいく。
何か目に見えて変わったわけではない。
デバフの影響も今までと変わらず。
しかし…ブルガーは致命的とも言える何かを感じ取る。
「…【風花】!【水蓮】!」
急いでブルガーは新たな召喚を行う。
だがその召喚は…不発になる。
「はぁ!?妨害された?発動はしたぞ!?」
魔法自体は正しく発動し、何のミスもなく行使された。
だが対象が呼び寄せられる前に、召喚魔法そのものが崩された。
「もう一度…ダメか。これは魔法解除?いやそんな空想が現実に…デバフ?魔法現象に対する弱体化・劣化で魔法そのものを実質的な無効状態に貶めた?」
その分析を行うブルガー。
繰り返した召喚も不発となり、その推測に行き着いた。
相手の力がデバフだという前提のもとでの突飛な思考。
本来は生物のステータス低下現象であるデバフが、発動済み魔法に干渉して魔法の低下・劣化からの自壊を促したのではないかと。
それは幻の《魔法解除》にも近しい結果を生み出す応用。
厳密には別物ではあるが、発動済みの魔法が消されるという点では同一と言えるその技。
「まさか…さっきの不自然な無敵さも?」
雷虎炎虎の一撃を無傷で退けたあの一件。
放った魔法攻撃自体を消されたのなら無傷も頷ける。
だがそれは本当に一瞬、連発していないことを考えれば一撃限りや制約のある使い方だったはず。
「それを連発…またか。無差別な使い方をしているのか」
何度やっても召喚を消される。
あるだろう制約を無視した無差別無効。
シラハをよく見れば、鼻から血を流し目を血走らせる。
「反動無視したお怒りモード。こりゃ虎の尾を踏んだか…」
ナイトメアによる悪夢。
それはトラウマを刺激する絶大な引火装置ともなり得る。
敵であるシラハが何を見たのかは不明だが、彼に見せたその悪夢は完全に裏目になったようだ。




