247 凍らぬスライムとデバフの性質
「――ここは?」
「港の外。もう少しじっとしてて。まだ癒してる途中だから」
ボンヤリとしていた意識がゆっくりハッキリと戻り出したヤマト。
最初に彼の目に映ったのは相方の精霊アリアの姿。
そして彼女よりも近い位置で、負傷したヤマトの体を癒している龍人。
「ここまでですね」
「ありがとう。ここはもう良いわ」
「では失礼します。残りは事が落ち着きましてからまた」
「ええそうね」
そうして治療を終えた龍人は、そのままこのテントを去っていた。
ヤマトの傷はほぼ癒された。
全快とまでは行かないが、この後の行動にはひとまず支障はないほどには。
「…ここは?」
「仮設の前線基地ってところかしら?その中のテントの一つ。とりあえず外に出ましょう」
そうして傷をおおよそ癒したヤマトは外へと出る。
するとそこは港を離れた場所。
港の洞窟と龍人の集落、その間に広がる平原。
そこに既に仮設のテントなどが並び、視線の先の遠くには龍人達の集団も見える。
「あれって…港の洞窟?凍ってるのが」
「えぇそうよ」
そして視力を強化して、更に遠く視線の先に見つめるのは氷の塊。
船の港として使われていた巨大な岩の塊は、港の洞窟を周辺事丸々氷漬けにされていた。
ヤマトらが利用していた陸地側の入り口も、完全に氷の内側で封じられている。
「救助優先で構ってる余裕はなかったから全部凍らせて時間稼ぎしたのよ」
その洞窟の氷結はアリアによるもの。
アリアの十八番《氷の世界》
ヤマト達怪我人を保護した後に、追手を邪魔して諸々の問題に対して同時に時間稼ぎが出来る手として港も諸共凍らせた。
「私達の船や船長、船員たちは船を守るために海に出たわ。何でもこういう問題が起きた時の為の臨時停泊所みたいなのがあるらしいからそっちに船を運んでる最中ね」
港に停泊していたラッシードラゴン号。
ヤマト達が乗ってきた、そして帰りの船は騒動の最中で一足先に海に逃げ出していたようだ。
向かうのは避難先となる停泊所。
港に比べれば整備用の設備はほぼないに等しいが、船の一時避難所としての利用には不備はない場所らしい。
「つまり皆無事?」
「えぇ。怪我したのは貴方たち三人だけ。他の二人はヤマトよりも軽傷だから、もうそれぞれの仕事に戻ってるわ」
「ふぅ…良かった」
あの騒動、結果として死者はゼロで負傷者はヤマト達の三人のみ。
その三人も治療済み。
犠牲なしの結果に安堵する。
「…シラハはまだ中に?」
「えぇまだ中のはずよ。スライムもね」
そうなると気になるのは騒動の中心人物。
エルフのシラハと、後は謎のスライム達。
「あの氷結、エルフの足止めもそうだけど、そもそもスライムへの時間稼ぎが一番の目的なのよね」
「あのスライム…何が起こったの?」
「私の氷の檻を食べて壊し始めたの」
「あ、うんそこは聞いたな」
「で、私の直感として、これは普通のスライムじゃないと思ったの。だから独断で悪いけど拘束じゃなく殲滅するつもりでボロ船丸ごとを《氷の世界》で凍らせたのよ。でも…船は凍ったけどスライムは全く凍らなかったのよ」
「アリアの魔法で凍らないスライム?」
最初の対処は、船丸ごとを巨大な氷に閉じ込める手。
これはあくまで相手の動きを縛る目的の魔法だった為、対象のスライムは当然無事。
だが身動きは取れず、スライムの力でアリアの氷を壊すことも出来ないはずだった。
しかし結果は、まさかの食事。
自身を囲む氷を手当たり次第に食べ始めたスライム達。
この異常性に直感を働かせたアリアは了承を得ないまま独断で殲滅に切り替えた。
スライムを完全に凍らせて殺す。
凍らせる、という概念の魔法は実は相手が強者であるほどに効きにくくなる類の魔法ではあるのだが、最弱と言われるスライムが対象であるなら即死魔法ともなり得たはずだった。
だが謎のスライム達は一切凍らずに、そのまま何食わぬ顔で最初の氷の檻を食べ続けたのだった。
「それだけ強いスライム…って言うのとはちょっと違う感じだった。多分氷結耐性がやたらと高いってお話なんだと思う。なんにせよ凍らせて殺すことは出来なかったから、次の手を考えてた時に…船長が逃げて来たのよ」
そんな凍らないスライムへの次の対応を考えていた時に、アリア達のもとへと戻ってきたのは逃げてきた船長だった。
そこでシラハ騒動の始まりを聞き、その後にヤマトからデバフ情報がもたらされ、その場の判断で船長たちは即時出航して海へと逃げた。
だがアリアはその船に乗らず、一人でヤマト達の救助に向かい、デバフの影響を受けながらも三人の保護に成功してそのまま港の洞窟そのものから出て行った。
「で、その逃げ道で洞窟全部を凍らせた訳。流石に謎のスライムとあのエルフの対処を怪我人抱えながら私一人では無理な話だったから、時間稼ぎも兼ねての足止め策ね。どうせどっちも凍ってないから」
そして出来たのが視線の先の凍る洞窟、氷のオブジェだった。
あの中にはまだ凍らない謎スライムと、デバフのシラハが閉じ込められている。
「だけどあのスライムが氷を食べるなら、出てくるのも時間の問題だけどね」
しかし氷を食べて壊し外へと向かい進めるスライムが居るなら、文字通りあれは時間稼ぎにしかならない。
だがその稼いだ時間で、こうして龍人が包囲網を構築できるのだから儲けものである。
「と…そういえばティアは」
「ご、ごめんなさい…肝心な時に役立たずで」
「あ、よかった。起きてたのか」
そんな光景を前にして、ふと気になったのは小人ティアの存在。
騒動時点では休眠状態にあった省エネ分体。
申し訳なさそうにヤマトのポケットの中から姿を現した。
「もしかして、起きなかったのはあのデバフの影響?」
「…おそらくは」
実を言えば眠っているティアとは言え、緊急時には強制的に起きるようになっていた。
ゆえにあの騒動の場において、本当ならティアも起きて対峙していたはず。
しかし肝心の場面においても眠ったままだった。
「私の覚醒よりも、ヤマトの保護や負担軽減が優先事項に組み込まれています。簡単に言うと、デバフを受け弱くなった状態では、私の維持すらも足手纏いになると判断されたのでしょう」
省エネ分体とは言えど、その根幹は僅かながらもヤマトがコストを負担することで維持される。
要するにティアが起き続けている限り、ヤマトには微小ながらも負担と消費を強いることになる。
それは健常時には何も問題はない範疇。
だがシラハの謎のデバフの力によって弱くされたヤマトには〔看過できない負担〕だと、ティアの中のシステムが自動判断したようだ。
結果として、緊急時には起床する仕組みをカットしてまでも、ヤマトの負担軽減が優先されてティアは起きれなかった。
ましてその後の負傷においては、文字通り僅かな負担すらも命取り。
そういう意味では正しい判断だったかもしれない。
「…むしろそこまで弱くなってたのか」
「停止中だったの正確な数値は出せませんが、この安全装置が働いたという事は相当に…」
騒動の最中は眠っていたティアには正確な情報は出せない。
しかしそのシステム的に、ティア自身が起きれない状態になるのは相当に弱くされた証拠になる。
女神の使い魔として用意された肉体、そのスペックが激減されてただ一方的に倒され殺されかけるほどの下げ幅。
「あ、そのデバフの事なんだけど、あれってもしかして個人差あったりしない?」
「え?個人差?」
するとアリアが唐突に、そのデバフに対する疑問を投げかけた。
彼女自身も実際に、シラハのデバフを受けた身。
ゆえにこそ感じたその違和感。
「個人差…あるかもしれない」
ヤマトはアリアのその言葉に気づく。
尋問部屋でシラハに対峙したのはヤマト、メルト、龍人の三者。
ヤマトは女神の使い魔としてある種特別製の肉体を持つ。
対してメルトは鍛えた体とは言え根本的には真っ当な人族。
そして種族として強靭な体を持つ龍人。
ヤマトは魔法職ゆえに比較しにくいが、シラハと近接で対峙したメルトと龍人は元々肉体の差があるはずなのにヤマトの目にはあの戦いの中で、二人が同格に見えた。
勿論ヤマトが冷静に見れていたのは僅かな間だけだったので情報が少ない。
しかし…アリアの疑念は、聞いて見ればヤマトも感じるものとなった。
「個人差、デバフの減少幅が人によって違うという事ですか…となると固定ステータスの類ですか」
「すてーたす?」
「と言ってもアリアさんには分かりにくいかもしれませんね。とりあえずお兄ちゃんに分かりやすく言うならば、デバフを受けた全員が同じステータスにまで下げられるんです。元の数字に関係なく、全員が同じ数値に」
ステータスという概念が一般的ではないこの世界ではわかりにくい表現。
しかしヤマトには分かりやすい。
例えば元々の筋力値を数値で表した場合に、筋力120、筋力100、筋力80の三者が存在したとする。
彼らがデバフを受けた結果、仮に全員の筋力が50に固定されてしまうとする。
その場合、一人は70のダウン、一人は50のダウン、一人は30のダウンになり、筋力の下がり方に個人差が生まれる。
このデバフを受けた全員が、定められた数値へとステータスが強制的に固定される。
当然それは筋力に限らず、肉体の基本的なスペック項目すべてに影響する弱体化。
「つまりシラハのデバフ範囲に踏み込んだ人は全員、全く同じ強さに固定されるってこと?」
「あくまでも下がる分には、弱い人が強くなることはないと思うので全員が全く同じにはならないでしょうが」
弱い人を固定化によって強くすることはない。
弱い人は弱いまま。
あくまでも固定数値よりも強い者達が強制的にその数値へ均される。
「これ…この世界の普通にはあり得る力?」
「ほぼないですが…こう、魔王クラスの突然変異があったならば可能性はゼロではないかと」
その力はこの世界の常識からはあまりにもかけ離れたもの。
一種のゲーム的な性質、だからこそ大元が推測しやすい。
シラハが得た力が、それこそ魔王勢力に由来する可能性。
「幹部、七大罪…そっちの方の力ってことになるのかな?」
「一番の有力候補は」
「はぁ…また頭の痛い…」
魔王勢力の幹部"七大罪"。
この世の常識を逸した存在の魔王によって力を与えられた者達。
以前に出会った"憤怒"は、怒りの感情を全て力に変えて法則無視の強大な力を手にして暴走させ、手に負えない化け物になった。
それに匹敵するような力を、シラハが授かった可能性、この理不尽な強制デバフの力ではないかという推測。
鑑定の眼にもそれは視えていなかった。
しかし…事実なら、この騒動はより重い道行きを歩むことになるのは目に見えていた。




