219 海の脅威
――ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュン
海を行く船の上で鳴る音。
船員たちが振り回す道具から鳴り、周囲に響く音があった。
「おぉー。綺麗に散っていくわね」
すると見上げる空を飛んでいた鳥たちの群れが船の上から去って行く。
船員たちが振り回すのは一種の〔虫笛〕。
鳴る音は海鳥たちの嫌う音。
嫌な音を聞いてその音源である船から鳥の群れは去って行く。
「で、これでまぁ安全なわけ?」
「少なくとも巻き込まれる心配は減ったんじゃないかな」
何故こんなことを?と言えば勿論危険を未然に防ぐため。
鳥を追い払うと聞けば勘違いするかもしれないが、厳密に言えばあの海鳥たちに危険はあまりない。
では何が危険なのかと言えば、あの海鳥たちを狙う海洋生物。
「うぉ!?相変わらずえぐい速度出てるなぁあいつらは」
「ちょっと遅かったらこっち来てたかもな。怖い怖い」
船員たちのその言葉に反応し視線の先を見る。
するとそこでは今しがた離れた海鳥たちが、問題の海の生物の餌食になっていた。
海中から勢いよく飛び出し、そのまま空を舞う鳥を角で串刺しにして海中に落ちていく。
魚ではなく鳥を主食にするそれらは集団で飛び出して、群れを次々串刺しにしてゆく。
船の上を飛ぶ鳥を急いで払ったのは、あの狩りの巻き沿いを喰らわぬようにする為。
あちらも事故は回避する知能はあるのでいきなり船底に突っ込み穴を開けるようなことはないのだが、獲物めがけて飛び出した後の自由落下の際に、船が近いと誤って船の上に落ちてくることがある。
それも角を立てた状態で降ってくる危険物。
勿論角付きが降って来たところで船員により弾くも撃ち落とすも出来るだろう。
だが何事も万が一がある。
ことが起きる前に予防を、音を鳴らすだけで問題が回避できるのならそれが一番楽なのは確かだ。
「――これ、今のところは順調ってことでいいのかしら?」
「そうだね。遭難者の保護とか想定外はあっただろうけど、トラブルや戦闘も今のところないし」
不足の事態はあったものの、危機的状況に陥ることはなく。
この世界における船旅のリスクを鑑みれば平穏無事に進む航海。
「――ん、この音は…!?」
だがことが起きたのは航海三日目。
就寝中だったヤマトは緊急を知らせる鐘の音に起こされる。
すると直後、船が一番の大揺れを起こす。
「アリアは上に!」
「りょーかい!」
慌てて割り当てられた部屋を出て、二手に分かれるヤマトとアリア。
アリアは上、甲板に。
ヤマトは護衛対象の王女の部屋に。
それぞれ向かうが…船の揺れはその間も更に増して走るのも危うく揺れる。
「ヤマトさん!」
「王女様は?」
「無事です」
何とか目的の部屋に辿り着いたヤマト。
するとそこには既にそよ風団の三人、王女の側近も勢揃い。
「今メルトさんが船長のところに…わわ!?」
「おっと」
会話の最中も大きく揺れる船に、バランスを崩したヒスイの体を支える。
「あ…ありがとうございます」
「危ないからどっか捕まってた方がいいよ」
「はい…」
その後もひたすら揺れ続ける船。
そこに戻ったメルトが事の次第を伝えた。
「――〔魔の渦〕。よりによってここで、ですか…」
伝えられた言葉に深刻な表情を見せる王女リトラーシャ。
この騒動の原因は正にその〔魔の渦〕の出現によるもの。
航海の中でもっとも出会いたくない災厄の出来事。
この海で一番危険なのはクラーケンでもシードラゴンでも鳥でもなく角付きでもなく純粋な自然現象。
それも嵐など日にならない危機。
「〔魔の渦〕は渦という言葉通り、海に出来る大きな渦のことです。ですが問題なのはその規模が並々ならぬものでして…しかも場所や時期を問わず唐突に発生する予測不能なその渦は、これまで多くの船を飲み込み沈めて来たと聞いています」
渦巻き海に大穴を空け、まるでアリ地獄のように引き込む船を丸のみにして海の底へと沈めていく自然の大渦。
この世界の海で最も危険な現象らしい〔魔の渦〕。
予測も出来ずに唐突に生まれ、気が付いた瞬間には渦の勢力下で危機に瀕する迷惑な現象。
「ただいまー」
「アリア。話は聞いたんだけど干渉できる?」
「私の力の範疇を超えてるわね。なんだっけ?焼け石に水って言うのかしら?」
更に甲板から戻って来た精霊アリア。
彼女は水の上位精霊。
海は海水とは言え水のフィールドだ。
水の精霊には得意の場。
だが…〔魔の渦〕と共に荒れ狂う海の水は、水の上位精霊の干渉も及ばぬほど強い力で渦巻いている。
アリアが力を目一杯振るったとしても渦巻きは鎮まらない。
精霊は自然の化身とも言われるが、自然の本気にまでは力は及ばない。
及ぶとすればそれは精霊王の領分だかその存在は精霊界と共にあり、こちら側でその力が振るわれることはないだろう。
「船は今、魔力厭わずに全力を出して渦からの脱出を試みてるみたいね」
今、船は魔力の残量を気にする余裕もなく渦の勢力下からの脱出の為に全力で消費されている。
何もしなければ渦に飲まれてあっという間に海の藻屑。
だが今は抗い続けることでほんの少しずつではあるが、渦の中心から離れていっている。
しかし効率度外視の力任せな抵抗・脱出への道は…このままだと渦から脱する前に魔力が尽きてガス欠するのが先になる。
「貯蔵と船員の魔力だけじゃ足りない。それでヤマト達に――」
「あぁお仕事か…分かった。王女様!すいませんが私とタリサは」
「えぇ、こちらは構いませんので行ってください」
ゆえに臨時の魔力要員として声を掛けられていたヤマトと、そしてタリサにも声が掛かる。
「行こうタリサ」
「はい!」
本来は王女の護衛役の二人だが、緊急時ゆえにその役目よりも魔力タンクとして動き出す。
「――ふぅ、どうやら何とかなったみたいだな」
「ぜーはー…ぜーはー…」
そして文字通り窮地を脱した船。
抗い続けて何とか魔の渦の海域から脱出し、ようやく平穏な海に戻ってきた。
ただしその代償に、言葉も発することも出来ずに呼吸の音と動き以外のリアクションが消失するほど疲れ切った床に転がる船員の姿があった。
「タリサ、大丈夫?」
「あー…うー…」
彼らと同様に、声にならない声で返事する少女タリサ。
魔力を使い果たし倒れる生きた屍たちの死屍累々。
渦からの脱出の為に、この船にある魔力を惜しまず投下し続けて船を救った英雄たちは魔力をほぼ空にして限界を迎えていた。
「こいつらぶっ倒れてるのに、平気なお前さんはどんだけ魔力持ってんだ?」
「まぁ…人並み以上には」
たった一人、疲れつつも二足でしっかりと立つヤマトに、当然飛んでくるその言葉。
久々に"魔力馬鹿"の名を意識する出来事。
これでも五つある魔力の供給口の一つを占有し、他が交代しながらなのに対して一人だけずっと注ぎ続けた。
にも関わらず、船員たちが次々倒れて次に場を譲る中でヤマトは終わりまで立ち続けた。
周りに驚かれるのは当然の反応。
「なんにせよお前らよくやった!褒美は後でくれてやるから、仕事は残りのヤツラに任せて今はゆっくり休みやがれ!!」
「言われずとも…そうし…ぐぅ」
「………」
――こうして船は最大の窮地を逃れ、再び真っ当な海を進んでいく。




