118 契約の魔法
「――本当にお一人で向かうのですか?」
「あくまで先行するだけよ。事自体は貴方達と合流してから動く。私はその時の為に下調べを先に済ませるだけ……それに、一応は一人でも無いわよ?」
「そうよ。まぁ貴方達に信用されてないのは当然だとは理解してるけど、この〔首輪〕に誓ってご主人様は絶対に守り通すわよ。私の事は信じられずとも、〔賢者の魔法〕は信じられるでしょ?」
心配するレインハルトにそう答える賢者シフル。
そしてその後ろに立つのは、武骨な〔首輪〕を付けた魔人アデモス。
その首輪は奴隷の証。
シフルを主とし、アデモスをその奴隷として使役する契約が両者には成されている。
「……魔人アデモス。もしもシフル様が――」
「もう、皆まで言わずと分かってるわよ真面目な騎士様。ご主人様に何かがあればそもそもこの首輪が黙ってないわ」
奴隷契約にもランクが存在する。
一般的な借金奴隷は下位、国の抱える犯罪奴隷は中位。
それぞれ誓約や罰則の重さが異なり、罰則により命を奪う事が出来るのは中位以上になる。
その中で今回シフルとアデモスが交わした契約は上位。
一般には手法そのものが出回っておらず、その術を知るのは国の中でも一握り。
そもそもが効果が効果だけに、禁術にも等しい扱いをされている代物として秘されているもの。
行使そのものにも入念な下準備を必要とする、分類としては儀式魔法に類される大掛かりなもの。
賢者だからこそ知り得て、尚且つこの場の即興で万全に行使する事が出来た契約魔法が、二人の合意のもとに交わされている。
『私は〔亡命〕を希望します』
それは昨日の出来事。
魔王の配下でありながら人類側の勇者パーティーに下る提案をしてきた魔人アデモス。
もちろん敵のそんな話をまともに取り合う事のほうが難しいのは誰もが理解するところだろう。
だが賢者シフルは冷静に実利を求めた。
そして受け入れる条件として交わされたのが《上位契約》である。
『絶対服従ね……とりあえず契約直後に自害させるとかは辞めてよね?』
冗談交じりに言葉にするアデモスであったが、実際にそれが可能なのが上位契約である。
主の命令には絶対に逆らえない。
シフルの目的としては、嘘偽りなく魔王軍の情報を事が一番の目的の契約であるが、その首輪は文字通りアデモスを縛り、いざという時はその命令一つでアデモスを殺す事も出来る。
魔人アデモスは自身の生殺与奪の権利をシフルに差し出したのだ。
『今の魔王軍には、人類に勝とうが負けようが私の未来は無いもの。まだこうして敵の奴隷になって尻尾振ってたほうが、可能性だけは多少はマシに残るもの』
そうして賢者の独断により、正式に奴隷として迎えた魔人アデモス。
この事実が国に知られれば何かしらの騒動には発展するだろうが、そんな些事よりも手にしたいものがシフルにはあった。
『それじゃあまず、貴方達にとって急ぎの案件から話をしようかしらね?』
そしてもたらされた実利。
その一つ目が〔王女誘拐〕。
アデモスによる第一王子の襲撃に伴い、王城に侵入している魔王軍の手の者が勇者一行を王都から離れるように動かす。
その留守を狙い王女を攫う。
『何故王女が狙われるの?』
『その王女様が〔魔女〕候補なのよ。もっと早くに判明してたら王都襲撃時にその誘拐も達成目標に組み込まれてたでしょうね。まぁその襲撃時に判明した事実だから仕方のない事だろうけど』
主としての命令により嘘の付けないアデモスはそう語った。
王女の誘拐作戦に関しては反応を示した勇者一行も、その理由が〔魔女〕と言われても首をかしげるばかりだった。
だがその意味を知る賢者シフルはすぐさま行動を起こす。
そして取り出したのは虎の子の秘宝。
ヤマトの持つ結晶とはまた異なる〔転移結晶〕。
古い知人の形見とも言えるその品を迷うことなく用いて、タケルとラウルの二人をすぐさま王都へと転移さる判断を下した。
――そしてその翌日、つまりは今日。
『報せが来ました。二人は何とか間に合ったようです』
シフル達の今居る場所は町から離れた伝信の圏外。
その為、タケル達からの連絡を受け取る為にブルガーが一人で受信圏内に移動し待ち、翌日の昼前には報せを受け取ったブルガーが舞い戻り、アデモスの情報が事実であった事が裏付けられた。
『まぁいくら私が嘘を付けないからと言って、私自身がそれを真実だと信じ込まされている可能性もあるのだから慎重になるのも当然よね』
正にアデモスの言う通り。
ただ鵜呑みにする訳には行かない。
とは言えもたらされた他の情報の多くも、事実であれば厄介なものばかり。
いくつかは今すぐに手を打たなければ大惨事に繋がりかねないものもある。
だがらこそシフルは、アデモスを連れて行動を開始しようとしていた。
「――シフル様、来ました」
ブルガーが示した先には、こちらへ向かう馬車の群れが見える。
第一王子救出の本隊として差し向けられていた人員・部隊が、ちょうど合流しようとしていた。
足の速い勇者一行はあくまでも先遣隊として保護と護衛を目的とし、王都まで連れ帰る任を得ている、足は普通だが人員も搬送能力も充分な本隊が合流するまで第一王子を守り抜くのが仕事であった。
「レインハルトにブルガー。貴方達は予定通り、騎士団の手伝いをして見送ってから出なさい。向こうで合流よ」
「彼らの眠りは、まぁ少し強めにはしたけど後一日もすれば自然と目覚めるわ。眠り過ぎで少し気怠さが残るかもだけど、ちょっと吸っただけだから後遺症の類は全く無いはずだから、まぁ勘弁してね?」
眠らせた張本人であるアデモスがそう語る。
そもそもこの眠りはアデモスの配慮なのだ。
勇者パーティーと接触できる絶好の機会。
そこでの交渉で、要らぬ諍いを生まぬためには王子一行を必要以上に害する訳にも行かなかった。
故に眠らせた。
その間にちょっとつまみ食いをしたのは余計であるが、結果として王子一行はほぼ無傷で保護された。
「……さて、合流する彼らの目にこの子が触れると面倒だし、そろそろ私達は行きましょうか――レド!」
「グェエ!」
召喚されたグリフォンのレドに、シフルは跨る。
「ほら、貴方も」
「私、一応飛べるわよ?」
「グリフォンと比べたら速度も高さも段違いでしょうが……あ、それともレドが怖い?」
「……そりゃまぁ一応はね?グリフォンと言えばどっちの勢力からも〔聖獣〕扱いされている、同じ魔物の括りの中でも格の違う一目置くべき存在だし、その上で敵対する立場だったわけだし……」
仮にも自分の立場を理解しているアデモスは、モジモジしながらレドに跨る事を躊躇する。
そこにレドが声を掛ける。
「グェ」
「……良いの?」
「グェ!グゥルエエ!!」
「……そう、分かったわ。それなら貴方の事はレド様と呼ぶことにするわ……します」
「グェ」
「よろしくお願いします。レド様」
礼儀正しく頭を下げるアデモス。
とりあえず和解出来た様子のレドとアデモス。
どうもレドに対するアデモスの態度の方が、主人であるシフルへの対応よりも上な気がするのは気にならない事も無いが、シフルは特段偉ぶるつもりは無いので適当に受け流す事にする。
「……まぁ良いわ。何だかんだで和解出来てるならとっとと乗りなさい」
「了解ご主人様。失礼しますレド様」
「グルェ!」
「それじゃあ行くわね」
「……ご武運を、シフル様」
その出立の瞬間まで、レインハルトは浮かない複雑な表情を隠さずに二人の背中を見送った。
そしてレドは空へと舞い上がり、シフルの示す目的地を目指す。




