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リコーダー

作者: 照岡葉子

「私のリコーダーがなくなりました」

 冷たい声音がクラスに響く。その一言で、クラスメイト全員が凍りついたように固まった。

 昼休みの半ば、突然収集された大鉄(だいてつ)小学校四年一組の生徒達。少年少女らの前に立つのは、クラスのアイドル千頭(せんず)みぞれ。

 彼女は可憐な顔立ちに不釣り合いに眉をきつくして、静かに座る生徒達の前で告白した。

 少しの沈黙。ぼくは学級委員として、この議題を穏やかに進めようと口を開いた。

「盗んだ者は即刻名乗り出るべきだ」

 しかし、ぼくより先に理知的で鋭い言葉を放ったのは、ぼくの隣にいる少年だった。

 彼はこのクラスの副委員長。千頭みぞれと並べられるクラスの人気者……どころか、彼に至っては学年の注目の的である。

「このクラス内で盗難があったとは信じがたいが、実際物が無くなっているのだから、疑うべきはこのクラスの誰かだ」

 彼は更に続けた。

 頭が良く運動もできる。サッカーが得意でいつも女子からは絶対的な好意を寄せられる彼は、勇敢に話を進めていく。その姿が既にまぶしい。目がくらみそうだ。見ているのがつらい。こんなぼくを誰か許して欲しい。

 謎の罪悪感に苛まれるぼくは横で黙って聞いていた。

 教壇にぼくと彼と並んだ千頭さんは、何か悩んだように押し黙っていた。クラスのこの緊張感に、先ほどの威勢が消沈してしまったようにも見える。

「副委員長、あせるのは分かるけれど、クラスのみんなをびっくりさせるべきではないよ」

 ぼくは副委員長をなだめるようにやわらかく言った。

「しかし委員長、今こうして女子の最大の敵とも言われる変質者がこのクラス内にいるかもしれないんだ。女子はたまらないだろう」

 勇ましい彼の姿に、クラスの女子は事件そっちのけで燃えている。

「少し落ち着こう」

 彼にも、そして女子たちにも向けてぼくは言った。

「千頭さん、リコーダーがなくなったのはいつ?」

 千頭さんは悩んでいた表情から一転し、気を取り直したように顔をあげた。

「えっと、なくなったって気付いたのは四時間目の前かな。体育から帰ってきて、ロッカーを見たらなくなっていたの」

「音楽があったのは二時間目。その時はあったんだよね?」

「もちろん。二時間目まであったのはたしか。音楽室に忘れてきたのかなって思って、さっき見てきたけど、やっぱり見つからなくて」

「先生には聞いた?」

「うん。でも、落とし物でも届いてないって」

 副委員長の言った通り、これでは盗まれた可能性の方が高いように思える。

「荷物検査をするべきだ」

 それを言ったのは副委員長だった。

 その言葉に、静まり返っていたクラスがざわざわとし始めた。

「みなを疑っているわけではないんだ。むしろ、このクラスの誰でもないことを証明するために、協力してほしい」

 副委員長の誠実な言葉に、心を打たれたクラスメイトたちは互いに頷きあった。

「まあ、荷物検査ぐらいなら」

「疑いが晴れるなら、それで」

「副委員長の提案なら賛成」

 ぼくはそのクラスメイトたちの変わり身の早さに感服した。ぼくが言ったのなら反感を買って終わりだろう。

 改めて、彼の人望の高さを思い知る。もうやめて。

「もちろん、最初に調べてもらうのは俺の荷物だ」

 さらに副委員長は何のためらいもなく、教壇の上に自分のランドセルを持ってきた。

「言い出したものが最初に行うのが礼儀である」

 そう言ってランドセルの中身を教壇に遠慮なくぶちまける。

 整理整頓もできる彼のランドセルの中身は非常にシンプルだった。午前中に返却された宿題用のノートが二冊。音楽で使った自身のリコーダーも、きちんと袋にしまわれてある。それから、給食用の袋と、給食当番で使いまわされる白衣の袋。

 そして、カランカランと同時に音を立てる、生身のリコーダー。

 その乾いた音はクラス中に、学校中に響いたかのようにも錯覚する。

「……」

 クラスが再び凍り付いた。

 今度は千頭みぞれも一緒に固まっていた。

 副委員長はランドセルを抱えたまま、口をきゅっと一つに結んでいた。

「っわ」

 一人の女子が叫びそうになるのを、隣の女子がすかさず口を塞いで止めた。息の根も止めそうな勢いだった。

「こんなのおかしい! 副委員長が盗むわけない!」

 口を塞ぎながら、その女子は言った。

「盗む意味がわかんないもんね!」

「そ、そうだよ、そもそも盗んだ本人なら、荷物検査しようなんて言い始めないしさ」

「副委員長がそんなことする人じゃないって、うちらは分かってるから」

 女子によるものすごい擁護の嵐。

 これだけでも彼の人気とイケメンであることの待遇の良さに感服する。

 それでも、副委員長の表情は暗いままだった。

「本当の犯人が罪をかぶせるために入れたんだよ。こんなことする男、ほんとサイテー」

「ちょっと待てよ、なんで犯人が男になるんだよ」

 つい口をついた女子に向かって、近くの男子が声をあげる。

「こんなことするのなんて、男子に決まってるでしょ」

「女子がやったかもしれないだろ」

「うちらはこんな下らないことしません」

「はああ? じゃあ、その証拠を見せてみろよ!」

 どんどんエスカレートしていく口喧嘩。

 見かねたぼくがそれを止めようと口を開くと、

 ぱんっ!

 と、大きな柏手が一つ。

 教室に反響するその音にびっくりして、クラス全員が口を閉じた。

 そして、音の主、副委員長の方に視線が集中する。

「俺は気にしていない。口論をするべき時じゃないことも、みんなには分かっているよね?」

 滅入った様子だったが、それでも優しく微笑む副委員長。

 再び女子一同は燃えまくる。いや、萌えあがっている。

 ぼくは再び何も言葉が出なかった口を閉じる。

「犯人を俺に仕立て上げようとするその勇敢さは認めてあげよう。ただし、相手が悪かったと思うのは、きっと犯人の方だろうね」

 副委員長は気を取り直して、いつものように心に余裕を見せる発言をする。

「このクラスに犯人がいるとは信じがたい……しかし、こうして俺のランドセルの中に盗品がある。つまり、これは人為的な作用があった結果だ。残念ながら、みなを調べなければならない」

 その言葉を聞き、クラス一同に緊張が走る。

「ここから先はぼくも一緒に進めていこう。副委員長には悪いけど、君も犯人候補の一人になるから、勝手に進めるのはだめだと思う」

 まあ、もちろんぼくもその一人になるけど。と、付け足すぼく。

 副委員長はぼくの言葉に素直に頷き、一歩下がる。

 ぼくは副委員長がいた教壇の上に立ち、机に広げられた副委員長の私物を眺める。

「千頭さん、これは千頭さんのリコーダーで合ってるよね?」

「うん、だってほら、ちゃんと名前がある」

 千頭さんはリコーダーを拾い上げ、ひっくり返して後ろを見ると、そこには「千頭みぞれ」ときれいな字で書かれている。千頭さんは字も上手らしい。

 リコーダーは見つかったのだからこれで一件落着、とも言いたいところだけど、それを言ったらクラス中……特に女子に総叩きに合うだろう。

 ぼくはそんなことを考えながら、一つ頷く。

「ここは学級委員長のぼくが犯人を捜そうと思う。だから、ほかのみんなが怖がることはない。昼休みも、午後の授業も、いつもの通りに過ごしていこう」

 そう朗らかに言ったが、クラスに漂う不信感は拭えないままだ。

「ほら、みんなが暗い顔をする必要はない。午後は美術の時間じゃないか。芸術と向き合って、もっと美しい心を磨いていこう」

 全くもって小学生が言うには早すぎる浮ついた台詞ではあるが、そこは副委員長マジックといったところか、女子全員は平伏する勢いだ。加えて、今度は男子たちもその達観した物言いに尊敬の眼差しを向けている。

 ぼくは再び置き場のない寂しさを抱えたまま、やはり口をゆっくり閉じるのだった。


「副委員長はやっぱりすごいね」

「どういうことだい?」

「言葉ではうまく言い表せないけれど……副委員長はすごいんだ」

 ぼくは少し思案して言葉を探したが結局見つからず、幼稚な結論のまま彼に伝えた。

「俺は委員長の方が尊敬に値すると思う。あの場の誰もが動揺して……俺まで動揺したあの状況で、一番冷静であったのだから」

「副委員長は無理もないよ」

 あの教室に響き渡る無機質な音を思い出す。

 彼のランドセルから転がり落ちてきたリコーダー。千頭みぞれが少しでも嫌悪感を見せたあの瞬間。副委員長はどういう心情だったのだろうか。

 事情聴取をしようと歩を進めながら、ぼくは彼の心を気遣う。

「あの場ではああいったけれど……気にしていないというのは嘘になる。ほんとうは、とても驚いた」

「素直にそう言えるところもすごいと思う」

「君だから言っているんだよ」

 副委員長は屈託なく笑った。彼の不意に見せる無邪気な顔に、ぼくは少しほっとした。

「さて、気を取り直して話を聞いていこう。まず、聞くべきは保健室にいる日切(ひぎり)くんの話だね」

「今日はずっと体調が悪いみたいで、一時間目、三時間目、そして昼休みの今と、保健室に行っている、と保健委員の地名さんが言ってた」

「早退しないのが不思議だなあ」

 副委員長は言いながら、保健室の扉の前に立つ。

 失礼します、と二人で揃えて言って入室する。

 保健室には日切くんと保健の先生の二人がいた。

 日切くんに軽く挨拶をして近づくところで、先生に声をかけられる。

「あら、また怪我かしら?」

 先生は優しい声色で副委員長に問いかけた。

「いえ、今日は保健室自体に用事があったわけでは……」

 副委員長は言って、日切くんに視線を向けた。

「日切くんは知っているかい? 千頭さんのこと……」

 先生の前で言うのは躊躇われるのか、少し濁した様子で副委員長は聞いた。

 日切くんはきょとんとした顔をしている。

「千頭さん?」

「リコーダーがなくなったんだ」

 ぼくは小さく耳打ちをして伝える。保健の先生には聞こえていないようだ。

「えっ、なくなったって」

「しーっ! あまり話を大きくしたくない」

「……それで、僕が疑われている、ってこと?」

「そういう訳じゃない。みんな疑われているんだ」

 こそこそ話をしていることに気を使ってか、保健の先生は優しくニコリと笑って手元の資料に目を通し始めた。

「なるほど……でも、一番みんなと一緒にいなかったのは僕だものね」

 日切くんは寂しそうな顔をした。

「日切くんは体調は大丈夫なのか?」

 いたたまれなくなった副委員長が気遣う。

 日切くんは吹けば飛びそうなほど儚げな様子で微笑んだ。

「いつものことだよ。先生は早退するか、って聞いてくるんだけど、毎日お母さんに迎えに来てもらうのもね。お母さんだって働いているし」

「無理はするべきではない」

「副委員長は運動もできていつも元気だから、うらやましいなあ」

「そこまで自慢するべきことじゃないさ。それはさておき、千頭さんのリコーダーは音楽の後になくなったんだ。何か心当たりはあるかい?」

 副委員長がそう聞いたが、何も思い当たることはないらしく、日切くんはうーんと唸った。

「日切くん、三時間目の音楽は出ていたよね?」

 ぼくが聞くと、日切くんは素直に頷いた。

「うん。朝から体調は悪かったんだ。一時間目は休んじゃったけど、二時間目の音楽は……ほら、先生が怖いし」

 確かに。ぼくらの音楽の先生はとても厳しい先生だった。でも、体調が悪いのを責めるほど理不尽な先生ではないはずだ。

「僕、前も、その前の前も音楽の授業を休んでいるんだ。それで、あの先生に呼び出されちゃって。嫌ならもう出なくても良い、って言われちゃったんだ」

「なるほど……」

「今日だけは頑張らなきゃって思って授業は受けたんだ。そしたら、授業が終わった後、授業が嫌いなわけじゃないんだな、って、先生嬉しそうに言ってくれて。でも、次の時間、体育で」

「それでここに戻ってきたのか。でも、中休みの時間は? その間はどこにいたの?」

 二時間目と三時間目の間には少し長めの休み時間、中休みがある。それは二十分ほどのもので、その間、日切くんには自由時間がある。

「中休みから保健室にいたよ。音楽の授業のリコーダー、あれ吹いてたら気持ち悪くなってきちゃったし……あれ、でもその時……」

 日切くんは何か思いついたようだったが、やっぱりなんでもないや、と言って机に置いてある一枚の紙を差し出した。

 ぼくと副委員長が覗き込むと、それは保健室を利用する時に記入する紙だった。一時間目の間と、中休みから三時間目が終わるまで、彼の名前が書いてある。

「今はどうして保健室に?」

「保健室っておちつくんだ。ここにいると、お腹の痛みもなくなる気がして」

 日切くんはそう言って弱々しく微笑んだ。


「彼はもう保健室で授業を受けても良いんじゃないか?」

「学級委員であるぼくらが言って良いセリフじゃないよ。それに、日切くんはクラスが嫌なわけじゃない。ただ単に体調が悪いんだ」

 それこそどうにもできないことなのだけど。

 ぼくらはうーん、と一つ唸り、それ以上のことは日切くん自身の問題だと考えないことにした。

「千頭さんのリコーダーがなくなったのは三時間目の体育の後だから、日切くんは保健室にいて、教室にあるものは動かせないね」

「着替えをしまうときになくなったことに気付いた、と証言していた。つまりは、三時間目の体育の着替え中に盗まれた可能性が高いな」

「教室を着替えに使っているのは男子だけど……」

「千頭さんのロッカーに一番近い席の男子に聞いてみよう」

 というわけで、ぼくらは中庭で残り少ない昼休みを中庭で満喫している服用(ふくよう)くんのところにやってきた。

「不審な動き? ないね」

 ぼくらの問いかけに、手に持っているボールをもてあそびながら服用くんはばっさりと言い切った。

「そもそも、俺ら男子がそんなことするわけねーじゃん。女子がやったんだろ。千頭さん、いろんな女子に恨まれてそうだし」

「恨まれてる?」

「そりゃそうだろ。あんなに可愛くて面倒見もよくて。男子に人気なんだから、羨ましがってる女子はたくさんいるでしょ」

「じゃあ、犯人は女子じゃないかと思っているの?」

 ぼくがそう直球に聞くと、服用くんは決まりの悪そうな顔をして、小声で耳打ちしてきた。

「俺がこんなこと言ったって絶対に他の女子には言うなよ。絶対に叩かれる」

「プライバシーは尊重するよ」

 ぼくは頷く。

「副委員長もタイミング悪いよなあ。まさか自分のとこにリコーダーが入ってるなんて」

 今度はボールを地面に置き、その場で転がしながら服用くんは同情した。

「一体いつ入れられたのか。全然気付かなかったよ」

「恨まれる、って言うなら副委員長も同じくらいだしな。頭良いし運動もできるし足はえーし」

「俺へのあてつけでもある可能性がある、と?」

「同じクラスの奴疑う訳じゃねーけどさ。実際なあ、物がなくなって、副委員長んとこあるわけだし」

「動かした人がいるって言うのは疑いようがないよね」

 居心地の悪い気分のままぼくは呟いた。

「体育行く時も終わった時も、不審な動きは俺達にはなかった!そこは信じてもらいてーところだな。恨み話っちゃあ、千頭さんのこと、前に地名(じな)が影で悪口言ってたな」

 服用くんは思い出したかのように言った。

「地名さんが?」

 地名さんは千頭さんと一番仲がいい女の子だ。可愛くてしっかりしている千頭さんを、隣で優しく支えてくれているような大人しい女の子だ。

「地名さんが悪口……大人しい印象があるけど、やっぱり一緒にいると何かあるものなのかな」

「ま、千頭はちょっときついとこあるしな」

 あ、これも内緒な、と服用くんは華麗にウィンクして、中庭で遊ぶ男子達の元へ走り去っていった。

「一緒にいて仲良くしていたら、何か気にくわないこととかでてくるものなのかな」

 ぼくが不意に呟くと、副委員長は目を丸くした。

「どうしたんだい、委員長らしくない」

「いや……難しいものだな、と思って」

 そんな風に気落ちするぼくを横目に、副委員長は快活そうに笑った。

「女子にはそういったことはあるんだろうな。ま、俺たちには無いのだから、そこは安心したまえよ」

 そう言って力強くぼくの肩を叩いて先を行く副委員長。

 ぼくは肩に残った熱さと、胸の奥の痛みを感じながら副委員長について行った。


「え、じゃあ、私が犯人かも、って二人は思ってるの?」

 地名さんは不安げな表情でぼくたちの顔色をうかがってきた。

 再び四年一組に戻ってきたぼくたちは、地名さんに事情聴取をする。もちろん、服用くんのことは一切黙って話を進めている。これが男の約束というやつだ。

「そういうことじゃないんだけど……一応、いろんな人に話を聞いてて」

「そうだよね、でも、私が話せることってあるのかな」

「地名さんは今日はずっと千頭さんと一緒にいたの?」

 ぼくの質問に、地名さんはぼんやりと頭上を眺めて思い出す素振りをする。

「そうだね、みぞれちゃんとはいつも一緒だけど……学級委員長と副委員長も、いつも一緒にいるよね」

「家が近所でね。委員長はよく気付いて、俺のフォローにいつも入ってくれる。尊敬に値する親友だ」

 副委員長が恥ずかしげもなく語る。

 ぼくはなんだかむずがゆくて、苦笑で応えるだけだった。

「あ、でも音楽が終わった後、副委員長は先生に頼まれて何かしてたっけ」

「使った楽器を片付けていたんだ。一人でできる仕事量だから、学級委員長には先にクラスに戻ってもらった」

「ぼくらは委員の仕事で一人でできるときは、交代でやっているんだ」

「仕事は平等に割り振られるべきだと提案したのは学級委員長なんだ。俺だと、必要以上に責任を抱え込んでしまうだろうと配慮してのことだ」

「仲が良いんだね」

 地名さんがにっこりと副委員長に微笑みかける。その笑みは非常に甘く、どうやら地名さんも副委員長のファンの一人のようだ。女子はみんなこうだ。

「地名さんたちも音楽室に残っていたの?」

 ぼくは尋ねると、地名さんはそう! とはしゃいだように声を大きくした。

「六年生が外で体育をやってたみたいなの! かっこいい男の子がいてね! その人を見てたの!」

 どうやら地名さんはかっこよければ誰でも好きらしい。それが悪いとは言わない。何故ならぼくには関係の無いことだからだ。

「その時は千頭さんも一緒に?」

「うん、みぞれちゃんも一緒だった」

「そっか」

 ぼくは頷いて、少し思案する。

(大体の予想はついたけれど、まだ確かなことが……)

 地名さんは教室の時計をちらりと見て、あ、と声をあげた。

「もう五分前だ。戻らなきゃ」

「本当だ」

 副委員長も地名さんも、そそくさと席に着く。

 ぼくも席に着こうとすると、日切くんが青い顔をしてこちらに向かってきた。

「ごめん、学級委員長。やっぱり体調が悪いから早退するよ。あとね、自信はないんだけど、僕、音楽の先生と廊下でお話してて……その時千頭さんと地名さんが教室に戻るのを見たんだけど、千頭さん、たしかリコーダーを持っていなかったんじゃないかなって思うんだ。教科書しか持ってなかった、ような……」

 自信はないけど、と日切くんは今にも倒れそうな様子で言って、ふらふらと教室を出ていった。

 そして、ぼくは確信した。

 確信できた事実に、絶望感も覚えた。

 最初から考えていたことだったけど、それを肯定されてしまって、これほど落胆するものなのか。

 今まで感じたことのない感情に、ぼくは授業が始まってもぼんやりとしていた。


「授業が終わったら、みんなを集めようと思う」

 ぼくは言った。

 教室の隅で、ぼくと副委員長は並んでいた。

 ぼくは黒板を見つめていた。横にいる副委員長の表情は分からない。

「そうか。犯人は分かったのかい?」

「うん。これは、きっと、たぶん、そうだと思う」

「君は曖昧な言い方をするけれど、外れたことは一度も無いよね」

「いつも自信が無いんだ。副委員長がうらやましいよ」

「俺が?」

 ぼくは自嘲気味に笑った。

「いつも自信に満ち溢れていて。だから、みんな副委員長のことを憧れるし、好きなんだ」

「……」

 副委員長は何も言わなかった。

「もちろん、ぼくだって」

 ぼくは黒板を見つめる。教室では弾けたような笑い声があちらこちらから飛んでくる。こんな事件があった教室だというのに、あの時の副委員長の言葉を信じて、みんないつものように過ごせている。

 やっぱり、副委員長はすごい人なんだ。

「犯人が先に名乗り出てくれたらいい」

 ぼくは願望を呟いた。

「そうすれば……」

 そう口にしたが、続く言葉が見つからなかった。

 もうやってしまったことなのだから、名乗り出ることで何かが変わるとは思えなかった。

 失った信頼は取り戻せないだろう。

 クラスのみんなから白い目で見られることは避けられない。

 この騒がしいクラスメイトがしん、と静まり返る光景を思う。

 胸が痛んだ。

 副委員長は何も言わない。

 ぼくは副委員長の方を見なかった。

 だから、副委員長がどんな表情をしていたのか、ぼくには分からなかった。


「みんな、放課後に集まってくれてありがとう」

 ぼくは教壇に立ってみんなに頭を下げた。

 副委員長と千頭さんが両脇に立っている。千頭さんは緊張した面持ちをしている。

 クラスのみんなも緊張した雰囲気だ。ここに集められた理由を、みんなは察している。

「集まってもらったのは、千頭さんのリコーダーが盗まれたことについて、なんだけど」

 ぼくは一呼吸置いて、

「犯人が分かった」

 何人かが目を丸くする。

「誰だよ!?」

 一人の男子がまくしたてるように身を乗り出した。

「落ち着いてほしい。ちゃんと言うから」

「ねえ、このクラスの人だったの?」

 千頭さんはおずおずと後ろから声をかけてきた。

 ぼくは俯いた。

 心臓がどきどきとしていた。

 本当は言いたくなかった。このまま犯人は分からなかったという結論を出しても良かったのかもしれない、と思った。

 けれど、今言えば、傷は浅いのかも知れないと、願った。

「千頭さんのリコーダーを盗んだのは……」

 ぼくは顔を上げた。

「副委員長、君だよ」

 後ろを振り向き、そこに立つ悲しそうな表情の少年を見る。

 副委員長は、ただ静かにぼくの言葉を聞いていた。

 非常に落ち着いた様子だった。

「……どうしてわかったんだい?」

 否定はされなかった。

 それが、ぼくにはひどく刺さるような言葉だった。

「最初から分かっていたことなんだ。でも、確かな気持ちがなくて……」

「委員長はいつもそうじゃないか。確証がなくても、君の出す答えはいつだって正しいよ」

 否定してほしかった。

 ぼくは喉が熱くなるのを感じながら、冷静に言葉を吐く。

「不思議に思ったのは、日切くんと話している時だ。副委員長は日切くんに、『リコーダーがなくなったのは音楽が終わった後』と言っていた。おおまかに言えばそうは言えるけど……このクラスでは、最初に『体育の前後にリコーダーがなくなった』と話をしたんだ。でも、これはぼくの中でも言い方の違いだろうと思ったんだ」

 副委員長は目を伏せて聞いていた。

「服用くんからの話では、クラスで疑っていた時間、つまり、体育の前後では怪しい動きをした人はいなかったという答えが出た。それはつまり、副委員長がその時言っていた通り、音楽が終わった後が怪しい、ということになる。そのあと、地名さんとの話で、音楽の後、しばらく千頭さんと地名さんは音楽室に残っていたことがわかった。そして、副委員長も。これは、いつも委員の当番を交代してやっているぼくも副委員長が残っていたことは知っている。そして」

 ぼくは一度言葉を止めた。

 これ以上何も言いたくはなかった。

 だって、この胸の痛みに、ぼくは勝てそうにない。

「どうしたんだい、続けてくれ」

 ぼくよりも、副委員長が何より傷付いているはずなのに、副委員長はぼくの言葉の続きを促した。

「そして、五時間目が始まる前に、早退すると言いに来た日切くんがぼくに言ったんだ。音楽が終わって教室に戻るとき、千頭さんはリコーダーを持っていなかった、と」

 千頭さんはその言葉にはっとした。

「え、うそ……私、その時、もう……」

 そう気付いて、千頭さんは副委員長を見た。

 副委員長は千頭さんを見なかった。見れなかったのだろう。千頭さんは、軽蔑した目で副委員長を見ていたのだから。

 副委員長はぼくを見て、肩をすくめた。

「そうだね、委員長の言う通りだ。しかし、その前に既に俺が犯人なのだと予想はしていたんだろう? それは何故だ? 俺の鞄にリコーダーが入っていたからか?」

 ぼくは首を振った。

「なおのこと、それでは副委員長を犯人とは思えなくなる。副委員長は、あんな簡単なミスはしない。あれは、自分の人望を信じて仕掛けたものだ。リコーダーが入っていても、副委員長は自分は犯人だと疑われない自信があった」

「では、何故? 君がただの想像だけで物事を判断するとは思えないのだけれど」

「そうだ」

 ぼくは頷いた。

 その言葉に、副委員長は意外そうに目を丸めて首を傾げた。

「そうだよ。副委員長、君だってそうだ。ただの想像だけで物事は判断しない。君はとても頭の良いぼくの友達なんだ」

 ぼくは苦しそうな顔をして副委員長を見た。

 その表情を見て、何を感じたのだろう。

 副委員長はそこではじめて、ぼくの目を見て、傷付いたような顔をした。

「だから、おかしいと思ったんだ。リコーダーがなくなったと聞いて、すぐに言った言葉が」

 副委員長はそして、気が付いたように目を大きく開いた。

「副委員長、千頭さんは一言も、『盗まれた』、なんて言ってないんだよ」

 その言葉は、どれだけ副委員長を傷つけたのだろう。

 いつも完璧になんでもこなす副委員長の、粗を暴くような言葉だ。

 ぼくは副委員長を尊敬していた。

 だから、嫌なんだ。こんなこと。

「だから、リコーダーを盗んだのは、副委員長、君なんだ」

 ぼくは冷たく言い放った。

 あの時想像した通り、クラスのみんなが副委員長を白い目で見る。

 しかし、あの時想像できなかった副委員長の表情が、ぼくの前にはあった。

 副委員長は、諦めたように笑っていた。

 ぼくはそれを見て、心臓が掴まれたような気分になった。

「君は本当に、素晴らしい人間だよ」

 副委員長は優しくぼくを称賛した。

「副委員長の方こそ、ぼくよりずっと……どうして、こんなこと」

「……さあ、どうしてだろう」

 副委員長は力なく答えた。

「どうしてだろうね……」

 行き場をなくしたように呟いた。

 ぼくは、そんな副委員長に、ただ、優しく言った。

「副委員長、君が素晴らしい人間じゃなくても良い。それでもぼくは、君を友達だと思っているよ」

 そして、副委員長は悲痛な笑みを浮かべたのだった。

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