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無神論者たちの唄  作者: 陽澄すずめ
本章・ch.3 交錯する運命
19/60

第19話 折り返しの夜

 キッカはクオンと連絡先を交換し、会計を済ませて席を立った。

「では、私はそろそろ失礼します」

「あ、ちょっと待って」

 それをマスターが制した。そしていそいそと『STAFF ONLY』の扉の奥へと消える。

「あれ? まだ起きてたの?」

「ちょっと、トイレ」

 扉の向こうからくぐもった音でマスターとユナの会話が聞こえてくる。その後にがたがたという物音が続く。

 ややあってマスターが店へと戻ってきた。その両手には二種類の銃器。

「ごめんね、今まともなものがグレネードランチャーとアサルトライフルくらいしかないんだけど、どっちがいい?」

「……え?」

 キッカはしばしフリーズする。

「あー、やっぱり女性にこういうのはちょっとゴツ過ぎるかなぁ。あんまり可愛くないよねぇ」

「いえ、あの……そういうことじゃなくて」

 戸惑うキッカに、マスターは片目を瞑ってみせる。

「なーに、ちょっとした餞別だよ。クオンくんの事情はずっと聞いてたからさ。僕にはこんなことくらいしかできないけど」

「えぇ……」

 ちなみにもちろん、そういうことでもない。クオンを見ると、彼は薄っすら笑って肩を竦めた。

「……じゃあ、グレネードランチャーで」

「はーいどうぞ。使い方分かる?」

 特別情報課員に課せられた戦闘訓練で、一通りの武器の扱いは習得している。

「大丈夫です。ありがとうございます」

 ずしりと重い銃器を受け取る。この一見とぼけた感じのマスターは何だか掴みどころがなく、敢えて突っ込むのはやめておいた。ともあれ、これなら中距離の敵にも対抗することができる。

「あの」

 扉の奥からユナが顔を出す。

「キッカさん、もう行っちゃうんですか?」

「うん、もう行くよ」

「危ないところ?」

「まぁ、多分」

「そっかぁ……」

 そう言って心配そうな表情で俯く。キッカは思わず微笑んだ。

「大丈夫。また戻ってくるから」

「本当?」

「約束する」

 ユナが笑顔を見せる。

「うん、じゃあ……行ってらっしゃい。気を付けて」

 マスターが手を振る。

「また何か美味しいものでも用意しとくよ」

 クオンは真剣な眼差しを向ける。

「どうか、無事で」

 不意に温かいような、名残惜しいような気持ちが込み上げる。ついぞ忘れていた感情だった。

 キッカは背筋を伸ばし、軽く一礼する。

「では、行ってきます」

 店の外へ出ると、すぐに冷たい風が頬を掠めていった。満月は高度を増し、天辺に近い位置からキッカを見下ろしている。

 再び独りとなったキッカは、車を停めた廃地区へ向けて足を踏み出した。



 キッカを見送り、クオンも帰ってしまうと、ユナは自室に戻った。扉を閉めた後、すぐさまベッドに倒れ込む。

 クオンとキッカの話を、つい立ち聞きしてしまった。いけないこととは知りつつ、どうしても気になってしまったのだ。

 昔から『夜』に来る客は何かしらの訳ありであることが大半だった。その『訳あり』の部分に対応するのは父であり、ユナはただ店の手伝いをするのみ。半ば無意識的に、客の事情に立ち入らない癖が付いていた。

 それゆえ、クオンの素性も今までよく知らなかった。自分が知るべきことではない、とも思っていた。しかしそれでも、いつの間にか惹かれていたのだ。

 クオンにとってみたら、ユナは単によく行く店のマスターの娘でしかないだろう。年齢だってほぼ半分だ。どう考えても恋愛対象には程遠いと、心のどこかで分かっていた。

 だから、姿が見られるだけで満足だった。一言二言でも言葉を交わして、笑顔まで向けられたら、もう天にも昇る思いだった。

 だけど今日、少しばかり欲を出してしまった。怪我をしたキッカを見つけたことで、普段とは違ったテンションになっていたのかも知れない。怪我人を口実に、いつもより長くクオンと一緒にいられるかも、などと思ってしまったのだ。

 付いていった診療所で、予想もしなかったことが起きた。あんな綺麗な人とクオンが二人きりでいることにやきもきしていたら、凄まじい爆発音が聞こえたのだ。居ても立っても居られず様子を見にいったところ、いきなり何か棒のようなものが飛んできた。

 急に手を引っ張られて、気付いた時にはクオンの腕の中にいた。抱き締められていると認識した途端、頭の中が真っ白になった。クオンが自分を助けてくれたのだと理解できるまで、目の前で起きている恐ろしい戦いも夢か何かのように思えた。

 せっかく手を貸してもらったのに、気恥ずかしさと混乱でうまく立てずにいたら、頭をぽんぽんされた。それでもう、完全に思考回路がオーバーヒートしてしまった。

 舞い上がって、更に欲をかいたのがいけなかったのかも知れない。敢えて立ち入らずにいたクオンの事情を、垣間見してしまったのだ。

 切れ切れに聞こえてきたのは、彼の抱える壮絶な過去の話だった。自衛隊員として内戦に参加していたことや、働いていた病院が襲撃されたこと——それらは一介の女子高生が興味本位で生半可に首を突っ込んで良いようなことではなかった。

 それから『恋人』の話。クオンがこの店に来るようになったのは、恋人を目覚めさせる手立てを探してのことだったらしい。彼はずいぶん長い年月を、そのためだけに費やしてきたようだった。

 とてもじゃないが、そんな彼の隣に並ぶことなどできるはずもない。いつも穏やかで静かに微笑むクオンの姿が、遠くなったように感じた。ユナと彼とでは住む世界が違うのだ。

 知りたくなかった。立ち聞きなんてするんじゃなかった。だけどどんなに後悔しても、ルールを破ったのはユナ自身だ。自業自得なのだ。

 元より望みのない恋だった。少しも相手にされていなかった。最初から分かっていたことじゃないか。だけど——

 だけどなぜ、こんなにも涙が出るのだろう。

 どうしても、思い出してしまうのだ。あの腕の力強さを、大きな手の温かさを、自分に向けられる優しさを。

 胸が苦しい。呼吸が止まってしまうのではないかと感じるほどに。

 目尻から次々と零れ落ちる涙が、こめかみを伝って髪を濡らす。今夜は眠れそうにもなかった。

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