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高校に入って始めたテニスは自分の肌に合ったスポーツだったと伊月は今でも感じている。ずば抜けた身体能力もなく、持久力も半端で、体力テストもそれほど上位に食い込むこともない自分が、誰かと競えることができるのは間違いなくテニスだけだ。
ボールをとにかく相手よりも多くコートに叩き込み、相手が取れない場所へボールを打ち込み、翻弄させ、混乱させ、確実に決められる一球を打つためのゲームメイクをする。とはいえ、いつもいつもが調子の良い日とは限らなかった。ボールを打ち、ガットから伝わる振動が、その日の自分の調子を教えてくれていた。その時は自分の調子を取り戻すために徹底的に自分をいじめ抜いた。スランプという壁を幾度となく乗り越え、自分の弱点を一つ一つ潰していき、対処法を編み出し、強さを求めた。すべては一つも目標を達成させるためだった。
しかし、その目標を果たせないまま、果たすことができなかったまま、伊月はラケットを置いた。もう二度とテニスをすることはないだろうと思っていた。それがどうだ、と伊月は久しぶりに袖を通したジャージに違和感を覚えながら、姿見で自分の姿を確認して仏頂面になった。大学生の頃に買ったこの安いジャージは少しだけ綻んでいたが、別に合コンに行くわけではないのだ。格好付ける必要性がないのだから、節約優先である。
「じゃあ行って来る」
一階で仕事を続けていた頑固親父に階段を下りながらそう言うと、伊月は少しだけ反応と返答を待つために残り三段を残して立ち止まった。しかし、グチグチと何か言うものだと思っていた頑固親父は素っ気なく「おう」とだけ言って店内に戻って行った。
何とも素っ気なく、呆気なく、裏を感じる反応に残りの三段を下りた先が地獄に通じているかのように伊月は感じられた。それもそのはず、本来ならば仕事に従事している時間帯なのだ。
午後三時、コーチを頼まれた斗洲高校までの道すがらの配達を受け持ち、しばらくはこの時間帯から仕事を抜けることになったのだが、すんなりと了承してくれた両親に少しばかり恐怖心を伊月は抱いていた。いくら何でも自由過ぎではないだろうかと実家の経営方針に疑問を抱きながらも、それでも許可をもらった以上、今更取り下げるつもりもない。
先日、コーチを引き受けたその日の内に、伊月は近くのスポーツ店で五年間張り替えていなかったガットを張り替えてもらい、新品同然のように戻って来た相棒は今、背負っているテニスラケット専用ケースの中で久しぶりのテニスを楽しみにしている。配達用の車は使えず、やはりおんぼろの親父カーに乗り込む。伊月は相棒を助手席に置いてエンジンをかけた。




