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 審判から注意を受け、二人はコートに戻っていく。すると、伊月の肩越しに覗き込んできたむつみがこう言った。

「今、二人、笑いましたよ」

 伊月の位置からは見えなかったが、おそらく、それは見間違いではない。二人がサーブの構えに入り、空に向かって綺麗な直線のトスを上げた。目を細めて、伊月は心の中で呟く。

(俺はあの時、信じてほしかったんだ。お前なら勝てるって、大丈夫だって、信じて、背中を押してほしかったんだ)

 声援が飛び交い、振動が伝って全身を震わせる。かつての自分が、消えていく。

「――いけ、一球でも多く」

 落下してくるボールが、二人が思い切り振り抜いたラケットに吸い込まれ、ぶつかり、弾かれ、離れていく――飛んでいく。

「相手のコートに、叩き込め」

 風を切り裂き、高速サーブが声援を呑み込んだ。静寂が周囲に立ち込め、そのサーブに、城山高校の選手は一歩も動けなかった。今まで伊月が見てきた中でも最速で、コーナーぎりぎりを狙ったサーブの威力は、一年前の比ではないのは明らかだった。

「何だ、今の……」

 誰が言ったのかはわからない。しかし、それは誰しもが思ったことであろう。伊月は確信した。場の空気が、流れが、一気に変わった。そして、まるで別人のように、二人は僅かな笑みの中に猛々しい瞳を浮かべている。

「何故、立花コーチは彼らに決めてこい、などと言えたんですか」

 声援が再び息を吹き返し、倍になったかのように地鳴りのような声が飛び交う。その熱気に満ちた世界を目の前に明石がそう訊ねてきた。間違えばプレッシャーにもなる台詞に、伊月は、二人の小さな背中を見た。身体がフッと軽くなり、むつきの手を引いて自分の前に連れて行く。そして、垂らしていた手をそっと上げて、フェンスに指先を絡めた。

 信じてほしかった。信じて、背中を押してほしかった。

 それはもう、救うことも助けることもできない孤影。

 今は、もう違う。

 信じる。

 信じているから、背中を思い切り押した。

 すべてのしがらみも、後悔も、彼らのために。

「あいつらのことを、心の底から信じていますから。背中を押せるのは、俺たちだけだから」

 明石が、そして片岡がニッと笑った。真下でむつみが涙ながらにこくんと頷いた。そして、やっぱり、と伊月は目頭が熱くなってきた。


 どうして自分にはいなかったのだろう、とか。

 どうして自分を信じてくれなかったのだろう、とか。


 思い出せば悔しいことも苦しいことばかりで、何もかもがごちゃ混ぜになって唇を噛み締めたくなり、叫んで何もかもを放り出したい気持ちが爆発しそうで、空の青さが鬱陶しくて、いつも俯いてばかりいた。そんな自分がいたから、気付くことができた。今、同じ場所にいる彼らの背中を押すことができた。

 ありがとう、と伊月は揺らめいて消えていく過去の自分に言った。

 消えていったその場所に、二人はいた。

 盛り返し、二人のプレーのキレがさらに鋭くなっていく。一球一球、誰が見ても一目瞭然、一球入魂、全身全霊。すべてに全力を出す二人に触発されたのか、城山高校の選手の動きもさらに良くなっていく。それでも、少しずつ、少しずつ、差が縮まっていく。

 入屋が決めれば明智が決め、明智が決めれば入屋が決める。取られらたら、取り返す。明智の『取らせない』という気持ちが乗ったサーブが相手のラケットをかすめれば、後ろに下がった相手選手をエグイ角度のショットで打ち抜き、白熱した試合に全員の視線が集まる。

 観客が、決勝と思わせるほどに集まり、コート周辺は完全に埋め尽くされた。そして明智のショットが決まり、ゲームカウントを6―5として逆転、入屋のサーブから始まった第9ゲームは高く上がったボールをスマッシュで叩き込んだ入屋にポイントが入り、ゲームカウントを5―4とし、逆転した。さらにポイントを重ね、しかし、城山高校も喰らい付いてくる。今までまともに打ち返せなかった明智のサーブをこれでもかとコーナーを狙ったリターンエースで打ち抜き、彼もまた明智たちと同じように、試合を楽しんでいるように笑みを浮かべていた。入屋の相手も同じく笑みを浮かべ、逆転してきた入屋に追撃してくる。

「悔いは残すな」

 伊月が言った直後、明智がマッチポイントを握る。

「大丈夫、お前らには俺たちがいる」

 呼吸を整え、明智がサーブの体勢に入る。トスを上げ、真っ青な空に浮かんだボールをじっと見つめ――最終局面、顎まで流れてきた汗がコートに落ちたとき、明智がラケットを振り抜く。弾丸のように、コートのど真ん中、センターラインを駆け抜けていく。城山高校の選手が手を伸ばし、ラケットをボールのほうへと向ける。今にも破裂しそうだった緊迫した空気が、一気に破裂した。

 静かに、終止符は打たれた。

 揺れるフェンス、転がったボール、ラケットを手の平から滑り落とした明智が、力強く両手の拳を握りしめた。その瞬間、まるで爆音のような歓声が押し寄せた。それでも声を上げずに、しかし雄叫びを上げているかのような明智の初めて見せた熱血的な表情が、誰をも熱くさせていた。明智が伊月に向かって緩んだ顔で親指を立て、伊月は大きく頷いて見せた。

 最後の挨拶、握手を交わした選手と一言二言言葉を交わし、そして、興奮冷めきれないはずの明智は、いつものクールな表情に戻り、隣のコートに目を向けていた。伊月も、明智に負けた相手選手も、その場にいるすべて人たちも、一斉に隣のコートに目を向ける。

 リターンの構えに入った入屋のアドバンテージ、マッチポイント。さっきまで一緒に戦っているような雰囲気だった明智が、試合を終わらせた。そして、息を飲む試合に、誰もが口を閉ざし、声を押し殺していた。息が詰まりそうな空気が漂う中、入屋の脚に力が入った。相手のサーブが入り、確実に、そして全力で入屋がリターンする。ガットが軋む。汗が流れ落ちる。緑色の芝の上で砂が飛び散る。二人の走る足音とボールの弾む音が、コート上でこだまする。

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