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昼ご飯を近くのレストランで済ませ、それから伊月はむつみとしばらく公園を歩いた。自然と一体化するような感覚に包み込まれる緑に囲まれた公園内を、とくに何をするでもなく歩く。不安を少しずつ取り払いながら、おもむろに手を繋いできたむつみの手を握り返し、前を向いて歩いて行く。手の平にできた肉刺を気にしながら、彼女の手の平から伝わって来る熱を、伊月は取り逃さないようにしていく。全身の血を滾らせ、彼らとともに戦うために、奮い立たせるために。
それから海岸線を軽くドライブし、彼女を自宅まで送り終えた伊月はおんぼろ車を車庫に滑り込ませる。裏口付近で煙草を取り出して火を点ける。そこに頑固親父がやって来て一緒に吸い始めた。
「大会っていうのは、いつだ?」
虚を衝かれる。咳込み、伊月は涙目になりながらしゃがみ込んで真っ直ぐ前を向く頑固親父をちらっと見た。いかつい顔、いかつい目、どういう生き方をしてくればそんなに頑固そうな人間になれるのかが不思議であった。遺伝的に考えると母親似ではあるが、いつか自分も同じような頑固親父にでもなるのだろうかと伊月は想像して、すぐさま想像してしまった画像を除去する。
「いつなんだ」
「五月のゴールデンウィークだな。ここで負ければ三年生にとっての引退試合になる。勝ち進めば県大会、その次が全国大会だ」
「……そうか」
ぼそっと言って煙草を吸い続ける。
「楽しいか」
「まあ、楽しいかな」
「そうか」
「なんだよ」
「うるせえ」
無慈悲な拳骨が脇腹にぶつけられる。しかし、いつもと違って軽かった。痛くもない拳をぶつけられて戸惑っていると、そんな伊月を無視して頑固親父は家の中へ戻って行った。
「なんだよ、意味がわからんぞ」
ぶつくさ言いながら伊月はもう一本煙草を吸ってから家に入った。車の鍵を戸棚に入れて、スティックタイプのカフェオレを淹れていると母親がやって来て尻でテーブルの前にいた伊月を押し退けて冷蔵庫を開けた。なんだよ、とやはりぶつくさ言いながら移動する。こたつ布団がなくなった骨組みだけのこたつに座り、テレビを点ける。とくに見る番組もなく、以前むつみから借りたプロテニスの試合が映っているDVDをデッキに入れた。映し出されたのは昨年の全米オープンの試合だ。太陽の日差しが赤土を照らし出し、まるで真っ赤に燃えているよう。そこに姿を現した選手らが歓声を浴びながら入場してきた。鍛え上げられた肉体、試合に臨む彼らの目が、どこか入屋と重なって見える。じっと画面を見つめ、試合が始まったところで、剥いて切ってあるリンゴを持ってきた母親が隣に座った。「とうさん、りんごー」と言って、頑固親父が奥から酒瓶を持って出てきた。
「いいのか、仕事中に」
「配達はもう終わった」
言って、酒を飲み始める。伊月の苦手な焼酎だ。香りを避けるように身体をテレビ画面に向ける。エグイ角度で打ち込まれるサーブ、取れないだろうと思ったボールに追いついて自分のポイントにしてしまうスーパーショット、数十回にも及ぶ長いラリーから浮いたボールがスマッシュで赤土に叩き込まれる。レベルの高い試合は、いつ見ても勉強になる。
高校生の頃、両親に頼み込んで買ってもらったプロテニスの試合のDVDは、何百回と伊月は繰り返して見て、自分の中に経験値として取り込んできた。自分が画面の向こう側の試合に出ている選手だと思い込んでのイメージトレーニング、ノートにまとめた試合の中で繰り広げられる緻密な戦略、対応策、スタイル、すべてを自分のプレーに生かしてきた。それでも、届かなかった。そして、孤独な戦いに後悔し、最後にラケットを自ら手放した。
「…………」
もっと自分にできることはないか、それだけを伊月は考える。今以上に彼らに力を付けてあげられないだろうかと試合の様子を凝視する。脳内では残りの期間でどれだけの練習ができて、どういう対策ができて、どういうフォローができるかのか、パンパンに膨れ上がるほどのことを考えていた。高校三年間はひたすら自分のためにやってきた。それが部のためになると思って、ただひたすら、がむしゃらにやってきた。しかし、今は違う。自分のためではなく、自分が果たせなかったことを果たしてほしいという思いではなく。ただひたすらに、彼らの道を切り開くことに繋がる何かを、探し続けている。
「伊月」
りんごを頬張りながら、ぶっきらぼうな声で母親が呼んでくる。生返事で「なに」と返して振り向くと、じっと見つめられていたことようやく気付いた。
「なに」
「そんなに真剣なあんたをもう一度見ることになるとは、思ってもみなかった」
母親はとくに表情を変えることなく、しかしどこか懐かしい思い出に触れているかのようなもの柔らかい声に変わっていった。
「最後の試合、あれからあんたは変わったからねえ、あたしもとうさんも、あんたはもう駄目だと思っていたんよ」




