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 テニスが改めて好きだと感じた。それでも、息苦しさや胸の痛みが伊月を襲ってくる。その原因がまったくわからないで伊月が戸惑っていると、隣のコートで二年生が試合形式の練習をし始めた。左右のコートに目を配りながら、胸の奥の痛みを堪えながら、ペンを走らせる。

 全体的に安定したプレー、突出していたのが入屋と明智だけではあったが、それでも基礎ができている彼らに大きな穴という穴は見当たらない。優秀と言ってもいい。そして、その中心にいるのは、やはり入屋と明智で、この二人が部全体に良い影響を与えていることは間違いなかった。

 一通り見終えた伊月はいつもの練習に戻るように指示を出し、ベンチに座る古藤先生の横でメモを読み直す。綺麗にまとめながら、課題をそれぞれに書き足していく。コーチを経験したことのない伊月だったが、コートの外側から見ると意外と欠点や弱点、長所や短所といった自分では気付けないであろう点が見えてくるものだと、まとめ終わった紙をまじまじと眺めた。これから何をすべきなのか、どういう指示を出せばいいものなのか、さすがに素人の古藤先生に訊くわけにもいかず、正直に自分の観察したとおりのことを伊月は部員全員に話すことにした。一人ひとり呼び出し指摘、そして部長である明智を呼び出し、伊月はメモを元に口を動かす。

「お前はストローク、ボレー、スマッシュ、どれも安定していてとくに問題はない。ただ、サーブだけは、少しだけ慎重になり過ぎているようだな。確実に入れるのは絶対ではあるが、相手に『どうぞ打ってください』と言っているようなサーブじゃあ、駄目だ。もっと攻めの姿勢で打て。それができれば、お前のプレー全体に良い影響が出てくる。徹底的にサーブを鍛えろ」

「わかりました」

 律儀に頭を下げ、明智は練習へと戻っていく。早速コートの横でサーブのフォームを確認し始めた明智を眺めながら、明智英助は努力型の天才だと伊月は思った。努力せずに持って生まれた才能と、自力で鍛え上げた才能とでは質が違う。しかし、修正しなければならないとき、有利なのは努力型の天才だ。自分を理解しているだけに、吸収率も高い。感覚だけでできてしまう天才と違い、柔軟なのだ。

「これから、あいつはもっと成長するだろうな」

 ぽつりと呟き、伊月は次に問題児を呼び出す。入屋司だ。呼ばれて嬉しそうに駆けてきた入屋に、伊月は端的に指摘する。

「入屋、お前のプレーは素晴らしいと思う」

「うっす!」

「が」

「が!?」

 ひい、と入屋は身体を捩って伊月の言葉に怯えるようにしゃがみ込んだ。

「プレーにむらがあるのはお前も理解しているようだな。昨日もそうだったが、試合形式になった途端にバランスが大きく崩れてしまっている。基礎練でのストロークやボレー、スマッシュ、サーブはある程度できるくせに、むらがあるせいで試合になると自分のミスや相手に少しリードされただけでバランスが崩れていつものプレーができなくなっている」メモ用紙を捲り、軽く睨むように入屋を見る。「よくあるパターンだ。お前は、練習では上手いタイプ。そしてその日の気分でむらができて、さらに試合になると自分をフルで活かせていない」

 はっきりと言うと、さすがの入屋も落ち込んだように見えた。

「お前はとにかく試合を意識して練習をしろ。そして、試合はできる限り基礎練での自分を意識して自由に動いて打っていけ」

「……じゃあ、部活が終わったら試合形式の練習に付き合ってくれませんか?」

 言われて、悩む。別に打っても構わないのだが、入屋だけを特別扱いすれば他の部員からの反発を喰らう可能性がある。コーチといってもマンツーマンのコーチではないのだ。

「駄目だ。お前だけを見るために俺はコーチを引き受けたわけじゃない。このテニス部全体のコーチである以上、お前を特別扱いするわけにはいかん」

「ちぇっ」

 拗ねたように言って踵を返して練習に戻っていく入屋を眺めていると、隣でずっと黙り込んでいた古藤先生が口を開いた。

「なら、流れ作業で試合の相手をしてあげるのはどうでしょう?」

「流れ作業、ですか?」

「正直ゲームのルールはあまりわかりませんが、1ゲームの同点からの二点差決着(デュース)なしでローテーションでの試合。それであれば入屋くんだけじゃなくて、他の部員もいい経験を得られるでしょう」

「……それって、俺が相当きついですが」

「ええ、そうですねえ」

 笑いながら古藤先生に言われた伊月は頭を抱えた。男子テニス部は二十四名。伊月が全勝することを前提にした単純計算で一人当たり4ゲーム、全員を相手にするとなると最低でも……おそろしい数のゲームを連続でこなさなければならない。

「半端ないな……」

 言いつつ、伊月はラケットを取り出してストレッチを開始する。それを見た入屋の表情がぱあっと明るくなったのがわかった。全員の視線が集まり、明智の鋭い目が伊月に向けられ、伊月は面倒臭そうに言った。

「コートを一面空けてくれ。俺が入る。3ゲーム1セットマッチ、デュース・タイブレークなしの試合形式。サーブ、リターンは自分で選べ」コートに立ち、伊月は全員を敵だと思いながら強い口調で言う。「休憩は流石に挟ませてもらう。やりたい奴からコートに入ってくれ。ちなみに手加減は一切しない。心が折られたくない奴は基礎練に入れ」

 挑発的に伊月が言うと、全員がざわついた。しかし、その中から一人コートに入ってこようとする入屋の姿があった。入屋ならすぐに喰いついてくるだろうと踏んでいた伊月だったが、一足先にコートに入ってきた部員がいた。

「最初は、明智か」

「よろしくお願いします」

 明智はボールを手にサービスラインに向かって行く。先を越された入屋は地団太を踏んでから通常練習へと戻る。しかし、視線は伊月たちのいるコートに向けられており、男子だけでなく、女子テニス側からも視線を感じる。ギャラリーがいようがいまいが、伊月には関係がない。それに、これは公式戦ではない。負けてもいい、勝ってもいい、どうでもいい試合。背負うものもなく、失うものもない。だからこそ、適当であっても、自分のプレーをするだけなのだ。

「いきます」と明智がサーブのフォームに入り、空中へボールをトスする。綺麗なフォームから放たれたサーブは、伊月が指摘したまま、『どうぞ打ってください』といった優しいものだった。真剣な面持ちをしている明智を見て、伊月はそれが今の彼にとっての全力なのかと、少しだけがっくりとした。すぐに変わることができなくとも、少しぐらいは変化しているだろうと期待していただけに、彼の優しいサーブはとても残念なものだった。

(悪いな、明智)

 伊月は、容赦なく打ち返した。本気のリターンで打ち返したボールはシングルスコートのコーナーを抉り、ベンチに座っていた古藤先生の横に真っ直ぐ飛んでいった。一瞬にして顔を青ざめさせた古藤先生に詫びとして軽くお辞儀をする。そして、伊月は呆然としている明智を見た。よく見れば、伊月のプレーを既に目の当たりにしていた入屋を除く全員が驚嘆の表情を浮かべていた。急に恥ずかしくなった伊月は頭を掻いて「続けるぞ」と言って構えた。


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