八話 告白/酷薄・下
俺は一つの考えがあった。
明るみに出たがらない闇が二つ。
幸せになりたい者二人。
闇夜に蠢く逢魔時の欠落者。ここは俺が一仕事してみせよう。
――周波数調整員として。
❖
俺は武蔵関公園で待ち合わせをした。
約束はしてないが、彼女はきっと現れる。
確信を持って待ち続けている。
あの時と同じように、ブランコに座って公園を眺めていると、やがて薄暗い公園の入り口から人影が現れた。
砂を踏む足音がこちらに向かって近付くにつれ、輪郭に張り付いた闇は街灯に剥がされて、姿を現した。
瀬川忍だ。
俺は前もって自販機で買っておいた缶コーヒーを一つ差し出して、瀬川に渡す。
「よう」俺は短く挨拶をする。
「………」瀬川は俺の態度に警戒しているのか、その表情は固い。
「返事。持ってきた」俺は自分の分の缶コーヒーを一口飲み込んで、公園を眺める。
「そう。聞きたいわ。」瀬川は隣のブランコに座って、落ち着き払って返事を待つ。
「だが、その前に確認したい。」
「あら、何よ」
「瀬川、お前はまた分身を作れるか?」
「…どういう意味かしら?」
瀬川は俺の言葉の意味を問う。確かに突飛な発言ではある。
「お前と幸せになるためには、二つの条件がある。
一つは、俺の妹を受け入れること。
一つは、殺してほしい人がいること。」
「…余計にわからないわね。あなたに妹なんていたかしら」そう質問する瀬川も、心の内では予感していたのだろう。顔には動揺は見えない。
「俺の妹、名前は小夜っていうんだ。」
「…へぇ。」瀬川は愉快そうに笑う。「それで、誰を殺してほしいのかしら」腕を組んで口元を手で隠す瀬川。声音は微かに愉悦に震えている。俺のことを、楽しそうな顔で眺めた。
俺は一つ深呼吸して、勤めて静かに伝える。
「小夜の両親。二人ともだ」
「あなたの妹の両親…。それはあなたの両親ではなくて?」クスクスと、凄惨に笑う。指の檻の向こうから、死生観と愉悦が同居した細い月のような唇が、艶やかに光を反射する。
「改めて確認するぞ。瀬川。お前はまた分身を作れるか?」
末期の饗庭家を殺して、小夜の人生から病巣を摘出する。
それには俺と瀬川、そして何より小夜のアリバイが必要なのだ。明るみに出ないように、再び分身に活躍して欲しい。
瀬川が自分の夫を殺した時のように、第三者の暗殺者が必要なのだ。
「………。」
真っ直ぐに目を合わせてから数刻。瀬川の顔からは笑みはなくなり、真剣な表情に変わった。
「あなたが私を拒絶した場合にとっておいたの。……最後の分身よ。」瀬川が唐突にそう言った。
それが何の話題なのか、一泊の間をおいて理解した。
「出来るんだな」
「ええ、私のとっておきの分岐点。『私の子宮が病に侵されなかった場合の人生』」
「…おい、……それって………!」
それは、瀬川の人生における分岐点。
一つ目が初恋。
二つ目が子宮頸癌。
瀬川が夫を殺すために使用した分身が、初恋。だから、もう一つの分岐点が残っているのだ。
「まさにとっておき。…最終手段。
これを使うと私は完全に子を産む能力を失う。
だからね、もしあなたとの初恋が、上手く行かなかったら、子宮と引き換えに、あなたを殺す事も考えていたわ。」
俺は戦慄する。覚悟して臨んできたはずだが、背中はぞわりと粟立っている。
瀬川の持つカードの強力さには、末恐ろしいと感じる。
「ねぇ、尾鳥君。…あなたは子供欲しい? 子供が出来ないことで私を捨てたりする?」
この問いかけが、おそらくは俺の周りすべての人を左右する重大な選択だ。
覚悟を。埋み火を今一度再燃させてみせる。
「捨てない」はっきりと、宣言する。「お前が構わないなら、小夜を娘のように接して欲しい。」
俺は目の前の狂気に怯えを感じながらも、真っ直ぐに見つめてそう言った。
頭の中、どこか冷静な自分いる。この状況を俯瞰して、まるで悪魔との契約だ。なんて思う。
瀬川と小夜、二人のためのスケープゴートだ。と、力なく笑う。まさにその通りだ。スケープゴート。身代わり。囮。
でも、まぁ、悪くはないよな。
これでも瀬川忍は俺の初恋の相手なだけあって、顔立ちも性格も美しい。
それに、小夜の呪いを断ち切ることが出来るだろう。
『そういうのを引き寄せる体質だから、お前のことは囮って呼ぶよ』
昔の貝木の言葉を思い出す。
やり遂げてみせる。
長い時間をかけて、杵原が《龍》になるまでを見届けながら。
闇は明るみに出ないまま、幸せを見つけてやるさ。
・CRUMBLING【ぼろぼろな】(クルムブリング)
・SKY【空】(スカイ)
闇は闇のままに、闇の中での幸せを模索する。…逢魔時の欠落者たちの日常を描いた物語。
幸福というものには平均というものがあります。しかし、本来は自分の身の丈にあった適量というものがありますね。
私の中では、ハッピーエンドなのですが、果たしてこの物語を読んで頂けた皆様にはどう映るのでしょうか。幸せと呼ぶには物足りない?いっそ不幸?
尾鳥たちのこれからを夢想してみるのも面白いかも知れません。
楽しんでいただけたのなら、幸いです。