見える傷、見えない傷
亜希子は、車のフロントガラスの修理を終え、
家へ向かうところだった。
運転しながら、亜希子は ふと思った。
『ガラスに付いた傷…… 見える傷なら、
こうやって綺麗に消せる。でも、心に……
ユキさんの心に付いた傷は……』
亜希子は決心した。
ユキと、ちゃんと向き合おうと……
祐子達になんと言われようと、ちゃんと話を聞こうと……
家に着いて、駐車した車の中で、携帯を取り出した亜希子。
もちろん、ユキに連絡するためだ。
ところが、それと同時に着信が入った。
相手は弘子だった。
『あ、亜希子さん?ちょっと大変なのよ!
祐子さんが、公園の横の階段から転げ落ちて
大怪我したらしいのよ!』
「えっ‼︎ 」
亜希子は驚いた。
『私一応、お見舞いに行こうと思ってるんだけど、
亜希子さんも一緒にどう?』
「ご一緒します」
『未知子さんも誘っておくから。詳しい事は後で
メールするわね』
「ええ、分かりました」
『でもね、私、ちょっと思うのよね』弘子が言った。
「え?何をですか?」
『ほら、祐子さん、迫田さんの事、何か毛嫌いしてたから
SNS使って、彼女のこと仲間外れにしたじゃない?
あの噂、本当だったのかしら? こう言っちゃ何だけど
この怪我、自業自得かなって……』
「……」
『あ、ここだけの話にしといてね。それじゃ』
「自業自得か……」亜希子は深呼吸をして、ユキに電話をした。
口の中がカラカラだった。
1コール…… 2コール…… コール音が永遠に続くように思えた。
『はい』
久しぶりに聞くユキの声。
「あの……亜希子です。 何ていうか、特に用事ってわけじゃ
ないんですけど、その…… 私、この前、スーパーで会った
時、無視したみたいになっちゃって……
えっと、ずっと気になってて……
ユキさんも何だか元気なかったみたいだし……」
『気にしてくれてありがとう。私、皆んなに何か悪い事でも
したのかしら?変な噂立てられて……
私、本当に万引きなんかしてないわ』
ユキはそう言った。
声が震えている。泣いているようだった。
「分かってます。信じます。ユキさんが追い詰められてるの
分かってて、私、祐子さん達に目をつけられるのが怖くて、
ユキさんと、ちゃんと向き合えなくて……
本当にごめんなさい」
電話で相手には見えないのに、亜希子は深々と頭をさげていた。
迫田 ユキは、亜希子がこの地に引っ越してきた時、
一番に声をかけてくれた相手だ。
慣れない土地で困っていた亜希子に、病院や、子供の幼稚園の事、
安いスーパーの情報などを、親切に教えてくれた。
『私、亜希子さんにさえ、本当の事を分かってもらえれば、
それでいいと思ってる。私ね、あなたの事、勝手に友人だと
思ってたから …… だから、亜希子さんに、誤解されたままなのは、
どうしても耐えられなかった』
ユキの言葉に、亜希子は
「本当に、本当にごめんなさい!私、正直、ユキさんの事
少し疑ってたの。
よく考えたら、ユキさんが万引きなんかするわけないですよね。
周りの言葉に流されて、ユキさんの事、ちゃんと見えてなかった。
許して……」と言った。
『亜希子さん、あなたはやっぱり正直な人ね。もう、いいわよ。
あなたさえ、分かってくれれば それで……
電話ありがとう。嬉しかった』
「私も、ユキさんと ちゃんと話せて良かったです」
『私も。おやすみなさい』
「おやすみなさい!」
電話を切った後、自分の愚かさ、浅はかさに、そして
ユキを苦しめてしまった事への謝罪の気持ちで、亜希子は泣いた。
翌日……
亜希子、弘子、未知子の3人は、小田切 祐子が入院している
病院へ向かった。
駅への近道という事もあって、公園の横の階段、
〔祐子が怪我をした階段〕を通ろうとしていた。
『この一番上から落ちたらしいわよ』弘子が言った。
3人で下を見下ろしてゾッとした。
『結構、急なのね…… 段数も多いし……』
未知子が青い顔で言った。
亜希子は、階段の隅で風に煽られ、カサカサと音を
立てている紙に、ふと目をやった。
拾い上げて見ると、鳥の形をしていた。
『何、それ!』弘子が言った。
『何か文字が書いてある』未知子の言葉に、
亜希子は、それを広げて確認した。
【コトバハ イキテイル】そう書かれていた。
『ええ⁇どういう意味かしら?』
『子どものイタズラかもよ』
そういう2人を尻目に、亜希子はその紙の鳥をカバンにしまった。
何故か、そうしなければいけないような気がしたからだ。
3人は、祐子の入院先に到着した。
頭、顔、腕、足、至る所がガーゼと包帯だらけで、
痛々しい姿の祐子がそこに居た。
「具合どう?」恐る恐る弘子が声を掛けた。
『もうっ!どうもこうも無いわよ‼︎ 駅まで近道しようと思って
公園の横の階段へ行ったら、いきなり鳥が飛んで来て、
それを避けようとしたら階段から落ちちゃったのよ‼︎』
「鳥?」亜希子が聞いた。
『そう!白い鳥よ‼︎ もう、なんで私がこんな目に合わなきゃ
ならないのよ!ああ、腹立つ‼︎ 』
3人は顔を見合わせた。
亜希子は、おもむろにカバンから紙の鳥を取り出し、祐子に見せた。
「鳥って、これの事じゃないですか?」
『何これ?これって紙じゃない‼︎ 私は鳥に襲われたのよ!
こんな紙きれじゃないわ‼︎ 』
「これを見てください」亜希子は紙を広げて文字を見せた。
【コトバハ イキテイル】
それを見て、祐子は目を見開いた。
『何これ、気持ち悪い‼︎ これに襲われたとしたら、きっと
誰かのイタズラよ。私の事恨んでる誰か……
あ!迫田さんかもしれないわ!私のせいで、自分が仲間外れに
なってるって思い込んでるから』
「違うと思います」亜希子が言った。
『え⁉︎』
「そもそも、何で誰かに恨まれてると思ったんですか?
しかも、それが 迫田 ユキさんだって、どうして そう思ったんですか?」
『えっと……それは……』祐子は言葉に詰まった。
「私、迫田さんが……ユキさんが万引きしたなんて信じません。
彼女自身がハッキリそう言ってたから、やってないって。
私は、ユキさんの言葉を信じます!それじゃあ、お大事に」
亜希子は自分でも驚くほど冷静に、しかも堂々と、そう言ってのけた。
会釈して病室を出る亜希子に便乗するように、弘子と未知子も
「祐子さん、じゃあお大事に……」と言って病室を出た。
亜希子は、妙に清々しい気持ちで帰路に着いた。
***************
私は、梓の病室の前で迷っていた。
彼女から逃げるように実家へ帰ってから、
一度も連絡を取っていない梓と、何を話すのだろうか……
自分の事を、ただの〔引き立て役〕としか思っていない
相手と、どんな顔をして会えばいいのだろうか……
突然、ドアが開いた。
部屋の中から、看護師さんが顔を出した。
「あら、お見舞いですか?どうぞ!」
そう促されて、私は病室へ足を踏み入れた。
『美咲……』
梓は私が来た事に、ひどく驚いた様子だった。
「真実から、梓が入院したって聞いて……」
私がそう言うと、
『何で入院したかも聞いたの?』と彼女は言った。
梓の言葉に私は『うん』と頷いた。
梓は『はーーー……』と深いため息をついた。
『美咲、私の事バカだと思ってるんでしょ?
不倫して、挙げ句に相手の奥さんに殺されかけて……
お腹の中で笑ってるんでしょ!』
「そんな風に思ってないよ」
『私、美咲の事、自分の引き立て役だと思ってたのよ』
「知ってる」
『あんたの事、バカにしてたのよ!』
「知ってる」
『じゃあ、何で見舞いに来たのよ!あんた、やっぱりバカよ‼︎』
「そうだね……」私は笑った。
「でも、梓は、私にとって友人だと思って付き合って来た相手だし、
美人で、明るくて、そんな梓が私の近くにいてくれる事を、
結構、自慢に思ってたし……」
『ヒック…… ヒック……』突然、梓が泣き始めた。
私がキョトンとしていると、
『やっぱり、美咲ってバカ……』泣きながら、梓がそう言った。
『私はね、美咲に負けたくなかったんだよ。あんた、入社当初から
凄い仕事できたじゃん。後輩からの信頼も厚いし、そういうとこ
勝てないなって思ってた……』
私は驚いた。
あの梓に、ライバル視されてたなんて……
『仕事じゃ美咲に勝てないし、見た目取り繕って、優位に立つ事くらいしか
思いつかなかった……
信頼できる友達なんていないし、私、寂しかった。
そんな時、優しくしてくれた彼と、何となく、そう言う事になって……
ごめん。バカなのは私の方だね……』
「かわいい人だ」私はそう思ってしまった。
梓の頭を そっと撫でた。
梓は、顔を覆って号泣した。
「もう不倫なんてやめなよ……」私がそう言うと、
梓は泣きながら『コクン』と頷いた。
私は、梓の病室を出ると、何だか救急外来の方が騒がしい事に気がついた。
頻繁に救急車がやって来て、怪我人を運んでいる。
『大きな事故でもあったのかしら?』
そう思って見ていると、知らない老人が、
「原因不明の怪我で担ぎ込まれてくる人が、多勢いるらしい
ですよ。 それに、この市だけじゃなくて、他の土地でもらしい……
今、TVでやってるよ」そう教えてくれた。
私は、病院のロビーにあるTVの大画面に目をやった。
日本の至る所で、原因不明の傷を負った人が手当てを受けている
ニュースが報じられていた。
その中の何人もの人間が、
『白い鳥に襲われた』
『紙飛行機みたいな物に怪我をさせられた』
と、言っていることも そのニュースで知った。
幸い、どの被害者も 命に別状はないらしい。
『鳥が人を襲うなんて事、あるのかしら?しかも、日本中で?』
様々な疑問が頭の中を駆け巡ったが、私の知識で
どうこうできる問題ではなさそうだ。
私は再び、実家へ戻った。




