5話
≪ダンジョンの魔物は、なぜわれわれ人間を積極的に襲ってくるのか?≫
初めてダンジョン内の魔法技術を確立されたとされるアレイスター・クロウリー。
彼はその疑問に対して、彼の著書【異界の法の書】で≪魔物とは世界を守る守護霊であるからだ≫という仮説を立てている。
魔物がダンジョンに入ってきた人間を積極的に襲ってくるのは、世界と世界の狭間であるダンジョンに入ってきた人間という名の空間的異物を追い出すため。
そう、魔物は別に人間憎しで襲ってくるのではない、彼らは人間がダンジョンという危うい空間で暴れて世界の危機を起こさないための見張りなのだというのが彼の持論だ。
だから、例えどんなに魔物が憎くてもあなたは決して魔物憎しで行動してはならない。
彼らは彼らなりに、いや我々以上に世界を気にかけ、そして守護してくれる存在なのだから。
もし仮に彼らを滅ぼしてしまった場合、きっとその時泣きを見るのは恐らく我々の方なのだから、というのがかの魔術王の主張である。
「くっそ!!おらっ!!離せこのくそ魔物!
離せ!離せ!そして、くたばれ!くたばれぇぇぇぇぇぇえ!!!!!」
『わ~お、ユキオさん。かなり過激ですね』
しかしそんな説法や警告、実際に魔物に襲われ中のダンジョン探索者にとっては微塵も役に立たないお話だ。
さて、初遭遇から奇襲を受け、その左足を魔物の爪にとらわれてしまったユキオ。
今回ユキオが捕まってしまった魔物は巨大なカニであった。
その爪だけでユキオの顔ほどもあり、砂下からの素早い奇襲を見るにその俊敏性も決して現実世界にいる巨大ガニのそれとは一味違う。
そして何よりも特徴はその爪の握力であり、現在全身甲冑を着ているユキオにそんなの関係ねぇとばかりに足を確保することでユキオの姿勢を崩させ、そのまま鉄に覆われた足首を切断しようとするその姿はまさに魔物と呼ぶにふさわしい姿であろう。
もっとも襲われているユキオにとってはたまったものではないが。
――――ゴリュ、グギギ……パキィ!
「あー!あー!脛あてのパーツが割れる音がした!
というか、今自分鎧きてるのに普通にこのカニ、それごと切断しようとしてくるんだけど!
いた!いたぁい!いたたたたたたた!!やばい!爪の一部が!突起が!鉄板を貫いてきてる!!
助けて!!」
『お、落ち着いてください!!
こんな時のためのダンジョンセーフティですよ!ダンジョンセーフティ!
もしユキオさんが致命傷を負うような目に合えば、ダンジョンキーパー及びダンジョンの持つ性質として、自然とユキオさんはダンジョンからはじき出されるはずです!
しかも、ある程度怪我を受ける前の状態で!だから安心して挑んでください!』
「なぁ!足首を切断されるって、ちゃんと致命傷としてカウントされるよなぁ?」
『……微妙ですね。
指の切断程度の場合、セーフティが発動せずダンジョンから戻ってもそのままってパターンも多いらしいです。
あ、それなら今すぐそこで自殺してください!熟練の探索者は下手に身体欠損しそうな場合はあえてそうしているそうです!
そうすれば下手な後遺症を受ける前に脱出できますからね!
だから、こう、首に刃を当ててぐりゅっと!早く!!』
駄目だこいつ、まるで役に立たねぇ。
無駄口をたたきつつもユキオは手に持つ槍で自分の足首をつかんでいるその巨大ガニの爪を切り払おうとするが、結果はあまりよろしくない。
そもそもただでさえ引き倒された状態で自分の足元を槍で切り払うという慣れない行為をしようとしているのに、相手は魔物ゆえかその甲殻はまるで岩のように固い。
幸い、こちらも魔力強化を鎧ごと行っているからか鉄をも切断する爪の握撃を食らいながら足を切断されるには至ってない。
「……って、あ。
そうだ!感知だよ感知!」
魔力による【肉体強化】はやっていても、相手の魔物の位置をつかむだけではない弱点すら見破る【魔力感知】はきっちりとやってはいなかった。
【魔力感知】は相手の短所と長所、どっちも見破れる場合が多いらしい。
それに期待して、魔力感知を始めてこのカニの弱点を探し当て一突きで倒してやろう。
そう意気込み、さっそくユキオは体の強化を続けつつも細かい魔力感知を開始した。
「……うん、思った通り、このカニ野郎も魔力で肉体を強化してるからこんな強いのか。
しかも爪にほとんどの魔力が爪に偏ってるな、どうりで槍の1突きや2突きでは弾かれるわけだ」
ユキオが足や槍が切断されないように最低限の肉体強化をしつつも、相手の魔力の流れを読む。
眼の前のカニの魔物は、どうやらその魔力をほとんどその爪に集めて、ユキオの足を切断しようとしているらしい。
それだけだと相手の長所がわかっただけであるが、さらによくよく見てみるとその魔力はとある部分を起点にして流れているのがわかる。
生き物でも魔物でも、魔力の起点とはその生き物の大事な部位や機関であることが多い。
つまりは……
「お前の弱点は、眉間か」
ユキオは敵魔物の弱点を感知することに成功。
そして槍をきっちり握り直し倒れた状態のままでもせめて全力でと、その手に持つ槍を相手の眉間へと叩き込もうとした。
「……っつ!」
しかし、残念ながら敵のほうが一手早かった。
今ユキオの足を片爪でつかんでいるカニの魔物は、こんどはその反対側の爪も追加して今度こそユキオの左足首切断せんと伸ばしてきたのであった。
「させるかぁぁぁぁ!!!!!」
――――ぎゃりぃぃぃん!!!!
が、それを寸前のところでユキオは阻止することに成功した。
自身の持つ槍の狙いを無理やり相手の眉間から左爪の軌道に割り込ませることで自身の足ではなく、槍の柄を代わりに掴ませたのだ。
ただでさえ、現在ユキオの魔力強化と鎧の強度によってぎりぎりユキオの足首と太腿は繋がったままなのである。
もしユキオの足を切ろうとする鋏が1本から2本になったら、あっという間にユキオの太腿より下はカニのエサとなってしまっていただろう。
「……って、あ。」
……そう、成功してしまったのだ。
ユキオの持つ唯一の得物を、相手の一度挟んだら絶対に離さないその万力爪に、つかませてしまったのだ。
「……もしかして、これって詰んだ?」
ユキオの頭の冷静な部分がそんな答えを導きだした。
『大丈夫です!こういう時のための非常用短刀でしょ?』
「いやいや、さすがに短刀だと相手の弱点に届くほどリーチがないだろ」
『いや、その大きさでも頸動脈を刺せば一発で帰還はできるはずですから!』
【悲報】スズキ無能【知ってた】
そんな戯言が脳裏に浮かんでくるくらいには今のユキオの状態は追い詰められていた。
逃げようにも足首をつかまれてるから移動ができない。
反撃しようにも武器をつかまれているから攻勢に出れない。
恐らくこのまま何もしなければ、槍と足首どちらも切断されるのは時間の問題であろう。
……だからこそ、ユキオはここで第3の手段に出なければならなかった。
「……しゃーない。
くっそ!まともに魔法を使うなんて、高校のかくし芸大会の時以来だぞ!」
そういいながらユキオは術式に魔力を貯める。
それに伴い、肉体強化に回していた分の魔力が少なくなり、必然的に脚部の防御が脆くなる。
今までの速度とは違う速度で足鎧が壊されて入り、ユキオの足の痛みと金属がひしゃげる音が強くなる。
「ぐぎぎぎぎ……!!」
ユキオの額に嫌な汗がわく。
会社で初めて任された大事な企画書を失くした時以上の冷汗がユキオの体から噴き出す。
痛みで思わず術式が崩れそうになるが、ここで失敗すればあの時以上にひどい目にあうのは確実であろう、物理的な意味で。
「キャスト【勇猛】!!」
【勇猛】
これはダンジョン探索の歴史において、最初期に作られたといわれる魔法。
【勇猛】の効果により、ユキオの体にたまった魔力とダンジョンの膨大な魔力が槍先に混じり合い、そこから膨大な魔力を放出される!
もちろん、放出された魔力は相手が生身の人間なら触れるだけで皮膚を吹き飛ばすほどの威力はあったであろう。
しかし相手は魔物、しかも甲殻類であるためその放出された魔力の圧を受けてもけろりとして、致命傷になっていないのは明らか。
そもそもそんな強い魔力の放出を行っているのにカニの魔物はピクリともその爪に持つ槍を離す気配はなかった。
が、そもそもユキオの狙いはそれではなかった。
「でりゃあぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
ユキオは挟まれていないほうの右足をカニの体に押し付け、思いっきりその爪につかまれたままの槍を引っこ抜く!
身体強化された足と腕の力、さらに【勇猛】によって強大な力ベクトルと化した槍先があっさりと魔物の体から離れていく。
それでもカニの魔物の爪は槍をつかんだまま離れないし、魔物の魔力の大部分持った爪はそれでも破壊されなかった。
つまり今回の場合は……
――――ブチブチッ!!ブチジュ!!
「槍は返してもらう!!
お前の爪ごとなぁぁぁぁぁ!!!!!」
即ち、カニが槍を離さないならそのまま無理やり相手の爪を付け根からもぎ取る。
幸いこのカニ、爪の握力や硬度は強化してあってもその腕の付け根はその限りではなかったらしい。
その生え際だった場所からは紫の体液がぼたりぼたりと滴り、口からぶくりぶくりと泡を吹き始める。
が、時すでに遅し。すでに自由になったユキオの槍は魔物の弱点である眉間へとピタリと狙いを定めており……
「終わりだぁ!!」
ユキオの槍が魔物の魔力の核に向かって真っすぐに突き刺さる。
しかし、魔物ゆえか弱点に槍を突き立てられただけでは即死せず、最後の抵抗とばかりに未だつかんでいるその爪にさらなる力を込めたが……。
「……残心」
本番ではきちんとドメ刺しを忘れるな。
かつての祖母の覚えを主出しつつユキオは槍をさらにぐいと奥へと押し付け、再び【勇猛】の呪文を発動させた。
槍先から魔力の奔流が発生し、それがカニの内臓を弱点ごとをかき混ぜる。
恐らくそれが止めになったのであろう、そこからは徐々にカニの足からその力を失なわれていく。
そしてゆっくりとカニの体が重力へと引き付けられ、結局カニの体が完全に砂浜へと伏した後もカニの爪がユキオの足首を離すことはなかった。
「……ふぃい~!!
あ~~!!勝った勝てた!!
畜生!本当に死ぬかと思ったぞ!」
ふとユキオの脳裏に、高校時代にこの魔法を教えてくれた手品部の後輩を思い出す。
ありがとう名も思出せない後輩。
君はこれを覚えればもてると言ってくれので、この魔法を使ったノーフィンガーコイントスを覚えたけど、別にモテはしなかったぞ。
けど代わりに、今自分の命を救ったから許してやろう。
『さすがです、ユキオさん!
ユキオさんなら初めての戦闘で奇襲を受けたとしても、問題なく倒せると思ってました!』
「……ほんとこいつは。
ほんまにこいつは……」
あまりのスズキの手のひら返しの速さに呆れを通り越して、もはや一種の笑いすら浮かんでくる。
ユキオも敵を倒した一安心からか、どすんと砂浜へと座り込む。
そして、のろのろと疲れた体を無理やり動かしつつ戦闘の後処理をし始めたのであった。
「このカニ、結構ボロボロでも買い取ってくれるよな?
槍は幸い刃こぼれはないけど、柄にカニ爪の鋏痕あり、多分あと数回【勇猛】を連発したらポッキリ折れる可能性あり。
鎧は足首に穴あきアリ、要メンテナンス……というか痛いと思ったら血が出てる。
はぁ~、とりあえずこんな時のために持ってきた救急セットを使う羽目になるとは」
スズキへの報告も兼ねてゆっくりと口に出しながら状況確認をしていく。
カニの死亡を改めて確認しつつ、死してなお剝がれなかったカニの爪をギリギリと身体強化をかけつつその槍から引きはがす。
そしてさて、さっそく治療のために足甲を脱ごうとしたユキオの動きがぴたりと止まる。
するとユキオの耳に【魔物警報機】の警告音が入ってきた。
「……おかしいなぁ、魔物はすでに倒したのにまだ鳴っているとか。
これは故障かな?」
『あ~、ユキオさん。
これは残念ながら、そうではないと思いますよ?』
ユキオがその嫌な直感に従い、その顔を海の方へと向ける。
するとそこにはまるでイルカのようにポーンと海面から飛び出してきた2体目のカニと、地面からもそもそと這い出てきた巨大なヤスデのような多足蟲の魔物の姿がユキオの目に映ったのであった。
思わずユキオは額に手を当て、天を仰いだのであった。
「ほんとダンジョンってくそだわ……!!」
粘着系ヒロイン(2匹目)