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暗い回廊は、意外と短かった。
突き当たりの普通の大きさの扉を開けると、いくつかの小部屋がある。
扉がないその小部屋は、書庫のようだ。
資料室だろうか。
「これからツィトベレ様には、鏡のある部屋に入っていただきます」
抑えたひくい声。
敬称つけたくないんだろうなー。
「そこで見ていただく人物に、覚えがあればおっしゃってください」
小部屋郡を抜けると、螺旋状の階段を登る。
今度は扉が、右に一つ。左に二つ。
右の扉に誘導される。
石造りで、窓の無い部屋だ。
暗いことこのうえない。
「スクリーン?」
その暗い部屋に、白く浮かび上がる長方形があった。
一瞬、映画館のスクリーンにみえたけど、目がなれたらただの鏡だった。
いや、どでかい鏡だった。
顔のない令嬢と、銀目の武官と無表情の女官が、ぼやぁと浮かんでいる(ホラーだよ!)
「お嬢様、こちらへおかけください」
マグノニさんが椅子を進めてくれたので、遠慮なく座る。
鏡のまんまえだ。
二人はどうするのかと見上げれば、カーラ女史はすでに扉の方に下がっている。
「私はこちらにおります」
マグノニさんは、鏡の横に立った。
はじめはツィトベレ(顔なし)嬢だけが写っていたぼんやりと発光する鏡は、じょじょに白さと明るさを増し、令嬢の姿を消した。
「はへー」
驚いたもんである。
どういった仕掛けなのか、鏡だったものはテレビのように、この部屋ではないまったく違う風景をうつしだした。
円卓だろうか。
人の座り方が、ゆるく弧を描いている。
正面に見えるのは、5人ぐらい。
あとは見切れたり、後ろ頭だったり。
あ、あの正面の後ろ頭、閣下だ。
てっぺんでも禿げないだろうか。
残念ながらフサフサですね。
10円ハゲでもいいんだが。
できんかなー、10円ハゲ。
密かに呪っていたら、マグノニさんからテコ入れ入りましたー。
「お嬢様、よくご覧になってください」
「はいー」
ちなみに、「はい」「いいえ」を日本語で答えていたんだが、そのあたりは通じるようになりました。
「はい・いいえ」ぐらいなら、こっちの発音でも簡単だったので覚えたんだが、やっぱ咄嗟にでるのは母国語ですよね。
「お嬢様から向かいましていちばん左の方。そう、細身で目の青い方です」
生っ白い顔に落ち窪んだ瞳、そして出っ歯でいらっしゃる中年男性ですね。
初見でございます。
「そのとなりの赤毛の髭の方は」
腹のせりだした、ぴちぴちパーンなおじさまですね。
初見でございます。
「そのとなりの、黒髪の方は」
艶光るおぐしがG氏を連想させる、唇が分厚い紳士ですね。
初見でございます。
「そのとなり、青銀髪の方は」
えー、布で目隠しされてる男性?女性?紙みたいに真っ白な肌で、唇が紫って寒いんですか。
初見です。
「そのとなりの、栗毛の背が高い方は」
ひとりだけ飛び出してますね。
デカイっすねー。
バスケ選手になったほうが良いですわよ。
初見です。
すべてに首を振りおえると、カーラ女史から「真面目にやってますか」と嫌味が。
やってますともさ。
わたしは、初めて見る顔です。
本気の顔ですよ。どやぁ
ツィトベレ嬢なら知っていたんだろうか。
おーいツィトベレちゃーん。
あのおじさんたち知らんかねー。
しーん……
わかってた。
でも寂しいわ……
「ふっ!」
いきなりのことで、息がつまった。
「カッ、ゴホッ」
いや、息を吸うのに失敗したんだ。
喉に空気の固まりがとまって、破裂しそうに痛い。
「お嬢様、どうされました」
マグノニさん、こんなときも冷静かつ無表情なのね。怖いわー
嫌ってる相手なのに心配してオロオロしちゃってる、カーラ女史の人の良さを見習って〜。
「ヒュッ。カハッ」
やっと固まりを飲み込めた〜。
ぐうー、喉がひりひりする。
「お水をお持ちしましょう」
マグノニさんは「しばらくお願いします」とカーラさんにまかせて出ていった。
苦しさに背を丸めている背後で、どう動こうかとためらうカーラさんに苦笑する。
たぶん背を撫でてやろうとして、我に返ったんだ。
いい人すぎるね、カーラさん。
罪滅ぼしじゃないけれど。
カーラ女史の心意気に、感じ入ったということにしとこう。
判官びいきの日本人だもの。
よろよろと立ち上がり、鏡による。
見切れている左。
横顔の、瞳までしかうつっていない、その男を指し示した。
「ツィトベレ様?」
うん、ツィトベレだ。
あの、冷たい手に心臓を雑巾絞りされたみたいな感触。
なぜだかわからないけれど、光も差さないくらい暗くて冷たい穴に吸い込まれてしまうみたいに、ゾッとした。
あれは、ツィトベレのだ。
彼女が知っている誰かは、この男だ。