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5.大精霊の憂慮

「助けるって……、どういうこと?」


 いつになく真面目な顔をしているシーリーに疑問が募る。大体何か手助けしてほしいことがあるのなら、タクト本人が言うだろう。けれど昨日から寝食共にしていても、彼にはその素振りもなかった。それに菜月が出来る事などたかがしれている。一体シーリーが何を言いたいのか、菜月には想像もつかない。

 音の無い静かな室内で、シーリーがぽつりと言う。


『タクトは眠れないのだ』

「…………」


 いや、今目の前で思いっきり寝てるけど? そう突っ込みたいけれど、シーリーの纏った空気がそうさせない。菜月も彼が寝ているソファに近付いて寝顔を覗いてみるが、静かな寝息が聞こえるばかりだ。


「私には、寝ているようにしか見えないんだけど……」

『今はな。菜月がいるから眠っている』

「?」


 言っている意味が全然理解できない。私の顔にそれが如実に表れていたのだろう。シーリーは言葉を続ける。


『魔素という言葉を聞いた事はあるか?』

「まそ?」

『では元素は?』

「それなら分かるわ。要はあらゆるものを構成している物でしょう?」

『そうだ。魔素も元素の一種だ。そしてこの世界のあらゆる物質、無機物にも生物にも魔素は含まれている。我の体もタクトの体も、木も水も大気にも』


 元素には様々な種類がある。ポピュラーなのは水素や酸素、炭素。その中に魔素も含まれている、という事らしい。酸素や窒素は空気を構成しているし、水素と酸素は水を構成している。魔素もその一部。ただし、魔素は他の元素とは異なる特徴を持っていて、世界に存在する全ての物に含まれている。


『魔素はエネルギー体。魔素を多く保有できるという事は、つまり大きな魔力を持つという事だ。人であれば、魔素を保持する器官が大きい程優れた魔術の使い手となれる』


 そうか。魔王を倒すことの出来たタクトは人よりもその器官が大きいのだろう。けれど、そこにマイナス要素は見あたらない。それならば一体何を手助けしろと言うのか。


『タクトの器は大きい。けれど大きすぎて、魔素を吸収する力が強すぎるのだ』

「魔素を、吸収?」

『そうだ。魔素はあらゆるものに含まれている。だから通常、生物は水や大気、食物からそれを摂取する。器は常に魔素を満たそうと働くが、タクトの器は大きすぎていくら魔素を摂取しても満たされない』

「満たされないと、どうなるの?」

『自分の意思とは関係なく、器官は魔素を吸収しようとする。呼吸をするだけで大気から魔素は摂取できるのでな』


 呼吸なら誰だってすることだ。それがそれ程問題なのだろうか。


『魔素を吸収するということは、器官が絶えず働いているという事。それはつまり、永遠に休息が訪れない事を意味する』


 そこまで聞いて菜月はやっと理解した。最初にシーリーがタクトは眠れない、と言った訳を。


「こうして眠っているように見えても、体は休息出来ていないという事?」

『近いが、正確には違う。魔素を吸収する器官が働いている間、生物は一種の興奮状態になる。つまりこうして眠る事自体不可能なのだ』

「じゃあ、今彼が眠っているのは?」

『言ったであろう。ナツキがいるからだ』

「……私?」


 自分がここにいる事に一体どんな意味があると言うのだろう。疑問に思っていると、シーリーはほんの僅かに眉間に皺を寄せた。


『ナツキ。理由は分からないが、お前は魔素を保持する器官を持っていないな?』


 その問いに神妙な表情で頷く。菜月はその訳を知っているが、訊かれない限り答えるつもりは無い。


『それどころか、ナツキは魔素を寄せ付けない体質のようだ』

「寄せ付けない?」

『あぁ。どういう訳か、空気中に含まれている魔素ですらナツキを避けるように漂っている』


 空気清浄機、とはちょっと違うか。同じ極性の磁石が反発し合うようなものだろうか。


『そのお陰でナツキの傍は勿論、この山小屋の中には魔素が極端に少ない。吸収するものが無いからタクトの器官も働かず、こうして眠る事ができているのだ』

「ちょ、ちょっと待って。なら、彼はこれまでずっと眠っていなかったってこと?」

『……少なくもここ十年はまともに睡眠を取っていないだろうな』

「十年!?」


 思わず大きな声を出してしまい、慌てて口を噤む。けれどタクトが起きる様子は無い。十年ぶりにようやく眠れたとなればそれも当然か。


『十年前に何があったか覚えているか?』

「あ……、魔物との戦い?」

『そうだ。その渦中に居たタクトは当然体内の魔素を魔物の駆逐の為に放出してきた。大量に吸収していてもその分消費されていたから体内のバランスも何とかうまく取れていた。体を酷使していた事で他の人間から比べれば僅かな時間かもしれないが睡眠も取れていただろう。だが、』

「魔王を倒して、戦いが終わってしまった……」

『放出する機会がなくなり、魔素は体内に溜まる一方になった。過剰な魔素が溜まっていくが、器が満たされることはない。魔素は純度の高いエネルギーだ。エネルギーを蓄積した体は増々興奮状態が解けず、眠れなくなった』

「だから……」


 だから、彼は魔物を倒すのは自己都合だと自嘲したのだ。純粋に人々を助ける為ではなく、あくまで自分の体に溜まる魔素を発散する場として利用しているから。そんな状態を十年間も一人で耐えていたなんて筆舌に尽くし難い。


「ここにいれば、彼は普通の人と同じように眠る事できるのね?」

『正確には菜月の傍にいれば、だな』

「だから彼を此処に呼んだの?」

『そうだ』

「彼がランスロットさん達と一緒に宿に泊まるのを嫌がったのも?」

『そうだ』

「そっか……。なら彼を助けて欲しいと言うのも、そのことなのね」


 タクトの寝顔を見下ろす。こうして眠っている彼を見ていると、シーリーの話はいまいちピンとこない。正直言えば魔素の話も。自分の体質のことも初めて聞いたせいでもあると思う。けれどシーリーは嘘をつかない。それは菜月もよく知っている。

 この山小屋を出て、しばらくは共に行動する事になる。夜出来るだけ彼の傍に居てあげれば良いのだろうか。でも、それってよく考えれば難しい。自分は女で彼は男だ。宿を取るにしても当然部屋は別々になる。無理言って同室にしてもらおうとすれば、事情を知らない人達は菜月がタクトに迫っていると勘違いするかもしれない。そもそもタクト自身が嫌がるだろう。

 そう言ったら、シーリーからは予想外の答えが返ってきた。


『あの小僧には話してあるでな。問題は無い』

「小僧?」

『ランスロットだ』

「いつの間に……」


 あまり仲のよくない二人だが、どうやらタクトの事を心配しているのは点では同じらしく、彼もタクトの特異体質のこと知っているそうだ。ランスロットならば上手い事取り計らってくれるだろう、とシーリーは言う。ただし、ランスロットから一つだけ条件が出されていた。それはタクトに菜月の体質を知らせない事。自分のせいで菜月が無理矢理同行させられていると、彼に思わせない為だそうだ。

 菜月もそれには賛成だった。短い付き合いだが、タクトはきっと余計な責任を感じてしまうだろうと菜月にも理解できたから。本当にランスロットはタクトのことを思いやっているのだと分かる言葉だった。


「本当に、タクトと仲良いんだね」


 シーリーはよくヒトの生活や事情は精霊である自分には関係ない、と口にする。彼がヒトと関わるのは自分が守護する森が関係する時か、もしくは自分が興味惹かれた時だけだ。そんな彼がこれ程までに親身になってタクトの事を心配しているのだから、十分に親密と言える仲なのだろう。

 けれど、視線をタクトの寝顔に落としたシーリーは菜月の予想とは異なる言葉をぽつりと零した。


『……仲が良い、とは違うのかもしれぬ』

「え? でも……」

『お主らの言葉を借りるなら、同情であろうな』

「同情?」


 それは、いつも不遜で我儘な子供のような振る舞いをしているシーリーとは真逆の、老齢した言葉に聞こえた。


『共に戦ったと言っても共闘とは違う。我は魔物から我の森を守っていたに過ぎぬ。ヒトもまたヒトなりの理由の為に戦っていたのだろう。その中に毛色が異なる者が混じっている。最初はその程度の認識しかなかった』


 タクトをタクトとして認識してはおらず、ただ稀な体質の奴がいる。その程度。けれど、沢山の仲間達と共にいても彼はどこか浮いていて、いつの間にかシーリーはタクトを目で追っていた。一度興味を持ったモノは飽くまで忘れないのが良くも悪くも精霊だ。戦いの間の僅かな時間も、シーリーはタクトと共にいるようになった。そして気づいた。戦闘の場ではない他の者にとっての安らぎの時間こそ、タクトにとって苦しみの場なのだと。


『戦闘においては優秀でも、通常の生活が送れないタクトの体質は平時においては欠陥でしかない』

「うん……」


 普通の人と同じような生活が送れない。その体質はある側面から見れば重度の障害だ。端目から見て他人には気づいてもらえないそれは、彼にとってとても辛いハンデだっただろう。


『タクトもそれを分かっているからこそ、仲間達を遠ざけた』

「どうして?」


 少なくとも彼には苦労を分かち合った仲間たちがいる。彼らに相談すれば、完全な解決には至らなくても少しは楽になれたかもしれないのに。


『タクトの仲間はタクトを助けようと尽力するだろう。だが、ヒトの力ではどうすることも出来ぬ。自分が苦しむ姿を見せるのも、自分のせいで仲間達が苦しむ姿を見るのも避けたかったのであろうな』

「……優しいね。でも……」

『ナツキ?』

「その選択が正しかったのか、私には分からない……」


 もっと良い方法があったのではないの? 悩みを打ち明けることで、精神的な負荷だけでも減らせることができたのでは?

 色々な言葉が頭を巡るけれど、結局私に言えることは何もない。私も、彼のように独りを選んだ(・・・・・・)人間だから。


『……正解などない。この世に生を受けたモノはただ、己で選び取った道を進み続けるのみ』

「うん……。分かったよ、シーリー」

『誠か?』

「うん。ろくに眠れないなんて気の毒すぎるもの。私はただ傍に居るだけで良いんだし、出来る限り協力するよ」


 協力したからと言って何か菜月に不利があるわけではない。これでタクトに恋人なり奥さんなりがいるならば問題になっただろうか、どうやらそういう特定の人はいないようだから修羅場に巻き込まれることも無いだろう。

 菜月の返事を聞いて、ようやくシーリーはいつもの子供のような顔で笑った。


『そうだ。ナツキ。もう一つお主には知って貰わねばならぬことがある』

「ん? 何?」

『お主のことだ』

「私……?」

『ランスロットが精霊を可視できる者は限られていると言っていただろう』

「うん」

『ただし、ナツキはその者達とは違う方法で精霊を見ているのだ』

「違う方法?」

『うむ。そもそもヒトが精霊を見ることが出来ないのは、それが魔素によって隠されているからだ』


 魔素には二つの種類がある。一つはヒトのように有機物で構成された肉体を持つ生物が利用するあかの魔素。もう一つは精霊が利用するあおの魔素。肉体を持たない精霊はこの蒼の魔素で体が構成されていて、かつ精霊以外にこの魔素を保持する生命体は存在しない。ヒトは蒼の魔素を利用できないから、それを感知する事が難しい。一方で紅の魔素を積極的に取り込み利用するから、本能的にそちらを求める。だからヒトの感覚は紅の魔素には過敏に反応し、蒼の魔素には反応できない。

 空気中には紅も蒼もどちらの魔素も存在している。けれどヒトの感覚は紅の魔素に反応するから、その中に紛れている蒼の魔素のみで構成された精霊を見つけることが非常に難しい。通常ヒトの中で精霊を見ることが出来るのは、紅の魔素にも惑わされぬほど感覚が鋭い人だけ。


「でも、私は違うんだよね?」

『そうだ。ナツキは体質的に魔素を寄せ付けない、と言ったがそれは紅の魔素のみ。蒼の魔素は吸収も反発もされずに今もナツキの周囲を漂っておる』


 つまり菜月の周囲は紅の魔素が無くなり、あるのは蒼の魔素だけ。


「紅の魔素を寄せ付けないから視界を邪魔する物が無くなって、蒼の魔素で構成された精霊が見えているのね」

『そう言う事になるな。そしてナツキの体質にはランスロットも気付いていない』

「そうなの?」

『あぁ。他の者達と同様に感覚が鋭いのだと思っている筈だ』


 タクトの睡眠を手助けできるよう、シーリーは菜月のことをランスロットに話したと言っていた筈。ならば意図的に紅の魔素だけを寄せ付けないこと話さなかったという事だ。


「どうしてシーリーは私の体質の事、ランスロットさんに言わなかったの?」

『ナツキの体質もタクトの体質も、どちらも前例がない。ヒトが主らにどういう利用価値を見出すか分からない以上、教えるべきではない』

「でも、彼らはタクトの仲間なんでしょう?」

『あぁ、そうだ。ランスロットはタクトの為ならどんな助力でも惜しまないだろう。けれどナツキは違う』

「…………」

『ランスロットの仲間はあくまでもタクトのみ。奴にとってナツキは偶然出会った神殿の保護対象に過ぎぬ。……あやつは、タクトの為になることならば手段を選ばない男だ』


 昼に会った真白い神官服に包まれた顔を思い出す。整った面立ちと自分の意見を貫き通す冷静な声。まだ短い時間しか接したことのない相手だけれど、彼がその表情を崩したのはタクトを前にした時だけ。手段を選ばない、というシーリーの言葉も頷ける。

 友達の友達は友達、とはいかないようだ。タクトという共通の友人がいても、シーリーとランスロットが馴合わない理由がやっと分かった気がした。


『ヤツには気をつけろ。タクトの体質にとってナツキが有用だと思っている内は良いが、もし代用品が見つかって、ナツキに他の利用価値があると分かればどんな目に合うか。ヒトの世に疎い我では分からぬ。あの男を信用しすぎてはならぬぞ』

「うん……。分かった」


 神殿に向かうことは納得済みで選んだことだったけれど、ランスロット達と共にする道中に少しの不安を覚えた夜だった。

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