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3.お仕置きとご褒美

 スライスした丸パンの上には厚切りベーコンと目玉焼き。黒胡椒とチーズをふりかけ、数分オーブンで温めれば菜月の好物の出来上がりだ。夕飯の残りで申し訳ないが、昨夜のスープを添えて朝食の準備は完了。菜月も席に着いて、タクトと共に朝食を食べ始めた。


「それにしても驚かないんだな」

「何が?」

「その……」

「あぁ、貴方が勇者だったってこと?」

「……うん」

「十分驚いてるわよ? 勇者って聞くとどうしても筋肉ムキムキでオーラバリバリの人を想像しちゃうけど、どう見てもかけ離れてるし」

「うん。それは……むしろかけ離れていて良かったよ」


 パクッと大きな口でトーストを齧る。トロリとした卵の黄身がチーズと交じり合って、今日も絶妙な焼き加減に仕上がっている。タクトも気に入ってくれたようで、菜月の二倍の量をあっと言う間に平らげてしまった。


「あー、うまかった」

「足りなかった?」

「いや、大丈夫。ありがとう」

「ふふっ」

「? どうかした?」

「なんか変な感じよね」

「ん?」

「誰もが知っている有名人に、こうして朝食を振舞っているなんて」

「別に……、あの頃は魔物討伐のために戦っていた人は大勢いたし、たまたま魔王を倒せたのが俺だっただけで大したもんじゃないよ」


 魔王討伐から十年経った今では人里に魔物が出るなんて話は滅多に聞かないし、人を襲うような種に今まであった事もない。だから菜月にはそれがどれ程すごい事なのか正確には分からない。けれど長い間自国のみならずこの世界の国々が討ち取れずに多大な被害を被った相手だ。たまたまなんて幸運で成せる偉業ではないことぐらい予測がつく。それなのに何故この人は、こんなにも自分の功績を認めようとしないのだろう。


「謙虚ね。もっと胸を張っていいと思うけど? ギルドに戻ったのなら今もまだ魔物討伐は続けているんでしょう?」

「まぁ……、でもそれは国の為とかそんなんじゃなくて……。俺のはただの自己都合だから」

「それの何がいけないの?」

「え?」


 菜月の言葉に下がっていた彼の視線が持ち上がる。菜月は丸くなった彼の濃紺の瞳から目を逸らさず言葉を続けた。


「皆が仕事をするのだって自分達が生活する為の自己都合でしょう? でもその仕事のお陰で家族を養ったり、皆の生活が維持できたり、国が発展することが出来る。貴方のしている事と何が違うの?」

「……」

「貴方のしていることだって十分誇って良いことだわ」

「……そうかな」

「そうよ」


 気持ち良く言い切る菜月の言葉に、タクトは目元を緩めた。彼女の言葉をかみ締める。今まで誰にも言われたことのなかったそれは、じんわりと彼の心に染み渡るようだった。


「うん。……ありがとう」

『ふむ。さすが我の友。良い事を言う』

「どうしてシーリーが得意げなのよ」


 満足顔でうんうんと頷くシーリーに菜月が首を傾げる。そんな二人の掛け合いを聞きながら、タクトはもう一度感謝の言葉を口にした。


「ありがとう、ナツキ……」


 けれど口の中だけで呟かれた小さな小さな声はその当人の耳に届くことなく、暖炉に暖められた柔らかな空気の中に溶けた。




 * * *


「そういえばシーリーが呼んだって言ってたけど、どうしてわざわざ此処に?」

『近くにコイツの気を感じたでな。たまには顔を見せろと言っただけのこと』

「にしたって、あんな吹雪の日に呼ばなくても……」


 むしろ自分で呼んだのならば、氷雪の精霊らしく吹雪を抑える事も出来たでしょうに。そう菜月が非難めいた視線を送るも、自然現象に対して最低限の干渉しかしないのは精霊の常識だ、とシーリーは偉そうに鼻を鳴らす始末。全く、シーリーの我侭に付き合わされた彼には気の毒な事だ。


『あとはナツキを見せる為だな』

「私?」

『この森を訪れるならば我が友を紹介せねばなるまい』

「もう……」


 シーリーの言葉は嬉しいけれど、やはりタクトは小さくて偉大な精霊様に振り回されただけらしい。昨夜彼を快く迎い入れて良かったと菜月は小さな溜息を零す。そんな時、馬の嘶きが聞こえてきた。


「何かしら?」


 条件反射で玄関扉の方を振り返る。皆が口を噤むと、馬の足音が聞こえてきた。雪を踏むザクザクという音が段々とこちらに近付いてくる。

 シーリーの森は冬の間中閉ざされている為、訪問者が一人もいない年もあるというのに連日客人が来るとは珍しい。


「あら? シーリー?」


 気が付けば、先程まで機嫌の良かったシーリーがむっつりと黙り込んでいた。明らかに気分を害した様子に思わずタクトと顔を見合わせる。どうやら彼にもその理由は分からないようだ。どうしたものかと首を傾げていると、丁寧なノックの事が室内に響いた。


「あ、はーい!」


 シーリーの事は一先ず置いといて、パタパタと室内履きの音をさせながら玄関へ向かう。雪で重くなった扉を押し開ければ、そこに立っていたのは二人。共に分厚いコート着込んでいるが、雪は止んでいるので顔を隠すものは無い。一人は細身で整った顔立ちの男性。黄色に近い淡い茶髪に琥珀色の瞳をしている。もう一人の男性は彼の護衛だろうか。がっしりとして体格が大きく、髪と同色の眼光の鋭い赤茶の瞳がこちらを見ている。


「朝早くから申し訳ありません」

「いえ、構いません。森に用ですか?」

「森が立ち入り禁止なのは承知しております。我々は人を探しておりまして、こちらに客人がいらっしゃいませんか?」

「客人?」


 まず間違いなくタクトの事だろう。昨日ここへ人が来た事は町の人にでも聞いたに違いない。一体どんな用件かは分からないが、部外者が聞いて良いものでもないだろう。それに声をかけてきた細身の青年には愛想笑いの一つもなく有無を言わさぬ雰囲気がある。年の功とでも言うべきか、その辺りの空気を読めるのが菜月だ。


「お一人いらっしゃいますよ? お知り合いでしたら中へ……」

「ランス?」


 中へ招きいれようとした時、菜月の後ろから声がかかる。それにいち早く反応したのは細身の男性だった。


「タクト!」


 中へ駆け込もうとする男性の勢いに押され、菜月は慌てて横に避ける。ランスとは彼のことらしい。タクトの名前を知っているということはやはり知人だったのだろう。再会を邪魔する気はないのだけれど、どうしても譲れないものがある菜月はつい大きな声を上げてしまった。


「あ、ちょっと待って! 靴脱いで!!」

「え……?」


 虚を突かれた青年は、静止画のようにピタリと動きを止めた。




 * * *


「お見苦しい所をお見せしました」

「いえ。気にしないでください」

「ご挨拶が遅れましたが、私はランスロット。連れはローエンと申します」

「この山小屋を管理している菜月です。温かいうちにお茶どうぞ」

「いただきます」

「……」


 細身の男性は申し訳なさそうな顔でカップを持ち上げる。色白の面にきりっとした目元。加えて硬質さを感じさせる声に最初は冷たそうな人だと思ったけれど、先程の慌て様を見たせいでその印象が一気に覆ってしまった。コートを脱いで貰うと、ランスロットは白地に萌黄色の刺繍が入った上下揃いの服を着ている。菜月も町で見た事のあるそれは聖職者の制服だ。

 一方大柄な男性はぺこりと会釈するだけで一度も声を発しない。服はランスロットとは違い一般の人がよく着ているごく普通の衣服。唯一目につくのは革のベルトに取り付けられたホルダーとそこにかかった大きなナイフ。やはりランスロットの護衛なのかもしれない。

 ダイニングテーブルに着いた三人の邪魔をしないよう、菜月はソファへ移動した。あまり込み入った話になりそうだったら二階へ上がればいい。新たな客人が来てしまったので、シーリーはいつの間にか姿を消していた。


「久しぶりだな」

「えぇ。随分探しましたよ」

「……。それで、今日はどうした?」

「タクト。今はルドワルドが王位についています」

「あぁ。知っている。あいつなら心配ないだろう」

「……それでも、戻る気はないのですか」

「王都は俺の帰る場所じゃないからな」

「なら、貴方の帰る場所とはどこですか」

「…………」


 タクトの口角が僅かに上がる。けれどそれは過去の話を菜月にしてくれた時とはまた違う、寂しそうな笑みだ。


「皆あなたのことを心配しています。あなたが王都に永住しないと言うのならそれでもいい。けれどせめて……一度でいいから皆に顔を見せに戻って来てはくれませんか?」

「…………」


 一度瞼を閉じ、心を落ちつかせるようにタクトが小さく息を吐く。次に瞼を持ち上げた時にはもう先程の笑みはない。離れた場所にいる菜月にもそれが分かったのは、彼が一度こちらに顔を向けたからだ。ほんの少しだけ持て余した感情に揺れる濃紺の瞳と目が合う。けれどすぐに彼は視線を戻し、ランスロットに向かって頷いた。


「分かった」

「あぁ、良かった。皆が喜びます。町に戻れば馬が用意できますからすぐにでも……」

『それはならぬ』


 重い雰囲気だった二人の会話がタクトの一言で良い方向に変わった。そう思った瞬間、ランスロットよりも冷たい声が部屋に響いた。同時に姿を現したのはシーリー。氷雪の大精霊に相応しい温度の無い声と表情に、彼ら同様菜月も驚いた。これほどまでに厳しい態度を取るシーリーを見るのは初めてだったのだ。それまで菜月はシーリーをヒトに対して友好的だと思っていた。見た目の通り幼い子供のような無邪気な姿しか見た事が無かったし、それはタクトの前でも変わらなかったから。

 だが言葉の出ない菜月とは違い、新たな客人二人に動揺は見られない。それ所か突然目の前に現れダイニングテーブルの上に仁王立ちになっているシーリーに、ランスロットはニコリと不自然なほど完璧な笑顔を向けた。


「これはこれは、ご無沙汰しております。シリフェイス・ルーロー様」

『フン。我の領域に足を踏み入れながら、こちから声をかけるまで挨拶の一つも無いとは、随分と偉くなったものだの。小僧』

「おや、普段であれば形式ばかりの挨拶など気にも留めない貴方が珍しい。それも人の話に割り込んでまでとは」

『タクトは我が呼んだのだ。勝手に連れ出すことは許さぬ』


 その一言にランスロットから笑顔が消える。シーリーに負けないくらい冷えた声が彼を責めた。


「……それこそ貴方の勝手な都合でしょう。本人が了承しているのにそれを覆す理由が分かりませんね」

『ほう、ヒトごときが我に意見する気か』

「貴方の我侭に付き合う必要はないと言っているのです。それと……」


 表情が無いせいで仮面のようにも見える美しい面が菜月を振り返る。完全に野次馬気分だった菜月はぎょっと顔を強張らせた。


「ナツキさん、でしたね?」

「え、えぇ」

「貴方は昔からこの山小屋に?」

「いいえ。ここには三年前から」

「神殿にいらしたことはありますか?」

「ありませんけど……」

「やはり何も知らされていないのですね」


 一体何を? そう問う前に、あっという間に移動したシーリーがその小さな背で菜月を庇うように立った。先程よりもはっきりと敵意を表したその顔はまるで天敵を威嚇する小動物のようだ。


『おぬしらとナツキは関係ないだろう!』

「いや、だから一体何の……」


 話しについて行けず、一体シーリーが何に怒っているのかも分からない。まるでシーリーのことなど視界に入っていないかのように、ランスロットは混乱する菜月に語りかけた。


「ナツキさん。精霊は一般の人には見ることができません」

「え……?」


 思わず小さな背中を二度見する。けれどそこには確かに見慣れた後姿がある。彼は一体何を言っているんだろう。ちゃんとシーリーの姿は菜月の目に映っているではないか。


「それ所か下級の神官でも言葉を交わすことは不可能なのです」


 会う度におしゃべりしておりますが? 一緒にお茶もするし、森の中を散策して木苺狩りやキノコ狩りをした事もある。


「……えっと、普通なら出来ないことが可能なほどシーリーがすごいってことですか?」


 なんとか頭を整理しながら訊ねたが、どうやら彼の意に沿うものではなかったらしい。その証拠に彼は難しい顔をしたままだ。


「シリフェイス・ルーローが偉大な精霊である事は確かですが、ここで問題になっていることの正解とは違います。すごいのは貴方の方ですよ、ナツキさん」

「…………わ、たし?」

「はい」


 私、何かすごいことしましたっけ?

 反応の悪いリアクションで菜月がちっともピンと来ていないことが分かったのか、更に彼の話は続く。


「精霊を見ることが出来るのならば、貴方は人よりも魔力の保有量が多いか、感覚が鋭いかのどちらかの可能性が高い。どちらにせよ非凡な才能です」

「はぁ……」


 そうは言われても、菜月に出来るのはこれまで通りこの山小屋で時折シーリーとおしゃべりするぐらいだ。他人よりも少しばかり特殊だと分かった所で生活が変わるわけではない。

 だが、彼にとってはそうではなかったらしい。


「ナツキさん」

「はい」

「神殿は精霊を見ることが出来る人材を保護・教育する義務があります」

「保護?」

『キサマ!! 我からナツキを奪う気か!!』


 突然シーリーの髪が逆立ったかと思うと室内に冷たい風が吹き荒れた。シーリーを中心に巻き起こっているそれは、彼の傍に居る菜月に影響はないものの、他の三人はそうはいかない。タクトは咄嗟に片腕で顔を庇い、椅子に座ったまま姿勢を低くて耐えている。風に煽られ室内の物が彼らに向かって飛んでいくも、ランスロットの前に立ちはだかったローエンがそれを素手で打ち落としていく。やはり彼はランスロットの護衛のようだ。そして肝心の当人はと言うと、シーリーの行動など想定内だったのか、強風に髪を乱されながらも冷静な顔のまま溜息を吐いた。


「やはりそれが嫌で黙っていたのですね。精霊を可視できる人物の発見は神殿への通告が義務だとよくご存知でしょうに」

『うぐっ!』


 図星を指され動揺したせいか、シーリーが巻き起こした風の威力が緩む。その隙に菜月は偉大な大精霊の名前を呼んだ。


「シーリー……」


 ビクッと小さな体を震えたのは、その声がいつもよりも低く、怒りを含んでいる事に気付いたからだろう。恐る恐る振り返れば、そこには目の座った菜月が居る。


『え、あ、ナ、ナツキ……、これはあの堅物が悪いのであって……』


 しどろもどろな彼の目にも強風でメチャクチャになってしまった室内の惨状が映っている筈だ。棚から本がなだれ落ち、暖炉の火は消えて灰が撒かれ、壁にかかっていたコートや帽子などは全て床に落ちてしまっている。タクトが抑えていてくれたお陰でテーブルの上のカップやポットは無事だったものの、ガラスや陶器が割れていたら誰かが怪我をしていたかもしれない。

 あくまでもランスロットが悪いとモゴモゴ言い訳を続けるシーリーに、菜月は切り札を出した。


「私、一昨日買出しに行ったの」


 突然の話の切り出しだったが、口を挟む者は居ない。誰の目から見ても明らかな怒りのオーラがそうさせているのだろう。ランスロットさえも黙ってこちらの様子を窺っている。


「そうしたら牛乳屋さんがいつもより多めにミルクを譲ってくれたの。雪が降り出すとマメに買出しに来るのも大変だろうからって」


 先程までの怯えは何処へやら、それを聞いた途端シーリーの目が輝いた。


『ま、まさかそれは……』

「ミルクは長い間保存することが出来ないでしょう? だから悪くならない内に使い切ろうと思って作っておいたのよね。ミルクアイス」

『まことか! ナツキ!!』


 興奮した様子で嬉しそうにシーリーが菜月前で飛び跳ねる。けれど菜月に笑顔は無い。


「まさか、部屋を荒らすような人にご馳走するなんて思っていないわよね? シーリー」

『うっ!! うぅ~~っ』


 歯を食いしばりぐるぐると葛藤を始めるが、それもミルクアイスの誘惑には勝てなかったらしい。『すまぬナツキ!!』と悲鳴のような叫び声を上げ、大精霊は直ぐに部屋の片づけを始めるのだった。

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