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2.小さな友人

「ご馳走様。美味しかったよ」

「お粗末さまでした」


 満足そうな彼の顔にこちらも満足して、二人で同時に食後のお茶を啜る。雪の日は出来る仕事が少ないから、のんびり過ごしてもバチは当たらないだろう。


「そういえば、えーと……」


 何かを言いかけて彼の口が止まる。どうしたのだろうとその先を待っていると、彼は「あっ」と予想外に大きな声を出した。


「え?」

「っと……急にごめん。驚いた……」

「??」


 驚かされたのはこっちの方だ。何がなんだか分からずに首を傾げると、そんな菜月を見て彼が苦笑した。


「君もか……」

「だから何が?」

「名前」

「ん?」

「名乗るの忘れてた。今更だけど」

「あー……」


 指摘されて始めて記憶を巡らせる。そう言えば彼も自分も名乗らなかったし、互いに訊ねる事もしなかった。普通ならありえないことだけれど、彼の持つ気安い雰囲気のせいだろうか。名前を知らなくても、彼はこの場の空気に馴染んでいた。


「そう言われてみれば、そうね」

「ははっ。遅くなってごめん。俺はタクト」

「菜月よ」

「ナツキ……。うん。よろしくナツキ」


 タクトが目を細めてにっこりと微笑む。初対面なのにこうも気を許してしまうのは、屈託の無い彼の笑顔が効果を発揮しているに違いない。そんな事を考えていると、カタカタと窓が落ち着かない音を立てた。


「風が強いな」

「えぇ。今夜いっぱいは吹雪きそうね」


 明日には止むだろうから、屋根の雪下ろしをしなくては。すっかり暗くなった窓の外をなんとなしに眺めていると、向いから「ふぁ」と緊張感のない声が漏れる。目線を戻せば、今にも瞼の落ちそうなタクトが口元に手を当てていた。


「疲れているんでしょう。もう寝る?」

「あー……、うん。そうさせて貰おうかな」

「客用のベッドが無いからそこのソファになるけど」

「十分だよ。ありがとう」

「じゃあ、ちょっと待ってて。かけるもの持ってくるわね」


 飲みかけのマグカップを置いて二階へ上がる。そして物置にしている小部屋から予備の毛布とシーツを取り出した。予備とは言え、山小屋の役割からいつ必要になるか分からないので常に清潔にはしているけれど、二階に暖房器具はない。毛布はともかくすっかり冷たくなっているシーツが肌に触れるのは寝づらいだろう。使う前に少し暖炉の前に置いて温めた方が良いかもしれない。

 毛布とシーツを抱えてリビングへ戻る。するといつの間にかソファで横になったタクトが見えた。


「タクト? 毛布を……」


 傍に寄れば、気持ちの良さそうな寝息が聞こえてくる。どうやら待ちきれずに眠ってしまったらしい。


(余程疲れていたのね)


 こんな吹雪の中、馬も使わずここまで歩いて来たのなら当然だろう。菜月は抱えていた毛布を彼の上にそっとかけた。そして暖炉の前に行き、彼を起こさないよう静かに声をかける。


仔馬さん(フォーレン)


 するとユラユラと気ままに揺れていた暖炉の火が一瞬大きく燃え上がる。その中から火の粉と共に現れたのは手のひらに乗ってしまいそうな小さな馬。全身が燃える炎で出来た火の精霊だ。


「今夜はお客さんがいるから暖炉は消さないでおくわ。朝方まで火の調整お願いね」


 承知したとばかりに小さく嘶くと、炎馬フォーレンは再び火の中へと姿を消した。




 * * *


 山小屋の屋根は片側だけが長い、ひらがなの“へ”のような形になっている。これは屋根に積もった雪を落としやすくする為だ。翌朝、菜月は朝食よりも先に屋根裏の窓から外に出ると、スコップを持って屋根の雪下ろしを始めた。昨夜心配した通り屋根にはすっかり厚い雪が積もっている。山小屋自体があまり大きくないので雪下ろしをしなくてはならない屋根の大きさも町の家々に比べれば大したことはないが、女性の菜月にとっては十分重労働だ。さっさと終わらせてしまおうと、天辺に立ってスコップで雪を下へずらすように押し出す。少し力を加えてやれば、雪の重みで下へ落下するよう屋根の角度が調節されている。だが屋根の上に雪が積もり過ぎると、下へ落とすのも困難になるので雪下ろしはマメに行わなくてはならない。

 今朝はすっかり雲が無くなり、眩しい朝日が雪に反射して真っ白な森を照らしている。雪は音を吸収すると言うが、山鳥の一声も耳には届かず、聞こえてくるのは菜月がスコップを使う音と落ちていく雪の音ばかり。しばらく集中して作業を進め、ひと段落した所で声をかけられた。


『朝から精が出るな』


 屋根の上から庭先を見れば、そこには小柄な影。雪のような真っ白で長い髪と肌をした見た目五・六歳の少年がこちらを見上げて立っていた。


「シーリー! おはよう」

『おはよう、ナツキ』


 朝の挨拶を交わすと、少年は機嫌よさげにコロコロと笑う。


『これから朝食か?』

「うん」

『なら茶の一杯でも振舞ってもらおう』


 そう言って慣れた風に小屋の中へ入ろうとする。いつものように彼を招こうと思ったけれど、そこで菜月は客人がいることを思い出した。


「あ、ちょっと待って!」

『どうした?』

「あのね、昨日からお客さんが山小屋に泊まってて……」


 このままシーリーを招いても良いものか逡巡する。そんな菜月の迷いを見抜いているように、シーリーは幼子の容姿にはふさわしくない大人びた笑みを浮かべた。


『アレは我が招いたのだ。問題は無い』

「え? あ、ちょっとシーリー!」


 勝手に小屋の中に入っていく小さな姿に菜月は慌てて屋根を下りた。

 シーリーがただの近所の子供なら別段お客さんが居る時に招いても問題は無い。だがここは町から外れた深い深い森の入口に立っている山小屋。当然ご近所さんなんてものは存在せず、何よりシーリーはヒト(・・)ではなかった。菜月が管理している森の名前にもなっている氷雪の大精霊シーリー、正式名シリフェイス・ルーローその人なのだ。

 菜月は昔からお世話になっているから大精霊なる者がこの辺りをウロウロしていても気にしないけれど、お客さんはそうもいかない。彼らが鉢合わせてしまったらタクトにどう説明しようかと頭を悩ませながらリビングへ下りると、そこには意外な光景が広がっていた。


「久しぶりだね、シーリー」

『うむ。よくぞここまで来たな、タクト』

「全く、昨日は大変な目に合ったよ」


 今起きたばかりなのだろう。毛布を畳みながらタクトがシーリーと談笑している。久しぶり、と声を掛け合う彼ら。どうやら旧知の仲だったらしい。唖然とリビングの入口に立つ菜月に気づいたタクトは、こちらを見るなり眉を下げて困り顔になった。どう説明すればいいのか、上手い言葉が出てこないようだ。


「えーと……、とりあえずお茶淹れるわね」


 とにもかくにも、雪下ろしで体が冷えた菜月はとりあえず熱いお茶を欲していた。水を入れたケトルを火にかけ、同時に朝食の準備を進める。そんな菜月を眺めながら、シーリーはこれまでの事を話してくれた。


『初めてコヤツと会ったのはもう十数年前になるか。まだ魔物が駆逐される前のことだ。あの頃はヒトも精霊も獣達も皆魔物との戦いに明け暮れておった』

「もしかして、二人も?」

『あぁ、そうだ。常なら精霊は俗世の戦になど干渉しないが、あの時ばかりは例外だったの。何せ魔物どもの侵食は規模が大き過ぎた。我らが手を貸さずにはおれぬ程に』


 その時の事を思い出しているのか、黙って話に耳を傾けていたタクトの表情にも陰りが見える。


『我がこの地一帯を守護している時、こやつが人間の仲間と共に魔物の大群と戦っている所に出くわした。そこで手を貸してやったのが縁よ』

「そうだったの」


 カタカタと蒸気を噴出したケトルを持ち上げ、お茶の葉を入れたポットに注ぐ。その香りに釣られてシーリーがダイニングテーブルまで移動してきた。そして空いた椅子にちょこんと座ると、お茶の準備をしている菜月の手元を眺めながら話を続ける。


『それから二年後だったか、魔王との戦いが終わったのは。それ以来疎遠だったが、まぁ、あんなことがあっては仕方が無いの』

「あんなこと?」

「シーリー!!」


 慌てるタクトの声に、ポットを持ち上げようとした菜月の手が止まる。これ以上は話されたくないのだろうか。複雑そうな彼の表情に目線を移せば、それを肯定しているように見える。


「私は単なる好奇心で聞いているだけだから、話されたくなかったらそれでも大丈夫よ?」

「いや……、あー、うん」

『何を隠す必要がある』

「まぁ、そうなんだけど……」

『一宿一飯の恩義に身の上話くらい聞かせてやればいい』

「シーリー。私の話聞いてた?」


 別に話さなくても良いと言っているではないか。けれどヒトの思考は理解できぬ、とシーリーは悪びれた様子は無い。


「分かったよ。その代わり、俺から話すから」

『ふむ。良かろう』


 何故そこでシーリーが偉そうにするのか。端から聞いている分には訳が分からないが、そもそも大精霊というのはとても偉い存在らしい。だが菜月にとってシーリーはきまぐれに山小屋を訪れては、共にお茶をしたりお菓子を食べたり散歩をしたりする友人である。『我は偉いのだぞ』と戯れのように口にするのを度々聞いてはいたが、菜月からすればあまり実感の沸かない言葉だ。

 気を取り直して三つ並んだマグカップにお茶を注いでいく。その内の一つをタクトに渡し、もう一つはシーリーの前へ。あまり熱い飲み物が得意ではないシーリーは、何度かフーフーと息をかけてそれを冷ましている。氷雪の精霊だけあって、シーリーが息を吹きかければ忽ちアイスティーの出来上がりだ。大精霊様に対して失礼かもしれないが、氷の保存が難しい夏などには特に便利な機能……いや、能力である。

 そんなシーリーの隣の席に移動したタクトは熱いままのお茶を一口飲むと、覚悟を決めたように話し始めた。


「さっきシーリーが言ってたけど、俺は仲間達と一緒に魔物退治の依頼を受けてあちこちに出向いてたんだ。その内シーリーや他の精霊達にも手を貸してもらえるようになった。全て終わったのが十年前」


 王都に帰還すると、彼らは大仰に出迎えられた。この国や世界を救った英雄として。ある者は神殿に戻り、ある者は騎士団に迎えられ、ある者は要職を与えられた。そうやって歓迎と報酬を受け、ヒトである仲間の殆どが王都に留まったのだと言う。


「でも俺は残るつもりは無くて、王都を出た」

「帰郷したの?」

「いや……。物心ついた時にはギルドで世話になっていたから、故郷っていう故郷は持っていないんだ」

「そう」


 余計な事を言ってしまったかもしれない。心配になって彼の顔を覗き見るも、そこに表情の変化は見られなかった。


「行く当ても無いから、それ以来あちこちでギルドから受けた仕事をしながら旅をしている」

「……。行く当てが無いのなら、何故王都に残らなかったの?」


 仲間達と王都に残れば彼にも同等の報酬が与えられた筈だ。魔物と長い長い戦いがようやく終わった後ならば、尚更次の仕事を見つけるのは困難だっただろう。

 痛い所を突かれたと言わんばかりに、彼の表情が苦いものに変わる。話すと言ってくれたのは彼自身だが、これ以上の追及は止めた方がいいだろうか。菜月は話題を変えようかと口を開きかけたけれど、先に言葉を発したのは彼の方だった。


「どうしても、その……、報酬を受け取りたくなかったんだ」

「……はい?」


 斜め上の回答に菜月の理解が追いつかなくなる。受け取りたくない物を国が報酬として与えるだなんて事あるのだろうか。いくら想像してみてもそのパターンは思い当たらない。

 彼はぎゅっと眉根を寄せて、ガシガシと頭をかく。


「王女だったんだ」

「おうじょ?」

「だからその……、俺への報酬が。第一王女との婚姻と騎士団への就任だった」

「おうじょって……、え!? 王女様ってこと?」


 ぐったりと項垂れるようにタクトが頷く。それにしても魔物討伐の報酬が王女様だなんて、国王は何を考えているのだろう。国のために戦ってくれた若者達への感謝の表れなのだろが、いくらなんでも娘を安売りし過ぎだ。相手が元々王家と縁の深い貴族の子息ならばともかく、話を聞く限り彼はギルドで育った一般市民なのだから。


「まぁ、なんというか、……太っ腹な王様ね」


 突拍子も無い報酬に、菜月の口からはそんな感想しか出てこない。だが、シーリーはさも当然のように言った。


『魔王を倒した報酬なのだからそれくらいが妥当だろう』

「……ま、おう?」


 再び予想外なワードが出てきて菜月の思考が停止する。

 人伝に話を聞いただけなので詳しい事は分からないが、世界を荒らしていた魔物の中で最も強く知能が高いものが魔王と呼ばれていた筈だ。地を這う獣程度の知能しか持たない魔物達の駆逐が思うように進まなかったのも、魔王の存在が大きく関わっていたと聞いている。その魔王を倒したのがタクトだというのなら、もしや――


「あなたもしかして、あの勇者(・・・・)なの?」

「…………」


 観念したようにタクトは情けない顔で頷いた。その様子は菜月の想像する勇者とはかけ離れている。信じがたい話だが、シーリーは嘘をつかないし、彼が勇者ならば報酬に王女との婚姻を許すというのも納得できる。王女を娶れば王族の仲間入り。将来が約束されたも同然なのに、彼はそれを蹴ってしまった。随分と勿体無い話だ。


「王女様との婚姻を断ったってことは、婚約者でもいたの?」


 けれどそれなら今も一人で旅を続けているのはおかしいか。疑問を口にしてから考え直した菜月の思考を肯定するように、彼は首を横に振った。


「王族になるなんて考えられなかったし、騎士になるつもりもなかった。元の生活に戻ることが一番の望みだったから」

「そうだったの。それで王都を出たのね。皆惜しんだでしょうに」

「そうだろうとは思うけど……」

「貴方の考えは変わらなかったのね」

「うん」


 王都に居る限りは王女との婚姻を勧められ続けたかもしれないし、一度断ったのなら居づらくなってしまうのも無理は無い。そうして彼は一人気ままに旅を続けていた訳だ。仲間達との別れを選んででも。それは同時にシーリーとの別れの時でもあったのだろう。


「ごめんなさいね。込み入った話を聞いてしまって」

「いや、いいんだ。君はシーリーの友人だし。無闇に口外しない人だってなんとなく分かるから」

「あら。ならその信頼には応えなくちゃね」

「うん。期待してる」


 ようやく彼らしい笑顔が戻ってきてほっとする。自分にも淹れたお茶を一口飲んで、菜月は朝食の支度に戻った。

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