10.勇者の相談
午前の講義を終え、菜月が知った精霊の実態は知っていた事半分、知らない事半分だった。中でも驚いたのは精霊の行動原理は全て彼らの興味に基づいている、ということだ。
動物なら生存本能が、人であればそれに社会性が加わる。それに比べて精霊は自然界に満ちた蒼の魔素から自然発生する。自ら生殖能力を持たず、寿命もない精霊にはそもそも動物や植物のように生存本能がない。群れを作らないから社会性もなく、自分の好む場所で好むことをするだけ。ある意味羨ましい生態だ。
菜月にとって一番身近な精霊はシーリーだった。彼は森を守るという役目を持っていたから、菜月は精霊も与えられた仕事や役割を持っていて、それを中心に生活しているのだと思っていた。けれどランスロットにはその考えを否定された。シーリーがあの森を守っているのは誰に与えられた訳でもなく、ただ彼があの森を自分のものだと決め、その守護を自分の役割としたからなのだと。
昔から精霊は気まぐれと言うが、彼らの行動そのものが気分に左右されるならばまさにその言葉通りなのだろう。
ランスロットの話では、一口に精霊と言っても個々の性格はバラバラであるらしい。精霊の種類によって大まかな分類は出来るものの、すべてがそれに当てはまるわけではなく、それに関しては人と変わらないそうだ。
大まかな分類とは、光の精霊は気難しく、火の精霊は自己主張が強く好戦的、風の精霊は自由奔放で執着心が薄いなど。各々の性質に基づいたものらしい。水と氷の精霊として誕生したシーリーは本来なら人を遠ざける傾向にあるらしいが、一方で真面目な性質を好む者が多いそうだ。きっとシーリーがタクトを放って置けないのは、それも関係しているに違いない。
「昼食はどうしますか? 部屋まで運ばせても良いですし、外へ行っても構いませんが」
「徒歩で外まで食べに行くにはどのくらいかかりますか?」
「そうですね。一番近い食堂まで女性の足なら二十分程かと」
「そうですか……」
往復四十分となれば結構時間がかかってしまう。ランスロットは時間を気にしなくて良いと言ってくれたけれど、忙しい身の彼をこの講義のために拘束しているのだ。あまり余計なことに時間をかけたくない。王都のお店に興味はあるけれど、それは夜にとっておいても良いだろう。
「お昼は部屋で食べます」
「分りました。では先に宿舎まで戻っていてください」
「はい。ありがとうございます」
軽く頭を下げて自習室から出る。近い内に食料品を調達して、自分で作れるようにしようと廊下を歩きながら懐と相談しつつ計画を立てた。
* * *
大通りから二本分西へ外れた細い路地を進む。昼間でも人通りが少ないここは所謂職人街だ。一般家庭で使用する家具やキッチン道具から、騎士や兵士が使う武器・特殊道具まで。王都で流通している商品のほとんどがこの通りにある職人によって作られている。木を削る音、釘を打つ音、熱した鉄を水につける音。この通り独特の喧騒を耳にしながら突き当りまで行った所でタクトは足を止めた。レンガ造りの茶色い壁に木製の扉。一見一般の民家にしか見えないその扉のノッカーを手にして数回叩く。返事が無いのはいつものことだ。鍵のかかっていないノブを回して、室内へと足を踏み入れた。
「こんにちはー」
「……おう」
返ってきた低い声の主が組んでいた足をそのままに持っていた新聞を下した。齢五十を超えたその男性は丸眼鏡の奥の目を細めて来客を出迎える。いかつい顔に無精髭。よれよれのシャツの上には清潔な白衣。整理整頓されたカルテと資料の本棚に、様々な医療道具と薬瓶が所狭しと並んだ棚に囲まれた彼はこの小さな個人病院の主、医師のナジだった。
「……、タクトか?」
「お久しぶりです。先生」
短い疑問の声を肯定するようにタクトが「先生」と呼ぶと、背もたれにどっかりと寄りかかっていた大きな体が跳ね起きる。
「おまっ……!! どうしてここにいる!」
「あー、まぁ……」
「……陛下はご存じなのか?」
「はい。昨日会って来ました」
「そうか……」
そこまで聞いてやっとナジは腰を下ろした。はーっと深く息を吐きながら、自分を落ち着けようとしているのだろう。記憶の中の医師よりも多少白髪が増えているが、ガシガシと首の後ろを掻くその姿は十年前と何も変わっていない。
「まぁいい。そこ座れ。茶ぐらい出してやらぁ」
「ありがとうございます」
患者が順番待ちの為に座る長椅子に腰掛ける。一般の大きな病院は白い壁をしているのに対し、ここは外観同様室内も普通の一般家庭のような内装になっている。患者が不必要に緊張しないよう、あえてそうしているらしい。ナジなりの患者に対する配慮だった。ここに昔よく出入りしていたタクトにとっても落ち着く空間だ。
「ほらよ」
「いただきます」
カップの中は少し苦めの温かいコーヒー。ありがたくそれに口をつける。ナジはしばらくコーヒーを飲むタクトを眺めていたが、彼が落ち着いたのを見計らって口を開いた。
「で? 随分と久しぶりだが、今日は何の用だ?」
本当に聞きたいことはそこではないだろうに、ナジはあえてそれには触れてこない。彼の気遣いに思わずタクトの頬が緩む。
「実は、体調のことで相談したくて」
「あん? 風邪でも引いたか?」
まさか患者としてここを訪れたは思わなかったのだろう。意外そうに白髪交じりの眉が上がる。
「いえ……。実は俺、不眠症なんです」
「不眠症? いつからだ?」
「……正確には、十五ぐらいから」
「はぁ!? お前、十五つったら……十年以上前か?」
「はい、っ痛て!!!」
「アホか!」
肯定した途端勢い良く頭をはたかれた。タクトはもう二十八歳。いい歳していたずらが見つかった悪ガキのように叱られるとは思っていなかった。
「魔王退治の前からじゃねぇか! なんで早く言わない!」
「いや……。どうしようもないことは分かってたんで」
「あぁ!?」
体格の良いナジが青筋立てて怒る様は医者というより犯罪ギルドのボスのようだ。苦笑いするしかないタクトは素直に自分の体調とその原因について話をした。
「……なる程。魔素の超吸収体質か。確かにただの医者にゃあどうしようもねぇが。魔術師にでも相談すりゃ、ちっとはどうにかなったんじゃねぇのか?」
「あの頃はこの体質が都合良かったんで、そこまでは……」
「都合が良い?」
眠れないと言うことは、つまり眠らなくても良いという事。睡眠時、人はどうしても無防備になる。魔物との戦いに明け暮れていたタクトにとって睡眠時間を削って警戒し、戦えることは有利に働いたのだろう。とんだ自己犠牲にナジは文句を言おうとした口をつぐんだ。
「……それで? 今はその不眠症が都合良くないから相談しに来たのか?」
「いや……」
「ん?」
「その、最近、急に眠れるようになったんです」
「はぁ? そりゃ……良かったじゃねぇか」
不眠症が改善しているのなら、むしろ医者に相談にくる必要などない。けれどタクトは困り顔のままだ。
「そうなんですけど……。十年以上眠れなかったのに、どうして急にそれが改善されたのか分からなくて。逆に不安なんです」
「へぇ。まぁ、原因が分からねぇなら不安にもなるだろうな」
詳しく話を聞けば、眠れるようになったのは本当に最近のことだった。シーリーの森、その入口に建っていた山小屋に泊まった夜から。つまり五日前のこと。今までは目を閉じても、浅い眠りと現実の間を漂っているような感覚だった。悪夢にうなされ、結局すぐに目が覚めることも日常茶飯事で、眠ったとはっきり自覚できたことはない。けれど五日前から夢を見ないほど深い眠りにつけるようになったのだ。馬車の中での居眠りなど自分でも気づかないうちに眠りに落ちていたことも度々あって、今までとの違いに困惑していた。
「眠れない原因が原因だからなぁ。そのシーリーって精霊が関係しているってこたぁないのか?」
「無いとは言い切れないけど……。でもシーリーの森を出た後も眠れているし」
「なら、考えられるのは魔素の吸収がおさまったか、だな」
「吸収が?」
「大量の魔素を吸収し続けたことで、お前の体が無意識のうちにその吸収量をコントロール出来るようになったのかもしれんぞ」
「そうかなぁ……」
そう言われてもタクトには何の自覚もない。半信半疑で自分の手のひらを眺めるが、当然何が見えるわけでもない。
「眠れるようになってから、他に体調の変化はねぇのか?」
「うーん。無いかなぁ……。元々眠れない以外とくに病気にもなったこともないですし」
「そりゃあ医者いらずで何よりだ」
一応簡単な検診を受ける。だが特に不調は見当たらず、ナジはやはりタクトの変化は自分の専門外であると判断した。それが分かれば、後は久しぶりに会った知人として話に花を咲かせるのみだ。
「お前、今どこで寝泊まりしてんだ?」
「大神殿です。ランスロットに世話になってますよ」
「あぁ……。あのガキのとこか」
十年前タクトが姿を消してからというもの、ランスロットは何度もナジの下を訪れていた。勿論診療の為ではない。タクトがナジを慕っていたことを知っていた為、医師が何か知っているのではないか、タクトから連絡があったのではないかと聞き込みに来ていたのだ。その度に知らんと追い返していたが、年齢にそぐわない彼の冷静で酷薄な態度は可愛げなく、仲間を心配している事情を差し引いてもナジの好むものではなかった。
「あのガキ、お前のこと熱心に探していたが、逆によく今まで見つからなかったモンだな」
神殿は俗世と一線を画していると言っても、今や枢機卿の地位まで上り詰めた相手だ。それなりに情報を得る伝手を持っているだろうし、かつての仲間達の助力もある。国外へ出た訳でもないのに十年もの間彼らの目をかいくぐって生活していたことの方が驚きである。
「冒険者ギルドに俺のことは漏らさないようにお願いしていたんだ。あそこには親代わりの人もいるし、情の深い人も多いから」
ギルドに属する人間が皆、仲間意識が強いかと言えばそうではない。けれど幼い頃から冒険者ギルドで育ったタクトを可愛がってくれた人達も確かにいて、事情を話せば快くタクトに協力してくれた。
ギルドの目の届かない所でタクトを探ろうと近づいてきた者達も山程居たが、何せ相手は魔王を倒した勇者。タクトにとって彼らを撒くぐらい朝飯前だ。
「ふーん。それで? お前これからどうするんだ?」
「……しばらく此処に滞在して皆に顔を出したら、またギルドに戻るつもりです」
「そう上手く行くもんか? 陛下にも会ったんだろ?」
「まぁ……」
「陛下の傍で働くよう言われたんじゃねぇのか?」
「それは断りましたよ」
「ならいいけどよ」
あの国王がそう簡単に諦めるタマでもねぇだろ。ナジはそう心の中で呟く。けれどまぁ、国王よりも厄介なのがタクトの傍に居ることを思い出した。
「お前、そのことあのガキも知ってんのか?」
「ランスロット? 知っているけど……」
「納得したか?」
「……それは、正直分からない」
はぁ。やっぱりな、とナジが溜息をつく。執着と言って良いほど血眼になってタクトを探していた相手だ。十年ぶりに再会し、数日共に過ごして「はい、サヨナラ」で満足するとは思えない。
「もういっその事どっかの田舎で嫁でも貰ったらどうだ? それなら無理に王都に住めとは言わんだろう」
「そんな無茶な……」
「無茶なもんかよ。嫁貰うにも十分な歳だろうが。勇者うんぬん抜きにしたってお前は優秀な冒険者だ。一人や二人養っていけるだけの食いぶちは稼げるだろ?」
「それは、そうだけど……」
「お前その歳で女の一人もいねぇのかよ」
「…………いない」
「そりゃあ、宝の持ち腐れだな。そんだけ鍛えた体してんのによ。今までに一人や二人いたんじゃねぇのか? 惚れた良い女が」
「…………」
その時、頭を過ったその姿にタクトが分かりやすく狼狽えた。タクトにとって惚れたはれたとは無縁の関係だと思っていたからこその戸惑いだったが、ナジから見れば図星であるからこその動揺にしか見えなかった。
「なんだ、やっぱりいるんじゃねぇか」
「いや、違……」
「大の男がそれぐらいで照れてんじゃねぇよ。で? どこの女だ? 今も会ってんだろ?」
「だ、だから違うって!!」
タクトが嘘の上手い男でないことはナジも良く知っている。知らずともこれ程真っ赤な顔をされれば、それが本音でないことは丸わかりだろう。
手のかかる弟分を持った気分で、しばらくナジはタクトをからかって過ごしたのだった。




