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1.来る筈のない客人

 クレイアドアは大陸北東部の多くを占める大国である。北部には一年中雪が解けることの無い険しい山脈があれど、領土の多くは実り多い肥沃な大地であり、東から南にかけては穏やかな海に面した豊かな国だ。

 だがずっとこの平和と富を甘受していた訳ではない。半世紀にも及ぶ長い間、この大陸は魔物という天敵に脅かされてきた。野生の動物と同様に強いものが頂点に立つ魔物の中で、最も強い種を人々は魔王と呼んで恐れた。魔王とその傍にいる種は人間ほどではないものの高い知力を有しており、各国の優秀な騎士・魔道師達が討伐に向かうも一筋縄ではいかず、人々はその脅威に晒され続けた。

 そして人類と魔物との攻防に終止符が打たれたのが今から十年前。クレイアドア王国が派遣した一団が誰も倒すことの叶わなかった魔王を討ったのだ。魔王という統率者を失った魔物達は散り散りになり、各国の討伐隊によって駆逐された。

 その一団を率いた剣士はいつしか人々から勇者と讃えられ、クレイアドア王国は勿論の事、世界中にその名を知られるまでになった。

 さて、ここまでが誰もが知る魔王と勇者のお話。


 平和が戻った大陸で人々が自国の復興に奮闘している頃、何の前触れもなく勇者が国を去った。国王から唯一の姫との婚姻を許され要職を用意されていたのにも関わらず、彼はそれらの一切を断り、ただ姿を消した。

 それに困惑したのは勇者の仲間や彼に近しい者達だ。勇者が何も告げずにいなくなってしまったものだから、国に縛られるのが嫌だったのかと解釈した。彼らは目立つ事が嫌いな勇者らしからぬ彼の性格をよく知っていたから。だが、それだけでは納得ができないものもいた。その筆頭が勇者の親友である第一王子だった。

 その後第一王子が国主を継ぐと、自国の復興と同時に仲間達の協力を得て勇者の捜索が始まった。

 そして、誰も勇者の消息を掴めぬまま十年の時が過ぎていった。






 朝から降り続いている雪は夕刻が近付くと共に吹雪となっている。クレイアドアの北、菜月の住むこの山間部は元々雪深い地だけれど、今年は降雪が一月ほど早い。例年ならまだ紅葉が楽しめる山の景色はすっかり白一色となっていた。


「この雪は予想外だなー」


 菜月の生活の拠点は町から数キロ離れた場所にポツンと立っている山小屋だ。ここから奥はシーリーの森と呼ばれ、人の出入りが厳しく制限されている。山小屋はその管理の為に建てられた建物で、現在は菜月が森の管理人。

 管理人と言ってもやる事はそう多く無い。森はそこで暮らす動物と精霊のもの。菜月の仕事は出入する人の数を記録し、助けを必要としている人がいれば手助けし、森に異常があれば町へ報告し、雪が降り始めれば出入りを禁止するだけ。勿論この仕事だけでは食べていけないので、他にもアクセサリー作りの内職をしている。元々凝り性なのと、他にやる事もないので作業に集中できるこの仕事は雪の時期にぴったりなのだ。華やかな城下街ならともかく、山間部のような田舎町では実用品ばかりでアクセサリーを作る職人などいない。その為、菜月のアクセサリーは売り出すやいなや若者達の間で話題となった。

 例年ならば内職の材料調達や食料品・生活必需品の備蓄、山小屋の補強など越冬の準備を今頃から始める。けれど昨日から降り出した雪のせいで、どれもこれも中途半端なまま。屋根だけは不備がないこと確認できたけれど、取り急ぎ必要なのは食料品と薪の確保だ。もし明日雪が止んだら直ぐにでも町へ下りよう。そう決めて、菜月は暖炉で沸かしたヤカンの湯をポットに注いだ。

 ポットの中で茶葉が跳ねる。昔からジュースよりもお茶の方が好きだった菜月は淹れ方にも凝っていて、この地に移ってから色々と試した。ホットかアイスか。この茶葉には何度のお湯で、何分蒸らすのが良いのか。ミルクと合うのはどれか。

 今淹れているのは苦味が少なく香り高いクアン茶で、紅茶のように沸騰したてのお湯で茶葉をジャンピングするとより香りが豊かになる。オイル時計で蒸らし時間を測り、さて飲み頃だとマグカップへ注いだ所でゴンゴンッと鈍い音がした。


「…………」


 聞き間違いかと音のした方向、玄関扉をしばらく無言で見つめる。しかし菜月の予想に反して再度扉が叩かれた。


(誰だろう……)


 雪が降り始めたら森へ入れない事は町の人なら誰もが知っている。それなのに此処を訪れるという事はまず間違いなくよそ者だ。

 ちらりと暖炉の方を見た後、菜月は慎重に扉を開けた。

 扉の隙間から刺すように冷たい空気が入ってくる。すぐにでも閉めたくなるが、ぐっと我慢。更に開けば、そこには雪を被った正体不明の誰かが立っていた。


「……どうぞ」

「…………」


 正体不明と称したのも仕方がない。頭の上からすっぽりとフードを被り、雪避けのために口当てをしているから顔は見えないし、厚手のコートに冬用パンツで隠されて体格も分からない。しかも町からここまで歩いてきたのか馬もおらず、頭や肩にはすっかり雪が積もっていた。口当てをしたままではロクに口が聞けないのだろう。入る前に雪を払い、会釈だけしてそのお客は玄関に足を踏み入れた。扉をしっかりと閉めて寒気を追い出したところで、ようやく手袋をした手が口当てを外す。


「突然申し訳ない。町に戻ろうにも吹雪が酷くて……」


 どうやら訪問者は男性のようだ。脱いだフードの下から顔を出したのは、ボサボサに伸びた黒髪に濃紺の瞳。身長は百六十ある菜月より十センチ以上は高いだろう。年は二十代後半と言った所か。菜月よりは年下に見える。

 彼は山小屋の中を見渡して、意外そうに眉根を寄せた。


「……ここは、貴方一人で?」


 女一人でこんな山小屋に住んでいるのが意外だったのだろう。嘘をついた所で直ぐにバレる。菜月は素直に頷いた。


「えぇ」

「…………」


 もう日は暮れている。恐らく一晩泊めて欲しかったのだろうが、女一人と知って逡巡しているらしい。菜月は新鮮な反応に思わず頬が緩んだ。こんな田舎では三十路の菜月が女扱いされることの方が稀だ。


「多分朝まで吹雪は止まないわ。今から町に戻るのは無理だと思うけど?」

「……世話になります。」

「どうぞ遠慮なく。あ、コートとブーツはそこで脱いでから上がってね」


 雪の付いたコートは暖炉脇のコートかけへ吊るす。家の中とは言え、玄関傍では凍ってしまうのだ。寒冷なこの地域では床も冷える。だから靴は脱がないのが普通なのだけれど、菜月はどうしても元々の習慣でそれが許容できなかった。その代わり厚手の布とタオル地で室内履きを作ってそれを穿いている。勿論来客用も用意しているので、それを彼に差し出すと素直に靴を脱いで履き替えてくれた。


「これ、温かいな……」

「濡れた靴を履いたままよりいいでしょ。丁度お茶を淹れた所だったの。どうぞ」

「ありがとう」


 暖炉前にクッションを置いて座ってもらう。上着を脱ぐと意外に細身だ。けれど袖をまくった上腕にはしっかりとした筋肉がついていて、痕の残った古傷がのぞいている。


「……道にでも迷ってたの?」

「え?」

「雪の日に此処まで来る人なんて居ないわよ。この先がシーリーの森だって知っていた?」

「あー……」


 菜月の視線を避けるように、彼の目が泳ぐ。返す言葉を考える時のクセなのか、ボリボリと頭をかいた。


「森の事は知っていた。雪が降ったら入れない事も」

「ならどうして来たの?」

「えーっと、せっかくここまで来たんだから、せめて入口からでも一目見ておこうと思って……」

「あなた旅行者?」

「まぁ……、そう、です」


 なんだかはっきりしない言い方だ。かと言って犯罪者には見えないし、まさかこの歳で自分探しの旅に出ている訳でもあるまい。


「ちなみに仕事は何してるの?」

「行った先で、日雇いの仕事とか」

「具体的にどんな?」


 そこで彼の口が止まった。恐る恐るといった様子でソファに座った菜月を見上げてくる。しまった。つい詰問口調になってしまったか。


「……もしかして俺、怪しまれてる?」

「半々かしら?」

「ちなみに何と何の?」

「逃亡中の犯罪者か、自分探し中の青春延長した旅人か」

「……どちらも違うと思いたい」

「ふふっ、希望なんだ?」


 彼の答えに思わず噴出してしまった。そんな菜月を見返す彼の目がきょとんとしている。子供じみた彼の表情が余計におかしい。しばらく笑いが止まらないでいると、やがて自分のことを笑われていると気づいた彼が拗ねたような表情をした。


「怪しい者じゃないと言いたいけど、証明できるものがない」

「まぁ、王城の関係者でもなければ普通そんなもの持ってないわよね」


 王城で働く人達は紋章の入った制服を着ているし、騎士なら剣にそれが刻まれている。けれど平民には身分を証明するような物は無いのが当たり前だ。


「俺は雪の中へ放り出されずに済むのかな、家主殿」

「遭難者に屋根のある場所を提供するのも山小屋の役目よ。いくらでも、とはいかないけれど一泊の宿ぐらいは提供させてもらうわ、お客様」

「それは良かった」


 心底助かったと思っているようで、彼が深い息を吐く。

 人見知りはしない性質だけれど、初対面だというのに菜月がこれだけ軽口が叩ける相手も珍しい。割と歳が近いせいなのか、それとも彼の持つ気安い空気のお陰か。少なくとも彼ならば自分を害することは無いだろう。この短い時間でそう思えるくらいには、彼の事を信用していた。


「備蓄はそう多くないから大したものは出せないけど、何か食べる?」

「あぁ、ありがとう。……そうだ」


 何かを思い出したのか、おもむろに下した背嚢を漁り始める。何が出てくるのかと待っていると、使い古したそれから彼が引っ張り出したのは油紙に包まれた何かの塊だった。


「これ、良かったら使ってくれ」

「何これ?」


 麻紐を解き、ガザガザと音のする油紙をめくる。包まれていたのは菜月の顔ほどもある大きな肉の塊。


「燻製?」

「鹿の燻製肉」

「いいの? 旅の保存食なんでしょう?」

「今は持ち合わせが無くて、世話になるお礼になるものが他にない」


 宿泊料、という事らしい。そもそもここは宿屋ではない。ろくなもてなしが出来ない分宿泊代など取るつもりはなかったから、お礼を頂けるだけありがたい。


「それは構わないけど……。いいわ。ありがたく使わせてもらいます」


 早速料理に取り掛かろう。ダイニングテーブルの椅子の背にかけていたエプロンをつけ、一旦リビングから出て地下倉庫へ向かう。この時期井戸の水も凍ってしまうので、汲み置きした水を保存しているのだ。水瓶と根菜を取り出し、右手に水瓶を抱え、左手には野菜を入れた籠を持つ。お客さんの前で行儀が悪いけれど、両手が塞がっているので、再びリビングに戻った時にはお尻でドアを押し開ける。


「あ、持つよ」

「あら。ありがとう」


 荷物で一杯一杯なのを見かねてか、彼が水瓶を持ってくれた。家の中の移動なんて大した距離でもないけれど、重いのには違いないから素直に好意は受け取っておく。


「水はシンクの横でいいわ」

「他にも何かあったら遠慮なく言ってくれ」

「そうね。とりあえずは大丈夫。雪道歩いて疲れているでしょう? 料理が出来るまでは暖炉の前でゆっくりしてて」

「あぁ。ありがとう」


 彼が再びクッションの上に腰を下ろすのを見てから調理に取り掛かる。折角頂き物があるから、献立は鹿肉と根菜の煮込みとスープ。いつもなら主食はパンなのだけれど、お腹に溜まるから今日の所はパスタの方がいいかもしれない。

 鹿肉の燻製は硬いので先に水とハーブだけを入れた鍋で軽く煮てアクをとる。その後、硬いものから順に野菜を入れて、柔らかくなるまでしばし。それを待っている間にスープに取り掛かる。と言ってもそれ程入る具材は多くない。飴色になるまでじっくり炒めた玉ネギが主役のオニオンスープだ。この地方で取れる玉ネギは元々甘味が強いので、生のままサラダにして食べる事もできる。菜月の好きな野菜の一つだ。

 煮汁の少なくなった煮込みに調味料を加えるとおいしそうな香りが立ってくる。彼もそれに気づいたのだろう。気付けば暖炉の火からこちらへと視線を移していた。


「いい匂いがする」

「後十五分もあれば出来るわ」

「楽しみだな」

「ご期待に沿えればいいけど」


 そう言って菜月の顔に浮かんだのは苦笑だ。

 菜月は一人暮らしが長い。生活の為にこうして料理をするのは嫌いではないが、かといって得意と言えるほどでもない。自分一人が食べるのならばともかく、客人に堂々と出せるようなものではないと自覚もしている。まぁ、どちらにせよ善意で出した料理に文句を言うような輩ならば即刻小屋から追い出すだけだ。

 煮込みとスープの味付けを終えて、最後に塩を入れた鍋でパスタを茹で始める。フォークで巻くような長細いものではなく、スプーンですくって食べられるショートパスタだ。これに町で買った瓶詰めのトマトソースをかけるだけで立派な主食になる。


「へぇ。うまそう」


 いつの間にか彼がキッチンまで来ていた。何も言わなくとも、盛り付け終わった皿から運んでくれる。躊躇のないその仕草を見れば、普段から手伝っているのだろうと分かる。意外と家庭的なようだ。


「ありがとう」

「いや。これで全部?」

「えぇ。あ、お茶のお代わり淹れるわね」


 木製のテーブルの上に並んだ二人分の皿とマグカップ。久しぶりの光景に思わず菜月の頬が緩んだ。


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