ほだされるものたち
「魔王様。お仕事中失礼します。実は……」
「また、何か拾ってきたの?レオ」
これで何度目だ。私は書類とにらめっこしたまま、申し訳なさそうな顔を作っているであろう側近に呆れてため息をついた。
私の側近レオは、捨てられているものを拾ってくる悪い癖がある。魔獣だったり、人間界のガラクタだったり、はたまた魔族の子どもだったり。
「さっさと捨ててきなさい」
「いや、それが……」
「わあ!きれいなおねえさん!」
ん?突然割り込んだ可愛らしい声に、思わず書類から顔を上げた。レオの横に、こちらにきらきらとした目を向ける子どもがいた。はちみつ色の髪に、人間界の青空のような真っ青な瞳。人間の年はさっぱり分からないが、まだ幼い。
一瞬言葉を失くした私は、思わず手元の書類を放り投げて立ち上がった。
「な、なななっ……!レオ、どうして人間の、しかも子どもを拾ってきちゃったの!」
「申し訳ありません。人間界の森で、行き倒れていたようで……ついつい」
「いや、ついついじゃないし」
「おねえさん、怒らないで!おにいさんはぼくを助けてくれたんだよ、ね」
少年にぎゅっと手を握られながら同意を求められ、レオはふにゃふにゃとした顔でそうだね、と言った。……こいつ、ほだされてるな。
「とにかく、元のところへ戻してきなさい」
びしっと扉を指差すと、レオはひどく悲しそうな目でじっと私を見つめてきた。私がこう言うたびに、レオはこんな顔をする。が、ここは心を鬼にしなければ。
「そんな……。人の子どもはか弱い生き物です。このまま捨て置けば、すぐに死んでしまいます」
「じゃあ、あなたが育てるって言うの、レオ?」
私たちのやり取りを不安げな面持ちで見ていた子どもは、何を思ったか、私の足元まで駆け寄ってきた。
「お願い、おねえさん……ぼく、行くところないの。ここにいちゃだめ?」
うるうるっとした瞳で見上げられ、私はうっと言葉につまる。そんな捨てられた子犬のような目で見つめないで欲しい。それにしても、なんだ、このかわい……ごほん。落ち着くのよ、私。
私はしぶしぶといった顔を取り繕って言った。
「し、仕方がない。少しの間だけならいいでしょう」
「やったあ!」
「ま、魔王様……!よろしいのですか?」
「私がいいと言ったらいいの!」
レオが信じられない、と驚いた顔つきをしたので、ごまかすようにそっぽを向く。べ、別に、私はレオみたいにほだされたわけではないからな!
歓声を上げて、ぴょんぴょん跳ねていた少年は「ありがとう、おねえさん!」と、ぎゅっと私の足に抱きついてきた。ふるふると震え始めた私を、レオが訝しげな目で見ているのが分かる。
「な、なんだこの、かわいい……生き物は!」
あ、声に出た。不思議そうな目で見上げられ、きゅん、と思わずときめく。ああ、もうほんとかわいい。食べてしまいたい。
「えええ、魔王様……そんなキャラでしたっけ」
呆れた側近の声を無視し、私はしゃがみこんで少年と目線を合わせた。鋭い爪で傷つけないようにほっぺをつつくと、ふにふにと柔らかい。その感触にはまってふにふにしながら、そういえばこの少年の名前すら知らなかったことを思い出す。
「ね、僕。名前はなんていうの?」
「アンセラだよ!」
「アンセラ……可愛い名前ね」
よしよしと優しく頭を撫でると、少年は嬉しそうに愛くるしい顔で笑った。この子、天使か。
「おねえさんの髪の毛、きれいだねぇ」
さらり、と黒く伸ばした長い髪を撫でられてどきりとする。
「きれい……?そんなこと言ってくれたの、アンセラだけよ」
「そうなの?」
そうだ。魔族たちは容姿でなく、魔力で相手を評価する。魔力の多い者ほど立場は強く、身分も高くなるし、魔力の少ない者は立場が弱い上、身分が低い。私はたまたま他のどの魔族よりも魔力を多く持って生まれたために、魔王になった。ただ、それだけなのだ。
「ねえ。ここって、まおうのしろ、なの?」
「そうよ」
何も知らず連れてこられたかと思ったが、きっと事前にレオが簡単な説明でもしておいたのだろう。たいていの人間は魔族や魔王を恐れているが、幼い少年には興味の対象でしかないようだ。アンセラは好奇心旺盛な様子できょろきょろとあたりを見回している。
「それで……おねえさんがまおうさま?」
そのとき、その青色の瞳に何もかも見透かしたような色を見た気がして、私ははっとした。でも、それも一瞬のことで、次の瞬間にはアンセラは無邪気な瞳で私を見上げていた。
「そうよ。私がここで一番えらいの」
「へえ。おねえさん、すごい人だったんだ」
まあ、正確には人ではないけど。アンセラは私の言葉を聞いて、ぱあっと顔を輝かせた。……さっきのは気のせいだったのかしら。
ふわあっと、アンセラが大きなあくびをして、眠たげに目をこすった。私はすぐさまレオに指示を出す。
「レオ、この子に今すぐ寝室を用意しなさい」
「承知しました。ほら、ついておいで」
「うん!」
ぱたぱたとアンセラはレオについて部屋を出て行く。私はそれを見送って、すとん、と魔王専用の玉座に腰を下ろした。拾った書類に目を落として、ぽつりとつぶやく。
「……あとで天使の寝顔を見に行かなきゃね」
ふふふ、と笑う私は傍から見たらなかなか不気味かもしれない。
***
「ありがとう、えっと、レオおにいさん!」
「どういたしまして」
にこやかな男――恐らく、魔王の側近だろう――は、そのまま手を軽く振りながら、ぱたん、と扉を閉じた。男が行ってしまったことを確認してから、様子を探るように部屋を見渡す。置いてあるものは、寝台やクローゼット、机。人間界とさして変わらないものばかりだ。デザインはシンプルだが、品がいい。
魔王城のものとは思えない、ふわふわの寝台にどさっと腰を下ろして、俺は腕組みをした。
「ふう……どうすっかなあ」
俺は、ずっと勇者として旅をしていた。今は訳あって子どもの姿だが、これは本来の姿ではない。ある魔女の怒りを買ってしまい、この姿にされたうえに魔力を封印された挙句、なぜか身ぐるみまではがされてそこらの森に放り出されたのだ。
というわけで、行き倒れたのは本当だが、まさか目指していた魔王城の内部にこうも容易く入れるとは。先程も、我ながら素晴らしい演技力で幼い子どもを演じていたから、魔王もその側近もすっかり俺にほだされたようだ。これは、チャンスかもしれない、と俺は強く自分の拳を握った。
それにしても、と思う。まさか、魔王が女だったとは。魔王らしかぬ言動を思い出して、俺は拍子抜けをした気分だった。
その時、誰かが部屋に近づいてくる気配がして、俺は慌てて寝台にもぐりこんだ。
***
「ふふ、よく寝てる」
ようやく仕事が一段落ついて、私はこっそりとアンセラの寝顔を見にきた。
「ああ、もう寝顔も天使だわ……」
息が荒くなりそうなのをかろうじて押さえて、私はアンセラのふわふわとしたはちみつ色の髪を撫でると、柔らかい額にちゅ、とキスをした。キスをしてから、ああ、そういえば人間は相手に愛情を示すためにこういうことをするんだっけ、と思い出す。
自分でしたことがちょっぴり恥ずかしくなって、私は慌てて立ち上がると、アンセラを起こさないようにそうっと寝室の扉を開けた。
「おやすみ、アンセラ」
***
「くそっ、ほんと調子狂うな」
扉が閉められて、アンセラははあ、と脱力した。正直、旅をしていた頃は魔王を倒すことで頭がいっぱいだったのに、今はもうそんな気分にはとてもなれない。魔王の行動にいちいち戸惑う自分に苛立ちを覚える。
整ってはいるが幼く見える顔立ちや、真っ直ぐに伸びた黒く艶のある髪、鈴を転がすような声、柔らかい手の感触を思い出して、なぜか胸の奥が小さくくすぶった。
(ほだされんな……俺は、勇者で、魔王を倒しに来たのだから)
だが、先ほど額に押し当てられた柔らかな唇の感触は、当分忘れられそうになかった。