魔物娘がいる学校生活―バフォメット―
平和な登校風景。
その中の一人の少年が手に魔方陣を展開させ、その構成を弄っている。
構成を弄るのはかなりの難易度を誇る。
というか、一般生には無理だ。
魔法科の高等学校生でも扱えるのはそうはいない。
まあ、簡単にやってのける魔物娘もいるにはいる。
その少年に声がかけられる。
金髪の軽薄そうな男だ。
「おい、クード。お前、魔力を弄くりながら歩くのやめろ。嫌味なんだよ。オレは魔力を手に集めることすら集中しなければならないってのに」
「エクレス。それはお前が魔法も研究も苦手だからだよ。肉体派なら軍学校に入っていればよかった」
「いやいや。誰もがお前みたいに魔法を学ぶためだけに入ったわけじゃねえんだよ。一部では有名だぜ。お前、魔法“だけ”トップを突っ走ってるだろ。他も頑張れよ」
「嫌だ。どうせここは自由な校風を謳っているんだ。魔法だけを極めるのも自由だ。まあ、私みたいなのは少ないが」
「ああ。惚れた女を振り向かせるために全力を尽くす奴か」
「……なんのことだ?」
苦り切った表情で問い返す。
構成も霧散する。
図星だった。
「隠すなよ。お前がナナリーに惚れてるのは知ってるぜ。というか、アレだけ眼で追っといて気づかれないとでも思ったか」
「知らないな。それと、魔法技術の探求は趣味だよ。別にそのナナリーとやらに勝つためじゃない。そりゃ、バフォメットには並大抵のことでは敵わないだろうがな」
「語るに落ちてんぜ。なら、なんでナナリーが自分に勝てたら付き合ってやると言ってるのを知ってるんだ? ま、実際に結構な人数が挑戦して、本人様は全てに圧勝してるけどな。やっぱバフォメットって種族は反則だな」
「そうかもな。まあ、バフォメットに模擬魔法戦で勝つのは不可能に近いな。国単位ですらトップクラスの魔力量。それに、第4段階での詠唱破棄は厄介にすぎる。魔法模擬戦ならではの遠距離戦ではね」
魔法模擬戦闘。
それは限定空間内での魔法の打ち合いだ。
手間はかかるが体に当たった魔法を無効化できるレヴァティナの反射鏡を使う。
体に一発当てたほうの勝ちだ。
お金も手間もかかるのであまり頻繁には行えないが。
「よく知ってるな。挑戦したことがあるのか? それとも、挑戦するために調べたのか? まあ、なんにせよご苦労だな。あいつに勝てる奴なんざいねえよ。学院長でもなければ、な」
「学院長、ねえ。確かにあれは規格外だ。――九尾の狐。国を滅ぼせるほどの化け物。通常の個体はとある霊山より離れないらしいが」
「そういや、九尾の狐ってのはつがいで生まれてくるんだって? 生まれたときから相手が決まっていて、その相手を一生愛す。ロマンチックだねえ。魔物娘ってのは恋人を絶対に忘れられないんだろ。学院長は相方が生まれる前に死んじまったらしいが」
「そのおかげでさらに魔力が増しているという噂もある。なんにせよ、化け物だな。憧れるね」
「おいおい。あんなのに憧れるとかまじかよ。まあ、俺は人間相手がいいなあ。やっぱ、魔物娘の愛は重すぎるわ。恋人から離れるのは一分だって嫌がるって話だ。ナンパも出来やしねえ」
「浮気するような奴は相手にされないだろう。魔物娘のストーカー被害も聞いたことないぞ。奴らは断られた時点で諦めるから」
「まあ、断られるまでストーカー行為は続けるんだけどな」
「妙に実感がこもってるな。されたことあるのか?」
「昔にちょっとな。かなり怖かったんだが、勇気を出して断わってみたらあっさりと引いた。今はどうしてるんだろうな」
「へぇ。種族は?」
「インプ」
「ふぅん。あまり魔力が強い種族ではないな。魔法技術なら私でも勝てるかもしれない」
「いや、勝てるだろ。主席はもちろんナナリーだけど、お前だって上位陣だろ。人間なのに、よくやるな」
「それは違う。人間だからこそ極められることもある。私は一介の魔法の魅力に取りつかれた探求者の一人さ」
「ああ。好きな人がやってるからやってみたら、自分が激はまりしたっていう」
「違うと言ってるだろ」
「はは。まあ、頑張れよ」
「魔法技術の洗練ならばがんばらせてもらお――」
「ん? ああ、ナナリーがいたのか」
一瞬クードの目が釘付けになる。
ナナリー・フィーナ・エスクードの登場だ。
小さい体。
病的と呼ぶのさえためらわれる程に透き通るような白い肌。
栗色の髪と眼。
手足は山羊の毛におおわれており、ひづめが覗く。
お尻からは尻尾が生えている。
「……別に見とれてなんかいないからな」
「はいはい。でも、タイミング的にそろそろ――」
「そりゃっ!」
後ろからかけ声、そして殺気。
空気が唸るような音が聞こえる。
クードは気配を感じた瞬間、かけ声を聞く前に――
「【シルファーの盾】」
盾で拳を防いだ。
発動までわずかに1秒すらかかっていない。
バフォメットであるナナリーすらしのぐほどの速さ。
まあ、この魔法だけだが。
目の前のやつの相手をしているせいで、これだけが妙に早く発動できるようになった。
「……そろそろだと思ったよ。ちょっかいをかけるなら、魔法派の私ではなくて、運動派のカラト・エル・シュバイフェンにでも頼みたいのだがね。オーガ」
紅い髪。
大柄な体。
全身から立ち上る闘気? まあ、なんにせよ傍若無人を絵にかいたような女。
あれでも学園生で、女だ。
「おいおい。俺のことは名前で呼べって。おれにはナル・スレア・エクジランカって名前があるんだからさ。それに魔物娘を種族で呼ぶときは敵意をこめる時だぜ。おれとお前の仲だろ」
「毎日技を磨き合う関係か? おかげで【シルファーの盾】の超高速展開が可能になったよ。未だに君の顔に【レジクの炎】を喰らわせてやることは叶っていないが」
「へぇ。今日こそはってやつかい? いいじゃんかよ。カラトのやつはメイシェン武道大会で優勝して付き合い悪くなっちまってさ。まあ、前からそんな好きじゃなかったんだが。遊んでくれるのはお前くらいなんだよ」
「そんなことは知らん。武術は私の管轄外だ」
「えー。ちょっとは付き合ってくれよ。な」
言い切るとともに蹴り。
クードはその足に向かって魔法を放つ。
話し合っているときから準備していた。
「まあ、そう来るだろうな。【ヴラドシュラゲルの灰燼王】!」
それも上級魔法。
他人に向かって放っていいような威力の魔法ではない。
「ぜぇりゃっ!」
ナルはオーガの能力を生かして魔法を蹴り壊す。
とてつもない腕力に魔法抵抗、それがオーガの特徴。
その代わりに魔法を一切使えないという弱点もあるが。
なぜか誰一人として魔法陣の構築ができないのだ。
「【レガテスの双槍】! 足を高く上げた状態で左右からの攻撃を防げるか!?」
「はっ! このおれにできないことなんざねえ。うらあ!」
なんと、足を上げたまま体を一回転させて殴った。
さすがに体制が崩れる。
「このっ! オーガの魔法抵抗は厄介だな。魔法を素手で対処するな」
「ははっ。出来るもんは仕方ねえだろ? お前だってちゃっかり距離とってんじゃねえか。お前の距離だな」
体勢が崩れたまま、片足で無理やり立っている。
呆れたバランス感覚。
ダメージもなし。
一般人だったら病院送りだったろうに。
「そう。そして、次の魔法は用意してある」
「いいね。ゾクゾクくんぜ。さあて、行こ――」
挙げられた片足を振って、体勢を整えようとする。
その瞬間――。
「いい加減にせんか、この阿呆ども。【アリアドネの喰杭識】」
幼い声が響くと同時に、杭状の光が放たれる。
「ぐ――。これは上級捕縛魔法……!」
「この強度の魔法は、ナナリーか」
杭状の光がいくつも二人の体に突き刺さり、全ての動きを封じる。
「やめんか、馬鹿者ども。決闘は認められとるし、それについては妾も文句は言わん。だがな、他人に迷惑をかけるな。今は皆が登校しとる最中じゃ。場所は選べ」
(意識をナルに向けすぎた。だが、捕縛魔法なんてもの2秒で解いて――)
クードの思考はそこで途切れる。
ナナリーが近づいてきて、指をぴっと突きつけたからだ。
顔が近すぎる。
「いいか。ぬしは人間なのじゃから、いくらでもやりなおせよう。良い魔法の才能を持っていながら、変な連中とばかり付き合いおって。研究者志望なら、レギンギョルドの連中とでも付き合っていればよいのに――」
しみじみとつぶやいてくる。
これではまるで教師のセリフだが、年はクードと同じ。
子供みたいな姿に、尊大な性格。
それがバフォメットだ。
ちなみにレギンギョルドというのは構成理論を練ることにしか興味がない連中。
連中に実用とかそういうものに対する興味はないのだ。
近いものでいうと数学狂いだろうか。
そこまで詳しく知らないからこんな筋違いを言ってしまう。
だがクードは構成を弄ることよりも弄った結果のほうに興味がある。
クードはレギンギョルドとは距離をおいている。
まあ、ナナリーにここまで顔を近づけられては何も言えなくなってしまうのだが。
ナルのほうを向く。
「変な連中ってのは、おれか? ちょっとはっちゃけてるだけなのに、ひどいこと言うな――」
「1階の渡り廊下、2階のトイレ、ならびに教室、そして――」
「ちょ……。そこまでにしてくれねえ? 別にわざと壊したわけじゃないんだぜ。物がちょっと脆すぎるんだよ」
「なら、手加減すればいいだけの話じゃ。脆いのはわかっとるんだから、少しは気を付かわんか」
「うぐぐ。拘束されてると調子狂うなあ。ぶっ壊せねえし」
「ふん。力だけでは上級捕縛魔法は破れん」
「うぬぅ」
「うなっとらんで、少しは反省しろ。では、授業の開始も近いでな。妾は先に行かせてもらう」
拘束を解いて去る。
栗色の髪をなびかせながら去っていくナナリーはとても幻想的で、クードは見惚れてしまった。
「よ。災難だったな。想い人に叱られるなんてな――」
「うるさい。私は授業に行く。エクレスはその辺で道草でも食って腹を下せ」
すたすたと後者に向かっていく。
「おーい。おれとの戦いはどうすんだ?」
「ナル。お前との戦いは放課後にでもしてやる。今度こそは沈めてやるよ」
「お。いいねえ。放課後、楽しみにしてんぜ。んじゃ、おれはその辺で昼寝でもしてるわ」
「ナナリーを前にして動けなくなるお前の姿は結構おもしろかったぜ。って――、ちょっと待てよ」
「やあっと、放課後が来たぜ。待ちくたびれちまったよ、さあ戦ろうぜクード」
授業が終わった瞬間に教室内に入ってくるナル。
どうやら、最低でも最初と最後の授業はさぼったらしい。
「さて、決闘場に行こうか。申し出は私が出しておいた」
「おいおい。ここでもいいだろ? 待ち切れねえぜ。お前が我に秘策ありなんて言うもんだからさ――。それとも、決闘場のほうがいい理由があんのかい?」
「私が有利だ。逆に言えば、教室内では君が有利だ」
「ははっ。おもしれえ理由だ。いいぜ、決闘場に行こうか」
位置は歩幅にして10歩分離れている。
その状態から合図で戦いを始める。
「コインでいいか?」
「いいねえ。そういうのおれは大好きだぜ。やっちゃってくれよ」
クードの手からコインが離れる。
小気味のいい音が響く。
「【カイランデの詩杭】」
封印魔法。
ナナリーの使ったものと違い、相手の動きを数秒だけでも止めるためのもの。
「ちぃっ。こざかしいわぁ!」
2秒で砕いてしまう。
これを純粋な腕力でやり遂げるのだから、オーガというのはつくづく脳筋だ。
だが、2秒あれば他ならぬクードには十分な時間。
「【エギルドの衝撃】。オーガの魔法耐性もこいつには無力だ」
一言でいえば指向性の衝撃波。
炎や光なら無効化できても、物理的な衝撃までは無効化できない。
あとは根性次第。
無色の衝撃波はナルの腹にあたり、内臓を揺らす。
ごほっ、と腹から空気が抜かれる。
深く息を吸い込んで――。
「だが! おれがこの程度で落ちるとでも?」
「思ってないさ。落ちるまで、何度でも喰らわせてやる」
「そぉりゃあああ」
「ち! 【シルファーの盾】」
ナルの攻撃は疾風のように連続で叩き込まれていく。
クードはそれを盾で受ける。
「いつまで防いでるつもりだ? おれはもうほとんどダメージから回復しちまったぜ」
「そう急ぐな」
言いながら、クードは盾を消して前転して攻撃をかわす。
髪が2,3本持って行かれた。
「んな!? お前、そんな回避技持ってたのかよ!?」
「技とかいうなよ。これでも賭けだったんだから。で、賭けは私の勝ちだ」
ごろごろと前転して距離をとる。
そこで片手を地につけたまま、中腰でもう片方の手をナルに向ける。
「へぇ? 魔法を紡ぐ時間もなかったのに、どうやってやるんだよ」
「そうでもないさ――。稼ぐのはほんの僅かな時でよかった。【アインヴァルトの千帝剣】」
クードの後ろ。
そこには数えるのも嫌になるほどの光の剣。
造形自体は単純な杭に近いものではあるが、これだけ集まれば圧巻だ。
「んだよ、それ――」
無数の剣状の光がナルを貫き、ノックダウンした。
「ふむ。実戦でも問題なしか――」
クードは倒したナルではなく、別のものを見ていた。
しかし、上級魔法はそれなりの時間をかけなければ発動できない。
【シルファーの盾】を使ってから【アインヴァルトの千帝剣】まで10秒程度しか経っていなかったはずだ。
ならば、なぜそんなことができたのか――。
「よ! そいつがあればナナリー戦でも勝てるってか? ったく、純粋だねえ」
「エクレス。私とナルの戦いなど見てて楽しいか? お前は決闘なんぞを楽しむ性質ではないだろう。それと、別にこれは苦労して得た秘策とかじゃない。ただ、こいつに打ち勝つために少し使ってみただけだ」
「最近目元にクマ作ってたのはそれのためじゃねえのか? 俺じゃねえんだから、授業中に寝るなよ」
「黙れ。私は寝てなどいない。少し瞑想してただけだ」
「いずれにしても授業中にやることじゃねえだろ。ま、それは置いといてだ。今週末にでもナナリーに挑戦するか? バフォメットは一度倒してから手でも差し伸べれば一発で落ちるだろ。あいつらの理想は強くて優しいお兄様だから。ま、身長的には誰もが満たせても――同年代であいつより強い奴は、いないだろうけどな」
「だから、どうした。私は帰る。お前は来るな」
クードは背を向けて歩き出す。
「お、図星か」
足を速める。
「お前、いつも分が悪くなると逃げ出すよな。いやー、魔法はさっぱりだけど、目の前でドンパチを見るのはやっぱ楽しいぜ」
「……」
「週末に向けての調整か―? 俺は商店街のほうへナンパでも行ってくる。週末のナナリー戦、楽しみにしてるぜ。」
クードはそのまま行ってしまった。
週末。
クードはヤタナハル道場へと足を運んでいた。
バフォメットの一族であるエスクード家が代々師範を務める家。
もちろん、ナナリーに挑むためだ。
「――ほう。貴様との魔法戦は初めてだな、クード・ヴァレナ・イリアステル。オーガとの戦いで鍛えた技を見せてもらおうかの」
地のように赤い唇が歪められる。
その顔は、今度の挑戦者はどれだけ喰らいついて来れるかな――とある種の子供らしい傲慢さが現れていた。
小さな体に込められた魔力は悪魔のようにおどろおどろしい。
「覚えていてくれたのか? 光栄だね。まあ、あいつとの戦いと魔法戦では勝手が違うがな。――だが、君の期待は裏切らないさ」
それに対しクードはさらりと返す。
「は、当然じゃろう。あの問題児と仲良くしてるクラスメイトのことなのじゃから。てっきり、そういう関係じゃと持ってたんじゃがな――。いや、わからんか。まあ、楽しませてもらおうかの」
魔法戦は昨日やった模擬戦とは違う。
レヴァティナの反射鏡というアイテムは一度だけ当たった攻撃を無効化できる。
だから、一撃当てて反射鏡を壊したほうが勝ちとなる。
模擬戦とは違い、怪我することはない。
反射鏡は使用するに当たりかなり面倒臭い準備をする必要があるのだが、双方合意の上なら何の問題もない。
「さて、七面倒臭い反射鏡のセットも終わったことだ。始めようか」
「うむ。最近は挑んでくる人間も減っての。退屈していたところじゃ。精々あがいてみることじゃ」
二人とも20m離れた定位置に付く。
魔法戦という競技においては魔法の打ち合いが主になる。
隠れるところも、視界を遮るものもないのだから当然。
「さて、まずは――【レガテスの双槍】」
光の槍が二本、ナナリーに向かって飛ぶ。
「甘い。こんなもので小手調べになるとでも思うたか? 飲み込め! 【ガインシュラウドの煉獄鎌】」
煉獄の炎により形作られた巨大な鎌が振り下ろされる。
クードの魔法をナナリーの上級魔法が飲み込む。
「やはり、大技で来るか! それを待っていた。【レインカラトの針閃火】」
針のように小さく速い弾丸が駆け抜ける。
紙を貫くようにガインシュラウドの煉獄鎌を抜き、ナナリーにせまる。
「――っ!」
避けられない。
元々バフォメットは魔法に特化したせいなのか身体能力は全然ない。
反射神経も。
だが――。
「【シルファーの盾】!」
魔力を馬鹿みたいにつぎ込んで強化した初級魔法の盾でどうにか防ぐ。
「ぐっ。だが、この戦術なら前にも見たことがある。そのおかげでどうにか防げたがの。前の奴とは違って、なんつー速さじゃ。じゃが! この作戦には欠点があるぞ。妾の魔法は壊されてはおらん。自分がやられる前にやれれば、それでも良かろうがの――。妾が防げば、一転ぬしの敗北じゃ」
得意気に言ってはいても、雪のように白い肌には冷や汗が浮いていた。
かなり危ないところだったらしい。
だが、ガインシュラウドの煉獄鎌は崩れてはいない。
針の穴が空いただけでは構成には何の問題もない。
もともとそういう魔法だ。
貫通力だけを異常に上げた攻撃のためだけの魔法。
「――だと思うか? 残念。悲しいことに私の最も得意とする魔法はこれでね。【シルファーの盾】」
こちらは逆に人間にしては大した反射神経で魔法に向かって飛びこむ。
当たる瞬間に盾を展開。
前転しながら、横から迫る炎をやり過ごし。
盾を消去。
次の瞬間、後ろから迫る炎を背後に展開し直した盾で防御。
「な――? この魔法を【シルファーの盾】だけで防いだじゃと。ぬしは本当に魔法使いか? 楽しくなってきたの。邪道じゃろうが、正道じゃろうが、妾を倒せるものならなんでも使って見せよ!」
心からの笑みで叫ぶ。
無邪気に喜ぶ童女の姿そのものだが、彼女は上級魔法をこともなげに使いこなす魔物娘だ。
クードも上級魔法を使っているので、その意味では人間離れしている。
ちなみに邪道と言ったのは、先ほどの策は本来なら自爆だからだ。
滅茶苦茶な方法で防いだが、一歩間違えば負けていた。
競技としては勝ちを拾えても、実戦ではすぐ後に自分が死ぬから。
まあ、魔法戦は実戦とは程遠いのだけど。
「なら、もう少し邪道に付き合ってもらおうかね。【アインストの蔓】」
黒い植物のような煙がナナリーを取り囲む。
「む? この程度で妾を拘束できるはずがなかろうが――。何を考えて……」
一人分を縛るのに十分な量が出た後もどんどん出てくる。
異常な量がナナリーを取り囲んで、うようよとうねる。
正直に気持ちの悪い光景だが、それ以上に――。
「まさか。捕縛術の構成を変えて目隠しに!? そんな使い道があったとはの――」
驚く。
周りをきょろきょろと見渡しても、真っ黒な植物がうねっているだけ。
クードは持っていた道具の一つを逆方向へと投げつけ、自分は静かに跳ぶ。
「そこか!? 【レイレラの輝光】」
音を聞きつけると同時に魔法を放つ。
だがそれはクードの意図通りで、反対方向に飛んで行った。
「【ヴラドシュラゲルの灰燼王】!」
そこを狙い撃つ。
アインストの蔓ごと吹き飛ばした。
「――【クラトスの忌聖盾】。残念じゃな。妾にもそれくらいの魂胆は見抜けるわ」
しかし彼女もさる者。
魔法を放たせたと同時に打ち込まれることは予想済みだったようで。
放った後にしっかりと全方位を完全防御できる上級防御魔法を使っていた。
防御魔法は中級でさえ使えないクードには真似できない。
「さあて、次の邪道はどうくるかの? 楽しみにさせてもらおうかの」
余裕の表情。
「残念だが、そろそろ魔力が尽きてきてね。最後にとびっきりの正道と――そして邪道を見せてやる」
まあ、一般人なら上級魔法を一発でも使ったら魔力は尽きはてる。
二人がとんでもない魔力を持っているだけだ。
ナナリーのほうはまだまだ余裕そうだが。
「ほほう。では、見せてもらおうかの。貴様の最後の魔法を。妾はそれを打ち破って見せよう」
「|魔法構成の展開を開始する≪エミュレーション・スタート≫」
巨大な魔方陣が描かれ始める。
最上級魔法。
だが、詠唱自体は今まで二人共当然のように第4段階まで破棄していたのだ。
第4段階を破棄しないのは、さすがにそれでは撃てないからか。
さすがに最上級魔法は第4段階まではスキップできないということか。
だが、最上級魔法など本来ならクードクラスの術者でも数分かけて詠唱しなければ使えない。
だが、それをすっとばして最後の段階である魔方陣の展開を行っている。
「なぜ最上級魔法を人間であるぬしが詠唱なしで実行できる? ――ええい、今は対抗するのが先か。一か八か、妾の最上級魔法を見せてやろう。|魔法構成の展開を開始する≪エミュレーション・スタート≫」
ナナリーのほうも対抗する。
完全に使えるとは言い難い第3段階の最上級呪文詠唱破棄を行う。
失敗する可能性もある。
練習中で、未だに百発百中とはいかないのだから。
「さあ、幕引きだ。準備はいいか? バフォメット」
「もちろんじゃ。これを付き合えるとは思わんかったぞ。人間」
二人して凶悪な笑みを浮かべる。
「【レーヴァルティンの炎龍奏破】」
「【ミストルティアの絶虎断崖】」
クードの龍。
ナナリーの虎。
二つがぶつかり合い、互いを噛み砕こうと喰らい合う。
異常な破壊力の余波が吹き荒れる。
だが、異常なまでの魔力の放出が壁となる。
耳を引き裂くような轟音。
目を刺し殺すかに思われる閃光。
果たして、龍と虎の闘いはどちらが勝つのか――
――龍が勝利し、ナナリーを飲み込む。
「負け、た――? ひゃあっ」
怯えて身を竦めたナナリーを龍が飲み込む。
今までこんな威力の魔法が自分に向かって飛んできたことなどなかったのだ。
そりゃあ、自分の身の安全が保障されていることを忘れて恐怖する。
龍が破壊をまき散らしながら通り過ぎる。
後には綺麗なままのナナリーが目を回していた。
「大丈夫か?」
目を回したまま座り込むナナリーに手を差し伸べる。
クードに限って狙ったわけでもなかろうが。
「え? あ――、はい」
おずおずと差し伸べられた手をとる。
その顔は紅潮していて、先ほどまで尊大だった顔とは見違えている。
「あ……あの。一つ聞いてもいいかの?」
こくりと、首を傾げて聞く。
恥ずかしそうに顔をうつむかせて、気恥ずかしげに。
指は、というかひづめは落ちつかなさげに小さくコツコツと打ちあわされている。
「なんだ?」
こんな様子を見せられて気恥ずかしくなったのか、クードは横を向く。
その顔はナナリーに負けないほど紅潮している。
「えっと、ナル……さんとのご関係は?」
瞳は不安に揺れている。
唇も震えている。
なんだか、親とはぐれた子供みたいだった。
「え? いや、あいつは喧嘩友達だけど…….」
うろたえたように答える。
完全に心を目の前のかわいい小動物に奪われていた。
「そうなのかの……。はうっ」
顔がぱぁっと明るくなる。
顔をあげて、その際に至近距離で見つめ合って――。
倒れそうなほどに顔を紅くしてうつむく。
「あ……。っと。えっと……」
しどろもどろ。
何やらとてつもなくもどかしい。
横から見ている門下生やら、ナナリーの親やら、友人やらのことは完全に忘れ去られている。
「あの……。えっと、そのぅ――。わ、妾の……」
もじもじと顔を赤らめながら、上目遣いでささやく。
恋する乙女の表情。
「待って」
なにか感じ取ったのかクードが止める。
調子に乗っている感もあるが、顔は大真面目だ。
「え――?」
きょとん、とした顔で応じる。
「聞いてほしいことがあるんだ」
真面目くさった顔。
緊張しすぎて、緊張しているのがどうでも良くなった。
ナナリーの手を取る。
「……はい」
顔を赤くしたまま、されるがままに任せる。
想い人に手を取られて、すごく恥ずかしそうで――嬉しそう。
天使のような笑顔、とはこの顔を言うのだろう。
「君が好きだ。一緒に居たい」
「はい! 妾もあなたのことが好きじゃ」
幸せそうな笑みを浮かべて抱きついてくる。
クードも抱きしめ返す。
「ふむ。君がナナの婿になるのか」
「あなたは――」
クードの顔にはマズいと書いてある。
すっかり場所を忘れていたのだ。
親の前でプロポーズをすることほど気恥ずかしいものはない。
「父様。この人は妾の想い人です。認めないと言うならば――」
抱きついたままで言う。
「待て、ナナ。そういうことではない。確か、お前が言っていたな? ナルがどうかとか。そいつはお前とどういう関係なのだ。お前がそいつと以前に関係を持っていたならば、父としてお前を認めるわけにはいかん」
「ただの喧嘩友達ですよ。あいにくとあんな粗暴な奴と関係を持った覚えはない」
「関係?」
蚊帳の外のナナリーだった。
そして、そういうことにはとことん無知だった。
赤ちゃんはコウノトリが運んでくると信じているほどに。
「ふむ。信用しておこう。だが、君がナナの婿となるのなら、道場と仕事を引き継いでもらわねばならないのだが――」
「それくらいでもらえるのなら」
「よろしい。では、君は今日付けで私の弟子だ」
「……まあ、いいでしょう」
「さっそく師匠として言わせてもらおう。最上級魔法は使うな」
「なぜ? 暴走する気配はなかった。私は完全に再上級魔法を制御できていたはずだ」
「確かにな――。あれを最上級魔法と呼ぶのなら、だが。その年であの魔法を暴走の気配もなく撃てるとは、末恐ろしい少年だ。その年ではな」
「強調してきますね。何か問題がありましたか? 威力は上級魔法をはるかに上回っていた。問題点があるとも思えない」
「そうだな。ナナとは大違いだ。ナナは暴走させかけていた。魔法戦でも使うなと言ったはずだろう。自爆していたら、腕の一本で済むかどうか――」
「――っ!」
睨みつける、と言っていいほどの凶眼でナナリーを見る。
――が、顔を青くしたのはクードだ。
当のナナリーは反論を試みる。
「むぅ……。けど、実際暴走は――」
「これは二人共に言えることだが。上級魔法と最上級魔法は違う。君たちは本当の威力の5%も出せていない」
「な――? あれで、5%だというのか……」
「あうぅ」
「まだまだ精進が必要だな。まあ、焦ることはない。まだ年若いのだから。それに、その若さで二重詠唱なんて廃れた技術を使うとはな」
「気付いてましたか。いつから?」
「最初から。魔法戦を開始したときからだ」
「なに!? では、ぬしは最初から最後の一撃の準備を進めておったのか?」
「そうだ。骨が折れたよ。時間を稼ぐために汚い手段まで使ってね」
「気にすることはない。元より邪道だ」
「そうですね。公式の魔法戦は美しさとかいう項目で、決められた構成以外ははじかれますから。私が使ったのもので公式戦に使える魔法はありません」
「そんなものはナナも同じだ。君が気にすることではない」
「そうですね。魔力も底をついていますので、休んでも?」
「ああ。疲れたろう、奥の屋敷で休んでいけ」
「え? ちょっと……」
言ったそばから背中をむけて居住区域のほうに消えていった。
最初から最後までとてつもない威厳を放つ人間だった。
……怖すぎる。やくざか。
「二人とも、こちらへ。案内しますよ、クード君」
「母様。案内だったら妾がするのじゃ。クードにつくのは妾だけでよい」
母娘の容姿はそっくりだ。
というか、成長してない。
けれど、雰囲気は母のほうが遥かに大人びている。
この母の前にはナナリーとて娘でしかない。
「でも、それじゃ私がクード君のことが分からないでしょう? あなたはゆっくりお互いのことを知っていけばいいわ。でも、私としてはクード君がどんな人なのか心配なのよ」
「うむむ……。うう。いいもん。妾はクードとずっと一緒にいるんじゃから」
すねたような顔。
童顔のナナリーがやっても可愛いいだけだ。
「じゃ、クード君。屋敷を案内してあげるわ」
「クード、手を繋ごう。な?」
上目づかいで懇願する。
実の親にさえやきもちを焼いている。
「あ、ああ」
クードは頼みを断れずに手を繋ぐ。
上目づかいのナナリーが可愛すぎて、正直直視していられない。
「大体わかった? まあ、これから知っていけばいいのだけど。わからなくなったらナナに聞いてね」
「はい」
「じゃ、ご飯はここで食べてって。すぐに用意してあるから」
「母様! クードの食事なら妾が用意するのじゃ」
「ごめんなさい。もう仕込みはすませちゃったから。でも、手伝ってもらえるかしら?」
「うむ。クードはここで待っておれ」
「ああ。待たせてもらう」
厨房に消えていく母娘を見送る。
「やれやれ。ナナリーに勝つだけかと思ったが。長い1日だったな――」
「お疲れのようだな、クード君」
「ああ、あなたか。そう言えば、どう呼べばいいのかな。すまないが、あなたの名前を知らない」
「名乗り遅れたか。いや、父と呼んでくれて構わんよ。名前はナグトだ。アレの名前はエリザ。まあ、好きに呼べばいい。ところで、君の母や父は?」
「母は既に死んだ。父も忙しくて、家にはたまにしか帰ってこない」
「そうか。悪いことを聞いたな」
「別に。母が死んだのは流行り病だ。何分幼少の頃なのでな、もう心の整理はついた。父はあれでいい親だと思っている。私の下手な料理を美味い美味いと言ってくれる。だから子供の頃から料理ができるようになってしまった。家事も、父が自動機械を買って来てくれたので楽だったよ」
「ふむ。随分と苦労したようだな。安心するといい。君はこれからここに住むことになるのだから」
「はぁ――?」
さらりと言われた言葉に口をあんぐりとあけてしまう。
さすがに予想外だった。
まあ、相手が魔物娘であれば普通に考えられたことであったが。
かなり世間知らずなクードが知ってるはずもなく。
「当然だろう。ゆくゆくはこの道場を引き継ぐのだから」
「はぁ。まあ、そうなるのでしょうね」
「はっきりせんな。ナナに告白した君はどこに行った? しっかりしたまえ。そんなことで今夜をどうするのかね」
「は? 今夜――」
「今夜は君とナナの初夜だろう」
「んな!」
顔を真っ赤にするクード。
実はかなり初心だった。
「ナナはそういうことは知らん。本能でわかることもあるだろうが、君がしっかりとリードしてやってくれ」
「うえ……ええ!?」
「あら? 何を話していたのかしら。クード君たら顔を真っ赤にしちゃって」
「は……。エリザさん!?」
「さあ、食べようか。自慢ではないが、うちの家内は料理がうまい」
「いやだ。あなたってば。さ、クード君。遠慮せずに食べて頂戴」
料理を運んできたナナリーはおずおずとクードの隣に腰掛ける。
「うあ!? ナナリ……」
「……クード?」
ナナリーの急接近にびっくりしたクードはのけぞって。
さらに近付かれる。
「うわ……えと……あの。あ、そうだ。これは?」
料理の中で、一際できの悪そうなものを指さす。
「あぅ……。妾が作ったものじゃ。母様のように上手くはできぬのじゃ。……すまぬ」
がっくりと肩を落とす。
その小さな背中には悲哀が漂っている。
それを見ていられなくて、その料理を口にする。
「うん。美味いよ、お前の料理」
素直に感想を口にする。
とりあえず贔屓が混じっていることは確実だが。
「そうかの? よかったのじゃ。どんどん食べ――」
「こーら。まだいただきますしてないでしょう? クード君もつまみ食いしちゃダメよ」
「すみません」
「この家では皆揃っていただきますしてから食べ始めるのよ。それじゃ、いただきます」
「「「いただきます」」」
「あ、そう言えばクード君って、ここに来る前からナナのこと好きだったのよね? どこが好みだったの」
「うぐ。答えにくいことを聞いてきますね」
できのいい料理に混じった、できの悪い料理に箸を伸ばしながら苦り切った表情を浮かべる。
「だって、気になるんだもの。私たちの娘なんだから、天使のようにかわいいのは当然としても、それだけであなたほどの男が恋焦がれるものかしら?」
ナナリーのほうに助けを求める。
「うぅ――」
期待と不安が混じった表情で見上げている。
助けは期待できない。
父親のほうに助けを求めることもできず。
結局、ナナリーの視線に負けて。
「1度会ったことがあるんですよ」
「ええ? わ、妾は覚えてない……。御免なさい。でも、本当にわからなくて――。あぅ。あぅぅぅぅぅぅぅ。き、嫌いにならないで欲しいのじゃ」
涙目で哀願してくる。
「嫌いになるわけないだろう。それに、あの時は一瞬で負けてしまったから覚えてないのも無理はない。父親から英才教育を受けた魔法の大天才、そんな思い上がりを叩き潰してくれた」
「え? そ、そんなことがあったのかの。えっと。ええっと――」
「思い出さないでいい。というか、思い出さないでほしい。負けた後、自分の技術を見直してみて恥ずかしくなったよ。こんなんで、最強だのなんだの言っていたか、ってね。けど、ナナリーのおかげで変われた」
「ま、後はつまらないさ。自分を変えてくれた美しい強者に惚れこんで、倒せば恋人になってくれると聞いて奮発しただけさ。ま、そんな努力をしている間に変な知り合いもできたが」
「うむ。妾のためにそこまで……」
「感動してるナナは放っておいて。どこでその魔法を習ったの? とても独学だとは思えないのだけど」
「父ですよ。それと、父の同僚だかが。あの人は色々謎でしたが、結局魔法派教えてくれても、本名さえ教えてくれませんでした。私は“フェイカー”と呼ばされましたが」
「聞かない名ですね。そこまでの魔法の腕を持っていたら、有名になっていてもおかしくないのに」
「私は割と本気で有名人だと思っていますよ。あの人が私の前に姿を現す時は常に変身魔法をかけていたとしても驚きません。適当な通り名を教えるだけでも、普通にわかりませんしね」
「まあ、そうね――。ブロマイドとかは結構高いし。集めてる人でないと、有名人の顔もわからないわよね」
「ええ、まあ。それで、なにか他には?」
「そうね。じゃ、美しい強者とかいうものを聞かせてもらおうかしら。ナナはかわいいけど、綺麗系ではないのよね。そこらへんはどうかしら?」
「――ああ。それは単に当時、私は10にも届きませんでしたから。バフォメットも10までは普通に成長するでしょう」
「そうね。ナナの成長が止まったのは――それより少し後ね。もう完全に止まってしまったわ」
「うむ。それ以上はどこも成長しなくなった。……胸くらい、成長してもよさそうなものを――。まあ、角のおかげで小学生に見間違えられることはないがの」
「それで、君の父の名前は何と言うのかね?」
「クビキですよ。クビキ・ヴァレナ・イリアステル」
「っ!? では、君の父はかの『大嘘憑き』か」
打って変って警戒した目でクードを見つめる。
「そうです。息子である私でさえあの人のことは完全には理解できはしませんが。まあ色々と悪評はありますが、直接関わることがないなら恩恵だけを享受できますよ」
「中々に酷い言い分だな。まあ、噂を聞く分にはそれでも抑えているほうか」
「ええ。まあ、噂ですらかなり抑えてありますね。被害者の鼻持ちならない善人顔以外は割と真実です」
「む、そうか。いや、そのくらいでなければその年でその技量はないか。犯罪者でないとはいえんが、立派に国に貢献してくれている研究者だ。親族に迎え入れても問題はなかろう」
「そう言ってくれるとありがたい。父の名前を聞くだけで逃げ出す人もいるから」
「あれだけの噂があれば、な」
「まあ、そうなんでしょうね――。ところで、それ、食べないならもらいますよ」
「――ああ。主賓は君だ。好きなものを食べたまえ」
「あ。そういえば、ナナの部屋を案内するのを忘れてましたね」
「――は?」
「まあ、ナナに連れて行ってもらえばいいでしょう」
「ちょっと? 一人で納得してないでそういうことか、教えてくれると――」
「ク。クード? こちらじゃ。その妾の部屋は」
「ああ、うん。そう」
頷いてから気付いた。
流されている。
「ええっと。私はいつになったら帰れるのかな?」
おずおずと切り出す。
さすがにこの状況はマズイ。
クードといえどもしれっと恋人の家に泊まりこむなんてできない。
「え? クードは妾の家に婿入りしてくれるのじゃろう?」
「いや、将来はそうするけれど。付き合って一日で彼女の家にお泊りするのはどうかと……」
うるうるとした目で見つめてくるナナリー。
こうなってしまうとクードは弱い。
「あぅぅ。クードの家はここじゃ。だから、どこにも帰る必要などない」
「確かに今日は帰らなくても大丈夫だけど。父さんが帰ってこない日だし」
「妾は妻としてクードの世話をする権利があるのじゃ!」
「権利って……。さすがに心の準備が」
「わ、妾は風呂に入ってくるのじゃ。の、覗いてはならぬぞ?」
「覗かないよ」
断言する。
クードにとっては性の興味よりも嫌われる恐怖のほうが圧倒的に上だ。
枯れているとも言う。
「べ、ベッドの上で待っていてほしいのじゃ」
「ちょっと、待――」
行ってしまった。
落ちつかなげにあたりを見渡す。
全体的にピンクで、女性的というよりも女の子っぽい部屋。
魔術書が並び異彩を放つ本棚を除けば、かわいいぬいぐるみやデフォルメされた魔具。
――デフォルメされた魔具?
あの、今にもダンスしそうな人型の護符や花柄の箒は本当に使えるのか?
子供っぽい杖まである。ただし、頭は山羊の頭蓋骨。アンバランスこの上ない。
「で――、どうする? あの親たちはおそらくそう言うことを期待しているのだろうが。このまま最後までいったら精神的に限界を迎えるな。……なんとかして誤魔化してみるか」
「……クード。次はぬしがお風呂に入る番じゃ。ちゃ、ちゃんと体は綺麗にしてきたから――。えと……あの」
ナナリーが部屋に入ってきた。
紅い浴衣を着ている。
簡単に脱がせそうだ――、なんて思うのは自分がやましいことを考えていたからか。
ともかく、似合っている。
「ありがとう。で、着替えはどうしたらいいのかな?」
「うむ。母様が用意してくれたから、それを着てほしいのじゃ」
「使わせてもらうよ」
「え……えっと――。ご、ごゆっくり……」
最後まで赤面したまま、しどろもどろで話していたナナリーだった。
こちらも随分と緊張している。
「き、緊張するのじゃ。クードは優しくしてくれるかの? これが、母様の教えてくれた初夜というものか。妾は殿方に身を任せていればよいとしか教えてもらえなんだが――。あぅぅ。心臓が破裂しそう」
とことこと人形のほうによって行って、そのうちの一体を抱きしめる。
「むむぅ。こ、こんなとき妾はどうしたらいいのじゃ? このままだと緊張に押しつぶされてしまう」
「うー。うー。うー」
唸りだした。
それでも答えは見つからないようで。
そわそわと鏡を見て必要もないのに身だしなみを整えたり。
ぬいぐるみを抱きしめたままで部屋をぐるぐると回ったり。
そんなことをしているうちにクードが部屋に入ってきてしまう。
「邪魔するよ。……こういうときは、なんて言って入ればいいのだろうね?」
「い、いや。それは妾にもわからぬが……。堂々としていればよいのではないか」
「そうか。で――」
「うむ。えと――」
二人して言葉に詰まる。
意味もなくベッドの上で正座して見つめ合う。
針の筵のようでいて、この上なく甘い雰囲気。
本人たちはまじめにやっていても、傍から見れば勇気出せよ! と思わなくもない。
「あ、あのぅ」
「な、何かな? ナナリー」
「や、優しくしてくれ……な」
「う、ぐ――。そうだ、ナナリー。今から何をやるのか知っているのか?」
「うむ。あ、いや。母様は殿方に任せろとおっしゃっていた」
「そうか。いや、良かった」
「どうかしたかの?」
「うん。それじゃ、寝ようか」
「寝る? 初夜というのは――」
「二人きりで寝ることだよ」
「そ、そうなのかの。で、でも――」
「こっちに来てくれるか?」
「へ? あ、うむ」
おずおずとクードのほうに身を寄せる。
散々抱きついていたのに、それを忘れてしまったかのようだ。
「さて、寝ようか」
クードは近づいてきたナナリーを抱き寄せ、倒れこむようにベッドにもぐりこんだ。
ナナリーを抱きしめたまま。
「あ、あうあうあうあうあう」
ナナリーは赤面したままうめく。
自分のほうから抱きつくのと、恋人に抱きしめられるのは別だ。
幸せやら、気恥ずかしいやらでナナリーの心はめちゃくちゃだ。
だが、クードの方はと言うと。
こちらも心はめちゃくちゃになっているが、それ以上に眠たげだ。
あれだけの魔法戦を繰り広げて魔力を使い果たした上、色々なことがあったのだ。
「あ、あの!」
ナナリーは大きな声を出す。
クードに気付いてもらうためというより、単に混乱しているだけだが。
「母様や父様のような特別な人は妾をナナと呼んでくれるのじゃ。クードも、そう呼んでくれんかの?」
「うん。ナナ。私はクーでいい。私をそう呼ぶのは、父さんだけだから」
「うむ。それじゃ、お休みなのじゃ」
「お休み」
クードはすぐに眠りに突入する。
けれど、ナナリーの方はそうは行かない。
顔を赤くしたまま、抱きしめられているために寝返りも打てない。
「むぅ。なぜそんなに簡単に寝れるのじゃ? 妾と密着しているというのに。もう少しはかまってくれてもいいじゃないかの」
「ふふっ。かわいい寝顔じゃな。まさか、ぬしがそんな顔をするとはの。まるで子供じゃな。,,,,,,幸せ、じゃな」
「こんな幸せ、昨日は想像もしておらんかった。まさか、クラスメイトに妾に勝てる人間がいると思ってもみなかったしの。これは、妾がバフォメットじゃからか? 本能には勝てんということかの。ふふ、怖い怖い」
「また明日。いや、別れなど言うことはないのじゃったな。良い夢を、クー」
ナナリーもまた、恋人の腕の中でまどろむ。
「……う。――む? んぅ――」
髪を撫でられる感触に目を覚ますナナリー。
「おはよう、ナナ」
「うむ。おはよーなのじゃ、クー」
髪を撫でながらナナリーの顔を見つめているクード。
その顔はゆるみきっている。
心行くまでナナリーの寝顔を堪能したようだ。
そして、今は寝起き顔を楽しんでいる。
ぼーっとしている。
そして、クードを見つけてにっこり微笑む。
「ふにゃっ!?」
頭が覚醒したようで、顔を真っ赤にする。
乙女として、寝起きの顔を見られるのは恥ずかしいようだ。
「うわっ……。いきなり驚かないでくれ」
「あぅぅ。じゃって、起きたらクーが目の前にいたんじゃもん」
「学校はどうする? 私のは一式全て家にあるはずだが。休むか?」
「いや、ぬしの家にあった道具一式全て持ってきてあるぞ。それに、クーの家は此処じゃ」
いつの間に……。それに、持ち主の許可も得ずに……。
そんなことを思うが、まあいいやと思ってスルー。
そういうところはかなり適当なクードであった。
「今日くらい、さぼってもいいんじゃないか?」
「ダメじゃ。少しの気の緩みがずるずると人をダメにしていくのじゃ。妻としてそんなことは見逃せん」
「まだ婚約だってした覚えはないんだが……」
「……え? クーは妾と結婚するのは嫌か?」
すごく悲しそうな顔になる。
天国気分から地獄に真っ逆さま。
その姿は親に捨てられた子犬のよう。
「そんなことはない。だが――」
「クー!」
また表情が一変させて抱きついた。
忙しないことだ。
「もうそろそろいいかしら。そこまでにしないと遅刻してしまいますよ」
「エリザさん」
「母様。見ていたのかの?」
「ええ。いつまで待っていればいいのかと思ったわ。けど、終わりそうもないから声をかけたの」
「むぅ……」
「あぅ。母様、見ていたのなら声をかけてくれんかの……?」
「ほら、ナナは身だしなみを整えて。クード、あなたは学校の支度を整えてしまいなさい」
「はい。そうさせてもらいます」
「ああうぅ……。こんな姿でクーの前に」
あわあわと髪に櫛を入れていく。
バフォメットに化粧は大抵の場合必要ない。
無意識に魔力で皮膚を覆い紫外線などから守っているため、肌が美しいのだ。
一方、日焼けしようとするとかなり大変だ。
「で、昨日はお楽しみだったかしら」
部屋を出てすぐにそんなことを聞かれ、クードは咳き込む。
「なんてことを聞くんですか。まだ早すぎます」
「あら? じゃあ、どれだけ待てばいいのかしら。それに、ナナは誘ってこなかった?」
「……何のことですか」
「そう。ならいいの。ごめんなさいね。今日の朝ごはんはナナに手伝ってもらってないの」
「知ってますよ。ずっと一緒にいたんですから」
「ふふ。そう」
「何ですか。その意味深な笑いは」
「別に。時間がないから、早く食べちゃったほうがいいわよ。ナナと二人で誰もいない通学路を走りたくなかったら」
「わかりました」
「クー。まだ此処におったか。何をぐずぐず母様とおしゃべりしとるんじゃ。時間がないぞ。妾は髪を振り乱して駆けとうない!」
「ナナ。それじゃ、ご飯をささっと食べてしまおうか」
「うむ! ついてこい」
「……家の中は走らないほうがいいと思うんだけどな」
「ふふ。仲の良いこと。もう愛称で呼び合ってる」
手を取り合って廊下を走る二人を見て頬を緩めるエリザ。
二人のイチャつきぶりに満足のご様子。
「ほら、早う食べい」
「わかってるよ、ナナ。そんなに急かすな。まだ時間はある」
「ぬしはギリギリに学校に着く気かの? そんなことは許さぬ。常に余裕を持って行動する。それは鉄則じゃ」
「気の抜きどころは大事だと思うけど?」
「ここは抜くところではない。……む。クー、米が付いておるぞ」
「え?」
「ああもう。そこじゃ、そこ」
「ええ……っと」
「もう良い。ほれ」
ついていた米粒を取って食べてしまう。
間接キスだ。
ちなみに、この二人はまだキスをしていない。
「あ……」
「なんじゃ?」
「なんでもない。食べ終わったなら、出るぞ」
「わぷ……。妾のカバンは部屋にあるのじゃ。少し待って欲しいのじゃ」
「はいはい」
「よし、待たせたの」
「なら行こうか。でも――」
「なんじゃ?」
「いつもの制服姿だけど、綺麗だよ」
特別に仕立てられた小さな制服。
白を基調としており、着るものが着れば荘厳ささえ感じさせる。
その制服は彼女のために在るかのように似合っている。
「……へ? な――。き、綺麗だなどと。あぅぅ。はう。て、照れてしまうではないか」
顔を真っ赤にしてしまう。
そのまま上目遣いでクードを見上げる。
「何をそんなに照れているんだ? 余裕を持って到着するんじゃなかったのか」
「ひゃい! あ……あう。――うむ。行くぞ」
「エスクード様! 何をしているのです!?」
家を出てから――出てくる前もずっと手を繋いでいる二人に土星が浴びせかけられる。
彼の名はガモス・ヘイスト・レクトレス。
自称、ナナリーの一番弟子。
もっとも、一番弟子を名乗る者は他にも結構いる。
「ふむ? レクトレスか。何をそんなに興奮しておる。ぬしも魔法を志す者なら落ち着かんか。魔法を使う者の原則くらいは教えてやったはずじゃが」
「これが落ち着いていられますか! その男は何なのです。そいつはオーガとつるんでいる不良です。近くにいれば卑しさが移ります。手をつなぐなどもっての外!」
唾を飛ばす勢いで叫んでいる。
顔も真っ赤で――、なんというか関わり合いたくない形相をしている。
「ほう。妾の夫を愚弄するか――。潰すぞ? 小童」
ナナリーからとてつもない圧力が吹き上がる。
彼の魔法の腕は中の上といったところで悪くはないが、規格外クラスの前では赤子同然。
特に魔力の量だけは教師陣すら凌ぐ。
「……か……は…………あぐ――」
酸欠になったかのように口をパクパクさせる。
その形相は恐怖に染まっている。
「はっ! この程度で前後不覚に陥るかの。なら、ぬしはそこであえいでいるのがお似合いじゃ。妾の夫に二度と無礼な口を利くでない」
見下した表情で睨みつける。
滑らかな髪が逆立ちそうなほどに怒っている。
身長だけで言えば、大人が子供の前に恐怖でひざまずいている状況。
「そ、そんな――。エスクード様」
一方、いきなり現れた男の方は裏切られたとでも言わんばかりの表情。
淡い恋心を抱いていた師匠が、悪い噂を聞く男に寄り添っているのだ。
その内心は想像するに余りある。
それどころか、ナナリーは普段は優しい。
己の得意な魔法分野で他人に色々と教えてやっているのだ。
この男はその中の弟子を名乗る一人。
自分の中では一番弟子と思っていたばかりに、その傷は余計深い。
「クード・ヴァレナ・イリアステルぅぅ!」
「何だ? 叫ばずともこの距離なら聞こえる。ま、私のことをフルネームで呼ぶということは――決闘でも望んでいるんだろう。お前ごときには決闘なんてもったいない。この場で少し相手してやる。――ああ、ええと……」
「ガモス・ヘイスト・レクトレス。級友の名前くらい覚えんか。妾は全校生徒の名前を記憶しておるぞ」
「――ガモス・ヘイスト・レクトレス。来い、叩き潰してやろう」
「言ったな!? ならば、受けろ。我が最強の魔法」
「最強の魔法、ねえ。何度も何度も土木課の連中に苦労をかけるのも良くないから、相殺しやすい魔法にしてもらいたいのだがね」
「ほざけ! 消し飛べ。――。――。――――」
「呪文の詠唱からか? 詠唱破棄の第二段階すらできないのか。それも、呪文からして中級魔法。これは、何の呪文だったか。そんなものを使っていたのは子供の頃だったからよく覚えていないのだが」
「クー。呪文なら授業で習ったじゃろう。これはつい最近やったやつじゃぞ。ぬしは授業中何をしていたのじゃ? 試験は撃てたら合格とはいえ、呪文は基本中の基本じゃぞ。覚えていなくてどうして改良できる?」
「それこそ教科書を見れば良いと思うがな。さて、そろそろか。私も準備を始めなくてはな」
「ふざけた真似を! 死にやがれェ」
「呪文を解き放つ前は口がフリーとはいえ、魔法に集中したほうが良いぞ。特にお前程度の腕だったら」
「「【レガテスの双槍】」」
かわいそうな男の生み出した二本の槍、それはクードが放った同じ魔法により相殺された。
周囲には何の被害もない。
クードが狙ってやったのは確実。
そもそも威力を上げたければ詠唱破棄の段階を下げればいい。
彼は第四段階まで破棄していた。
そして、男の方は第二段階。
「そんな……オレの、最強の魔法が」
いくら彼が間抜けでも絶望的な実力差はわかる。
いや、わからされた。
間の前が黒くなり――崩れ落ちる。
「この程度。所詮は一般生徒か」
「クー。そんなふうに言うでないよ。こいつはこいつなりに頑張ってあの程度なのじゃ。バフォメットである妾も、かの『大嘘憑き』の息子であるぬしも特別なのじゃよ」
「は、そんなものかね。幼い頃から魔法に触れていれば、この程度は軽いと思うのだが」
「いや、それは多分――規格外の連中のことじゃろ。滅茶苦茶な人物と一緒にいれば、とんでもないことをやらかせるようになってしまう。『大嘘憑き』の仲間に触れるというのは、そういうことではないかの」
「仲間。あの父さんがそんなものを持っているものかな。いや、回りにいる連中が滅茶苦茶なのは事実か。あれらの影響を受ければ、確かに酷いことになる。最上級魔法を使いこなせてしまうような――。悲しいことに、私はまだ一般人の領域に片足を残しているが」
「そうかの……? いや、ぬしがそう言うならいいんじゃ。さて、さっさと行くかの。さっきのごたごたでもう余裕が無い。遅刻はいかん」
「……そう。なら、行くか」
「うむ」
二人はうなだれたままの男を残して駆けていく。
憎たらしいほどにいちゃつきながら。
「よ。凄いことになってんな」
ホームルームの開始ギリギリに飛び込んだ二人は席に着く。
さすがの二人も席は替えられない。
ナナリーと離れたクードに悪友が声をかける。
後ろにいるのがエクレスでなくナナリーならいいのにと思いながらヒソヒソ声で相手をする。
「まぁ、な。当事者の私でさえナナの変わりぶりは眼を見張るばかりだ」
「いや、お前だって相当なものだと思うけど。前は女に興味はありません。研究が恋人ですって顔をしてたのに、今じゃ恋人の前でデレデレしてる」
「……そんな顔をしたつもりはない」
「じゃ、自覚するんだな。あーあ。お前がこんなんになって、ナルのやつはどう思うのかな」
「ナルか。あいつは今までどおり喧嘩を仕掛けてくると思うぞ。あいつとの喧嘩をナナに手伝ってもらうつもりはない」
「おーお、お熱いことで。愛称で呼び合うなんてな――。そういうの、ナナリーはかなり厳しいって聞くぜ」
「そうか? なら、そういうことなのだろう」
「いや。面倒くさくなったからって話を終わらすなよ。お前のそういうとこ、鷹揚なんだか、適当なんだか」
「さてな。別に人格者を気取るつもりはない」
「はいはい。っと、話し過ぎたな。あまりにうるさくし過ぎると注意されちまうしな。話はまた後で」
「……しっかし、ナルの奴も報われねーな。それに、ナナリーを慕ってる連中なんて掃いて捨てるほど居るだろうし。ま、オレは楽しく見物させてもらいますかね」
そんなとこを後ろでつぶやいた。
もちろん、クードには聞こえなかった。
「クード、話がある。少し二人きりになってくれねーか」
放課後、ナルはその言葉で切り出した。
彼女は休みの間ずっとクードをなんとも言い難い目で見つめていた。
休みごとにクードに物理的な意味でくっついているナナリーはそれに気づいていたが無視していた。
「ふむ。なんじゃ? 話があるならここですれば良いじゃろう」
「ナナリーか。少し引っ込んでてくれねえか? 用があるのはクードなんだよ」
「ふん。そんな思いつめた表情をしていたら誰でも心配になるわ。まさか心中でもする気はあるまいな?」
「……想像力のたくましいやつ。別にそんな気はねーよ。ただ、色々とはっきりさせておきたいことがあってな」
「ナル。もしや私がナナと付き合いだして弱くなることを恐れているのか? それは杞憂だぞ。むしろ、魔法の腕自体は更に上がるはずだ」
「……クード。そういうことじゃねえよ」
「クー。ぬしはちょっと黙っていて欲しいのじゃ。こいつとは妾が話をつける」
「ふむ? よくわからないが、そう言うのなら」
「くっく。お前って本当に鈍いな。この魔法馬鹿」
「エクレスか。たしかに私は魔法以外のことには疎いが。なら、お前にはナルが何を言ってるのかわかるとでも?」
「……いや、わかるよ。お前じゃねえんだから。ま、見てろよ。すぐに終わると思うぜ」
「むぅ……」
「考えこむなよ。ま、俺は楽しく修羅場を見学させてもらうぜ」
「ナナリー。お前と話しつけても無駄だ。俺は自分の心にけじめを付けたいんだよ」
「ふん。貴様のことなぞ知ったことか。クーと女と二人きりになどできんよ」
「……俺とあいつは喧嘩友達だよ」
「ふん。どうじゃかな。まあ、少なくともクーはそうとしか思っておらぬか」
「だあ! もう、らちがあかねえ。お前を倒してでも、クードとは話をつけさせてもらう」
「は! やれるのなら、やってみい。妾は見かけほど弱くはないぞ」
「知ってるさ。だからこそ、先手必勝!」
「甘いんじゃよ。妾が弱点を弱点のままにしておくと思うか? 種族としての弱点ゆえ、反則みたいな対策しか取れなかったがの!」
ナルの一撃は壁のようなものに弾かれる。
「おいおい、クード。何だよ、あれ。バフォメットは接近戦が苦手で、バリアなんて持ってなかっただろ」
「ああ。あれは特性ではないな。おそらく、魔道具だ。恐ろしいほどの魔力を消費しているだろうが、な」
「あーあ。ああなったら、ナルはナナリーの魔力切れを狙うしか無いか。で、その魔道具に他の弱点はないのかよ。あんな物を持たれたら、勝負どころじゃねえぜ」
「他の弱点か――。ああ、もう一つ。恐ろしく金が要る。あんなもの、国内でも持っている人間は少ない。ナグトさんはよほど娘を愛しているらしい。それに、どうせ公式試合では使えん」
「ナグト? ああ、ナナリーの父親か。お、ナナリーが反撃するか」
「ああ。安全地帯に閉じこもって魔法の一撃を当てる。合理的だな。シンプルなゆえに正攻法で挑むしかない。――【ヴラドシュラゲルの灰燼王】。上級魔法をあそこまで収斂させるとはね。教室には焦げ一つない」
「いや、ナル死んだんじゃねえか、あれ。なんつー熱量だよ。ナルもそうだが、ナナリーも一般生徒とは比べ物にならねえ」
「幼いころから魔法に触れていれば上級魔法を撃つくらいは誰にでもできると思うのだがな。しかし、現実は中級魔法さえ満足に扱うことはできん。皆、恋にゲームに身を飾る――大忙しだな」
「酷いこと言うなよ。で、クードせんせ。ナナリーの次に使う魔法は何で?」
「【ヴラドシュラゲルの灰燼王】。ナルにダメージを通そうと思えば上級魔法以上しかないが、教室を破壊しないだけの収斂ができるのはアレしかないんだろう。ちょうど発現時間も少ないしな」
「とんでもねえレベルの闘いだね。生徒の闘いじゃねえだろ。……ナルも腕焦げてねえか。なんであそこまで戦うんだろうね」
「は。貴様の言うところの鈍い私に分かるわけがあるか」
「違いない。で、ナルが壁殴る凄まじい音が響いてるけど、破れそうだったりする?」
「いや、ないな。あと3割も威力が大きかったら壊せるのだろうが、あれは攻撃のたびに新しく作り直しているようだからな。今のままではナルに勝ち目はない」
「お、二発目」
「当たったな。ナルも、動き回れば回避できるのにな。足を止めて撃ち合うなど何を考えているのだが。ナナリーは教室を撃ち抜く可能性を考えて手が出しづらくなるのに」
「オーガの性格ゆえってところじゃないか」
「そうか。まあ、無様に這いずるよりも死を選ぶ種族だったな」
「で、ナナリーは3発目の準備か。いい加減腕がぼろぼろだけど、ナルに勝ち目はあるのかね」
「無いだろうさ。腕にダメージがある。どうしてそれで、今までを上回る攻撃力を出せる?」
「なら、このままナルの負けか。ナルの打ち込みは見応えあるが、結果は順当すぎるな。当たり前に負けたって感じだ」
「そうだな。だが――
「ずえりゃあああああああああ!」
「んな!? 足! これは効くか」
「む……」
「くは。その程度で、妾の不意を突けたと思うてか! 丸見えじゃ」
ナナリーはわずかに後ろに後退する。
それだけで壁をぶち抜いた足の攻撃範囲から外れる。
「ちいぃっ!」
すぐさま殴りかかる。
が、壁に止められる。
壁は攻撃ごとに生成される。
ナルは壁ごとナナリーを貫かねば、ダメージは与えられなかった。
「3発目。もはや体力は限界じゃろう? 大人しく寝ておれ。【ヴラドシュラゲルの灰燼王】」
「が……はっ」
ナルの足はがくがくと震えている。
上級魔法を3発も喰らえばいくらオーガとて根性とかそういう次元を超える。
クードとの喧嘩で多少打たれ強くなっているとはいえ、これはもはや――。
「まだ立つかの? そのように震えていては幼子が押すだけでも倒れてしまうぞ。なぜそこまでできるのじゃ」
「知る……かよ。俺は……ただはっきりさせたいだけだ。ここで倒れちまったら、色々なもんがあやふやなままになっちまうんだ」
足を引きずるように歩く。
何秒もかけて、一歩。また一歩と。
「お前は何を言っとるのじゃ? もやもやするものがあるのなら、考えればいいことじゃろう。少なくとも、妾には死にかけながら足を運ぶことで何かに答えが出せるとは到底思えん」
「現に3、4歩歩くのにもここまで時間をかけて――。わけが分からぬ。頑張るのはもちろん良いことじゃ。しかし、それで何を得られる?」
ぽん。
「む? ぬしの拳が届いたか。子供の拳の威力すら無い。まさに撫でるだけ、じゃな。じゃが、ぬしがそこまでやるのならクーと二人で話すことを認めてやろう。――もう寝るがよい。少なくとも今日一日はぐっすりと寝ておれ。そのような姿で男と二人きりになることはない」
「……へ。あんがと、よ」
そう言って、倒れた。
すぐにいびきをかきはじめる。
「悪いな、クー。明日の予定を勝手に決めてしもうて」
「いや、構わない。あれでも悪友だ。つきあってやるさ」
「……ふふ。ぬしのような男が恋人であると、妻は安心できるな」
「そうか。それは良かった。ところで、どこらへんが安心するんだ?」
「そういうところだよ、クード。ま、悪友のよしみだ。俺がナルを運んでやるよ。お前らは楽しんできな」
「楽しむ? 何をだ」
「クー。そう言ってくれておることじゃし、妾達は先に帰らせてもらおう」
「そうだな。帰るか?」
「いや、少し商店街の方へ寄って行きたいのじゃ」
「何か用事でもあるのか」
「むぅ……。クー、そういうことをいわんでくれ。別に用事があるわけでもないが――。その――」
「用事がないなら何故行かねばならん?」
「うー。……で、でーとじゃ。恥ずかしいから言わせないでおくれ」
「デート……。そ、そういうことか。い、行くぞ」
「う、うむ」
ぎこちなく手をつないで教室を出て行く。
普段はいちゃいちゃしてるくせに、こういうところだけは初心だ。
「そういえば、先ほどの魔法だが――。魔法の収斂は威力の低下を招かないか? いや、教室に火を付けないためとはわかっているのだが」
「むむ、たしかにの。魔力を魔力で無理やり押し付けるために魔法本体と相殺してしまう。必然、最終的な威力は減衰する」
「そうか。まあ、貫通力重視の魔法は他にあることだしな。既存の魔法を改造しても改悪にしかならぬか」
「魔法の基本性能自体を見ればそうじゃろうな。でも、その状況に適応するように改悪することは出来る。先の例で言えば、威力を落として部屋を壊さぬように、とかの」
「それもそうだな。私も必要魔力自体は多くなるが、魔法の短縮は行うしな。だが、状況に見合った魔法が存在するとは限らない。そして、その魔法を使えるかもな。しかし、魔法の改造も難しく容易にはできない。ままならないものだな」
「むむむ。そうじゃな。全て焼き払ってしまえれば楽なのじゃが」
「それこそ、状況の一つだ。相手がいつも自分より弱いとは限らない」
「中々にキツい言い方をするものじゃな。しかし、この国にはそういうことを考えられるレベルにいる人間すら少ない。中級魔法で苦労するのなら、上級魔法のアレンジなぞ不可能と言ってもよい。ま、この国が平和なのを喜ぶしかあるまい。それとも、ぬしが議会に入ってフォルテシモ・ドメインに上申するかの?」
「議会にはいる気はない。だが、本当の問題はフォルテシモ・ドメイン――12人の超人以外に本物の戦争を経験した者がいないことではないかな」
「クー?」
「ナナリーちゃん! すっかり変わっちゃって。その人があなたの恋人?」
「シーナか。どうかしたのかの?」
現れたのは天然そうな顔をした少女。
ナナリーの友達だ。
もっとも、見かけでは女の子とお姉さんにしか見えない。
「どうしたって……。恋人を手に入れたら友達はポイ捨て? 用事がなきゃ話しかけちゃいけないの」
「……うぐ。そんなことはないが」
「空気を読めって話よね。シーナ、ナナリーを見つけたってすっ飛んでいかない。あなたがナナリーになついているのは分かったから。少しは気を使いなさい」
こっちは損してそうなほど真面目っぽい少女。
こちらも当然ナナリーの友達。
「そんなこと言ったって、トルリ。ナナリーちゃんを見つけたら抱きしめに行くよ。そっちの男の人に遮られちゃったけど」
「まあ、不審人物からナナリーを守ろうとしたことは評価できるわね。けれど、悪い噂しか聞かないのよね」
「当然だな。良い噂など流したことがない」
「クー。そういう意味ではないと思うぞ……? だが、クーのことを悪く言うなら妾が相手になる」
「そう言わないでよ。別にあなた達の仲を引き裂こうと言うわけではないのよ。ただ、ちょっとその人のことが気になって」
「なんじゃと。クーは妾のじゃ。絶対にやらん」
「いや、そういうことじゃないから。友達に恋人ができたら騙されてるんじゃないかって心配でしょ」
「そーだよ! ナナリーちゃんは騙されてるんだよ。だって、その人は女の人を幸せにしてあげようって顔じゃないもん」
「クーは絶対に妾を裏切らん!」
「そんなことわからないよ! 男の人は自分勝手なんだから」
「……ちょっと、シーナ」
「クーは違う! そうじゃな、クー」
「む? ああ、私はナナを裏切ることはしない。だが、そいつの言うことも一理ある」
「……クー?」
「現に私はそこの女二人を幸せにしてやろうという気などちっともないのだから。いや、そこの女二人に限らず、だれでもな」
「噂通りみたいね。まあ、ナナリーのことだけは大切にしてくれるみたいだし、いいか――」
「あなたみたいな人にナナリーちゃんは渡せない! どうしてもって言うんなら、私が相手だよ!」
「ふん。大した魔力も感じないが、お前にその気があるのなら相手をしてやろう。来い」
「聞いた!? ナナリーちゃん、こいつは全て力で解決するつもりだよ! こんな乱暴な奴のところにいないで私のところに帰ってきて」
「お前、相手するんじゃなかったのか? 何がしたい?」
「クー。少しそこで見ておれ。こいつは妾が叩きのめす」
「ちょっと、ナナリー? できれば穏便に。それに、シーナも変なコト言ってないでちょっと落ち着きなさい」
「トルリ。これは落ち着いてられないよ! だって、私達のナナリーちゃんが誰ともしれない男に奪われちゃったんだよ。これは黙っていられないよ」
「シーナ。あんた……」
「目をさますんだよ、ナナリーちゃん。その男から離れれば私が正しいってことがわかるはずなんだよ」
「は! 妾を頼る姿が可愛くて色々と教えてやったが、妾をクーから引き離そうなどとふざけたことを抜かす。覚悟はできているのじゃろうな?」
「……ちょ! 待ってよ。私がナナリーちゃんに敵うわけないじゃん。私の話を聞いて」
「聞いた上でそう結論づけたのじゃろうが。はぁ。もうよい。どこにでも行け。興が冷めた。クー、こいつらは放っておこう」
「そうだな。それに越したことはなさそうだ」
「そう。じゃ、お二人さん。また今度」
「まあ、同じクラスじゃから会わざるをえんか」
「できれば遠慮したいところだ。(むぐー! むぐー! むむむむー)……シーナ。あんたは黙ってろ」
口をふさぎながら耳元に怒鳴る。
二人はそんな二人を気にもせずに去っていった。
次の日。
ナナリーがした約束通りクードとナルは二人きりで闘技場に立っていた。
「さて、まー。なんだ。お楽しみの時間というか、やろうか? クード」
「いきなりだな。せっかく二人きりというのに話もなしか」
「ああ。そういうまどるっこしいのは嫌いなんだ」
「お前は変わらんな。まあ、良いさ。そういうのは嫌いではない」
「破!」
「【シルファーの楯】」
ナルの拳を魔法で受け止める。
何十回、何百回とやってもはやお馴染みの光景。
「相変わらずの早さだ!」
「そちらこそ――。相変わらずの馬鹿げた破壊力!」
「まだまだ行くぜ!」
「ふん……。来い!」
「むむむ。うむむむむむ」
「ええと……ナナリーさん? 何を教室で唸っているのでしょうか?」
「む? お前はエクレスか。クーの友人じゃったな。夫がいつも世話になっておる」
「これはご丁寧に……じゃなくて、何を不審人物してるのかって話だったですよね」
「別に丁寧に話さなくとも良いぞ、年齢は同じじゃろ」
「そっちがそう言うんならそうさせてもらうぜ(見た目は幼女で、格はあっちのほうがずっと上だからやりにくいんだけどなぁ。この人って教師よりもずっと偉そうで、しかもとんでもない魔法使いだっていうのに)」
「いや、まあ。落ち着かないでいる理由は――その、な」
「クードがナルと二人で決闘してるからか?」
「……む。まあ、そういうことじゃな」
「別に殺されやしねえって。それとも、嫉妬かい? 恋人を拘束しすぎる女は嫌われるぜ。それとも、魔物娘の婿になる男は違うのか」
「違う。いや、拘束云々のことではないぞ。ただ、ちょっと怪我するかもしれぬと思っての」
「クードの奴が? あいつは要領いいから大した怪我はしないと思うぜ」
「む。いや、まあ。そっちの心配もしておるがの。まあ、妾とて決闘に理解がないわけではない。心配しておるのはクーがやり過ぎぬかということじゃ」
「いや。あいつだって加減くらい分かってるだろ。ナルとの喧嘩はいつものことだ。そう心配する必要はねえと思うぜ」
「いや、実は母様がな――。昨日クーに上級魔法のブースト方法を教えてしまったようなのじゃ。あやつは案外そこらへん無計画に使ってしまう」
「へぇ。そんな感じはしなかったけどな」
「まあ、要領いいから少しでも練習すれば結構使えるようにはなるのじゃろう。だが、アレは使い方を間違えると死人が出かねん」
「そんなにかよ!?」
「うむ。だが、まあクーのことじゃ。なんとかするじゃろ。それに、相手もオーガだしの」
「いやぁ、耐久力高いからやりすぎる可能性だって……」
「うむ。それを心配していた。まあ、心配したところでどうなる話でもなかろうが」
「いや、まあ。その通りっちゃあ、その通りだが」
「さて、そろそろ決着が着く頃じゃな。益体もないことを考えているよりは有意義であった。礼を言う。お前も来るか?」
「いや、遠慮させてもらうわ。あんたと一緒に行くのはぞっとしないもんで」
「そうか。では、これからはよろしく。エクレス」
「はぁ。いや、こちらこそ」
未だ大したダメージをもらってない二人。
だが、息を切らしているのはナルのほう。
「究極の火を見せてやろう。準備は終わった」
「へえ。やっぱり守りに徹してると思ったらそんな裏があったのかよ。つっても二度目だ。うすうす気づいていたぜ」
やはりブーストの準備をしていたクー。
手加減なしでぶちかます気だ。
「そうか。なら――」
「派手にやろうぜ!」
「空を埋め尽くし、地を覆え――【アインヴァルトの千帝剣】」
「ひひ……は。楽しくなってきたぜェ!」
文字通り空を覆い尽くすほどの光の剣が地に降り注ぐ。
ナルも初めの内は壊せていた。
だが、数が増すにつれ防御するしかなくなる。
決闘場がずたずたに引き裂かれた。
それほどの破壊が降り注いだのだ。
「か……はっ……ぐぅ」
「息も絶え絶えか。まあ、あれだけの威力を喰らえば当然か。よく生き残ったものだ」
ナルはもはや血みどろ。
あきらかにやりすぎていた。
「へへ。お前の全力は見せてもらった。あの女といっしょになって更に強くなったみてえだな。だが――」
「しかし、決闘所をボロボロにしてしまったか。脆い場所ではなかろうに、さすがに恐ろしい威力だ。拡散してこれだとはな――。っ!? ナル、お前……」
いつのまにかたどたどしく歩いていたナルが目の前にいた。
「っ破!」
「うぐ……! まだ、動けたのかよ――」
拳が腹にめり込む。
クードが崩れ落ちる。
呑気に決闘場の被害を眺めているからだ。
「一発、お前を殴れてスッキリしたぜ――」
言葉通り傷ついた体に清々しい笑顔を浮かべているナル。
自分の気持に一区切り着いたようだ。
「それがお前の望みだったのかの?」
「ナナリー。見てやがったのか?」
「最後だけ、の。けじめはついたか」
「ああ。ついたぜ。そういえば、まだお前らを祝福してなかったな。おめでとう」
「ありがとうなのじゃ。クーは妾が保健室に連れて行く。お前も運んでやろうかの?」
「いや、いい。少し空を見ていたい」
「そうか。また明日」
「おお、また明日」
操り人形の糸が切れたように倒れこむ。
「お前にだけは気づかれてなかったと思うけど。クード、俺はお前が好きだったんだぜ。精々いい女になって、いい男捕まえてやるから後悔しろ。――いや、お前は後悔なんかしねえか。俺に興味なんかなかったもんな」
「……へ。苦いけど、いい夢だったぜ。ち、意識が遠くなってきやがる。あれのダメージだな。クードめ、滅茶苦茶やりやがって――」
「ひっでえ有様だな、ナル」
「エクレスか。へ、ふられ虫の顔を見に来たのかい? ……好きに笑えよ」
「いや、俺なんて失恋した時は無様に泣いちまうから人のことは忘れねえさ。それでいて、ころっと他の奴の事を好きになっちまう。懲りやしねえんだわ。そっちだって、俺を馬鹿な奴だって笑ってくれていいんだぜ」
「笑いやしねえよ。俺なんて、告白すらできなかったんだぜ」
「はは。そりゃ――女々しいこって」
「告白できなかったお前だって、どんぐりの背比べだろが。ほれ」
「何だ? この手は」
「捕まれ。いくらオーガの回復力でもそのままだと傷が残っちまうだろ」
「へ、傷は勲章ってね。放っといてくれよ」
「放っとけるかよ。お前だって女の子だろ。みすみす傷物になんか出来るかよ」
「……エクレス。あー。だが、無理だ。手が動かねえ」
「――おい」
「だからさ、おぶってくれよ」
「……お前な、まあいいけどよ」
「へへっ。あんがとさん」
「気にすんな。俺とお前の仲だろ?」
「そいつは一体、どんな仲なんだろーね?」
「聞くなよ。照れるじゃねーか」
「くくっ。案外、いい男ってのは身近にいるものなのかもね」
「なんか言ったか?」
「別にー」
「おい、こら。揺らすな。落ちるぞ」
「ははっ。いいじゃん。その時は派手に転ぼうぜ?」
「お前ってやつは」
「こんなやつだぜ。付き合い長いのに知らなかったか?」
「いんや。よーく知ってるともさ」
「それ行け、エクレス号」
「誰がエクレス号だよ?」
笑い声を響かせながら、一つになった人影は歩いていく。