第9話 寂しさで、人は
事の顛末は、ひと月のうちに、王都の隅々まで広がった。
フェリツァ・スコゲンは伯爵殺害未遂と公文書偽造で、スコゲン男爵家はその関与の度合いに応じて、男爵位の剥奪と国外追放処分を受けた。フェリツァ自身は王立監獄で十年の労役。年若さと「自首に近い証言」が情状酌量とされたが、貴族社会への復帰は永遠に閉ざされた。
第二王子ヴァルダー様は、もっと、間接的に転んだ。
フェリツァを「将来の妃に」と公言していたこと。婚約者であった私の専門も知らず、暴発寸前の杖剣を腰に下げて学園を闊歩していたこと。何より、私の婚約破棄の直後にフェリツァを伴って公の場に出ていたことが、王命による婚約政略の信義違反として問題視され、王位継承権の剥奪と、辺境領地への蟄居処分が下った。
王宮の処分書類には、たった一行、こう書かれていたそうだ。
『判断力に著しい欠落あり。佩剣の整備すら従者任せにして、自ら点検する習慣を持たず』
書いたのは、たぶん、誰かは、わからない。けれど私は、その一行を読んだとき、紫水晶が日の光を跳ね返して、誰かのローブの袖に、紫の小さな点を作る瞬間を、なぜか思い出した。
◇◇◇
フェリツァの労役所への移送日の前日、私は王立監獄の面会室にいた。
呼ばれたわけではない。私が、自分から、行きたいと申し出た。
なぜ、と聞かれたら、私はうまく答えられなかった。ただ、行かなければ、私の中の何かが、ずっと曖昧なままで残ってしまう気がした。
格子の向こうで、フェリツァは、痩せて見えた。
栗色の髪は短く切られ、可憐だった顔は、半年前の半分くらいの輝きしかなかった。けれど、瞳の奥の小さな計算の色は、まだ、かろうじて、生きていた。
「お姉様」
フェリツァは、私を見て、震える声で言った。
「お姉様、わたし」
私は、椅子に座った。座って、両手を膝の上に置いた。
「全部、寂しかったからなの」
フェリツァは言った。
「実家のお父様は、わたしを養女としか見ていなくて、お母様はわたしを商品としか思っていなくて、わたし、ずっと、ずっと、本当の家族が欲しくて、伯爵家のお父様は、わたしに優しくしてくれて、お姉様は、お姉様は、わたしのことを、見てもくれなくて、わたし、わたし、ただ、誰かに、見てほしくて、それだけで」
フェリツァの頬を、涙が伝った。
その涙は、本物だった。
私は、それが本物の涙であることを、わかった。わかってしまった。フェリツァは、嘘をついていない。少なくとも、自分では、そう思って言っている。
けれど。
「フェリツァ」
「お姉様、お願い、わたし、もう一度、もう一度だけ」
「フェリツァ」
私は、ゆっくりと、立ち上がった。
「寂しさで、人を毒殺する人を、私は、理解できません」
フェリツァの顔が、固まった。
「あなたが寂しかったのは、本当のことだと思う。私が、あなたを、見ていなかったのも、本当のことだと思う。それは、私の落ち度でもある。私は、それを、ずっと、抱えて生きていく」
「お、お姉様」
「でも」
私は、息を、ひとつ、吐いた。
「お父様は、半年間、毎日、痩せていった。痩せていく頬を、あなたは、毎日、見ていた。あなたは、それを、見ていながら、十二回、薬を仕入れた」
「……」
「寂しかったから、では、許せません。私は」
フェリツァの瞳から、涙が、ぽろぽろと、こぼれた。
私は、その涙を、見ていた。
見ていたけれど、私の足は、もう、面会室の戸の方を向いていた。
「お姉様、お願い、待って、わたし、わたしは、本当に、お父様を、好きで」
「フェリツァ」
私は、戸の手前で、振り向いた。
振り向いたとき、自分の声が、もう一度、低くなった。
「あなたが本当にお父様を好きだったかどうか、それは、わかりません。私には、わかりません。けれど、人を毒で殺そうとする好意というものを、私は、生きている限り、認めません」
そして、私は、面会室を出た。
戸を閉めた背中の向こうで、フェリツァの泣き声が聞こえた。
聞こえたけれど、私の足は、止まらなかった。
◇◇◇
監獄の門を出たところで、ヤコブさんが待っていた。
迎えに来るとは言われていなかった。
「迎えに来るとは、聞いていなかったのですが」
「俺が、来たかったので、来た」
「ふむ」
「ふむ」
私たちは、無言で並んで歩いた。
歩きながら、私は、自分の足元の影を見ていた。秋の終わりの低い太陽が、私の影と、ヤコブさんの影を、ふたつ並んで、王都の石畳の上に落としていた。
私の影の方が、ずっと小さかった。
「ヤコブさん」
「はい」
「私、いま、たぶん、人として、冷たいことを言いました」
「ふむ」
「フェリツァに、寂しかったことは、認めました。私の落ち度も、認めました。けれど、彼女を、許しませんでした」
「ふむ」
「これは、正しいことだったでしょうか」
ヤコブさんは、歩く速度を変えずに、答えなかった。
それから、低い声で、言った。
「正しいかどうかは、わからない。俺にも、わからない。ただ」
「ただ?」
「あなたが、自分の父上のために、自分の手で、ひとつ決断をした。それは、誰にも責められないことだ。少なくとも、俺は、責めない」
私は、頷いた。
頷いて、ふと、自分の手のひらを、見た。
フェリツァに別れを告げたとき、私の手のひらには、汗が滲んでいた。汗が滲むという経験を、私は今日、二度目に、した。
「胃が、変です」
「胃」
「いえ、これは、もう、たぶん、胃ではないんです」
「では、何ですか」
「わかりません。わからないんです。私は、こういうのに、本当に、慣れていなくて」
ヤコブさんは、足を止めた。
止めて、私の顔を、見た。
見て、そして、たぶん、生まれて初めて見る種類の表情を、ほんのわずかに、浮かべた。
それは、笑顔の手前のような、何か、固いものが、ようやく、ほどけかけた、そういう、表情だった。
「俺も、慣れていません」
「え?」
「俺も、こういうのに、慣れていない」
私は、立ち止まった。
立ち止まって、ヤコブさんの顔を、見上げた。
王都の石畳の上に、銀木犀はもう散り終わって、代わりに、初冬の薄い陽が、私たち二人の上に、落ちていた。
私は、たぶん、いま、自分の中の、ずっと「胃の不調」だと呼んでいたものに、ようやく、本当の名前をつけ始めていた。
つけ終わるまでには、もう少し、時間が、かかりそうだった。




