第8話 十年前の少女と、十年後の手紙
魔導騎士団は、思っていたより、ずっと早く動いた。
ヤコブさんが「三日」と言ったその三日のうちに、フェリツァの薬の成分鑑定書、王都の薬種問屋との取引記録、スコゲン男爵家の帳簿の不審な動き、それらが揃った。揃うまでの間、私は屋敷に戻り、父の枕元に張りついた。
フェリツァが薬を持ってくる時間に、私はいつも父の隣にいた。
「お姉様、お薬の時間です」
「ありがとう、フェリツァ。私が飲ませます」
「あ、でも、」
「いいから」
私が手を差し出すと、フェリツァの瞳の奥で、例の計算の色が、ほんの一瞬、揺れた。
私はその薬を、父に飲ませなかった。
代わりに、隣の枕の下に、ヤコブさんから渡されていた、似た色の偽の薬を、すり替えた。本物の薬は、後で、騎士団に渡す。証拠として。
フェリツァは何も気づかなかった。気づかないふりをしていたのではなく、本当に、気づかなかった。
人を疑うことに慣れた人間は、人に疑われることに慣れていない。たぶん、そういうものだ。
◇◇◇
四日目の朝、騎士団から早馬が来た。
『証拠が揃った。本日午後、フェリツァ・スコゲンおよび関係者の身柄を確保する。立ち会われたし』
私は身支度を整え、父の枕元に座った。
「父さん」
「ん」
「少し、出かけてきます」
「どこへ」
「フェリツァのところ」
父の目が、ゆっくりと私に向けられた。父は何も言わずに、痩せた手を、私の手の上に重ねた。
「気を、つけて行きなさい」
その手は、思っていたより、まだ、温かかった。
◇◇◇
王宮の応接間。
フェリツァが入ってきたとき、彼女はまだ、自分が何のために呼ばれたのかを、半分くらいしか理解していなかった。残り半分は、たぶん、ぼんやりとした嫌な予感だっただろう。
部屋には、私と、ヤコブさんと、王宮魔導鑑定官と、王都の薬師の老婆がいた。
老婆が、机の上に、ふたつの紙包みを並べた。
「これが、ハシェル伯爵の枕元に置かれていた『胃の薬』。そしてこちらが、王都の薬種問屋『ヴァト商会』が、フェリツァ・スコゲン嬢の名で、過去半年間に十二回購入した薬。同じものだ」
フェリツァの顔色が、少しずつ、白くなった。
魔導鑑定官が、続ける。
「成分は鎮痛性麻薬の一種。長期摂取で内臓機能が漸減する。意図的な投与であれば、明白な殺意があったと判断される」
フェリツァの唇が、震え始めた。
「ち、違うの、お姉様、私は、本当に、お父様のことを、心配して、それで、」
「フェリツァ」
私は、立ち上がった。
「私は、お父様の介護をして、お父様に気に入られて、それで、それで、伯爵家の養女に、入れてもらえれば、それだけで、よかったの。実家の借金が、本当に、もう、どうしようもなくて」
「フェリツァ」
「お薬は、お薬は、たまたま、効きすぎただけなの、私は、殺すつもりは、本当に、本当に、なくて」
「フェリツァ」
三度目のとき、私の声が、たぶん、初めて、はっきりと、低くなった。
「あなた、半年で十二回、同じ薬を仕入れていたのよね」
「……」
「『たまたま効きすぎた』の、十二回目までに、あなたは何度、お父様の頬がこけていく顔を、見たの」
フェリツァは、答えなかった。
◇◇◇
フェリツァの身柄が連行された後、応接間に、私とヤコブさんだけが残った。
ヤコブさんは、机の上に、もう一つ、封筒を置いた。
「これは、別件です」
「別件?」
「お父上の書斎を、捜索の許可をいただいて、今朝確認しました。机の奥の、二重底になっている引き出しの中に、これがありました」
封筒の宛名は、私の名前だった。
差出人は、父。
日付は、私が学園に入学する直前の春。
『ティルダへ。
お前が八つの頃、父の工房の前にひとりの少年が座り込んでいたことがある。お前はその子に試作の杖をひとつ渡した。覚えているか。
父は、お前が知らないうちに、その少年のことを少しだけ調べた。北部の領地で父親を魔物に殺された、孤児の少年だった。その後、王立魔導騎士団に拾われ、養成所で頭角を現したと聞いた。
お前は、自分の作る杖が、誰の手に渡って、どんな十年を過ごすかを、ほとんど考えない子だ。父はそれを直そうとは思わない。職人とはそういうものだ。
ただ、いつかお前が、自分の作った杖の使い手と、本当に出会う日が来たら、その日は、おまえが職人として、ただの職人ではなくなる日だ。
その日が来るまで、この手紙はとっておく。
父より』
私は、手紙を、二度読んだ。
二度読んでから、ゆっくりと顔を上げた。
ヤコブさんは、机の向こうで、何も言わずに、私を見ていた。
「あなたが、十年前の」
「はい」
「八つの私から、杖を受け取った」
「はい」
「それで、十年使って、隊長まで」
「はい」
私の中で、いくつもの線が、いっぺんに、ひとつの絵に繋がった。
学園の中庭で初めて見たときに、樫の節の柄頭に既視感があったこと。雨上がりの王宮の中庭で「俺の判断で抜いた」と言ったときの、あの判断の重み。工房の作業台で「あなたの作品だから」と即答したときの、あの即答の早さ。本部の門前で「俺はあなたの味方だ。十年前から、ずっと」と言ったときの、あの言葉の真意。
全部、繋がった。
繋がった瞬間、私の胸の中の、ずっと「胃の不調」だと思っていたものが、別の名前を持った。
別の名前は、まだ、私の口には出せなかった。
代わりに、私はもう一度、父の手紙を、両手で、握った。
ヤコブさんが、机の向こうから、ほんの少しだけ、身を乗り出した。
乗り出して、それから、何も言わなかった。
何も言わないまま、ただ、私の手紙を持つ手の上に、彼の大きな手を、ほんの一瞬、軽く、重ねた。
重ねて、すぐ、離した。
離した手の指先が、ほんの少しだけ、震えていた。
たぶん、震えていた。
私は、そう思うことにした。




