第4話 王都に響いた、ひとつの音
事件があったのは、私が屋敷に戻って三日目の朝だった。
工房の窓を開けて、芯材を陽に当てていたら、王都の方角から、低い音が空を渡ってきた。
ぼん、と何か大きなものが破裂したような音。それから、カラスが一斉に飛び立つ羽音。
私は、芯材を握ったまま耳を澄ませた。
音の余韻の中に、紫水晶が砕けるときのあの独特の、高い倍音が、混じっていた気がした。
たぶん、混じっていた。
「父さん」
奥の作業椅子で居眠りしていた父に声をかける。
「私、ちょっと、王都に出てきます」
「……どこへ」
「魔導騎士団の本部です」
父は何も言わずに、ただ小さく頷いた。最近の父は、頷くか首を振るか、それくらいの動作しかしない。そのことに気づくたびに、私の指先が冷える。
馬車を出してもらって、半日かけて王都に戻った。
魔導騎士団本部の門前は、騒然としていた。野次馬が遠巻きに集まり、衛兵が押し戻している。門の奥で、白い煙が細く立ち上っていた。煙の匂いで、私はもう、何が起きたかをほぼ理解した。
紫水晶。月光石。樫の芯。
つまり、私の杖剣だ。
「通してください、私はハシェル工房の者です」
衛兵に名乗ると、思いがけず早く道が開いた。誰かが「ああ、隊長が呼んでいた職人だ」と呟いた。
中庭に通された。
中庭の中央に、黒い焦げ跡があった。三歩四方ほど。中央には、紫水晶の破片と、樫の柄の残骸。私は迷わずしゃがみ、破片を拾い上げた。
破片は、まだほんのり温かかった。
「ティルダ嬢」
低い声に、私は顔を上げた。
ヤコブ隊長が立っていた。前と同じ黒い制服。前と同じ目つき。けれど今日は、白い包帯が、左の手の甲から肘まで巻かれていた。
私の視線が、その包帯の上で止まった。
「……あなたが、抜いたのですか」
「俺の判断で抜いた。月光石の調合に違和感があったので、屋外で確認するつもりだった」
「八割の側に当たりましたね」
「九割五分の側だったかもしれない。手首は無事だ」
「腕は無事ではない」
「腕は、まあ、これくらいなら、すぐ治る」
私は破片を握ったまま、立ち上がった。立ち上がったとき、握っていた破片の角が手のひらに食い込んで、ちりっとした痛みが走った。痛みは、なぜか少しだけ、ありがたかった。気を逸らせるから。
「申し訳ありません」
「あなたの責任ではない」
「私の作品が、あなたを傷つけました」
「俺の判断のせいだ」
「いえ、私の調合のせいです」
「俺の判断の……」
「あの」
私は、相手の言葉を遮ってしまった。遮ってから、自分の声が思っていたより少しだけ大きかったことに気づいた。気づいて、なんというか、ばつが悪くなった。
ヤコブ隊長は、私の顔を見ていた。何を言うでもなく、ただ見ていた。
私は視線を逸らそうとして、逸らした先に、やはり包帯があって、結局どこにも目のやり場がなくて、しかたなく、もう一度しゃがんで、破片を拾い始めた。
「持ち帰ります。同じ調合の杖剣がもう三本、王宮の宝物庫にあります。すべて回収して、月光石を入れ替えます」
「手伝う」
「いえ、結構です。あなたは怪我を、」
「手伝う」
二度、同じ言葉だった。
私は、もう何も言わなかった。言わずに、ただ、足元の小さな破片の一つを、隊長に差し出した。
差し出された手の甲の包帯の上に、紫水晶の欠片が落ちる。
その瞬間、ヤコブ隊長の襟首のあたりが、ほんの一拍、強張った。包帯のない方の親指の付け根に、力が入ったのが、私の指から伝わった。
なぜ、と思った。
包帯の上に石を載せただけだ。私はただの破片の引き渡しをしただけだ。それなのに、なぜ、この人の親指の付け根は、今、あんなに固く力んでいるのだろう。
理解の及ばないことが、世の中には、まだまだあるらしい。
私は破片の続きを拾うために、視線を地面に戻した。戻したけれど、今度は、自分の耳のあたりまで、なんだか少しだけ熱くなり始めていることに気づいて、それがもう、本当に意味がわからなくて、
「胃が、変です」
と、口の中で呟いた。
「胃?」
「いえ、独り言です」
私は、破片を拾い続けた。
王都の空に、もう一度、カラスが鳴いた。




