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事件のあと、香奏院は静かな夜を取り戻していた。
吹き抜けを渡る風はやわらかく、灯りは低く落とされ、
長い戦いの終わりを祝うように――穏やかな香りが漂っている。
オレンとスペアは、寮の部屋で並んで座っていた。
机の上には、温かなオレンジティーと、ふたりで焼いたケーキ。
香ばしいシトラスと甘いバニラの香りがゆっくりと重なり合う。
「……やっと落ち着いたな」
オレンがティーカップを傾けながら呟く。
「うん。……あれから、ようやく息ができる感じ」
スペアは小さく笑い、湯気の向こうからオレンを見た。
「なあ、スペア。……香りって、不思議だな」
「また急に、真面目モード?」
「誰かと混ざると、強くなる。
けど、混ざりすぎると、壊れる。
……それでも、お前とだけは混ざりたいって思うんだ」
「……なにそれ」
スペアはまばたきを忘れたまま、息を呑む。
頬の熱を誤魔化すように、少しだけ目を逸らした。
「おい……それ、プログラミングされた台詞じゃないだろうな?」
オレンが吹き出す。
「ははっ、何それ。“攻略対象の自覚”でもあるのか?」
「いや、だって……そんな完璧なこと、素で言える奴いないだろ……!」
「俺は言うけど?」
「……はあ。ほんと、ずるい奴」
オレンが立ち上がり、ランプをひとつ消す。
部屋が薄暗くなり、残った光が二人の影を重ねた。
「……もう一度、やろうか」
「……え?」
「香水結び。
今度はちゃんと、お互いの香りで――ひとつになって確かめたい」
スペアは息を飲む。
心の奥がじんわりと熱を帯びていく。
「……言葉選びが反則なんだよ、ほんと。
……でも、うん。俺も、そうしたい」
オレンがスペアの手を取り、その指先にそっと唇を落とした。
触れた瞬間、空気が微かに震える。
柑橘の爽やかさと、ミントの清らかさが重なり合い、
ふたりの間に光の粒が生まれた。
「スペアの香り、やっぱり好きだ」
「……またそうやって言う」
「だって本当のことだ」
「……知らない。もう勝手にしろ」
香気がゆっくりと絡み合い、
ふたりの身体を淡い光が包む。
指先、唇、心――すべてがひとつの調香のように溶け合っていく。
オレンが小さく息を吐きながら囁く。
「……もう離さない。
俺は、お前の清涼感と共に生きていきたい」
スペアはその胸に顔を寄せ、
小さく笑って囁いた。
「ほんと……どこまで本気なんだか。
でも、そういうとこ……嫌いじゃないよ」
オレンの手が、そっとスペアの背を抱き寄せる。
ふたりの呼吸が重なり、夜が静かに香りを満たしていった。
――香奏院に、新しい朝が来る。
もう封じる者も、奪う者もいない。
ただ、香りが混ざり、生まれ、また巡っていく。
そして、その始まりに立つのは――
オレンとスペア、ふたりの香り。
「……おやすみ、スペア」
「……おやすみ。もう寝かせろ、バカ」
そっと目を閉じると、
空気の中に残るのは、
世界でいちばん優しい混ざり香だった。




