表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
姉のBLゲームの世界に転移したけど、“スペアミント”の俺は香りの終焉を止めに行く 〜香奏院とヴァイオレット・ノート〜  作者: あしゅ太郎


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

76/83

5-7

 ――光が収まった先は、白い空間だった。


 地平も、天井も、境界線もない。

 けれど、どこか“部屋”のような感覚がある。

 柔らかな床、透き通る空気、そして遠くから響く規則正しい音――

 まるで、心臓の鼓動がそのまま世界を支えているかのようだった。


 


「……ここが、北頁(リーヴ・ノート)か」

 ペッパーが慎重に周囲を見渡す。


「静かすぎるな」

 ローズマリーが低く呟いた。

 「香りの流れが……止まっている」


 


 スペアが前に進む。

 足音は響かない。代わりに、床の下で何かが柔らかく脈打った。

 ――まるで、生きている記録そのものだ。


 


「……これ、誰かの“香りの鼓動”かも」

 スペアの言葉に、ラベンダーが頷く。

 「たぶん、封印された精油たちの残響だね……」


 


 そのとき。


 


 ふわりと風が流れた。

 無音の世界に、淡いバニラの香りが混じる。

 懐かしい、けれどどこか遠い――あの香りだった。


 


「ようこそ。

 ここは《記録の箱庭》。

 ――僕が、ベンゾイン」


 


 声の主は、まるで夢の中の少年のようだった。

 白衣の袖が少し長く、瞳は淡い琥珀色。

 どこか現実感が薄く、影さえも淡く揺れている。


 


「久しぶりだね、スペアミント」

 ベンゾインが穏やかに微笑む。

 「前に会った時より……ずいぶん、香りが強くなったね」


 


 スペアが一歩近づく。

 「……あの時、言ってた“香りを封じる場所”って、ここだったのか」


 


「うん。

 僕は“記録係”だから。

 消えた精油たちの香りを、書き留めて保管してる。

 でも……もう、手に余ってるんだ」


 


 ベンゾインが視線を横に向ける。


 そこには――小さなソファに寝そべる少年がいた。

 銀がかった金髪、いたずらっぽい目。

 足をぱたぱた揺らしながら、クッキーを頬張っている。


 


「……エレミ?」

 スペアが驚いた声を上げる。


 


「お、やっほー! スペアじゃん!」

 エレミがにこっと笑う。

 「ここ、けっこう居心地いいんだよ?

  お菓子も出るし、寝放題だし!」


 


「……お前、なんで普通にくつろいでんだよ!」

 スペアのツッコミに、ペッパーがため息をつく。


 


 ベンゾインは静かに言った。

 「エレミは……封印したはずなんだけどね。

  完全には消せなかった。

  たぶん、僕が“話し相手が欲しい”って思ってたから」


 


 エレミは頬を膨らませ、クッキーを掲げる。

 「ま、俺も退屈だったしな。

  この箱庭、欲しいものは何でも出せるんだぜ?

  でもベンゾインは“欲”ってやつがほとんどないんだよ」


 


 スペアが苦笑する。

 「……あー、らしいな。前に会ったときも、“悲しくない”とか言ってたし」


 


 ベンゾインは首を傾げる。

 「悲しい、って何?

  僕、たぶんもう“そういう感情”がうまく出ないんだ。

  でも……君と話して、少しだけ思い出した気がする」


 


 静かに言葉を続ける。


 「ここに封じられた精油たちは、もう僕の力じゃ戻せない。

  “記録”にされた香りは、魂を削ぎ落とされてる。

  ――ヴァイオラを止めるしかない。

  倒すなり、説得するなり……どちらでも。

  彼女を解放しない限り、香奏院は崩壊する」


 


 ローズマリーがわずかに眉を寄せた。

 「やはり……ヴァイオラの理論は、香りの循環そのものを滅ぼす」


 


 ベンゾインが小さく頷く。

 「ヴァイオラは、混ざり合うことを恐れた。

  だから“永遠の香り”を創ろうとして、

  世界を――止めたんだ」


 


 その声は、まるで祈りのように静かだった。


 


「ベンゾイン」

 スペアが一歩近づく。

 「お前……本当は、もう“悲しい”って気づいてるんだろ?」


 


 ベンゾインの指がぴたりと止まった。

 瞳の奥に、かすかな震えが走る。

 ――まるで、心の奥に封じていた何かが、呼び覚まされるように。


 


「……もし、そうだとしても。

 僕は“記録”だから。泣くことも、笑うこともできない。

 でも……君たちが行くなら、道は開ける」


 


 彼の足元に、淡い光が広がる。

 それは円環状の香陣。

 ミントと琥珀が重なり合い、北頁の空気がわずかに震えた。


 


「黒頁――そこが最後の頁。

 ヴァイオラがいる、香りの中心。

 そこへ続く扉を、今、開く」


 


 エレミが立ち上がり、スペアの袖を引く。

 「なぁ、戻ってきたらさ……またお菓子食べようぜ。

  俺、今度はスペアの部屋まで遊びに行くから。」


 


 スペアは笑って頷いた。

 「約束な。

  ……お前らの香り、絶対に取り戻す」


 


 光が弾ける。

 ベンゾインとエレミの姿が遠のき、

 彼らの優しい香りが、最後の導きとなって背を押した。


 


 ――そして、異香班は最終章《黒頁》へ向かう。


 そこに待つのは、永遠を願った調香師。

 ヴァイオレット・ノート。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ