5-6
――甘い光が渦を巻いた。
琥珀色の花々が一斉に咲き乱れ、香りの奔流が空間を支配する。
その中心で、アンバーが微笑む。
「これが“痛みのない世界”だよ。
混ざらなければ、誰も傷つかない。
ほら――あたたかいだろ?」
言葉と共に、香気が脳を侵す。
心地よいはずの甘香が、逆に息苦しい。
空気そのものが“他人の記憶”で満たされていく。
「くっ……!」
ペッパーが鼻を押さえる。
「これは、感情香の増幅型だ。
過去の幸福を抽出して、幻として脳に再構築してやがる……!」
ラベンダーが膝をつき、呻いた。
「優しいのに……動けない……!」
ゼラニウムも肩を震わせる。
「香りが甘すぎて、逃げ場がない……!」
スペアは歯を食いしばった。
胸の奥からこみ上げる、懐かしい温もり。
(――帰りたい? 誰の声だ……俺の?)
目の前が滲む。
けれど、その中心に立つアンバーの笑みが、
どこか――悲しかった。
「アンバー!」
ジャスミンが叫ぶ。
「あなたはまだ、そんな幻に縋ってるの!?」
「幻じゃないよ。これは“救い”だ」
アンバーは柔らかく言う。
「君も一度はここにいた。
孤独に震える心を、僕の香りで包まれた時――
どれほど安らいだか、覚えてるだろ?」
「……ええ、覚えてるわ。
でも、あれは“安らぎ”じゃなかった。
“眠り”よ。生きてるふりをした、静かな死だった」
アンバーの瞳がわずかに揺らぐ。
スペアが一歩前に出た。
「お前の香りは、やさしい。
でも、それで他人の香りを閉じ込めちまうなら――
それは救いじゃなくて“支配”だ!」
その声に、アンバーが小さく息を呑む。
次の瞬間、香気が爆ぜた。
空が反転し、金色の花びらが吹雪のように舞う。
「じゃあ――その本物の救いを見せてみろ!」
アンバーの声が空に響く。
幻香が再び暴れ出す。
「スペア、行け!」
ペッパーの鋭い声。
スペアは頷き、手を広げた。
――胸の奥に、仲間たちの香りが響く。
「香りの混合を防ぎつつ、スペアを中心に結界を展開する――
蒸留結界、発動!」
その瞬間、淡い蒸気が広がる。
ミントの冷気が中心から弾け、
ラベンダーの安香、ゼラニウムの華香、ペッパーの鋭香が円を描く。
それぞれが混ざらず、しかし響き合う。
――混ざらず、けれど離れない。
それが異香班の強みだ。
花々の香気が蒸気に包まれ、徐々に崩れていく。
アンバーが目を見開いた。
「……そんな馬鹿な……!
互いの香りを溶かさずに、どうして共鳴できる!?」
「お前が怖がってた“混ざる”ってのは、
香りを壊すことじゃない」
スペアが静かに言う。
「互いを信じることだよ」
蒸気が弾け、幻香が霧散する。
アンバーが膝をつき、うずくまる。
「……僕は、ずっと間違ってたのか……?
誰にも混ざれないこの香りを、
“特別だ”って言い聞かせて、
独りでいることを正義にしてた……」
その声は、震えていた。
ジャスミンがそっと近づく。
「アンバー……」
彼が顔を上げたとき、
その瞳に映るのは、怒りではなく――涙だった。
「僕は……ただ、誰かに認めてほしかったんだ。
“独りでも平気だ”って言い続けて、
本当は、誰かの香りを感じたくて仕方なかったのに……」
ジャスミンはそっと手を伸ばす。
「……ずっと、孤独だったのね」
その指が、彼の頬をなぞる。
琥珀色の香気が震え、涙と共に淡く光った。
「……やっと、混ざることの温かさを知った……」
アンバーは小さく笑い、静かに目を閉じる。
身体が光に包まれ、香りの粒子となって空へと昇っていく。
花の香りがひとつ、ふっと消えた。
「アンバー!」
ジャスミンがその手を伸ばす。
だが、次の瞬間、彼女の瞳がとろんと揺れた。
「……っ、だめだ、眠香が残ってる!」
ペッパーが叫ぶ。
「アンバーの香りが、彼女を巻き込んで――!」
スペアが支えようとするも、
ジャスミンは静かに微笑み、彼の胸に倒れ込んだ。
その表情は穏やかで、まるで夢を見ているようだった。
「完全に意識が沈んでいる……このままじゃ戻れない」
ペッパーが素早く通信端末を操作する。
《――こちら異香班第二編成。対象アンバー、消滅確認。
ジャスミンが昏睡状態。転送要請。》
《了解、すぐ転送陣を開く!》
通信の向こうで、ジンジャーの声が響く。
白い光がジャスミンを包み、
彼女の身体が蒸気のように消えていく。
「……すぐ戻ってこいよ、ジャスミン」
スペアが小さく呟く。
空間が静かに収束し、
花々が光に還っていく。
甘く、やさしい、でもどこか切ない香りが残った。
ペッパーが深く息を吐く。
「……優しさってのは、扱いを間違えると刃になるんだな」
そこへ、新たな香りが風に乗って流れ込んできた。
強く、凛としたハーブの香気。
「……ローズマリー先輩!」
スペアが顔を上げる。
紅のローブを翻し、ローズマリーが現れる。
その瞳には、迷いのない決意が宿っていた。
「――次は北頁だ。
ここで止まれば、ヴァイオラは必ず香奏院を飲み込む。」
スペアは頷いた。
「行きましょう。アンバーの想いも、無駄にしない。」
南頁の光が閉じ、
四人の姿が転送の輝きに包まれる。
その先には、
再生の香りが眠る《北頁》――ベンゾインとエレミの世界。




