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昼休み。
講義も訓練もない、貴重な静寂の時間。
ようやく落ち着いて飯が食える――そう思って、購買のサンドウィッチを片手に中庭へ出た。
香奏院の中庭は、いつ来ても温室みたいに香りが満ちている。
薔薇、ラベンダー、柑橘……いくつもの香が重なり、光と混ざり合う。
風に揺れる葉の音さえ、どこか甘い。
ベンチに腰を下ろし、包み紙を開く。
ようやく一口目に手を伸ばした――その瞬間。
「おや、珍しいじゃないか。こんなところで君に会うとは。」
視線を上げると、陽光の中で艶めく赤。
優雅に片肘をついて寝そべっている青年――ゼラニウムだった。
薔薇のブローチを胸元に、風に揺れる赤髪。
その立ち姿一つで“俺が主役だ”と語っている。
「……なにしてんの?」
「見ての通り、光合成だよ。
美しさを維持するには、日光と――愛が必要なんだ。」
日光と、愛。
完全に自分の世界に生きてるな、こいつ。
「聞きたまえ、スペア。
私は香奏院が誇る“完璧なる香り”の精油だ。
戦闘能力、芸術的センス、そしてこの外見。どれをとっても非の打ちどころがない。」
「……へぇ。」
「ほう、素晴らしいリアクションだ。君は理解が早い。」
いや、理解してない。
ただサンドウィッチ食ってるだけだ。
でも彼は、俺の無反応すら称賛として受け取っていた。
「かつて私の香りに惚れたラベンダーがな、『隣にいると眠くなる』と言ったのだ。
あれは誤魔化しだよ。私の香りが心を安らげたのだと、そう言いたかったに違いない。」
「……なるほど。(眠くなっただけだろ)」
「さらに言えば、オレンジなどは『近くにいると元気になる』と言った。
だがそれも当然だ。太陽のような私が照らしているのだから!」
「うんうん。(確かにうるさいタイプの太陽だな)」
「だが、ローズマリーには『自分の影を見せつけるような男』と言われた。
あれは嫉妬だ。あの冷静な彼でさえ、私の輝きに怯えたのだ!」
「そっか……。(完全に呆れられてるだけだろ)」
延々と続く自慢の嵐。
サンドウィッチを咀嚼しながら、俺は魂を半分くらい飛ばして聞いていた。
たぶん今のところ、ゼラニウムの一人語り耐久時間、最長記録更新だ。
「――というわけで、私は完璧だ。」
「そうなんだ。(長かった……)」
ようやく食べ終え、立ち上がろうとしたその時――。
「……君はすごいな、スペア。」
「え?」
「みんな途中で私の話を置いて去っていくのに……君は最後まで聞いてくれた。
それだけで、私の香りを理解してくれた気がする!」
「いや、あの、聞いてたっていうか……食ってただけで……」
だが、彼には届いていない。
ゼラニウムのテンションは、すでに最高潮だった。
「決めた! 君と香水結びをしたい!
この美と調和を、世界に示すんだ!」
「えっ!? いやいやいや、ちょっと待て! 俺まだ心の準備が――!」
「遠慮はいらない! これは運命だ!」
そう言って、ゼラニウムは懐から薔薇を一輪取り出した。
真紅の花弁が風に揺れ、香りが空気を染めていく。
「私の香りの象徴を君に捧げよう。受け取ってくれ、スペア!」
薔薇を差し出され、俺は完全に固まった。
これは……まさか、恋愛イベントのフラグか?
いや、違うだろ。違ってくれ。頼むから。
「……とりあえず、ありがと。」
「ふふ、その“とりあえず”が甘美だね。
君の曖昧さ、嫌いじゃないよ。」
――なぜだ。
ただ昼飯を食べたかっただけなのに、気づけばロマンチックな空気になっている。
薔薇の香りが甘くて、逃げ道が見えない。
(……どうか、誰もこの現場を見ていませんように。)
そう心の中で祈りながら、俺はそっとため息をついた。
空に舞う薔薇の花びらが、やけにドラマチックに見えた。




