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夜の香奏院は、昼の喧噪が嘘みたいに静かだった。
香気灯の光がゆるやかに揺れ、訓練場の床に円形の香陣を描き出す。
「……全員、位置につけ」
ペッパーの声が落ちる。
俺たちは定められた位置に立つ。
スペアが中心、周囲をオレン・ジャスミン・ラベンダー・ゼラニウムが囲む。
蒸気のような光が漂い、香気の波が互いを撫でる。
「混ざるな。境界を保て」
ペッパーの言葉に合わせ、全員が呼吸を合わせた。
ミント、柑橘、白花、草香、薔薇。
どれも独立しながら、重ならずに響き合う。
まるで異なる旋律でひとつの和音をつくるように。
「蒸留結界、安定。……よし、成功だ」
ペッパーが確認を終えると、光が静かに収束していく。
結界の余韻だけが淡く残り、香陣にほんのりと温度が残った。
「訓練はここまでだ。出撃は明朝六時。各自、休め」
短く言い残してペッパーが去り、他のメンバーもそれぞれの寮棟へ向かった。
残ったのは、俺とオレンだけ。
「……なあ、今日のゼラニウム、やけにノリノリじゃなかった?」
「おう。途中で鏡見て“光の反射が理想的だ”とか言ってたからな。
多分あの人、戦場でもキメ顔してる」
「ありそうで怖ぇ……」
俺は笑いながら肩をすくめた。
その笑いがすぐ静かに消え、夜気の冷たさが肌に触れる。
「……オレン。お前、怖くないの?」
「何が?」
「ノート。奪われるかもしれないとか、そういうの」
オレンは少しだけ目を伏せ、それから笑った。
「怖いよ。
でも、それより怖いのは――お前が笑わなくなることだな」
その一言に、息が詰まった。
視線を上げると、オレンはいつもの穏やかな目で俺を見ていた。
「スペアってさ、怖いことがあると、すぐ顔に出るんだよ」
「出てるか?」
「出まくってる。今日もさ、結界の時ずっと眉間にシワ寄ってた」
「うわ、まじか……」
「でも、その真剣な顔がいいと思う。
本気で誰かを守りたいって顔してた。……俺、好きだよ、そういうの」
急にそんなことを言うから、心臓が一拍ずれた。
「お、おい……そういうの、さらっと言うなよ」
「言葉にしないと伝わんねぇから」
オレンが小さく笑い、夜空を見上げた。
「大丈夫。どんな香りでも、ちゃんと戻ってこれるようにする。
――“混ざらないまま、繋がる”ってのが異香班のやり方だろ?」
夜風が吹き抜ける。
遠くで香樹の葉が擦れ合い、ほのかに柑橘の香りが混じった。
「……うん。行こう、明日」
俺がそう言うと、オレンが頷き、軽く拳を突き出す。
それに自分の拳を合わせた。
ミントとオレンジが小さく弾ける。
静かな夜に、約束の香りが残った。




