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カーテンの隙間から、淡い朝光が差し込んでいた。
昨夜、眠る直前までオレンの腕に包まれていたはずなのに、
目を覚ますと、胸の奥がやけに静かだった。
そんな時、扉を叩くノック音が響く。
「スペア、オレン。起きているな?」
聞き慣れた低音――ブラックペッパーだ。
「……朝から呼び出しか」
オレンが眠そうに目をこする。
「報告がある。すぐ来い」
慌てて上着を羽織り、扉を開けると、
いつものように無駄のない姿勢のペッパーが立っていた。
朝日を背にしたその輪郭が、どこか戦いの予兆を孕んでいるように見える。
「異香班第二編成――本日より正式に任務に入る」
「……任務?」
「目的は“奪われた香り”の奪還。
対象は二名――ベンゾインとエレミだ」
その名を聞いても、もう驚く者はいなかった。
エレミがミドルクラス寮で姿を消したあの日から、
香奏院全体がずっとその名を口にしてきたのだ。
「ベンゾインは、例の実験棟事故でノートに封じられたとされる精油。
そしてエレミは――最近、奴らに奪われた。
共通点は、“ノートの《白頁》で香気反応が観測された”ことだ」
ペッパーの声には、余計な感情がなかった。
けれどその奥に、わずかな悔しさの熱が滲んでいた。
「異香班第二編成は、《白頁》への潜入を行う。
敵の支配香を遮断し、封香域の香気核を回収するのが目的だ。
香りの混合を防ぎつつ、スペアを中心に結界を展開する――
蒸留結界だな」
俺は深く頷いた。
――防香と調和。混ざらず、けれど離れない。
それがこの班の強みでもある。
そのとき、扉が勢いよく開く。
「おはよ! また朝から真面目な顔してるわねぇ、ペッパー隊長!」
香り高く現れたのは、いつものジャスミン。
その後ろから、寝癖のままのラベンダーと、鏡片手のゼラニウムも登場した。
「……お前ら、誰が許可した」
ペッパーが眉をひそめる。
「だって、あたしたちも関係あるでしょ? 仲間を取り返しに行くんだもの」
ジャスミンが涼しい顔で言い返す。
「ふぁ〜……僕、朝弱いけど……スペアのためなら行くぅ……」
「寝言じゃなくて起きてから言え」
「まったく、緊張感のない奴らだな。
だが――美と勇気は比例する。君たちも、私のように完璧を目指せ」
ゼラニウムが鏡をパタンと閉じてドヤ顔を決める。
「……はいはい(もう慣れた)」
俺は小声でツッコんだ。
ペッパーは深く息をついて、全員を見渡した。
「献上側の精油を前線に立たせるのは本来、規定違反だ。
だが――“スペアに恩を返したい”というその意思を、否定する気はない。
その代わり、各自覚悟を持て。失敗は許されん」
空気が一瞬で引き締まる。
オレンが一歩前に出て、真剣な目で言った。
「……もちろん。俺が守ります。スペアも、みんなも」
ペッパーの目がわずかに和らぐ。
「言うようになったな。――異香班第二編成、出撃は明朝六時だ。
集合に遅れた者は、走香二十周」
「うっ、またそれ……!」
「訓練とは香りを整えることだ」
「なんか名言ぽくてムカつく!」
そんな朝の喧騒の中、
俺は小さく息を吸い込んだ。
――ミントと柑橘の香り。仲間たちの気配が重なり合う。
(……もう怖くはない。今度こそ、取り戻す)
その決意が、静かに胸に灯った。
――同じ頃。
香奏院・最上階の調香室。
報告書を手にしたローズマリーは、窓際で小さく息を吐いた。
「……やれやれ。献上側がここまで出たがるとはな」
それでも、その目には苦笑が浮かぶ。
「いいだろう。心を結んだ香りは、命より強い。
せいぜい奴らに見せつけてやれば良い」
朝の風がカーテンを揺らす。
ローズマリーの机の上で、淡い香水瓶が光を放った。




