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姉のBLゲームの世界に転移したけど、“スペアミント”の俺は香りの終焉を止めに行く 〜香奏院とヴァイオレット・ノート〜  作者: あしゅ太郎


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4-3

 夜の香奏院。

 静まり返った廊下の奥、淡く光る扉を抜けると――

 そこは、湯気に包まれた大浴場。


 


 壁には金色の花模様、湯面にはミントの淡い輝き。

 俺はひとり、ゆっくりと湯船に沈んだ。


 


「ふぅ……やっと献上できる……」


 


 香奏院では週に一度、各精油が自分の体からアロマ水を抽出して調香師様に献上する決まりになっている。

 俺――スペアミントは“水蒸気蒸留法”型。

 湯に入るだけで、香気が蒸気となって自動で抽出される。


 


(……便利な仕組みなんだけど、毎回“自分の成分が回収されてる”って思うと、ちょっと複雑なんだよな)


 


 肩まで浸かって、静かに息を吐く。

 湯の表面がふわっと光って――


 


 ガラッ。


 


「おや、ここにいたのか。スペア」


 


(……おいやめろフラグ立った)


 


 仕切り越しに聞こえた声に、俺は反射的に目を閉じた。

 この落ち着いたトーン、無駄に優雅な発音……


 


「……ゼラニウム?」


「そう、完璧なる男、ゼラニウムだよ」


(自分で言うな!!)

 


 バシャリ、と隣の湯が波立つ。

 そして、香りが一瞬で満ちた――

 ローズとグリーンを混ぜた、濃厚で華やかな香り。 


 ゼラニウムは湯に浸かるやいなや、鏡の前でゆったりと体を反転させ、自分の姿を確認し始めた。


「いやあ、この蒸気の入り方……完璧だ。見たまえ、光を纏ったこの肩のライン。ほどよく濡れた髪のまとまり。まさに“香水の化身”とでも呼ぶべき存在じゃないか」


「(誰が呼ぶかそんなもん)」


「見てごらん、スペア。この頬の艶と、うなじのラインの陰影。湯気がこう、輪郭を柔らかく隠すことで――むしろ浮かび上がる理想的な骨格。ああ、カメラが欲しい。360度、香気ごと記録して残したい……!」


「(お前の香気はいらねぇよ)」


「この浴場の照明は実に優秀だよ。上からの柔らかな拡散光が肌に自然なグラデーションを生んでいる。美しさは光の演出によって二倍にも三倍にもなる。ほら、湯面の反射が二の腕に映って、まるで宝石のようだと思わないか?」


「(宝石の価値、下がるぞ)」


「そもそもね、私の肌は特殊なんだ。香奏因子のバランスが極めて高い濃度で均質に保たれているから、汗をかいても香りが濁らない。むしろ蒸気と共に“最も上質な香調”だけが残る。これを奇跡と呼ばずしてなんとしよう」


「(俺の献上香気、隣で全部かき消されてんだけど……)」


「それに、この髪だ。もともと薔薇系に最適化された細胞構造がね、湿気を帯びることでふわりと浮くんだ。わかるかい? 空気を纏う髪というのは、どんな香水よりも自然に香るんだよ。もはやこれは調香ではなく、生きた芸術作品なのさ」


「(なにが“空気を纏う髪”だ。ふわふわ自尊心の塊だろ)」


「そうそう、今日な、ペッパー隊長に言われたんだ。“ゼラニウム、お前の香りは戦場で最も安定している”って。あれは、彼なりの最大級の賛辞だよ。つまり私は、“香りに動じない男”として認識されたわけだ」


「(いや、戦場でそんな認識されても)」


「ただな、彼の評価が正しいのも当然で。私の呼吸、私の所作、そして私の精神――すべてが香気のために研ぎ澄まされているからな。訓練中も一滴の汗すら無駄にしない。香りとして生まれ、香りとして存在し、香りとして消える……それが私の在り方なのさ」


「(香りの輪廻転生……?)」


「そう思わないかい? 私がここに座っているだけで、この空間は“香水の神殿”と化している。ああ、香奏院に生まれて良かった……!」


「(……もうダメだ、のぼせる)」

 


「それにしてもスペア、君の香りも悪くないね。

 清涼で純粋、まるで春先の朝靄みたいだ」


「お、おう……(褒め方だけは詩人なんだよな……)」


「だが――その無自覚さが罪だ。

 君が本気を出したら、誰も隣に立てない。私ですらね」


「いや、今の流れどこから出てきた!?」


 


 ゼラニウムは湯面を撫で、香りをひとつ吸い込み鏡越しに微笑む。


「やはり、湯と香りと私。

 この三位一体こそが芸術だ……!」


「頼むから黙って浸かっててくれ!」


「ふふ、照れ隠しかな?」


(違う! こっちはマジでのぼせそうなんだよ!)


 


 視界がゆらぎ始める。

 湯気のせいで息苦しく、頭がぽーっとする。


「ゼラニウム……悪い、先に上がる……」


「もう? 早いな。せっかく私の香りが一番濃くなる瞬間なのに」


「いや、これ以上嗅いだら倒れるから!」


 


 慌てて湯から上がり、バスタオルで顔を拭く。

 鏡の向こうでは、ゼラニウムが肩まで湯に沈み、

 うっとりと自分を見つめていた。


 


「……ほんと、どこまでもブレねぇな、あの人」


 


 それでも、ふと湯気越しに見る横顔は、

 どこか誇らしげで、綺麗だった。


(……まぁ、あれで戦場じゃ頼りになるんだから不思議だよな)


 


 湯殿を出る頃には、

 ミントと薔薇の香りが柔らかく混ざっていた。


「……調香師様。

 今日の献上分、ちょっと派手めな香りになってるかもしれません」


(どうか“ゼラニウム風味”ってラベル貼られてませんように……)


 


 ――香奏院の夜は、いつだって静かで、ちょっと騒がしい。



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