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姉のBLゲームの世界に転移したけど、“スペアミント”の俺は香りの終焉を止めに行く 〜香奏院とヴァイオレット・ノート〜  作者: あしゅ太郎


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4-2

 その夜、香奏院の空は不気味なほど静かだった。

 風も虫の声もなく、香りさえ流れない。

 空気が静止している――そう錯覚するほどに。


 


 スペアは香気塔の前で立ち尽くしていた。

 昼の訓練の名残で、蒸留結界の蒸気がまだ薄く漂っている。

 白い蒸気はやがて紫に染まり、夜の闇を裂くように揺らめいた。


 

「……なんか、変だな」

オレンが低く呟いた。

指先の香瓶の中で、液体がかすかに震えている。


次の瞬間――色が変わった。

透明だった精油が、灰色に濁っていく。

香りも、柔らかさを失い、無機質な人工香へと変わっていった。


「っ……精油が、書き換えられてる!?」

スペアが息を呑む。

自然の香が消え、世界が一瞬、冷たく沈黙した。



「ようやく、会えたな。“共鳴体”。」


 闇の中から現れたのは、ムスク。

 黒い外套を揺らし、紫煙をまとったその男は、獣のような笑みを浮かべていた。

 その隣には、白銀の髪を持つネロリ。


 


「ノート……!」


「封香の座標はここだ。

 学園全体の香気波が一点に集まる――

 この“香奏塔”が、最も効率的な奪香場だ。」


 


 ネロリが静かに手をかざすと、地面に紫の香陣が浮かび上がる。

 陣の中心では、香りが吸い込まれるように沈み始めた。


 


「やめろ……! ここは、香りを守る場所だ!」

 スペアが声を張り上げる。

 オレンも香刀(アロマブレード)を構えるが、ムスクの一振りで風が止まる。


 


「守る? 面白い。

 お前らの“変わり続ける香り”が、どれだけ不安定か……知らないだろ。」


 


 ムスクの声が響く。

 同時に紫の香煙が塔の周囲を包み――

 その中心に、“誰か”の影が浮かび上がった。


 


 白衣。銀色の髪。淡い琥珀の瞳。

 無香の存在。


 


「……ベンゾイン……?」

 スペアが息を呑む。


 


 その影は、確かに“ノートの中”で出会った彼だった。

 けれど今の彼は、自らの意志ではなく、紫の香陣に操られていた。


 


「香りの記録体、ベンゾイン。封香回路を開放しなさい。」

 ネロリの命令に、彼は無表情で頷く。


「……命令、確認。

 ――香りを、封じる。」


 


 その瞬間、ベンゾインの体から淡い光が広がり、

 周囲の空気が“記録空間”へと変質した。


 香奏院の景色が、灰色のデータ層に飲まれていく。

 現実とノートの狭間――封香の境界。


 


「やめろ、ベンゾイン! お前はそんなことを望んでない!」

 スペアが叫ぶ。


 ベンゾインの瞳が、わずかに揺れる。

 ほんの一瞬――“ノートの支配”に逆らうように。


 


「……僕は……記録係。

 でも……“悲しくない”なんて、嘘だった。」


 


 その言葉と同時に、香陣が乱れた。

 ムスクが舌打ちする。

 「チッ、同期が乱れた! 心的ノイズが走ってる!」


 


「ペッパー!」

 遠くから、ブラックペッパーの声が響く。

 「防香結界、重ねろ! スペアを中心に――蒸留層、起動!」


 


 白い蒸気が広がり、紫の香陣を包み込む。

 香りのない世界に、初めて“生命香”の風が吹いた。


 


 蒸気の中心で、ベンゾインがふらりと顔を上げる。

 その瞳は、もう命令ではなく――祈りだった。


 


「……ありがとう。

 僕の香りが、また……少し、温かい。」


 


 次の瞬間、紫の陣が弾ける。

 ベンゾインの姿は霧散し、灰色の光粒となって空へ昇っていった。


 


「転送反応消失!」

 ネロリが叫ぶ。

 「ノート側への再収束を確認!」


 


 ムスクが悔しげに唇を噛む。

 「クソッ……共鳴体の香りに、記録体が引かれた……!」


 


 紫煙が空に溶けていく。

 残されたのは、静かに漂うベンゾインの残香――

 わずかに甘く、どこか切ない“祈りの香り”だけだった。


 


 スペアは拳を握った。

 「……今度こそ、取り戻す。

  ベンゾインも、エレミも。」


 


 ミントの風が吹く。

 その香りが、まだ温かかった。


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